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仮の包装(19)

2017年02月27日 | 仮の包装
仮の包装(19)

 古びた駅舎に、女主人とももこと彼女の家族がいた。正午に近い。女主人はおにぎりを作ってくれていた。ぼくは座席を確保して窓から手を振る。ここに来たときは知り合いがひとりもいなかったが、いまはぼくのことを数十人は知っていて、そして、良く思っているひとも少なからずいた。ありがたいことだ。

 電車は走り出す。やはり、来たときと同じように車内の端にトイレがあった。外の風景は海から離れて、素朴なミレーの描くような色合いに変わった。いつか、ももことバルビゾンに行ってもいい。しかし、夢想に興じるより仕事を覚えるのが先決だ。身だしなみもよくしなければいけない。接客のプロになる。では、プロとはいったいなんだろう?

 ぼくは包みを開き、おにぎりをひとつ取った。重さも海苔の湿り気も完璧だった。反対に、完璧ではないおにぎりも想像できなかった。個性を埋没させることが、ある面では勝利につながるのだ。おにぎりに勝ち負けを要求しても仕方がない。ぼくは頬張った。ぼくの目の奥には感動の隠し部屋のようなものがあり、そこで誰かが暴れていた。閉じ込めておくのも大変だった。とくに水分は低きに流れやすいものなので。

 電車を乗り換え、南に行く急行に乗った。おにぎりはもうなくなっていた。ぼくはペット・ボトルのお茶を飲み、窓外の風景を眺めた。ひとは移動する。ぼくは歴史の授業で学んだ鎖国のことを急に思い出していた。ある日、大きな船が来る。開国をせまる。賛成も反対もある。ぼくは次の駅のローマ字表記の駅名を見つめて、口のなかでもごもごと言った。

 夜という玄関口を勝手に過ぎてしまったころ、目的地に着いた。駅前にはお客用のバスが停まっており、ぼくは運転手に用件を告げ、同乗させてもらう。道は悪かった。鬱蒼とした森を抜けると、急に開けた場所に大きなホテルがあった。

 ぼくは裏口のような場所を探していたが、駐車場からもどってきた運転手に手招きされるまま、後についていった。

「支配人が待っているよ」

 ぼくはひとつのドアを叩く。なかから声がして戸を開ける。
「よ、疲れたか?」との気楽なセリフが待っていた。
「そうですね。緊張と不安で」
「まあ、きょうは温泉にでも入ってゆっくり寝なさい。食事は裏で頼めばいいし」
「ありがとうございます」

「お客さん扱いは今夜で終わり。明日からはびしびしとしごくから、覚悟しておくんだぞ」と言って、高級そうで、かつ柔らかそうな椅子を回転させ後ろを向いた。壁には、その支配人の荒いタッチの肖像があった。

 ドアの外に出ると、いかにもな感じのきびしそうな顔付きの女性が立っていた。ぼくの名前を呼び、これからのことを説明した。ぼくは手の平にまだおにぎりがあるように指を軽く曲げ、きびきびと歩く女性のあとを追っていた。



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