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「孤鷹の天」澤田瞳子

2016年03月15日 21時58分45秒 | 読書(歴史/時代)


「孤鷹の天」澤田瞳子

澤田瞳子さんの2010年デビュー作。
奈良時代が舞台の歴史小説。
阿倍上皇(孝謙上皇)、恵美押勝(藤原仲麻呂)、吉備真備、道鏡といった有名人も登場。
大学寮を舞台に話が始まる。
当時の学生生活が生き生きと描写される。
著者の力量はデビュー当時からずば抜けていたことが分かる。
素晴らしい作品だ。
中山義秀文学賞を最年少受賞した傑作、と紹介されているが、納得である。

P147(上巻)
 道徳を重視する儒学と、み仏への帰依を重視する仏法――ともに大陸からもたらされたこの二つは、日本に根を下ろした時から、対立する理論として、お互いを非難してきた。過去の学者の中には、両者の融合を試みる者もいたが、政治の問題を道徳によって理想化する儒教と、ようやく人間形成の思想の萌芽をのぞかせつつも、日本ではいまだ呪術的側面の色濃い仏教は、そもそも全く異質な論理である。このため両者は長らく平行線をたどったまま、現在に至っている。

P193(下巻)
「――子、曰く、与(とも)に学ぶべきも、いまだ与に道を適(ゆ)くべからず。与に道を適くべきも、いまだ与に立つべからず。与に立つべきも、いまだ与に権(はか)るべからず」
 ――人とともに学んでも、その人と「人としての道」を同行できるわけではない。また仮にその人と道を同じくできたとしても、同じ信念で世に出られるわけではない。更にまた、その人と同じ信念であったとしても、全ての事象に同じ判断が出来るわけではない。

【おまけ】
伊弉冉=「いざなみ」と読む。下巻P242のルビの振り方が、「二」にまでまたがっている。
神さまの単位は「柱」なので、伊弉諾と伊弉冉で二柱である。
重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、誤植を指摘しておく。

【ネット上の紹介】
藤原清河の家に仕える高向斐麻呂は、唐に渡ったまま帰国できぬ父を心配する娘・広子のために唐に渡ると決め、大学寮に入学した。儒学の理念に基づき、国の行く末に希望を抱く若者たち。奴隷の赤土に懇願され、秘かに学問を教えながら友情を育む斐麻呂。そんな彼らの純粋な気持ちとは裏腹に、時代は大きく動き始める。デビュー作にして中山義秀文学賞を最年少受賞した傑作、待望の文庫化。 

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