昔に出会う旅

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神々しい「蘇羅比古神社」と、空を見つめる狛犬

2007年10月27日 | 山陽地方の旅
広島県庄原市本村にある「蘇羅比古神社」へ行きました。
平安時代に作られた「延喜式神名帳」の記載では「蘇羅比古神社」は、備後国三上郡の小社で、祭神は、天津日高日子穗穗手見命(あまつひこひこほほでみ)、神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)」とあります。
又、継体天皇の御代と記載され、創建が5世紀末から6世紀初頭の頃にさかのぼるものと思われます。

「蘇羅比古神社」の位置は、中国自動車道本村PA(庄原ICの東)から南西約1Km辺りです。
国道432号線から県道23号線を東に走ると「蘇羅比古神社」入り口の標識が2ヶ所ありますが、参道はその中間にある中本(田部)バス停から登る歩道があります。



県道から少し坂道を登ると赤いトタン屋根がついた大きな鳥居がありました。
鳥居の上中央にある額束には「蘇羅比古神社」と、「八幡宮」の名が併記されていました。
両側の柱に補助的な支柱が付いている「両部鳥居」と言う形式の鳥居です。
補助的な支柱の高さは約3mと以外に巨大な木製鳥居でした。

鳥居の柱の根元には補修の跡が見られ、鳥居の付近に丸い石柱の折れたものが散見されました。
1500年前頃の創建以来、地元の人々の信仰により神社が支えられてきたことを感じます。



長い参道の向こうに、小さく石鳥居が見え、その上に左右対称のなだらかな三角形の山が見えますが、地図には山の名は記載されていません。
向って右側の山は、地図で見ると「権現山」と思われます。
丸みのある山の上に更に小さな丸い山が乗っており、山頂付近には岩が多く見えて気を引かれる山です。
写真に見えるこの二つの山は、神社のなかった古代の信仰対象の山であった可能性があると思われます。

近くに立つ2本の石柱の向かって右には「御大典記念 大正四年十一月」とあり、向かって右には「馬場修繕 上組氏子中」と刻まれています。



石鳥居の前をアスファルト舗装の細い車道が横切っており、その横に数台分駐車できる空き地があります。
石鳥居の後ろに「随神門」があり、その両脇の格子の中には弓矢を持った随神像があります。
随神像は、格子の建物の中にありながら、その中に更に小さな屋根のある建物を造って置かれてありました。



「随神門」の後ろの両脇に杉の大木がそびえています。
とても古くからある杉のようです。

参道脇に大杉の案内板があったので転記します。
■広島県天然記念物
 蘇羅比古神社の大杉
   指定年月日 昭和28年4月3日
   所 在 地 庄原市本村
   現   状 右の杉 幹周5.9m
         左   幹周5.2m
スギ(スギ科スギ属)は青森県以南、四国、鹿児島県屋久島まで広く分布しています。オモテスギは太平洋側に主に生育し、通常スギと言われています。
ウラスギは日本海側の多雪地帯に多く分布します。見分け方の目安としてよく葉型が比較されます。オモテスギの系列は葉の着生角度が大きく、当樹し葉やその他の特徴からみてオモテスギ系です。
蘇羅比古神社の創建は「継体天皇」の頃(六世紀前半)ともいわれています。
当時、既にスギは自生しており、配植状況などを見ると参道を造成するときに付近より移植されたものと思われます。
 平成19年3月 庄原市教育委員会



大杉の間の少し薄暗い参道を進んで行くと神社拝殿の屋根が見えてきます。
左右の石柱の間に輝く屋根の景色に、ハットするような神々しさを感じました。

参道から境内に上がる石段の上下に狛犬が一対づつあります。
いずれも玉を持ち、左右が阿吽の石像です。
階段の上の狛犬には、昭和十三年と刻まれていました。
下の狛犬の台座の文字は、よく読めませんでしたが、石の表面から比較的新しいものと思われます。



だんだん「蘇羅比古神社」の拝殿の姿が見えてきました。
こんな神々しく感じる神社の建物は、初めてです。
屋根の下の建物の感じも、すがすがしさを感じます。

左右の狛犬も天の神様の降臨を待ち、見上げているようにも思えます。



神々しさを感じる拝殿屋根のてっぺん付近の写真です。
細部まで造りが繊細で、気品を感じます。



向って右側の建物が、神社の一番奥にある本殿です。

祭神「天津日高日子穗穗手見命」は、神話の「山幸彦」として知られています。
神社の名「蘇羅比古」は、山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を無くし、ワニに乗って海神宮に探しにいった時、出会った豊玉姫が「虚空彦( そらつひこ )」と呼んだ記述があることから引用されたものと思われます。
祭神「神倭伊波禮毘古命」は、神武天皇の別名で、「天津日高日子穗穗手見命」の孫にあたられます。



拝殿の前に、空を見上げる狛犬がありました。
神社の名前「蘇羅比古」のソラをもじったデザインでしょうか。
台座には明治十年寄進と刻まれており、当時の作としては実に斬新だったと思われます。
又、狛犬も台座もシルバーグレーのような色で、石州焼で作られてり、石の狛犬とは違う独特の感性を感じさせられます。

焼物の狛犬では佐賀県有田市の有田焼陶祖神「李参平」を祀った「陶山神社」にも独特の顔をした狛犬がありました。
備前焼の狛犬は、岡山県内各地にあり、一時盗難が続くニュースを覚えています。



上の狛犬より一段下にあるかっては彩色があったと思われる狛犬です。
上の狛犬同様、石州焼と思われ、「明治十年寄進」と台座に刻まれた時期も同じですが、つやがなく焼き物としては少しもろい感じです。
よく見ると前足が1本折れ、お尻付近も壊れてしまっています。
狛犬としては子供ぽい感じはしますが、きわめて型破りで面白いデザインです。



本殿に向かって左上の細道を行くと、宝篋印塔(ほうきょいんとう)が1基ありました。
神仏習合時代のなごりでしょうが、「蘇羅比古神社」との関係は分りません。
梵字にはまったくお手上げです。


「蘇羅比古神社」の拝殿を斜めから眺めた景色です。
妻は、正面から見た拝殿の風景を油絵に描き上げました。
次回に掲載させて頂きます。
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