瀧澤龍雄の栃木県内石仏巡り日誌

栃木県内限定で、石仏を見て歩いた内容です。なお、コメントは、必ず実名を使用して下さい。内容により削除することもあります。

今回は、昨年の東日本大震災直前に訪れた場所の再訪問!

2012年02月14日 10時39分42秒 | Weblog


 昨年3月5日に、ここ宇都宮市宝木町にある寶国神社を訪れてこの碑を確認したが、その時は銘文手写に時間がかかるのであきらめ、後日にこの碑の調査だけを目的に再訪しようとこの場を離れた。そして、あの3月11日の東日本大震災となってしまった。その二日後、どうにもこの碑が気になって13日に見に来てみると案の定、それは見事なまでに倒れていて、碑文の調査どころではなかった。境内に集まっていた人に、その倒れた石碑について尋ねたところ、今のところは直すことが出来ないがゆくゆくは立て直しますとのことで、その日はその場を離れた。それから11ヶ月後。来てみると、前回以上に良い場所に建て直されていた。しかも境内の大木も切り倒されていて太陽が燦燦と輝く場所に!。
 さてこの碑は、宇都宮城最後の殿様となった戸田忠友による撰文で、「合祀記念」碑である。おそらく、忠友最後の撰文となるものであろう。碑文内容以上に、その撰文者名だけで私にとっては嬉しいもの。これでまた、私にとっては新たな碑が追加できたとほくそえむ。
 それにしても今年は毎日が寒い。本来なら、あちこちと手拓取りに行きたいところだが、もう少しの間だけ辛抱しようと思っている。

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2012年2月5日は栃木県上三川町へ行ってきました

2012年02月06日 09時22分38秒 | Weblog


 石仏巡りに出かけるのは、本当に暫くぶり。今回は、前回に探して見つからなかった栃木県南河内町へ向かう。まずは、そして墓碑探しから開始とした。まず最初に訪れたのは、前回もお訪ねしたその墓地の本家です。前回は留守だったご主人がいて、墓地の所在地はもちろんのこと手拓の了解に加えて様々な話を聞くことが出来ました。
 さて、そうして目指す墓地へ行ったのですが(上に掲載した墓碑のある風景写真)、いざ手拓を開始する段階で車の中にあった霧吹きの中の水が凍っていてどうにも霧が出てこない。これには困り果てました。そこで、近くの農家へ飛び込んで事情を話し、ペットボトル一本分のお湯を頂き何とか急場をしのぎました。
 さて、次なる難関は強風。高さが120cm幅が18cmという細長い石柱なので、用紙を取り出して上部へテープで貼り付けたとたん、その用紙は凧の足のように大空へ浮き上がり、そのまま切れて田んぼの中へ飛んでいってしまいました。しかし、そんなことではへこたれない私のこと、今度は台風の中での手拓作業を思い出し、用紙を30cmずつの短さに切って強引に貼り付けました。もちろん、貼り付けと同時にそのまま墨入れ、それを4回繰り返して何とか手拓しましたが、通りがかりの人にこの風の中、長時間何をしているのですかと怪訝に思われたのは言うまでもありません。ホントッ、自分でも寒空の下で宇都宮から来て馬鹿なことをしていると苦笑です。
 いや〜あ、それにしても寒かった。
 その後は、同じ南河内町でも少し離れた上川島地区まで移動。そこの薬師堂のある墓地内にも、目指す墓碑が建立されているのでそれを手拓したくて行きました。周囲を林やら隣家の建物に風がさえぎられていて、前回ほどの苦労をすることなく手拓することが出来ました。但し、碑面に生えた硬い苔剥がしには、毎度のことながら少なからず苦労しましたが…。なお、この薬師堂にある石仏類は2007年に調査済みにつき、今回はパスです。
 ここまでで、本日の午前の部は終わり。車の中でのんびり昼食をとり、午後の部の目的地を選定。その結果、当地から少し北部に位置する成田地区へ入ることにする。そして昼食後に早速移動したが、この頃から天候は曇りとなりますます寒風が吹き出してくる。部落内に入ると、人家の入り口や道の傍に家畜塔やら文字塔が点在する。しかし、何しろ風が強い上に寒い!。どう見ても今日は石仏巡りには適さないと、潔く本日の石仏巡りを終了する。そして今年の一月にお邪魔した、上三川町の森田氏宅を突然再訪し、ご主人とお茶を飲みつつ楽しい時間を過ごしてから帰宅する。
 嗚呼、それにしても今年は異常な寒さである。今回の2枚の手拓を相手に、来週は外出を控えてそれらの清書等をして暖かくすごそうと思っている。

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2011年01月29日も石仏巡りは中止でした

2012年01月30日 09時26分33秒 | Weblog

 毎日毎日、当地は寒さ厳しい日が続いています。それでも昨日は、少し色気を出しまして宇都宮市内のまだ手拓していない石碑の拓本取りに行きましたが(もちろん午前十時を過ぎていました)、霧吹きで水を拭きかけたとたんにその霧は氷となって石面に薄く付着してしまいました。とてもではないが、水張りどころではなく、潔く?この時点で本日の調査は中止としました。このまま帰宅したのでは孤剣に関わると、その足で図書館へ直行。別に目的もないので、郷土資料を覗いて未調査の石仏が載っている箇所を10ページほどコピーして昼前に帰宅しました。
 そして午後は、ここのところ製本作業を続けていた下記掲載のものを一気に仕上げました。全六巻という巻数ですが、これを整理したために書棚に50cm程の空間が出来、これで床に積んだままの数冊の本が納まると喜びました。この調子で、整理できるものはせっせと製本作業にこれからも取り込もうと思っている。
 それにしても、今年の一月は石仏巡りをサボりにサボりました。例年にないサボり状態でしたが、そのために今月はこれまでの放置していたのを製本できたものが多く、その意味では成果のある月でした。さて、その今回の製本した本の一巻だけを画像で掲載しましたのでご笑覧ください。
※ここのところ、これを見たり図書館で見たりして入手方法のお問い合わせが増えていますが、頒布はすべてお断りしていますのでご了承ください。何しろ、原則として一冊した製本していませんので。多分、私が死んで後でそれらは栃木県立図書館へ寄贈することになりますので、せいぜいそれまで私以上に長生きしてください。中には、面白い本もありますので。

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2012年01月21日は、雪交じりの寒い日です

2012年01月21日 10時57分55秒 | Weblog



 今日は、悪天候で石仏巡りに出かけることもなく部屋でのんびりとパソコンの前に座っている。そして多分、午後は図書館へ行って調べものをしてくる予定である。
 さて、今回の一年間に及ぶ宇都宮市の碑(いしぶみ)調査において、最も大変だったのが漢字の読みや意味を調べることでもなく、以外や以外、それは碑文中に出てくる撰文者による異体字の作字作業であった。そんな作字した一例を画像で紹介したが、たかだか80余基の石碑調査に於いて作字された漢字の数は、現時点で1,700文字以上になる。その作字するに当たって最初に決めておいたのが書体で、これは最もポピュラーな明朝体とし、そのサイズはアウトライン化してしまうので大きくも小さくも出来るが、まずは本文に統一して使用できるポイント(実際には14ポイントを使用)とした。幸いにも私は、パソコンでの仕事をしているので時間さえ掛ければどのような文字も作成できるが、それでも一文字を作成するにはそれなりの時間を要した。この作字、一般の方には難しいので作字ソフトや市販の字鏡等のソフトを購入するのが早道だが、それでも必ず作字しなければならない文字に出会うだろう。それだけに、今回作字した文字は私にとっては貴重な資産となった。何しろ作字した数が数だけに、今では新たな碑文に出会っても作字する数は少なくなって500文字くらいの碑文でも、新たに作字する必要のある漢字は5〜6字と圧倒的に少なくなった。そんな状態になった頃に、今回の石碑調査は終了を迎えたのだから皮肉なものである。
 今は、それらの作字した漢字をどのように使いやすく保存整理しておくかで悩んでいる。嗚呼それにしても、時間だけはいやに早く流れる。まもなく昼食である。明日も、天候が悪いことを半分期待?しながら、今は次に何を清書しようかあれこれ考えている。

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2012年01月17日。先週の石仏巡りは寒いので中止でした!

2012年01月17日 13時40分22秒 | Weblog


 昨年からの持ち越し碑塔類の清書に追われていて、当分の間は寒さを理由にして石仏巡りをサボっています。そんな訳で、先週からは「宇都宮市の輯録いしぶみ」の後編を纏めました。これで、昨年の前編に続いて完成させることが出来ました。前編と後編を併せると、約80基の碑(いしぶみ)を調査することが出来ました。多分、宇都宮市ではこのような書籍は初めてではないかと思っています。尤も、好い加減な内容のはありますが(*O*);
 これからは、その前編と後編を一冊に纏める作業に入ろうと思っていますが、その前にもう一度気になっている石碑の何度目かの校正をしなければならないと思っています。とにかく、自分で諦めがつくまで何度でも気になるところは再確認し、一文字でも多く完成度の高い内容にしたいと思っています。それが、こだわりというものだと…。
 ところで、この後編も一冊だけ作成して宇都宮市中央図書館へ納め置くことにしました。初めは、もう良いかと納めるつもりはなかったのですが、前編があって後編がないのでは途中で調査を諦めたかと思われるのも悔しいから、ただそれだけです。ついでに、前編の中で気になる石碑の再校正部分も訂正してこようかと思っています。何しろ文字数の多い碑は、校正するたびに気に入らぬところがあって、また単純な文字入力ミス等が目に入ってしまうからです。まあ、要するに校正ミスと言うことでしょうが…。そしてこれが終わったら、今度は宇都宮市の宝篋印塔の纏めに入ろうと思っています。と言いつつも、多分合本作業が終わるのは一ヶ月以上も先のことになるでしょうが…。
 そんなこんなで、次回は石仏巡り報告よりも今回の石碑調査において作字した文字について少し書いてみようと思っている。

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2012年01月08日は栃木県上三川町へ石碑を見に!

2012年01月09日 15時17分24秒 | Weblog


 本格的な今年最初の石仏巡りとして、昨年暮れに上三川町の生涯学習課の方から以前に所在場所の問い合わせをお願いしていた石碑の連絡があり、早速今回はそこを目指して出かけた。それが上記に掲載した石碑です。個人宅に建立されているのでご挨拶に伺うと親切に対応いただき、まずはお茶をご馳走になりながらの話になりました。そして知ったのは、このお宅こそ梅園春男の嗣子となったその当時の森田孫兵衛さんの家だったのです。私は、この石碑碑文の中に梅園春男の下で学んだと言うので来ただけなのだが、なんと言うことだろう。そこから思わぬ成果が得られるとは!
 早速に調査方々手拓許可をお願いして作業開始。うまい具合に今日は嫌な風も弱く、快適な手拓日和となって一時間余で終了。それからご主人夫妻の案内で墓地へ案内されると、そこにももう一基の石碑が建立されている。そこにも梅園春男の名が碑文中に刻まれている。これも手拓が欲しいが、石面には嫌らしい苔が生えていてそれには金属ブラシで時間をかけて取り除かなければ話にならない。それでなくても時計は既に12時を過ぎているので、残念ながら今回は上記掲載の石碑だけで諦めざるを得なかった。ウ〜ム、悔しい。宇都宮市内にあれば、時間をかけて綺麗に出来るのに、と。
 それにしても、この石碑対象者である森田春次という人物は凄い! ここから宇都宮まで六年間に渡って通って学び、その後は村長やら多くの重職につきながら、途中で全てを辞してしまって自宅に校舎を設けて明徳義塾を開き、しかも誰からも月謝などを取らずそれどころか貧しい者には墨、用紙まで買い与えたという。その為に、塾の使命を終えて止めた時にはそれなりの多額の負債が残っていたという。全く、今の時勢には考えられないような人物なのである。本当に、この時代の人々は偉かったとつくづく思う。
 さて、午後は隣の南川内町へ入って、またもや梅園春男の名が碑文中にある石碑探しを行ったが、最後にたどり着いた石碑建立対象者の実家へいってその墓地を教わったが、そこには該当する墓碑がなかった。多分、別の場所にあるのだろうと思うがそれがどこだか分からない。結局はあちこちと走り回っただけで全くの徒労に終わってしまった。そんな訳で、出かけるときの意気込みとは違って、本日の成果はたった一基だけだった。それでも心中は大満足。何しろ梅園春男のその後が判明したのだから…。
 尤も、これでまた未整理の石碑が一基増えてしまった。校正のやっかいさを今更嘆いても仕方ないが、まあ百年後の人が見ても納得する内容に仕上げるには、当分の間は石仏巡りどころではないのが正直な所である。

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2012年1月6日のブログ、消えたので再掲載!

2012年01月09日 14時59分44秒 | Weblog

 パソコンの操作を誤り、書き込んであった今年の記事を削除してしまいました。新年早々、思わぬ不手際に呆れていますが、内容が宇都宮市二荒山神社にある蒲生君平碑の最終校正碑文だったので、ほとんどの人にとっては興味もないでしょうから再掲載するのも面倒と諦めかけました。しかし、その碑文内容は画像として保存されていたので解説なしでここへ改めて掲載することにしました。多分、これが現時点での最も正確な内容だと少しばかり自負しています。もし、明らかな誤り箇所がありましたら見た代償としてご報告いただけましたら幸甚です。但し、他の書籍からの銘文からではなく、自分で確かめたものに限ります。

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2012年、明けましておめでとうございます

2012年01月01日 08時57分14秒 | Weblog


 2012年(平成23年)、明けましておめでとうございます。昨年は、希にみる大災害が起こった一年でした。それは、当栃木県内の石造物に関しても言えることで、特に3・11の東日本大地震によって、その前の週に調査した宝篋印塔が倒壊していたり、後日調査しようとした大きな石碑もものの見事に裏返しに倒れていたり、墓地内の墓碑等はそれは凄いことになっていました。その修復作業もままならぬままに、新年を迎えてしまいました。
 私的には持病の腰痛を悪化させてしまい、特に真夏の7〜8月は座骨神経痛にまで発展して石仏巡りどころではなく、その間一基も調査できない有様でした。それもこれも、無理な姿勢での手拓を重ねすぎたためと、自分では思っています。そんな次第で、昨年一年間の石造物調査は惨憺たるもので、再調査を含めて調査出来たのは一年間で678基のみ。そこから再調査分を差し引くと実質589基という有様でした。例年なら1500基前後は見ているのですから、昨年はその三分の一という事になりました。それでも、その調査内容は、後半になるほど石碑が殆どを占めましたので、一日に調査できたのは2〜3基ということも普通でしたので、その中ではよくぞ痛い腰をかばいながら調査したものだと感心した次第です。
 さて今年の抱負は、まず第一に今取り組んでいる宇都宮市内の石造物を何とか纏めることです。特に、石碑と宝篋印陀羅尼経塔はいつものように冊子として纏めておきたいと思っています。腰痛は特に寒さに弱いので、今年の冬は石造物調査に行きたい気持ちを抑え、昨年一年間の整理をしようと思っています。流石に私も、この頃は自分の年齢を考えるようになり、もう少し自分の身体を労りたい気持ちになっています。それでも、あと動けるのは?年しか残っていないと思うと、まだまだ調査したい碑塔が沢山あって困っています。まあ、健康が第一と今年は考えて、少し自重しながらの石仏巡り元年となるでしょう。
 どうぞ、皆様の益々のこの一年のご活躍を願っています。
※上記に掲載しました画像は、佐野市在住の高橋氏から頂戴した、龍の土鈴です。ここに厚く御礼申し上げます。

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2011年最後の石仏巡り

2011年12月31日 10時12分24秒 | Weblog

2011年最後の石仏巡りとして、足利市へ行きました。参加者は、佐野市在住の高橋氏と山口氏と私の三名で、集合場所は鑁阿寺近くの太平記念館駐車場。道路は、年末と言うこともあってガラガラ、従って宇都宮を8時に出たのに9時少し過ぎには集合場所へ着いてしまいました。さて、今日の目的は第一に今年一年のお互いの活動を語りつつ旧交を温めるためと、相変わらず私の希望による石仏調査。特に今回は、私にとっては今年初めてで最後の足利訪問につき、ぜひ実物確認とその手拓にあった。三人が集まったところで、早速近くの水神宮へ向い、そこにある寛政九年銘の水害碑を見ること。しかし、それは自然石に陰刻されていて碑文は手拓しない限り読めそうもない。風が強く、しかも寒い日陰での手拓は否応なしに強引な作業となる。とにかく文字が読めれば良いと強引に手拓してそれを確認するのも面倒となって仕舞い込み、元の駐車場へ戻る。
 ここからが、本日の私のたっての希望で三寶院へ向かう。何しろそこには、私がどうしても欲しかった大橋訥庵撰文で大竹培が揮毫した石碑があるのだから。それがここへ掲載した画像である。


 お寺さんの、懇切な対応とご理解の元に無事手拓を終える。多分、大橋訥庵について調査している人も、まさか足利市にその撰文が、しかも訥庵と親しかった巻菱湖四天王の一人である大竹培(号は石舟など)による行書体揮毫碑があるのは知らないだろうと思う。もちろん、訥庵撰文石碑で、行書体は初めて出会っただけに、嬉しさ倍増。ご住職御内儀によると、これを目的に調べに来た人は初めてのことだという。ただ、石材が根府川石となっているので早くも表面が浮き出し始めている。やがて表面が剥がれ落ちてしまうだろう。その前に、今日はこうして手拓で来た悦びは大きい。そんな、私が手拓している間に、高橋氏と山口氏は墓地内・外を探索して新たな石碑を二基、そして宝篋印陀羅尼経塔を一基見つけてくる。嬉しいが、それ以上に本日はこの訥庵撰文の碑文を手拓出来ただけで大満足。後の調査は後日の課題とする。その後は、近くの神社や足利公園へ歩いていき、石碑の石工名確認へと向かう。そしてその中の一基は見つからず(多分、倒壊によって処分されたのだろうという推定)、足利公園のは井亀泉であることをしっかりと確認してから昼食へと近くの長林寺駐車場へ移動。風が強く、外での食事は不可となり、それぞれが車中でのさびしい昼食。それでも食べ終わったあとは外へ出て、コーヒーや差し入れのお菓子などを食しながら今年一年の雑談に、来年の抱負を述べながら楽しい時間を過ごした。本日はここまでとし、少し早いが帰宅となり来年の再会を約して車に乗り込んだ。
 高橋氏に山口氏、自分一人が大満足の収穫を得てしまい、それにこの暮れの忙しいなかと寒い中をお付き合いくださいまして本当にありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。そして最後に、昨夜は帰宅してからまず真っ先に年賀状書きをしました。尤も出そうとしている半分くらいですが、後は正月になってからのんびり書こうと思っています。

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2011年12月26日はしごとのついでに烏山町へ

2011年12月26日 16時05分42秒 | Weblog


 今年最後の遠出として、今日は栃木県烏山町方面へ朝から出かける。途中でも仕事をしながらの烏山着で、その仕事も終わったのは既にお昼だった。町内の運動公園で簡単な昼食を取り、上に掲載した自然石板碑を調査しに行く。場所は、大桶地区の個人墓地内。近くまで行って、商店で尋ねれば場所は直ぐにわかった。本当は、手拓も欲しかったのだが、墓地の持ち主宅まで許可を取りに行く以上に、那須からの北風がうなりをあげて吹いているので、今回はパスすることにして写真だけで納得。
 この自然石板碑、当地方では非常に珍しいものであり、その内容は上部に阿弥陀三尊種字を置き(もちろん最上部には二条線もしっかり刻まれている)、下部中央には「嘉暦二年丁卯十一月八日」とある。西暦では、1327年に当たる。また、その両脇には、右側に「主君御為」。左側には「造立所也」。最下部に「敬白」とある。そしてサイズは、高さが143.0に幅が67.0と奥行き24.0センチとなっている。もちろん大きさとしては文句なく、次回にはぜひ拓本をものにしたいと思っている。その後は調子に乗って、市貝町へ遠回りしての帰宅となったが、もくろんでいた碑(いしぶみ)は、既に陽が西へ回ってしまい写真も撮れない有様。また、手拓するには烏山町同様に風が強すぎてこれも潔く諦めた。まあ、一基だけでも物にしたのだから、仕事途中の成果としては申し分ないだろう。
 そうそう、それにしても昨日までの三連休は天候が悪すぎた。また運にも見放されて、お寺さんにある碑文の手拓取りに行けば、住職さんが留守で許可が下りない始末。そんなこんなで、今年最後の三連休は何一つ成果のないままに終わってしまった。

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