武内 ヒロク二

毎日新聞「しあわせ食堂」絵裏日記
プロフィール
作品紹介

やぐるまそうとおもちゃ

2012-05-31 23:22:10 | Weblog

頂いた矢車草の花とミントの葉。そして、道端に茂るぺんぺん草をアレンジしました。
左の「兵隊」は、ヒロクニさんのおもちゃ。どこで拾ったものやら?
下に引いた、ドイリーは鍋敷きでもあります。これは、わたしが編んだものです。

この写真を撮る時に、この「兵隊さん」を一緒に撮ろうか、撮らまいか悩んだ。なんか可愛い感じでいいのですが、「ヒロクニさんのおもちゃをわたしの花にくっつけて写すなんて・・・」と憤慨した。良人と仲良くする気がないはずなのに自らこんな行為をしてしまった。やはり、こうやって夫婦というものは、「離婚だ!!」と叫んでも、時間がたてば迂回しながらもとにもどっていくのかと思いながら、「花」と「兵隊さん」を組み合わせていたのです。

家の中や外にワケのわからないものが沢山ある。
最近、発見したものでは「オレンジの皮の干からびたもの」がトイレの窓の枠のすみに置かれてあった。
風呂の窓の所のは、茶色く折れた枯れた植物がマミーの瓶に入れられている。
玄関の前の土には、歯ブラシが植えられている。
服のワッペンやタグ、切れ端なども家の柱に画鋲で止められている。
すべて、見える所に貼ったり、置いたりしなといけないのか、どこもゴチャゴチャしている。

まともな宝物としては、半欠けの鉄の仏像がる。上半身しかなく、右の腕を折り曲げて上げ、人差し指を上へ向かっている仏像だ。その仏像は飾られてるわけでもなく、フッとヒロクニさんの身近に転がっている。関東大震災から、引越しが多かったのに、いつもその仏像は付いて来ていた。ひっそりヒロクニさんがポッケトに入れている姿が浮かぶ。お守りのような感じがするので、その仏像は温かく見守っています。
その仏像以外は、ゴミに見えるんです。



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アトリエにて 2

2012-05-28 13:04:27 | Weblog

アトリエのヒロクニさん

スクラップブックに紙切れを貼ったり、塗ったり集中している。
赤い絵具は、油。
トイレにも、赤い絵具を塗りつけたキャンバスが乾かしてあり、絵具がつかないように、毎日気を使ってトイレ使用。
こんな人は、空気のような存在になる訳がない。

高野京子さんの個展に行くと、ヒロクニさんの絵のコレクターのT先生が、座って居られた。こんな所で会うなんて!!と驚いた。武内の個展会場で「君は、また具合が悪くなるって。見たらわかる」という謎の言葉を残して会場から去って行った。その上、わざわざ薬も貰った。
 しかし、その謎の言葉は、当たり、我慢や忍耐が長期間よるストレスと怒りの感情で、具合が悪くなった。その謎の言葉を言う張本人から、何故判るのか?どうしたらいいのか?分かり易い助言を聞きたくなった。
 先生は自ら自身の事を「鞍馬天狗みたいなもん」と言い、「神出鬼没」とわたしは言った。先生は「武内さん(良人のこと)は、まともでないからいいんだ。ムンクよりもいい。いいんだって」と何度も言われた。「芸術家は、気違いみたいなもんだろ。好きにさせとけばいいよ」と軽く言う。わたしも急いで口を開く「だけど、ムンクは精神病院に入っていたでしょ。わたしが、いつも精神科に行くのではなくて、良人にいってもらわんと・・・あべこべだと思うの」と必死で言った。

いろいろ言ったけれど、究極、「気違いみたいなもんやと思ってあきらめ!」と言って、また、去って行った。
ああ、日本人だなと思った。アメリカでは「あきらめない」という事を教えるそうですが、「あきらめる」ということを学ばねばならない。
よく言えば、「あきらめる」という事は、仏教で言う「執着を捨てる」ということなのだろうと、最近、思うところもある。
兎に角、わたしにとっては、武内ヒロクニは、もう煩悩の中心部をなしているのです。

武内ヒロクニと、別れたら煩悩は、すべてなくなるであろうか?
なんとなく、次の煩悩が待っているような気もするので、新しい煩悩より、今の煩悩ほうがいいかもしれない・・・。
慣れ親しんでいる苦悩の方が、楽な気がするのです。

そういえば、仏教は「中庸」が大切ともいいますよね。
わたし自身の中でも、世界は揺れてるのです。
この世は、想念の世界らしいよ。
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猫達の楽しい季節

2012-05-19 23:51:40 | Weblog

草を食む、ジル。牛みたい・・・・。
青葉が茂り、庭には雑草が茂る。これでも、草引きはしている。しかし、草々の、よく伸びるコト。
すぐ、ビニール袋が一杯になる。そんな作業をしていると、二匹の猫達がわたしの近くでウロウロと近寄ってくる。キタハマは、行きたいところ、そう家の隣、畑へ行こうとわたしを誘導する。

畑の道を一緒に歩くのが好きなのだ。その畑の道を走りながら「レッツ、ゴー!!」というと一緒に走り出して、凄い勢いで先を走る。何度か、そんなことを繰り返し、最後に「レッツ、ゴー、キタハマ!!お家」というと、わたしより先に玄関で待っている。玄関前で「キタハマは、賢いねぇ〜」と褒めてあげると、玄関前でコロコロして嬉しそうである。


↑キタハマ
そして、家に帰ると「絶対にご飯下さい」という顔でわたしを見つめるのだ。
この真剣さが、目によく現れていて、容赦しませんという風に読み取れて怖い。
カリカリではなく、鰹節、または、雑魚が欲しいらしい。女の猫ちゃんは、その時によって要求が微妙に違いがあり、ものを伝えるのも、ニュアンスある。お皿も三つ持っている。


↑ジル
その間、ジルはノロノロと相変わらず、庭を駆け回るでもなく、ゆっくり草を食べている。
逃げ足は早いが、行動はゆっくりまったり。庭に寝ながら草を食べていたりとものぐさな猫なのだ。ジョウロに残っている水等も前足を浸して、根気よく飲んでいる様子も微笑ましい。
最近、毛が茶色くなってきたが、頭だけが黒さを残し、異様な毛並みになってきた。お腹も、ブヨブヨしている。しかし、抱くとキタハマとは違い、デロンと力を抜いてぼんやりと「僕ちゃん」という感じで、膨らんだお腹を出してゆっくりしている。「タヌキみたいな猫」になり、それはそれで可愛い。雄なのに、テリトリーもキタハマと同じ。甘えた感じが可愛いやつなのです。


夜は、遊び疲れてるのか、二匹ともすぐ寝ます。

わたしが淡々と生活しているせいか、猫達は幸せそうです。
幸せそうな猫達の寝顔を見ると、心が安らぎます。

ヒロクニさんの眉間に皺をよせた寝顔をみると、難しい野獣やねぇ・・・・。と目を細めて見るのでした。

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餃子なんて、くっつけないで!!

2012-05-11 14:58:47 | Weblog

左二列が、わたしが作った餃子。右の乱れた二列がヒロクニさんが作った餃子。
餃子の具は、豚挽き肉に、ニラ、キャベツ、たまねぎ、干ししいたけ、にんにく、生姜、酒少々に、しょうゆをたらし、ゴマ油を混ぜたものです。

台所で嫌々料理を作っていた。
めんどくさいが、まずいものを食べたくないので、一人シコシコと餃子作りに励んでいた。
わたしは、結構食べ物にうるさく、チルドの売っている餃子は食べたくないのだ。
それに、遺伝子組み換えの添加物も入っているし・・・・。
餃子を台所で独り考えごとをしながら、黙々と手を動かしていた。

その姿を見ていたのか、ヒロクニの野郎が「僕も手伝わせてくれない」と目の前に来て言う。
ちょっと嫌な気がしたけれど、手伝う気持ちを無碍にしてもと思い、「まあ、やってよ」と言った。
阿呆のように、大盛りの餃子の具をのせて、餃子がはちきれんばかりの姿。
手元を見ていたら、その餃子をわたしの作った餃子にむぎゅっと押し付けて置くのである。そのくっついた餃子の姿を見て思わず言った。

「わたしの餃子にくっつけんといて!!」と大きな声で言った。悲鳴に近かったと思う。なんか寒気がしてしまった。

その餃子をつかみ「あなたは、こっち」と皿の端の方につまんで移動させた。
右に固まっているのが、ヒロクニ野郎の餃子。
左にあるわたしが作った餃子は素直な感じがする。
右の餃子、「口を絶対割るもんか!」という意固地な感じで、ヒロクニさんの眉間の皺ようでもあり、わたしは憎憎しげにじっと眺めていた。

そのせいか、餃子を焼くのにも何故か失敗した。

◆遺伝子組み換え作物から作られている添加物紹介◆
 
 しょう油
 大豆油
 コーンフレーク
 水飴(ジャム類)
 液糖(ふどう糖果液糖又は果糖ぶどう糖液糖と表示)
 デキストリン
 菜種油(カノーラ、キャノーラ)
 綿実湯
 砂糖(てん菜)
 レシチン(大豆由来)など

これらのものを省いて食品を買おうと思ったら至難の業です。
今までなにげなく食べていた好きな物も我慢の世界になります。
なるべく市販のジュースを飲むのを控え、油を選ぶときは値段が高くてもよいものを選ぶ。
スナック菓子は極力控える。
この3点を実行するだけでも、添加物の摂取はぐ〜んと減ります。

わたしが、こういう事を実行するわけは、アメリカのモンサント社(遺伝子組み換え種子の会社)が儲かるのは、人の不幸に直結すると思っているからです。この種子からの作物を食べさせて、人に病を与え、人口を減らそうとアメリカの政府と示し合わせているのではないか?と疑っている。モンサントの社員は、ここの種子で出来た作物を食べないそうです。

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ありのままの姿が一番(作品紹介85)

2012-05-06 21:38:52 | Weblog

この絵は、破れていて個展で発表することはない、作品。
鉛筆と色鉛筆
エロティックな作品は、最近発表しない。
時代は、エロスから離れているような気がして個展では、あまり並べません。

わたしは、よき妻でいようとしすぎて、ヒロクニさんのヒステリックな性格についても凄く我慢していた自分に気がついた。
常に、前向きな気持ちで、自分の自然な感情を押し殺してまで、前向きな心をもとうと努力していた。
我慢がどうにも出来なくなって、「離婚して欲しい」まで、心は思いつめた。

わたしは、目標があった。絵でなんとか生活が出来き、絵の保管が出来る広さの家で、画家らしい生活を共に送れる生活を夢みていた。広い家に移って、わたしは、一室で絵画教室もしたいなぁと夢を思うあまり、努力とひたすらヒロクニさんを励ましたり、甘やかせたりしていた。人間は、甘えれる場所があれば、外で強くなれる。と思ってきたのです。

その思いは、裏切られた。

わたしが、何でも何とかしてくれるという風になっていた。

何日もボ〜〜と過ごしているうちに、「何とかならんか?」と期待を持ったり、嘆息したり。そして、売り上げ等で一喜一憂したりするのにも、何か疲れた。ヒロクニさんの機嫌も大事と必要以上に我儘を聞くのに無理していたのかもと・・・・。

最近、自分を偽ったりして、気持ちに無理がありすぎることは、すっかりしたくなくなった。

雲の流れのように、あるがままの姿がいいなぁ〜と。
今までの自分に、疲れた。そして、すっかり欲がなくなってしまった。


フリージアの花が咲きました。
花は、自然に咲くのですね。
季節が巡るのと同じように・・。

暫し、一日一日、淡々と送ります。
虎視眈々の日々は、さようなら〜。



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新・平家物語と端午の節句

2012-05-03 18:33:26 | Weblog

ニラ花のが咲き乱れる我が家の庭

新・平家物語の五巻(吉川英治著)の本の文中に、
菖蒲葺きという章がある。
その中の一部分を引用。
桧皮葺の院の大屋根へ、梯子をかけ、舎人たちが、菖蒲を葺いているのである。
「五月よ、今年も」
と季節を、思う。
という一節があった。

頭の中では、屋根にたくさんの菖蒲の花が立ち並んで、紫の花が咲いている情景を浮かべて、そんな風習があったなんて、知らなかった。と思っていた。西洋風に「屋根が菖蒲花のお花畑」になるとイメージしていた。なんと珍しい風習が平安時代にあったことよ(ほぉ〜)と思っていたのです。屋根はお花畑と想像していました。
ところが・・・・どうも違うことに気がついてしまったのです。「菖蒲を葺く」という日本語が分かってなかった。お花畑ではなく、茅葺のように、屋根に菖蒲をのせていく作業のことだったのです。次のような写真を見つけました。

端午の節句の菖蒲葺きの写真

これが「菖蒲葺き」の正しい姿だと思いました。
小説では、院内のその光景を描写していたのだと分かりました。

ちょっと調べて見ると、平安時代には、端午の節句の年中行事として、「菖蒲葺き」「菖蒲の輿」「菖蒲枕」「菖蒲刀」「菖蒲の宴」「菖蒲兜」「菖蒲根合」などが行われていたそうです。菖蒲の葉は、剣のように勢いよく伸びる葉と独特の香りから、端午の邪気を払う魔よけの植物として、用いられてきたということを、知ったのです。邪気払いのために「菖蒲葺き」をしていたのです。

そういえば、学生の頃、京都に住んでいた頃、銭湯で菖蒲湯に入ったことを思い出しました。
風呂なし下宿に住んでいたので、銭湯に行く回数は多い。菖蒲の葉が束ねられていて、風呂の湯の中で、葉がゆらゆら揺れていた。今、初めて京都を意識したのです。その当時は、銭湯のおばさんが「菖蒲湯だから、おいでね」と嬉しそうに勧めた訳が今になって分かった。「厄除け」していきなさいというニュアンスが含まれていたことに・・・。

京都の銭湯には、いろいろ思い出がある。200円の銭湯代の元を取らねばと、茹蛸になるまで入ったあげく、気分が悪くなって、隅のソファでうずくまっていたことや、瓶のりんごジュースを一週間の楽しみにしていたりと、水風呂に平気で入れる人に感心したり、思い出はつきない。

五月は、現代では、ゴールデンウイークだけど、平安時代は、端午の邪気を払う季節の行事だったのです。

はて、端午の邪気とは何?
それは、中国の「史記」の中に記されています。
たしか、中国のある心ある政治家が入水自殺した川に、民衆がその死体が魚に食べられないように餅のようなものを川にまいたのが、ことの始まりで、入水自殺したのが5月5日でということだと記憶しています。間違っていたらすいません。

■余談■
ヒロクニさんは、どうしてるかって?ほったらかしにしているので、萎びています。
今だ、「魔物ヒロクニ除け」デス。芸術家で、妖怪ですからね。
菖蒲の葉を身体に巻いておこうかしらん?
実は、菖蒲の葉だけなら、庭に生えているのですよ。

今年は、こいのぼりを見かけてないのだけれど・・・。
五月の節句は、時代によって移り変わる風習なのでしょうか?
時代の移りかわりを感じる今日この頃です。



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わたしの前世は、武士か?(作品紹介85)

2012-04-27 17:39:09 | Weblog

絵本・山姥 やまわろ 「かんばるトマト舎」より抜粋
武内博州(ヒロクニ)の挿絵部分より

ヒロクニさんと暮らすようになってから「武士は食わねど高楊枝」という言葉がしっくりくるようになった。
質実剛健を好むようになり、ヒロクニさんが愚痴を言うたび、イライラするようになった。
わたしにしたら、「心がけがなっていない」と言うところだ。

「足る事を知らぬ奴だなぁ」と気分をいつも害してした。それに、一緒にいると頭がモワ〜と常にしていて、清々しい気持ちになることがない。最近、冬の愚痴ばかり聞かされていたストレスで、怒り心頭して、すっかり食欲が落ち、食べ物もを食べず、怒りに徹していた。
まず、一週間すべてを時間にゆだね、人はちょっとぐらい食べなくても死ぬことはないだろう・・・。
そうすると、いろいろな思いや、考えが頭を駆け巡る。

日本人は駄目になったということをよく聞く。わたしも、人のモラルが落ちているのではないだろうか?と思う時もある。
昭和30年から特に駄目になったとよく言われる。わたしは、昭和37年生まれで、高度成長の気運の中で育ち、駄目になったと言われる頃からの世代だ。まずは、自分自身の点検からと思い、過去を思い出していた。

何の不自由もなかった生活から、両親の離婚で貧窮母子家庭なった頃のことをよく思いだす。小学校5年の頃は、家に帰ると妹や弟の幼稚園のお迎えや、ご飯の支度の手伝い、洗濯物の取り込み、特に弟は幼児だったので、ミルクやおしめも変えていた。洋服も着たきりすずめで、服にシミをつけると、とても気にしていた。日曜は、仕事に出かける母と祖母の替わりに、幼児の弟をおぶって、遊んだり、本を読んだり、勉強をしていた。自慢すると、貧乏をかもし出していたわたしは、「多少みじめ」と思っていたので、親に頼んで、参考書を買ってもらい自ら勉強をよくするようになり、小学校6年生の時は、塾に行っていた「お坊ちゃま」を抜かすことがあり、人目置かれることになって、みじめさがなくなり、努力する楽しさを知った。

中学校へ入ると、弟の参観日や、入学の服の採寸等に行き、あれこれ言う「一端の父兄」の役もこなし、子供PTAである。そして、母は映画「リメンバーズ・ママ」のように、絵の好きなわたしに油絵具を買ってくれた。もともと、変わりものの素質もあったので、同学年の子が欲しがるものは、欲しくはなく、すごく嬉しかったのを覚えているし、今でも思いだすと、感謝の気持ちで一杯になる。

ヒロクニさんは、わたしに言わせると「田舎のぼっちゃん」。
ひもじい思いもしていないし、よく考えたら、母親がいつも近くにいるという状況で暮らしていることが多い。
最近、ヒロクニさんの母親は、再婚したという思いもあって、やや甘やかし気味で、厳しく育てなかったのでは?物は豊かに与えていたような気がする。これって、世の奥さんがする夫についての憶測なんですけど・・・・。

ヒロクニさんの愚痴を聞いていると「お前は、足るを知らんのか」と言い、
わたしを当てにしている姿を見ると「初めから他人の助けを当てにするな!!」と言う。

「鳥の絵を描いて欲しい」と言ったら、「描く」。と返事をしながら、一週間たっても描く気配もない。一週間経って、夕食の時、聞いたら「忘れてた」と言うから、「最初から描く気がなかったんでしょう?」と聞くと「そうです」と言う。
「何で、初めからそう言わないの?何故、嘘をつく!!人が待っているという事がわからないのか?」「これから、嘘はつかないように!わかった?」と強く言い渡した。

わたしの前世は、貧乏な武士であったのではないか?とよく思う。
絵画教室や内職に励んだことを思い出しても・・・・、生徒が「今は、時代が違う」とか言うと、「人間の本質は、そうかわりません」と一笑にしたり、教材の内容で「先生は損してる」と言う子が、いると「人間たまに、損してもいいんです」「しかし、あなた達は、損得ばかり考えてるんだね〜」とボロ家で言うと説得力があった。その生徒達から、時に連絡があり、美術大学に行ったと聞き、「まあぁ」と驚く今日この頃です。小学生がほとんどだったと思うけれど、「大きくなっているのね」と思い出し笑いをします。


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作品紹介84(骸骨・絵と文)

2012-04-24 12:10:50 | Weblog

色鉛筆と油絵具

絵を描くのは、淋しがりやだから、デキタことだけど、
本当は、岡山だとか、山中のどこかとか、
海の向こうだとか云っているー。

ボルヘスやマルケスを読んで、
中南米を夢見ているー。

けど行けないんだ。
カネ!カネ!と云っても、チョットしたCDを買うだけで
欲望が湧かない。

とまあそんな具合でー。
仕方ない。 
 (文・武内ヒロクニ)


ヒロクニさんは、21年前「山に行く」「山にいく」と言うだけで、「何がしたいのだろう?」と周囲を悩ませたことがある。
または、「山に行く」。と言うのは、「死にに行く」ということだろうか?と、周囲の友人やわたしも心配した。
10年ぐらい前にも「山へ行く」。と言い出した時があり、毎日ひつこいので、「山でもどこでも行ってきたら?」と言ったことがある。ついでに「今、大阪の大丸百貨店の前は、身なりのいいホームレスが一杯いるよ。(わたしは大阪で派遣の仕事で毎日その様子を見ていた。)山もいいけど、まず手始めに社会見学の一旦として、近いし大阪・梅田大丸前がいいよ」と薦めた。「それに、帰る家のあるホームレスなんだから、幸せでしょう?」と梅田大丸一泊の旅をお勧めしていたのです。

次の日から、「山へ行く」というのは全く云わなくなった。
わたしは、「口ばかりで、行動は出来ないのか?」と罵ったのでした。
行けば、志の程がいかほどのものかと、尊敬したかも・・・。


わたしの楽しみ。
南の方で、また、急に花が咲きだした。椿の種類だと思うのですが・・・。
花の枝を2本、飾っています。


小さい白い小花と、あちこちの道端に咲いている「けしの花」とフリルレタスの組み合わせで
アレンジしてみました。オレンジ色というのも見ていると安心感が湧きます。

今日昨今、土をいじりながら生活をしていると、道端の花にも目がいくのか、「白いすみれ」を見つけました。
しゃがんでジーと見ているだけでは、物足りなくなって、その花の葉をさわっていたら、
黒色に赤い筋が入った毛虫が指の上にのってしまって、
ビックリして、道の横でひっくり返ってしまい、かっこ悪い醜態をひとしれずしていました。
こういう時は、誰かが見ている方がリアクションをもっていけるので笑い話にもなるけれど、独りで醜態というのも静けさだけが残って嫌ですね。




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武内ヒロクニ・色鉛筆画製作中!!

2012-04-18 18:44:25 | Weblog

曼荼羅のような色鉛筆は、「どこから描きはじめるのですか?」と尋ねられることが多い。
中央の辺りから、上下、左右、と画面を広げていき、後はヒロクニさんにしかわからない不明というか予測がつかないかたちで色鉛筆が埋められていく。この作品は、まだ未発表のようで、描きかけの作品の束に入っているのだろう。


いつも製作中の姿は、後ろ姿しか写真がとれない。
そして、近代的なものはなく、画台と色鉛筆があればよしとなっている。
プリミティーブな作品は、原始的な姿から出来上がってくるようです。


ヒロクニさんにも特技は、「仮眠」というものがすぐ出来ることだ。
制作のあいまに、スヤスヤねていることがよくある。
そんな時の一枚です。
しかし、寝ている顔には、眉間のしわがはっきりと浮かんでいて、寝ながらでも絵のことを考えているのかという表情は、とてもヒロクニさんらしい。
三宮元町の古着屋で買ったTシャツを着ていて、わたしが穿けなくなったジーパンを着ている。
このTシャツは大のお気に入りTシャツで、古着のくせに4900円もするTシャツです。


わたしは、現在、花と戯れ静養中です。(荒れた心と花が対照的で溶け合う感覚で花に寄り添ってもらっています)
貧相なピンクのヒヤシンスが急に3年ぶりに咲きました。
今、咲き盛りのニラの花と雑草を組み合わせて
台所に飾っています。
この借家に住んで、花がとても好きになったようです。
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おいしい日本の豆腐が食べれなくなる時

2012-04-15 20:53:45 | Weblog


TTP(環太平洋戦略的経済連携協定)によって、遺伝子組み換えの大豆をしょうがなく、食べることになったら?
アメリカ政府は、遺伝子組み換えの作物を輸出したいらしい。
自国アメリカでは、大豆生産量の90パーセントが遺伝子組み換え大豆や遺伝子組み換えのとうもろこしという現実だそうだ。アメリカ政府は、アメリカの市民の事もどうでもいいらしい。牛は、遺伝子組み換えのとうもろこしの飼料で育ち、草を食べさせないからOー157が発生する。

その遺伝子組み換えの特許種を作っている会社は、モンサント社という、バイオテクノロジーの会社だが、ベトナム戦争の時には、枯葉剤を作っていた会社だ。遺伝子組み換えの種子と一緒にラウンドアップという強い除草剤を売る。政府ともつながりがあり、政府に働きかけ、規制緩和によって、添加物扱いされるはずの遺伝子組み換えの作物を食品の扱いと認めさせた。

日本では、遺伝子組み換え大豆は、今の所「表示の義務」があるが、アメリカの言い分としては、TTPの流れでは「非表示」を提案しているという。
ラットの実験では、発癌性や臓器障害、生殖異常が出ている食品を、全世界の人に食べさせようとしている。その危険性を言った科学者達は、急にクビになるそうだ。それでも食の安全の為に、反対運動を活動をしているという。
インドの農家では、自殺者が増えているという。農業に従事している人に喜びをあたえない、遺伝子組み換え作物。その作物を作った土地(土が化学変化をおこす)には、もう二度と普通の作物は育たなくなり、遺伝子組み換えの種を使い続けるしかなくなるという悪循環になる。味も普通の野菜の方が美味しいそうだ。
フランスとカナダが遺伝子組み換え作物を拒否している。

白くて清々しい、日本の豆腐は、日本の美しい食べ物だと思っている。安心して豆腐が食べれなくなることを考えると「日本の食文化」にぽっかりと穴があくようになるのではないかと懸念している。

モンサント社は、悪魔のような企業ではないだろうか?喜んでいるのは、農家に高い種と除草剤をセットで売って巨大な利益を上げて、利益を上げている人達だけ。そして、農業者を苦しめ、食の安全を壊し、人々を不幸にしかしない、遺伝子組み換え食品とは、悪以外なにものでもないのでは?
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