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「しのぶ梅 着物始末暦」(1)中島要

2014年07月27日 07時00分31秒 | 読書(小説/日本)


「しのぶ梅 着物始末暦」(1)中島要

本を買うと帯がついてきた。
次のように書かれている。

“みをつくし料理帖”の高田郁さん推薦!
読み心地、絶品!切なさ、哀しみ、悔い――
そんな心のシミも着物同様、
余一が綺麗に始末してくれる。
私の一押しです。

どうなんだろう?
そこそこ面白いかも・・・と、読み始めて「素晴らしい!」、と。
これほど、面白いとは思わなかった。
「みをつくし」シリーズに匹敵する面白さ。
キャラクター、ストーリー供に、出色の出来。
素晴らしい、と感じた。

全部で4編収録され、連作長編となっている。

めぐり咲き
散り松葉
しのぶ梅
誰が袖

以下、ネタバレあり。未読の方は、ご注意。
より楽しみたい方は、ここから読まないように。

●第一話「めぐり咲き」について。
主要人物3人が登場する。
余一・・・着物の始末屋
綾太郎・・・呉服問屋の若旦那
六助・・・古着屋の店主(作品の案内役、登場人物達を繋いだりする陰の功労者)
第一話だけ読むと、軽いタッチのコメディか?、と勘違いするかもしれない。
しかし、よく読むと、コメディタッチを含めて、骨太作品であることが示されている。

P68・・・このシリーズを貫くテーマとも言うべきものが余一によって語られる
「ただしまっておいたって、女もきものも値打ちが下がる一方だ。せっかくこの世に生まれたからには、陽の目を見せてやらねぇと。ちょっとくらい傷がついても、どうってこたぁありゃせん。いくらでも姿を変え、形を変え、生き直せるもんなんでさ」

女ときものはいくらでも形を変える、という重要セリフである。
(第一話では、ヒロインはまだ、登場せず) 

●第二話「散り松葉」について。
本章から、ヒロイン・お糸が登場する。
シリアスな箇所が増えてきて、俄然面白さが増してくる。

P110柳橋の芸者・染弥とお糸の会話
「どうして竹のほうがいいんです」
お糸の問いに、染弥はにやりと笑った。
「前に客から聞いたのさ。松は花が咲かないけど、竹は何十年かに一度、花が咲くことがあるんだって」
 そして、そのあと枯れちまうんだって――と付け加えた。

お糸の母と父の馴れ初めが、父によって語られる。
P114
「まさか、こんな話をおめぇにする日が来るとはなぁ。おくに――おめぇのおっかさんは、惚れた男を諦めて俺と一緒になったのさ」
(中略)
母は評判の器量よしで、思いを寄せる男は多かった。だが、彼女の思いは同じ長屋に住んでいた若い浪人に向けられていたそうだ。

P118 さらに、父の語り
「おめぇは自分で紡いだ初恋っていう思いの糸に手足を捕らわれちまっているのさ。俺もおくにも、そんなつもりでお糸と名付けた訳じゃねぇぜ」

お糸と六助の会話
P126
「みんな、どうしてそんなことばっかり・・・・・・あたしじゃ余一さんに釣り合わないっていうのっ」
(中略)
「お糸ちゃんは余一なんかにゃもったいねぇって言ってんのさ。器量よしで働きもんで親孝行と三拍子揃ってる。ところが、野郎は偏屈で身寄りのねぇ貧乏人だ。親父さんが気を揉むのも無理はねぇって」

染弥姐さんが、どうして散り松葉の裾模様のきものを着たのかが、語られる。
P130-131
「お糸ちゃんは、吉原芸者と町芸者の違いを知っているかい」
(中略)
「裾模様の座敷衣装に白の半襟ってなぁ、吉原芸者にだけ許された格好だ。町芸者がそんなことをしたら、すぐに吉原から文句が出る。染弥は芸者を引くと決めたから、あえて掟を破ったんだろう」
(中略)
道理で裾模様のきものを見たとき、いつもと違うと感じたはずだ。それが形見ということは、染弥の母は吉原芸者だったのか。

・・・過去と現在が交錯し、親の因果が子に及んでいる。
これは、本作品の特徴として、これからも何度も基調音として繰り返される。

お糸の名の由来が語られる・・・作品の根幹に触れるエピソードである。
P135
――糸はすべてをつなぐものだから。おまえがこの先いろんな人とつながっていけるように、お糸って名にしたんだよ。

●第三話「しのぶ梅」について。
振り袖がテーマ。
P151
吉原ですら、振袖を着るのは水揚げ前の生娘だけだ。求愛に応える長い袖は、男を知らない証だった。

それなのに、もっとも振袖と縁遠いはずの2人が登場する。
30歳ちかい夜鷹と40歳近い小間物屋の女主人である。

振袖をテーマに、この登場人物。
いったい、どう着地させるのだろう?

余一と小間物屋の女主人の会話
P190
「東雲色に青をかけて、紫がかった夕暮れの色にしてみやした。いかがでしょう」
(中略)
「梅は長い冬を耐えしのび、果てに小さな花を咲かせる。その香りに誘われて、虫も鳥も春の訪れを知るんでさ。日差しに咲き誇るのもきれいだが、人知れず日暮れてから咲くのも似合いでしょう」

夜鷹の名前が明かされる・・・熱いものがこみ上げるシーンだ。
P196
「おい、おめぇの名は何てえんだい。俺はまだ聞いちゃいねぇぜ」
(中略)
「何言ってんだい。これ以上ぴったりの名はねぇよ」

●第四話「誰が袖」について。
お糸の幼馴染み・おみつと、桐屋の娘・お玉が登場する。
これで、本シリーズの重要人物達が全て出そろったことになる。
ちなみに、お玉は綾太郎の許嫁である。

今回のテーマも、振袖が絡んでくる。
大店の娘なのに、お玉は祖母・お比呂の古いきものしか着ようとしない。
おみつは、なんとかして、お玉に振袖を着せようとするが・・・。

この章でも、親子関係から説かれる。
P220
お玉の母、つまりご新造のお耀(てる)は金持ちのお嬢様を絵に描いたような人物である。
鷹揚なところもあるのだが、自分の思いが通らないとたちまち機嫌を悪くする。日本橋の両替商、後藤屋の娘として生まれ、いかなる望みもかなえれれてきたせいだろう。

おみつとお玉の会話
P222
「何よ、おみつまで、振袖を着ないのがそんなに悪いっていうの」
「だって、振袖は嫁入り前しか着られないんですよ。お嬢さんは今年の末には大隅屋の若旦那と祝言を挙げるのに、今着ないでどうします」

おみつの忠義ぶりが表現される
P240
犬は三日飼うと、生涯恩を忘れないという。たとえ無力な身であっても、主人のために何かしたい。そう思うことさえ分不相応と言うのだろうか。

この作品のすごいところは、次のようなセリフにある。
隠れている深層心理まで引き出してくる。
P254
「あたしは・・・・・・お嬢さんのことを思って袖を引きちぎったんじゃない。いつまでもお嬢さんに思われているお比呂様が妬ましくて・・・・・・そういう思い出の品を持っているお嬢さんがうらやましくて・・・・・・だから、着られないようにしたかったのよっ」

余一のセリフ
P258
「きものってなぁ人の思いの憑代だ。だからこそ、古着でもあだやおろそかにしちゃいけねぇのさ。(後略)」


先にも触れたが、(この作品全般について)過去と現在が交錯する。
因果は巡る糸車、ってところ。
後に分かるが、お糸の家だけでなく、桐屋では、祖父母の代まで遡って、巡り合わせが語られる。
複雑に過去が絡んでくるので、しっかり読む必要がある。
著者は、エンディングの場面をきっちり頭に描いているに違いない。
最終章に向けて、緻密にストーリーを構築している、と感じた。

読んでいて、なんとなく「ハチミツとクローバー」を思い出した。
エンディングを想定した緻密なストーリー構築が、似ている。、
さたに、ヒロイン・お糸と、「ハチクロ」の山田あゆみと重なるときがある。
すると、桐屋のお玉が、花本はぐみ・・・か?
江戸版「ハチクロ」、青春群像劇、である。

本シリーズは、(2014年7月現在)3冊出ている。
①「しのぶ梅 着物始末暦」・・・今回紹介した作品。
②「藍の糸」
③「夢かさね」 

さて、今後どう展開するか?(読んでのお楽しみ)
群像劇なので、物語はさらにふくらみ、奥行きも出てくる。

【ネット上の紹介】
着物の染み抜き、洗いや染めとなんでもこなす着物の始末屋・余一は、職人としての腕もよく、若くて男前なのだが、人と深く関わろうとしない。一方、余一の古馴染みで、柳原土手の古着屋・六助は、難ありの客ばかりを連れてくる。余一の腕を認めながら、敵対心を燃やす呉服太物問屋の若旦那・綾太郎。朴念仁の余一に片思いをしている一膳飯屋の看板娘・お糸など…。市井の人々が抱える悩みを着物にまつわる思いと共に、余一が綺麗に始末する!!人情味溢れる筆致で描く、連作短篇時代小説。

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