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とっくりとチョッキ(2)

2017年03月21日 | とっくりとチョッキ
とっくりとチョッキ(2)

 プラザ合意というものをホテルかデパートの協定だとマリアは思っている。自分の理解もそれほど異なっていない。ぼくの青春のはじめ。そして、日本の好景気の終わりのきっかけでもある。

 ぼくは下降線と停滞を知る。マリアの時代は底辺のみだ。日本とドイツは戦争に負けたのか? 長い目で見ればという議論もあった。儲けというものは労働時間で割るべきだ。すると、この二国はまったく異なった環境にあるらしい。死に至るまで労働を。

 ぼくは余分に二十五年だけ経験があるだけだ。新聞をその分だけ読んだ。黒いインクの蓄積があり、それが知性だと思っているのだろう。マリアはタブレットで洋服を選んでいる。ぼくはその横でデパートの屋上で遊んだ風景をなつかしんでいる。上階のレストラン。あそこには自由があった。普段、家では提供されない食べものがある。洋食ということばが生きていた時代だった。栄誉ある絶滅危惧種。

 ぼくらは東京タワーを見上げている。足元の交差点は尾根であり、谷であるという不思議な形状だ。ぼくはこうして地面も見ている。ロシアの大使館には北方領土の模様の絨毯があると、ぼくは偽の情報をマリアに話している。マリアにとって、そこはとっくに日本でもないらしい。惜しいとか、惜別という感覚が昭和にはあった。

 積み上げた事実が歴史だ。東京タワーがない日々はぼくにはない。ぼくはマリアを四十七年間、知らなかった。マリアはぼくを二十二年間、知らない。この期間に塗り重ねられたペンキがぼくというものを体現していた。無数のコマーシャルで購買意欲を刺激され、気に入ったものもあれば、しっくりこないものもでてきた。友だちと交換したり、どこかに売り飛ばしたものもある。カセットが二つ入るラジカセを急になつかしむ。

 コレクターは後ろ向きな存在なのか。今後、欲しいという望みが推進力となる。東京タワーを手に入れようとは思わない。これは公共のものなのだ。信号機もいらない。ガードレールも不要だ。マリアは必要だ。女性には公共などないのだ。

「はじめて、見たのいつ?」
「いつだったかな。もう思い出せないかも」

 ぼくの原始の風景にはアメ横があり、不忍池があった。港区も千代田区もぼくの守備範囲ではなかった。だから、記憶もエラーする。そのぼくの美的感覚や嗅覚が最終的(途中経過かもしれない)にマリアを選ぶ。

 ぼくらはコーヒーを飲み、窓の外の東京タワーを眺めずとも意識する。択捉タワーとか歯舞(読めた)タワーとか、あったら良いのになとぼんやり考えるが、もしかしたら、そこも守備の範囲を越え、あるいは場外という素手や素足の自由を有しない感じなのだろうか。いくら現実のコーヒーがうまくても。

ジャンル:
小説
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