一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『私の男』……二階堂ふみの個性と演技が突出した禁断のラブストーリー……

2014年06月18日 | 映画
楽しみに待っていた映画『私の男』を見てきた。
なぜ『私の男』の公開を待っていたのか?
それは、何といっても、主演が、
二階堂ふみと、浅野忠信だから。
そして、監督が、
『海炭市叙景』『夏の終り』(タイトルをクリックするとレビューが読めます)の、
熊切和嘉だからだ。

原作は、桜庭一樹の第138回直木賞受賞作『私の男』。
この本はすでに読んでいたので、
あの小説をどうやって映画化したのかにも興味があった。

原作本は、

第1章
2008年6月
花と、ふるいカメラ

第2章
2005年11月
美郎と、ふるい死体

第3章
2000年7月
淳悟と、あたらしい死体

第4章
2000年1月
花と、あたらしいカメラ

第5章
1996年3月
小町と、凪

第6章
1993年7月
花と、嵐

というように、
6つの章立てになっており、
それぞれ、
第1章は、腐野花(くさりの・はな)、
第2章は、尾崎美郎(おざき・よしろう)、
第3章は、腐野淳悟(くさりの・じゅんご)、
第4章は、腐野花(くさりの・はな)、
第5章は、大塩小町(おおしお・こまち)、
第6章は、竹中花(たけなか・はな)(後の腐野花)

が、一人称で語る形式をとっている。
各章の年号を見てもらえば判る通り、
章が進む毎に、
2008年から1993年へと、
過去へ遡っていく。
時代を逆行していく15年間の物語なのである。
こういう書き方は、とくに珍しいものではないが、
小説『私の男』においては、
大きな役目を果たしているように思えた。
この書き方だからこそ、直木賞が与えられたと言っても過言ではないだろう。

映画も、この形式に倣っているのか?
それとも、
原作本とは時間軸を逆にして過去から順に語り始めるのか?

映画は、後者の手法を用いていた。
時折、フラッシュバックで年代を行き来する場面はあるものの、
概ね過去から現在へと物語は進んでいく。

奥尻島を襲った大地震(北海道南西沖地震)による津波で家族を亡くし、
10歳で孤児となった少女・花(山田望叶)。


彼女を引き取ることになった遠縁の男・腐野淳悟(浅野忠信)。


孤独だったふたりは、北海道紋別の田舎町で、
寄り添うように暮らしていた。


6年後。
冬のオホーツク海、
流氷の上で殺人事件が起こる。


暗い北の海から逃げるように出ていく淳悟と花(二階堂ふみ)は、
お互いに深い喪失と、
ふたりだけの濃厚な秘密を抱えていた……


映画を見た感想はというと、
『私の男』は、
「二階堂ふみ」がすべて……の作品であった。


もちろん、浅野忠信や藤竜也や高良健吾なども出ているが、
作品全体を「二階堂ふみ」が支配していたと言える。
二階堂ふみと言えば、ここ数年では、
(タイトルをクリックするとレビューが読めます)
『ヒミズ』(2012年1月14日公開)
『脳男』(2013年2月9日公開)
『四十九日のレシピ』(2013年11月9日公開)
などが思い出されるが、
どの作品においても彼女の演技が特化していた。
『私の男』においては、
さらに、より「突出していた」と表現しても、
あながち間違いではないように思う。
それほどの個性、それほど演技であった。


中学生から20代半ばまでの腐野花を、
違和感なく演じている。
体型、顔の表情、動作、話し方など、
年代によって巧みに演じ分けている。
浅野忠信が演じた15年間にあまり変化が見られなかっただけに、
二階堂ふみの存在感がより際立って見えた。
二階堂ふみ……畏るべし。


浅野忠信や藤竜也や高良健吾も悪くはなかったが、
より印象に残ったのは、
大塩小町を演じた河井若葉。


淳悟の恋人の役であったが、
淳悟が花を引き取ったことにより、
次第にその存在を花に奪われていくという難役。
特異な性格の登場人物が多い中、
観客目線では、唯一共感できる普通の感覚の持ち主の役で、
彼女の存在があればこそ、
二階堂ふみ演ずる花の存在感が際立ったように感じた。
『私の男』の陰の立役者と言えるだろう。


1981年11月16日生まれなので、現在32歳。(2014年6月18日現在)
中学時代、15歳の時スカウトされ、
non-no、PeeWeeなどの雑誌やショーのモデルを務め、
20代に入り女優に転身。
これまでは、マイナーな作品への主演が多かったが、
『私の男』への出演により、
活躍の舞台がより広がっていくような気がする。
今後の彼女に期待!


本作のことを「禁断の愛と官能」と謳っているので、
概ね想像はつくと思うが、
この映画を物語として楽しみたい人も多いことだろうし、
原作本を読んでいない人も多いと思うので、
あえてここでは語らないでおくが、
原作本に比べ、映画の方が、
ストーリーがより解り難くなっていたので、
そこだけが少し惜しまれる。


私は原作本を読んでいたので、
物語としての映画を楽しめたが、
映画だけを見た人は、「なぜ?」と思う部分が少なからずあったように思う。


説明的な部分を極力排除しているのは、
淳悟と花の関係をより際立たせるためだと思うが、
想像力を使わずに映画を楽しみたい人には、
甚だ酷な作品になっていたかもしれない。
熊切和嘉監督の演出も、
これまでの作品には見られなかった手法なども用いているので、
それを楽しめない人も少なからずいるだろう。
観客におもねる必要はないが、
もう少し工夫があってもよかったのではないかと思われる。


最後に、少し批判めいたことも述べたが、
単純明快な映画が多い昨今、
『私の男』の存在は貴重で、
今年のベストテンにランクインする資格を持つ作品だと思う。
二階堂ふみも年末の賞レースに絡んでくるだろう。
映画ファンはリアルタイムで見ておくべき作品と言える。
ぜひぜひ。


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