「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

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明治大学教授 山泉 進――視点・論点 「発禁本と"言論の自由"」2012年07月09日 (月)

2012-07-20 00:57:08 | 多喜二研究の手引き

明治大学教授 山泉 進
 
■現在、私の勤務している東京・駿河台にあります明治大学リバティタワーの中央図書館1階ギャラリーにおいて、「出版検閲と発禁本-城市郎文庫展」が開催されています。普段はなかなか目にすることができない、小林多喜二の『蟹工船』初版本のような貴重な図書250点あまりが展示されています。この展示会は、昨年、城市郎さんから、「発禁本」を中心とした膨大なコレクションを明治大学図書館に寄贈していただき、その披露をかねて企画されています。城さんは、現在も、90歳をこえてご健在ですが、10代から集め始めたコレクションの数は、7000点にもぼるともいわれていますが、「発禁本」の世界ではよく知られている貴重なコレクションです。そこで、今日は「発禁本」をテーマにして、「言論の自由」に関係する、いくつかの問題についてお話ししてみたいと思います。

■ところで、「発禁本」という言葉を聞いても、おそらく若い世代のひとたちにはピンとこないとおもいます。一般的にいえば、国家、この場合は行政権力ということになりますが、国家の「検閲」により発売や頒布が禁止された書物のことをいいます。徳川時代にはいうまでもないことですが、明治維新政府も、言論について厳しい統制を加えました。「言論」という言葉は、文字通り「言うこと」と「論じること」ですが、よく「舌」と「筆」による運動というような言い方で言われてきました。「舌」はもちろん「話すこと」、「筆」は「書くこと」を意味しています。「舌」の自由については、明治初期に福沢諭吉らにより「スピーチ」の翻訳語として「演説」が用いられ、演説が文明化の象徴として奨励されてきました。自由民権運動の時代には、各地で盛んに演説会が開かれるようになります。政府は、弁論や集会を規制するために、1875(明治8)年に「讒謗律」を公布したことを手始めとして、1887(明治20)年には保安条例、1900(明治33)年には治安警察法を定めて、政治結社や集会を取り締まっていきます。「筆」の自由に対しては、早くも、1869(明治2)年に、「新聞紙印行条例」と「出版条例」を公布して、新聞や雑誌、単行本を取り締まりの対象としていきます。書籍の出版について、その後の規制を紹介しますと、1887(明治20)年には勅令によって「出版条例」が制定されます。そして、帝国議会の開設後の1893(明治26)年には、新たに法律として全35条の「出版法」が制定、公布されます。
 

 出版法(1893〈明治26〉年4月公布、法律第15号)
第19条
安寧秩序ヲ妨害シ、又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ、
内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁シ、
其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得

 
■この「出版法」が、敗戦まで書籍の出版を規制していきますので、少し詳しく内容をみておきたいと思います。第1条で、「出版」とは、方法を問わず文書・図画を印刷して発売、頒布すること定義されます。そして、罰則規定との関係で重要なのですが、「著作者」「発行者」「印刷人」を選定し、公表することが義務づけられます。その文書を著述、編纂する者または図画を作為する者を「著作者」、発売頒布を担当する者を「発行者」、印刷を担当する者を「印刷人」とされます。そして、発行日の3日前に製本2部を内務省に提出すること、出版にあたっては著作者・発行者、両名の印鑑を押した「出版届」を提出すること、また書物の末尾には、「発行人」と「印刷人」の氏名・住所・発行年月日を記載することが求められています。そして、「発禁本」に関係する直接的な条項としては、第19条で「安寧秩序を妨害し、または風俗を壊乱するものと認むる文書図画を出版したるときは内務大臣に於いて其の発売頒布を禁じ、其の刻版及印本を差押ふることを得」と定められました。このような法律のもとで、出版された書物が、「安念秩序の妨害」、あるいは「風俗壊乱」にあたるかどうか、ということがチェックされました。これを「検閲」といいます。この業務は内務省警保局の図書課でおこなわれました。このようにして「発売頒布」を禁止された書物が「発禁本」とよばれるわけです。したがって、「発禁本」には、政治体制や社会秩序にとって危険とされる書物であるか、あるいは家族制度や性道徳を壊すおそれのある書物か、2つの種類があったことになります。
 
■第二次大戦後は、日本国憲法の第21条第1項で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と明文化され、言論・出版の自由は、基本的人権である「表現の自由」の1つとして保障されました。しかも、第2項において「検閲」を明確に禁止しました。とはいっても、「発禁本」がなくなったわけではありません。敗戦の占領期には、新聞、書籍、放送などのあらゆるメディアはGHQによる「検閲」のもとにありました。また、行政による「検閲」は廃止されましたが、名誉棄損やプライバシーの侵害、あるいは著作権の侵害などの権利侵害により裁判所より出版が差し止めされるケースがありました。これも俗に「発禁」とよばれます。また、性描写をめぐっては、刑法第175条の「わいせつ物頒布罪」により刑事罰の対象になることがありました。裁判所により「わいせつ物頒布罪」と認められた書物は、実質的に出版することが不可能になり、この場合も「発禁本」とよばれることがあります。「チャタレー事件」や「襖の下張り事件」などが有名です。
 
■ところで、「発禁本」の問題は、「言論の自由」と関係していますが、また「思想の自由」の問題でもあるということを忘れてはなりません。明治の末期におきました、幸徳秋水ら24名に死刑の判決が下されました「大逆事件」においては、被告たちの思想が読書からきているということで、それまで合法的に出版されていた100冊以上の社会主義に関係する書物が発禁処分にされました。また、第二次大戦中の1942年、雑誌『改造』に掲載された細川嘉六の論文が発禁処分をうけ、捜査中に日本共産党再建の謀議があったとして、60名あまりのジャーナリストたちが治安維持法違反に問われた、「横浜事件」も言論弾圧の事件でありました。
 
■明治大学での「城市郎文庫展」は7月22日まで開催されていますが、パンフレットに記されています城さんの挨拶文には、「時流に抗(あらが)い、抹殺され、埋没した受難本の探索に、ひたすら執念を燃やしつづけてきた私の夢は、せっかく集めた貴重な本の数々が、後世の人々に有効に活用されること」である、と呼びかけています。そして、「発禁本図書館」が設立されることを訴えています。これまでは、どちらかといえば、市井のマニアのコレクターの領域に限定されてきた「発禁本」の世界が、現代のインターネットの時代に、「言論の自由」の問題として、再び焦点があてられることを私は望んでいます。

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