武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

2017年6月の武内ヒロクニの個展の予定 と 猫待ち妻

2017-04-26 17:38:52 | Weblog


ギャラリー島田での打ち合わせの様子
ハガキに印刷する絵を選んでいます。

今回は、ヒロクニさんはすべて新作で望むということです。
作風が変わったものも、すべて出品します。

家でも、作品の選別を2人でしますが、
どうなるのでしょう?

楽しみにして下さいませ。


所 ギャラリー島田
日時 2017年6月24日(土)~6月29日(木)
時間 12:00~19:00 火曜日は18:00まで 最終日は16:00まで

住所 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1F・1F 電話/ファックス 078-262-8058

HP http://www.gallery-shimada.com/index.html


ヒロクニさんの世話をしながら、
猫を待つわたし。

4月8日に、愛猫ジルくんがあの世に旅立って逝きました。
腎不全を発病して1年と4ヶ月、病院につれていっていましたが、亡くなってしまいました。


手前にいるのが、ジルくん。後ろにいるのがキタハマ。
キタハマは、18年生きましたが、ジルは7年間。
変な顔の猫でしたが、いなくなるととても寂しく、庭仕事などをしているとジルがいないことをひしひし感じます。
家の中が嫌いで、ほとんど外で過ごす猫だった。
私が外へ出ると、見つけて近寄って来て、ドンと横になり、それからコロコロする。
嬉しいようで、ゴロゴロと喉を鳴らす音が、離れていても聞こえてきたものだ。

見た目は、強い猫に見えるが、猫どうしの喧嘩でジルの失態を何度みたことか・・・。
仰向けにされ、腹を出しひっくり返って猫に押さえつけられるところを見てしまったり、
木に登らないジルが木に登っていると思って見ると、下から違う猫に追い詰められていたり。

以外と愛くるしく思っていた自分に気が付くのでした。
キタハマは、私は働いて家にいる時間が短かったせいか、ヒロクニさんと蜜月をすごしていたので、
ヒロクニさん大好き!といういう感じが、見ていると微笑ましかった。

ジルは、完全に私を頼りにしていたので、私はジルに寄り添っていたのです。
連想ゲームではないが、ジルはフクロウに顔が似ていたので、近所のペットショップで、フクロウを見に行った。
「うん、ジルはこんな感じの猫だったわ」。とジーとフクロウを見ていました。
もし飼うとしたら・・という考えを抱きつつ値段を見たら、22万円とかなっていて、タマゲタ。
餌とかもねずみとかをあげないといけないらしく、だんだんフクロウから遠のいて家に帰りました。

ヒロクニさんには、「ジルって、フクロウにちょっと似てたよね」。と言った。

代わりの猫をすぐ用意するのもなんかちょっと、出来なくて、猫待ち状態です。
はかなさを感じる今日この頃。
時間とは、移りゆくもので、一時にとどまることはなく、絶対というものもなく、その中に生きているのだなぁ~と、
思いました。
また、ジルが居た楽しい時間に執着しているのは私で、結局はジルのことではなく、
自分が寂しいという自我に支配されているのだと思っています。
その感情が整理されたら、新しい第一歩を!と思っています。



大きいチューリップの球根を2つ昨年植えました。
ヒロクニさんと、「きれいとか言うより、お化けみたいだ」。と2人して言って見ています。




庭全体でみるとこんな感じ。
やっぱり、お化けみたい・・・・。



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春爛漫と色鉛筆作品紹介メモ448 と エホバの証人に気に入られる私

2017-04-18 17:46:56 | Weblog


作業机の上に置かれていたメモ。
なんか「絵で遊んでいるようで、楽しげだなぁ~」。と思い、
絵画の自由を感じさせてくれる。

やはり、暖かくなってからの作品。
ヒロクニさんの身体の細胞がわくわくと春をに喜んでいるのね!と思う次第であります。

庭には、50本植えたチューリップや種から育てたビオラが咲き誇っています。


チューリップは、まず白色が咲き始め、次に黄色、次に紫色、次に赤、最後にピンクという順番に
咲くようです。
上の写真では、白色と黄色が爽やかに咲いています。



赤色が咲き始めてにぎやかな感じになってきたのが、昨日。

春の喜びと共に、去っていったジル(猫)のことを思い出します。
ガーデニングの共を失ってしまいました。
春の喜びと寂しさが混じった今年は、花の儚さにも思いをはせます。




話は変わるのですけれど、神戸市に住んでいたときもなのですが、宝塚市に住んでいても
何故か、「エホバの証人」の人に好かれるのです。
感じの悪い人達じゃないので、適当に話を聞いて終わりにするのですが、
「この人は、エホバの証人に入ってくれそう」と思うのか、すごく足繁く来られるように
なったのです。正直いうと「サタンが・・・」。と言われると私はドン引きよ。
小冊子を読み上げられて、「人の心が乱れているのは・・・・・・・・・・うんぬん」。と聞き、
すぐさま聖書をめくり、その部分を取り出す姿には驚くけれど、そして「聖書にはこうやってきちんと
述べられているんです」。と、胸張って言われる。
長く話しを聞いたので分かったことは、エホバの証人達は、死んでから楽園にいけると思い、
それで信仰しているようだ。
私は、自分が生きた間の行いによって、行き先というはあるのではないかな?と思っている。
まあ、私程度では行き先は普通ぐらいであろうと思う。

なんかよく分からないが、「私達はグローバルなんです」。と凄いんだぞとまた胸を張って言う。
私は????「グローバルがいいことか悪いことか分からん」という感じ。
なかなかひつこく来るようになって、「めんどくさいなぁ」と思うようになった頃、
「私達は、こうやって自分の時間を自己犠牲しているのです」。と言われたので、
「来て欲しいと思ったことありませんよ。勝手に来て自己犠牲と言うなら、来なくていいよ」と言った。
「自己犠牲というのは、もっと尊い行為を言うと思いますが・・・」。
続けて言った。
「例えば、世界で始めて麻酔を研究した華岡青洲(はなおか・せいしゅう)は、麻酔が効くかどうか
自分に身体に麻酔を打っていたが、研究しているあなたが身体がおかしくなってしまっては、研究が
出来なくなるから、妻が実験台になると申した所、姑さんが、あなたはまだ若いから、わたしの身体で、
実験しなさいと言って、麻酔の研究に死をもおしまなかった人のような行為を言うのではないかしら?
祖母がなくなった後は、嘆願したとおり妻が実験台になり、その妻も死んでしまったが、その研究を
元に、世界中で麻酔が開発されることになって、外科手術が痛みなく出来るようになったと言うのは、
おおぜいの人に貢献したということではない?
本当の自己犠牲というのは、そういう人のことをいうのじゃない?」

ここまで言うと、し~んとして顔面蒼白になっていた。
最後に「一神教は、他をみとめないし、おしつけがましいから嫌いよ」。言った。
それから、来なくなったのでした。

聖書は消して悪いものとは思っていないし、キリストも素晴らしい人だと思っているが、
現代でも主張の後書きに、聖書の言葉をよくピックアップで引用することがあるけれど、
それもなんかあまりいい行為じゃないなぁと感じた。聖書にも文脈があり流れの中でも意味があるはずなので、
主張に対して都合の良い言葉のみを抜書きするのは、イエス・キリストは望んでいないと思う。
これは、この人達から学んだことであります。

まあ、感じの悪い人達ではないのですが、エホバによって現実逃避させられているような感じが
しました。




少し付け足すと、華岡青洲の麻酔手術の成功は、
西洋(アメリカ)にに先んじること40年の話なんです。
私は、こういう風に、人類に貢献した人が、天国の方へ行かれるのではないでしょうか?









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作品紹介447と芭蕉と干瓢(かんぴょう)の句

2017-04-02 16:11:37 | Weblog


鉛筆と色鉛筆で描かれています。

暖かくなってきました。種から育てたビオラも花をたくさん付け始め、
庭は賑やかになり、ヒロクニさんも冬の熊が冬眠からさめるように、外へ出る。
黄色、白、紫、緑の草とのコントラストを基本とした花が、けっこう清々しい色合いになっている。

ヒロクニさんは、今年の冬は、「絵画上の試行錯誤が実った」と一言。
充実した冬ごもりだったそうです。

確かに、上記の絵を見ると、ヒロクニさんの言う「絵の揺さぶり」は、
十分行なわれている。こんな絵は、初めて見る。
また、ヒロクニさんの言う、「俺は一年生なんよ。」とは、このことか?と、思うのでした。

御歳79才のヒロクニさんに対してあまり年齢を感じていなかったのですが、今年で80才になる。
毎年、一年生になってしまうヒロクニさん。
肉体と精神は、どうなってるの!?と横にいながら思います。

今日は、晩年(51才)の芭蕉の一句を紹介します。

■夕顔に 干瓢むいて 遊けり 
 ゆうがおに かんぺうむいて あそびけり

この一句がなにかしら、心に引っかかりました。
晩年の作、といっても51才。江戸時代の人なので晩年にあたるのです。
そんな時に詠まれた句ですが、なにか飄々とした感じを受け、肩の荷をおろしたような清々しさを、
感じてしまったのです。それと「干瓢」が夕顔の実とは知りませんでした。
あの、料理で巻き寿司に入っていたり、揚げの口を縛ったりする干瓢の姿を知りませんでした。

また、枕草子には、「夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、
実のありさまこそいとくちをしけれ。」とも書かれていて、夕顔の実って、どんなに醜い姿なんだろうとも、
想像していた。それが、干瓢の素材だと言うことに気が付き、そのことにも驚いたのです。

干瓢の実ってこんなの↓

これは、一例なのですが、他に丸っこいもの等色々なものがあるみたい。
枕草子の清少納言は、夕方に白い花を咲かせて、はかなげな夕顔が、
こんな大きいどかっとした実をつけることを残念がっていたのだと実感をこめて知りました。
芭蕉は、せっせと干瓢の実を1㎝圧ぐらいの紐状のものに向いていたのです。
そんな姿を思いながら、この句を味わっています。

この句の解説を。
■夏もたけ夕顔の白い花が咲いている下で、すでに収穫した実の皮を取り去り、白肉の部分を薄く剥ぐ
 干瓢作りの中に自分も入っていって余事を思わずしばらく気を晴らしたことだ。
 芭蕉は、芭蕉庵にいた寿貞死去の報を知ったころであり、しばらく単調な手仕事に気をまぎらわせ、
 心を慰めていたのである。


ヒロクニさんにも、「干瓢って夕顔の実から出来ているんだって。」と、言い、この句を紹介しました。
ヒロクニさん曰く「女で芭蕉を読む奴なんてめずらしいんだよ。」って・・・・。









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久々にブログを書く。春のある日。

2017-03-29 17:37:12 | Weblog
久々にブログを書いています。
長い間、音信不通というか、ほったらかしに・・・・。
カメラを部屋の中で紛失してしまい、カメラを探しまくっているが出てこない。

やっと種から植えたビオラが花をつけだし綺麗だなぁ~と思って、
春一枚目の写真を撮ってから、いっこうにみつからない。
トーンダウンしてしまって、書く気が・・・・。
まあ、とりあえず文章だけでも、と思い今書いています。

少し暖かい日も増え、ヒロクニさんも「散歩がてらに歩こう」。と一緒に近所を歩いている。
そんな日、自宅で急に夕方四時ごろ、「さほり、ちょっと一緒に酒を飲もう」「一緒に喋ろう」と。
「え~、こんな時間から飲むの?」というが、
その気になっているヒロクニさんは、「肉を焼いてくれ」。と台所でその体勢へ入っている。
「まあ、肉を焼くぐらいいいか・・・」と、小さな料理を作る。
その他は、卵焼きとチーズなどを添える。
着物姿で割烹着を着ている私は、「はい、はい、困った人ですね~ぇ。急にお酒なんか飲んで」。と
古い映画に出てくるようなことを言いながら、日本酒を温める。レンジで。
ヒロクニさんは、「さほりも、食べよ」と強く勧めてくる。
「それじゃぁ、私も一杯やるわ」と、2杯飲んだのであった。
ほんわりと暖かい日で、春のお酒と花見の気分のようであり、
2杯目を飲むころには、アルコールが廻っていたのか、途中で討論みたいになってしまい、
ヒロクニさんは退散した。

「桜を見に、吉野なんかも行ってみたいなぁ~。」
「お茶席などを予約して、ほうっとため息をついて、頭を空にして静かに過ごす時間なんていいなぁ~」。と、
そんなことを考えてしまった。
ヒロクニさんは、そんな事には興味がなく、吉野へ行ったとき早く帰りたいばかり言われて、
ゆっくり出来なかったことを思いだしてしまった。
そのあと、大阪の梅田へ直行したのです。

我家のジルくん(猫)は、1年病院に通ったが検査の結果が悪くて、あまり長生きしないのが分かってきた。
どうしても、1日置きか、2日置きかに病院につれてきて欲しいと言われ、我家の経済力に限界が来た。
正直に打ち明けると、「自分で注射を打てば、安くなります。」と配慮してくださり、ジルに注射しています。
一番最所に打った時は、思いっきり針を刺さないと痛く感じると先生がアドバイスくれたので、、
はじめて故、ジルが打つ瞬間動いて、自分の手に針を突き刺すという始末。おもいっきりが自分の手の甲へ。
なんかなさけないのであった。
ヒロクニさんに手伝ってもらうことで解決しました。
点滴の袋を絞る役をしてもらっているが、握力があるせいか、
点滴を押し出すのが上手いのです。
このごろ、ヒロクニさんを頼りにしています。

今年の庭は、イエローガーデン。
黄色の水仙もたくさん咲き、ビオラも黄色と白色がとても目だっています。
カメラは、いったいどこへいったのであろうか?
カメラがなくて残念。
やっぱり、絵や写真がないと寂しいね。






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台風の前に吹く風(色鉛筆作品446) と ヒロクニさんの教育勅語体験

2017-02-27 14:37:44 | Weblog


今日は、アトリエからこんな作品を見つけました。
絵の裏に、「2015、くものあいだから」と書かれていました。

少し難解な作品かもしれませんが、
湿気た風がふうっと、首や頬のあたりを撫ぜるような感じがして、
いいなぁ~と思い紹介することにしました。

色鉛筆と6Bの鉛筆が、混ざりあい、紙も筆圧で伸され、
表面がなめしたようになっています。

昨日の夜から、どの絵にしようかなぁ~と、アトリエで絵を物色。
なんかコソ泥になったような気持ちで、コソコソと絵を見て、これにしようか?あれにしようか?と、
ヒロクニさんに悟られないように、行動してしまいます。

「これを上げようかな?」とか言うと、
「こんな絵をあげるな!こっちにしろ」。とか、
「その絵は、駄目だ!」とか、言われているうちに、時間が過ぎていく。
「これに、しろ!」と言われると、私には理解というか、ポイントすらつかめない、
作品だったりするので、困るのです。

たぶん普通の人は、「これなんじゃ?」となる作品。
実は、わたしも「これなんじゃ?」と思っていることも多い。
だから、その時、その時、私が見て、惹かれた作品をとりあげることにしています。

今回の絵は、海から流れてくる湿気を含んだ風のような感じがしたので、選んだのです。
決して、寒い風ではなく、生温かい台風がくる前のような・・・・。
ヒロクニさんの作品は、風が吹いているような絵が他にもたくさんあります。
「風」が付いたタイトルも多い。
ヒロクニさんが、感じていた風は、多くの時代の風もあるだろう。
幼少期の徳之島の風や、母親と蜜月が送れた九州の風、青春期(芸術家になろうと決意した日)の風の感じ方や、
油絵を描いていた時代、現代美術の頃(グループ位)、ロック喫茶を経営してロック三昧の日々、
色鉛筆を描き始めた頃、その途中から参加している(結婚して)わたし。
そう考えると、わたしというのは、ヒロクニさんの人生の後半部分の人という事になります。
ヒロクニさんは、昭和12年生まれですから、幼少は戦前、物心つく頃終戦の人であります。

そのことが良くわかる出来事があった。
わたしの絵画教室に来ている生徒さんの前で、急に「俺なんて、教育勅語」。
「家に帰って、自分の机をみると、教育勅語の本が真正面に置いてあってさぁ」。とか、
言い始めるのです。(両親が教員だったせいもあるのかな?と思いつつ聞いていますが・・・)
結構長く絵を描くので、お茶を飲んで休憩を取るのですが、ヒロクニさんも一緒に取るのです。
その時に言い始めたのです。
そうしたら、生徒さんが、「学校の歴史で習った」。と言う。
わたしは、「歴史に立ち会った人になっているなんて、化石か?」と冗談めかしていう。
ヒロクニさんは、忌々しい感じだ。

そこで、実際どのような教育が行なわれていたか聞いてみると、
教師と共に、「教育勅語」棒読みするらしい。
これを↓
(現代カナ使い文)

朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、
徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、
世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、
亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、
恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、
徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、
以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、
又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、
之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日
御名 御璽(ぎょめい ぎょじ)

以上。


小学生のヒロクニさんにとっては、上記の文章を暗唱するだけだったそうで、
意味も分からず、たいくつだったそうだ。
たいくつゆえ、とてもその時間は嫌いだったそう。
「今でも、教育勅語の内容はまったく知らない」という現状のようです。

もっと簡単に要約するとこういうこと↓

1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、
それにより永遠の皇国を支えましょう)

という内容になります。
「夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう」これなんて、目下私が努力していることだ。
「兄弟・姉妹は仲良くしましょう」も、どうしても考えが合わないから言い争いになる妹がいて、
そのことで、父から、「お前はもっと心を広くもって、兄弟仲良くしろ」と説教をくらった。
ヒロクニさんに「知識を養い才能を伸ばしましょう、とも書いてあるよ」と言うと、
「それは素晴らしい」。「俺が、いつも言っていることだ。」と言う。

今は、教育勅語は、なくなったが普通に努力して、前向きに生きている人なら、
なんらかの形で実行しているのではないでしょうか?
12番目のところだけ、現在の私達からみると脳内が「軍国主義」ととらえてしまうことがあるとは、
思いますが、国が無くなったら・・・困るなぁ~と思うのでありました。


教育勅語の正反対の意味を考えてみると、とても面白い。↓

1.親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
2.兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
3.夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
4.友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
5.自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
6.広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
7.職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。
8.知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
9.人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。
10.社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
11.法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
12.勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

この度、ヒロクニさんの「俺なんて、教育勅語」。発言から、内容を調べていました。
以外な内容でした。
ヒロクニさんは、3回結婚した人だが、ヒロクニさんが病気(癌)の時、
「僕には、家族がきてくれない」。とごねだした時、来てもらったお嬢さんがいます。
ご夫婦で来てくださったようで、とても有難く、ヒロクニさんは安心した模様。
そして、帰っられてから「○子が、離婚などをせず、夫婦仲良くやっていっているのが、すごく嬉しい」。
「離婚なんて、悲しいからね・・」。と、嬉し涙をだらだら流れるように流して、「嬉しいよ」。と言う。

自分は離婚を2回もしたのに・・と思いつつ、聞いていましたが、
「夫婦仲良くしている娘さんの姿」に、涙を流して「嬉しい」と言うヒロクニさんの姿も、私には快い時間でした。
お嬢さんに、「嬉しいなぁ」と直接言ってあげればよかったのに・・。と思う。
せっかく来てくれたのに、愛想が悪い態度にでる、見栄っ張りな奴なのだ。
この出来事で、人は、知らないうちに「教育勅語」を願っていたり、実行していると思ったのでした。

「自分の言動を慎みましょう」これもわたしにとって重要です。
日本料理店の料理人の方に、「バーモンドカレー」なる単語を連発したことがあり、
興ざめな話題をしてしまったことが・・・。非常に失礼な話題だったかもと後悔していることがあります。
やはり「自分の言動を慎みましょう」という言葉を読んだとたん、その記憶が・・・。








これは、夕顔の実です。
これが、かんぴょうの原材料なんですね。
この話は、次のブログで!




 


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ヒロクニさんと私(作品紹介445)と 芭蕉と無常感

2017-02-20 18:46:31 | Weblog


この絵は、男と女という風に紹介しようと思いましたが、
左の人物は、どうしても自画像というか、ヒロクニさんにしか思えない。
やはり、どういうわけか首が描かれていないのは、女の形である。
イヒヒと笑っているように見える自画像といつも驚きながら生活している私のようである。

だから「ヒロクニさんと私」とタイトルに付けました。
画面には2010と書いてあるようなので、その頃の作品です。
色鉛筆とクレヨンで塗り込められていますが、表面は複雑なマチエールが印象的。

現在の制作は、鉛筆のみでデッサンのようなものばかりなので、
なかなか取り上げなかった絵をアップしました。
私的には、この絵を上げるのにちょっとためらいがあった。

この作品は、ちょっとエロティックな要素があるので、
ためらったのでした。健康的ではありますが・・・・。

ヒロクニさんが私に語ったことがあるのですが、
「僕の本質は、アムール、愛なんだよ」。と。
私はヒロクニさんに無味乾燥なオンナと言われるような、色気のないオンナなので、
「えっ!?」
「そうなんかい?」
と言う調子で聞いていた。
最近、母が持ってきた高校生の時の成績表をみたら、科学と生物だけがダントツ成績が良かったようで、
驚いたくらい。美術が大好きだったのに、評価の低いこと・・・。
客観的に物事を把握するのが、好きだったのかもしれません。
だから、ヒロクニさんと会った始めの頃は、ヒロクニさんのことを、「なんと叙情的な人なんだ」と、
驚いた記憶がある。
しかし、芸術家にはポエジーというのは絶対に必要な要素です。
みごとな妄想、昇華した妄想が、芸術でもあります。
そんなことを考えながら、この絵を観ていただけたらと思います。


松尾芭蕉を読み終えたので、松尾芭蕉の話をヒロクニさんにします。
全句を読み終えてわかったこととして、松尾芭蕉は、日本の古典を非常に丹念に読破している。
万葉集や古今集、新古今、源氏物語、枕草子、平家物語、また西行を非常に尊敬しているし、
中国の古典、杜甫や白楽天、荘子などにも通じている。
もちろん江戸時代の人なので、きっちりと漢文を読みしっかりと身に付けているのです。

西行は出家して、旅をしていた俳人です。
そして、芭蕉は江戸で、俳諧で成功して名声もお金もすべて整ってきてから疑問を抱くようになり、
西行のようにすべてを捨てて旅に出て、俳句の精神世界に没頭していく。
粗末な草庵に住み、透明な句を詠む姿は、修行する禅僧のようであり、禅から派生した茶の湯の精神と
非常に似ていると感じました。そのことをヒロクニさんに必死に伝えたいのでした。
普通の人だったら、「そんな話きょーみない」。「うるさい」。と言われるかも知れませんが、
ヒロクニさんも、仏教辞典などをもっているような人なので、
話を「なるほど」。とか、
「そんな話をしてくれる女は、あまりいない」。とか、
「君も、成長してきたね」。と言ってくれる。

そして、「こういう話を聞いてくれる夫で、良かっただろ」。と言われました。
「そーです!ダーリン!」と言ってやった。


有名な句ばかりですが、なかなかいい句なので少しばかし紹介します。

 ●古池や 蛙飛びこむ 水の音(ふるいけや かはづとびこむ みずのおと)
  しーんとした静かな空間に、蛙がポチャンと飛び込む音だけが、聞こえ、だれにもいない空間が
  感じられて、静かさだけが残る空間を私は感じます。
  解説◆まず、蛙は鳴き声を詠まれることがほとんどで、蛙が飛び込む音を詠んだ人がいなかった。
     そこが新しいのであるが、芭蕉にとって古池の意味として「古」は、長い歴史の中に
     おける人間の栄枯盛衰の諸相が暗示されており、「池」には天然の湖沼と違い、人工的な
     造営物すなわち、文化の匂いをこめて使われている。
     蛙がたてた水の音は、一瞬のことであるが、その後の時間の静寂によって包まれてしまい
     なにごともなかったように時間が過ぎていく。
     芭蕉の随筆である『葛の松原』には、この句を詠んだ時期に、禅機や老荘哲学の哲学に
     ふれていることから、このように解説しています。

 ●夏草や 兵共が 夢の跡(なつくさや つはものどもが ゆめのあと)
  解説◆小高い高館の跡から眺望される平泉の地一帯は、昔、義経の一党や藤原氏の一族らが、
     あるいは功名を夢み、あるいは栄華の夢に耽った跡である。だが、そういう功名・栄華も
     むなしく一場の夢と過ぎ去って、いまはだだ夏草が茂っているばかりだ。

     人間のはかない営みと巡る季節が対峙しているこの世を普遍的に感じ、善悪を超えた
     世界感に広がりを感じます。この哲学は、荘子によるところがとても大きいのだなぁ~と
     いう句と思いました。

 ●閑さや 岩にしみ入る 蝉の声(しづかさや いわにしみいる せみのこえ)
  解説◆夕暮れ立石寺が物音一つせず静まりかえっている。そのむなしいような寂寞の中で、
     ただ蝉の声だけが一筋岩にしみ透るように聞こえる。

     この句もうるさいはずの蝉の声がいっそうの静けさをかもしだしている。
     「岩にしみいる」という表現がそれを強調して、自身がその空間を想像すると
     心は透明であるであろうと想像する。


 有名な句ばかり紹介しましたが、どの句にも無常感がだだよっています。
 そして、宇宙感のようなものを感じます。
 松尾芭蕉は素晴らしいなぁ~。




古い着物を解いて、座布団カバーを作りました。紫にストライプの柄の・・・・。
ミシンが動かないので、手縫いで作りました。
こればっかりに集中している間、あまりブログを書きませんでした。
なんか、着物生活をするようになって、新たな楽しみが増えました。
縫い物もけっこういいものですね。


先回のブログでは、ヒロクニさんのことで心配なことを書きましたが、
無理をしないように見張っているので、ご安心して下さい。


     

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ヒロクニさんから「命の恩人、さほり」と言われることに・・・(作品紹介444)

2017-02-17 18:29:56 | Weblog


ヒロクニさんは、鉛筆でメモ(フォルムもしくは、モチーフ)をたくさん描いていました。
私も時々、製作中におじゃまして、見たことのない形、もしくはメモ描きをたくさん目にしていました。
「この感じいいね!」「これもいい感じ・・」とメモを見せてもらっていました。
あんまり感心が湧かなかったものには、スルーという冷血な妻。
朝から晩まで、アトリエに篭って格闘していたよう。

夕刻、「疲れた・・・」と言っていたことは特に覚えている。
ヒロクニさんは、ストーマを変えてから、夕食が食べたいと言って入浴に。
(※ヒロクニさんは、人工尿路を付けているので、ストーマというものを付けているのです)

私は、ストーマの準備を整え、その間、台所で解いた着物から座布団カバーを作っていた。
チクチクと針で運針をしていたのです。

なんか寒いのに風呂の扉を開けっ放しにして、身体を洗っているので、
「寒くないのかなぁ~」。と横目で見ていた。

私は、運針を続けながら待っていたので、なんかすごく上ってくるのが遅いので、
風呂場を覗くと・・・・。

湯船の中で、溺れそうになっているのだ。
身体が痙攣を起こしているようで、手や足がこわばり、顔が半分湯に浸かっている。
すわ!と思い、靴下を脱ぎ、ヒロクニさんの身体を後ろにひっくり返し、
「ヒロクニさん、大丈夫か?」と大声で言った。
意識を戻させねばと思い、顔を叩いてみるが返事もしない。
痙攣は、以前身体をマッサージすると、戻ることがあったので、
マッサージすることに。

手は、右手は常に動かしていてる。絵を描いているように延々と・・・。
マサージをしながら、これって意識不明状態??と思うようになり、
救急車を呼んだ。

救急車が来てからは、即効にストーマの装具と着替え、保険証、財布などを準備して、
一緒に病院へ。

病院へ処置して貰っている間に、意識は回復して、ホッとしたと言うことです。


しかし、意識が復活したとたん、病院からは安静にということで一日入院を勧められたのですが、
「俺、こんなところで寝るのは嫌だ」。といつものヒロクニさんに・・・・。
看護婦さんは、「大部屋が開いているから、奥さんに泊まってもらって、安静にした方がいいですよ」。と。
「だって、ここには道具(絵を描く道具)もないし、自分の部屋でないと安心できない」と言い張る。

今回は、入院費も気にかかるが、ジルくん(猫)が寒いの帰って来ていないし、家を開けるとジルのご飯も
気になるしと言うことがあり、ジルが病気を持っていなければそう思わなかったと思うが、
今回は、私の方から、「無理させないよう見張っておくので、この人の言うとおりお願いします」。と
頼んだのでした。

点滴している間、ヒロクニさんは芸術家としての心構えや、どこにも属さないで、群れないで
芸術をしてきた俺の人生の話を私に語る。
確かに、ある意味孤高を貫いている。多くの友人はそこから派生している。
松尾芭蕉を読み終えた私は、何故かヒロクニさんのいう反俗の意味が分かりかけているのです。

上の絵は、ただの落書きのように思う人も多いと重いますが、
このデッサンは、実は命がけの作品なのです。
メモの集大成がこの絵なんです。ここまで持っていくのに躍起になっていたらしく、
本当に疲れていたみたい。

今回のことで、狭い家に住んでいるからこそ、発見できたのだなぁ~と思い、
そのことにも感謝しています。
ヒロクニさんからは、「さほりが気が付いてくれなかったら、俺は死んでたのかもしれないのだな」。
「さほり、お前は命の恩人だ」。
「助けてくれてありがとう」。と感謝されています。

意識不明の状態の時の記憶は、まったく覚えていないそうです。
「溺れかけていた時、苦しくはなかったの?」と聞くと、
「気持ち良かった」という返事が・・・・・。
(唖然・・・)


一部始終を見ていた私は、ヒロクニさんのようにケロッと出来ないわ。
脳のMRIの検査だけは、行ってもらうことにしている。





最近、おやつとしてマドレーヌをよく焼きます。
ヒロクニさんは、甘いものが好きで、お菓子を良く食べる。
疲れた時に食べるとホッとするらしいが、消費が早い。
もう作った方が、安上がりなのでバンバン焼いています。







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小さな作品 (色鉛筆作品紹介442、443)と 松尾芭蕉の句

2017-02-02 17:49:00 | Weblog


ほんわかとした作品



日輪のよう。


この作品2点は、すごく小さい作品です。
ところが、頻繁にアトリエの棚や、机の上で見かける紙切れで、
もう何か前からあるようなのだけど、また見つけてしまい
なにか気になる紙切れのようなので、紹介します。

ほんわかとしてちょっと気持ちが暖かになる絵です。
寒い日が続いたので、さすがの私も寒い!と思い、そんな時にこの絵を見て、
気持ちが緩んだのでした。

寒さが緩んだ時、庭の花の点検に外へ出て、
梅の木にヒロクニさんが、枯れ枝をばっさりとかぶせていたので、
それを取り除けると梅のつぼみを見つけました。
そんな気持ちを表したかのような絵が、一番上の絵なのです。
私的には・・・・。
そして、冬の陽だまりを感じる絵が下の絵。

相変わらず、冬が嫌いで機嫌の悪いヒロクニさん。
寒いのが嫌いで嫌いでたまらない様子。

毒をもって毒を制すではありませんが、松尾芭蕉の冬の句に
冬の寒さを詠った句がたくさん出てきます。
江戸時代の寒さは、今のように暖房器具もないことから、
寒さがひしひし伝わる句が多くあり、
「松尾芭蕉も寒がりだったみたいだよ」。とヒロクニさんに言い、
「寒さを詠った句がいりいろあるよ」。といい、
寒さを詠った句をヒロクニさんに朗読してあげた。
そうしたら、共鳴して、「誰でもそうだよなぁ~」。という気分になっている。

どんな句をヒロクニさんに紹介したかというと、

『冬の日や 馬上に凍る 影法師』
  ●解説
   冬の鈍い日差しが渥美椀(あつみわん)一帯に照りそそいでいるが、天津畷(あまつなわて)には、
   身を切るような風が吹き上げてくる。その吹き曝しの一本道を馬で行くと、この身は馬上にすくんだ
   まま、影法師のように凍てついてしまった。

   ヒロクニさんには、「芭蕉さんが冬のすごく寒い土地を馬に乗って旅をしている時、ついつい馬に
   くっついてしまって、その姿が影法師となっているのを見たと詠っているの」。と説明。
   すると、「歩いてばかりではなく、馬にも乗っていたのか?」と言われ、「そうです。そして馬に
   乗っている方が寒いのですよ」。と言う。
   (本当は、そういう自分の姿を凝視した俳句だと理解して欲しかったけれど、それ以上は言わなかった。
    なんか、説教くさくなりそうで・・・)


 『ごを焼いて 手拭あぶる 寒さ哉』(ごをたいて てぬぐいあぶる さむさかな)
  ●解説
   旅宿の寒さに苦しみながら、土地に習いの古松葉を焚いて濡れ手拭などをあぶっていると、
   冬の旅情がひとしお身に沁みる。古松葉はパッと燃えてたちまち火勢の衰えるもの。
   先を急ぐ朝の気配が感じられる。三河路の旅の旅情を詠ったもの。

   ヒロクニさんには、焚き火で濡れた手拭をあぶっている様子が寒そうでしょう。この古松葉と
   いうのは、パッと燃えるけれど、焚き火のように安定して燃えなくってね、パッと燃えて、
   すぐ消えてしまうものらしいのよ。そんな火で、濡れ手拭をあぶっている情景なの」。と言う。

   ヒロクニさんは、「寒そうだねぇ~」と言う。

 『瓶破るゝ よるの氷の 寝覚哉』(かめわるる よるのこおりの ねざめかな)
  ●解説
   夜更けにふと目覚めたまま、寒気に眠りを妨げてられていると、買置きの水を入れた草庵の
   水瓶が、氷のために割れる音が響いてきた。
   
   これは、説明するまでもなく情景が浮かんでくるので、あまり説明はしなかった。

   松尾芭蕉も質素な草庵で暮らしていた事が度々解説に出てくるので、その情景を想像しながら
   読んでいくと、もしかして?松尾芭蕉も禅宗の教えから派生した「侘び、寂び」の感覚があるのかも
   しれないと読んでいくうちに気がつきました。
  
   今日紹介したのは、ヒロクニさんの為の「寒さ」の句ばかりですが、他の句では、
   時に無常感が感じられる句もあります。
   また、荘子の哲学を実践しようとした形跡もあり、非常に哲学的な俳句で、男の精神の領域の
   ダイナミズムを感じさせてくれます。また、その名句を紹介したいと思っています。
   松尾芭蕉は、素晴らしいなぁ~と痛感しました。


   着物を着ながら古典を読む。
   実践中!

   
   抹茶色の洗える着物を着ています。
   帯は家ですので、いつも半幅帯。
   写りのいいのを選んでいますので、実物を見たらがっかりするかも・・。
   ヒロクニさんに撮ってもらいました。

   

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dancing with mr d と共に(色鉛筆作品紹介441)と私の着物の理想

2017-01-25 19:01:09 | Weblog


2日程前に、見せてもらった作品です。
武内曰く「 dancing with mr d というやつだ」。
    「ローリング・ストーンズにあるだろ」。
確かにストーンズの曲の題である。
ストーンズのファンのくせに、題名とかは覚えられない私であった。

絵をみると、ダンスをしている2人がいる。
どうも、その音楽と共にこの絵があるようです。
動き回る線が、なんとも心地よく、いい感じである。
単純な私は、こういう風にしか解釈出来なくてすいません。(汗)

まあ、兎に角、こういうスタイルの絵を見たのは、初めてで新しいと感じました。
その絵のことで、夜話していたのですが、「シリーズのように連作は出来ないの?」と聞いてみた。
そうしたら、「今のところは、なんとも言えない」。「数を描けというのだろう?」と言う。
「そう」と言うと、「2点より、そりゃ60点あるほうが強いだろうね。」と。

急に夜中に起きて描きあげた作品なのである。
その翌朝は、10時に「寝なおす。」と言って、仮眠をとる。

そして、起きてから話すには「この絵を描いている間は、妙に楽しくて」といい、
「そんな風に描いた絵は、珍しいんだよ」。
「なんか夜急に出来ちゃった絵で、こんな絵になるとは全く思っていなかった」とも。

私も、それは同じ気持ちである。
このスタイルの絵をまだまだ見てみたいと思うのですが、
どうなるのか?
これからまだ見ぬ絵画に挑戦して欲しいなぁ~と思う。


話は、変わります。
最近、家ではほとんど着物で過ごしている私。
冬は、下着を冬用のものに変えたら、すごく暖かく、「冬は着物よね」。と思う。
家にある着物で一番暖かいのは、結城紬の着物。
紺色の濃い色の着物で、毎日といっていいほど、着ています。
どんな風に着物と付き合っていこうか?
私がいいなぁ~と思った写真が1枚あります。

こちら↓

この方は、明治生まれの画家「熊谷守一」の奥様の写真。
「独楽」という本の中の1枚です。藤森武氏が写真を撮られています。
たぶん、熊谷守一氏の貧乏は、有名なので、たぶん高価な着物ではないが、
実に美しい着物姿の写真だなぁ~と感じています。
奥様は、洋服のようなものを着て、写っている写真もありますが、
やはり美しいのは着物姿です。
着物は、なんと人を美しく見せるものかと感心したのです。

めざせ!着物美人ということで、まず着慣れることから入っていってます。
たまたま、実家で着物一式見つかったのが、始まりですが、
私なりの美意識まで発展させれたら、とても面白いなぁ~と、妄想中であります。

ヒロクニさんは、「かーちゃんが、いるみたい」。ばかり言います。
なんかデリカシーに欠ける言葉で、憤慨してるのですが、
「冬暖かければいい」とも言い、人が来たら「こいつ、着物で自転車乗ってんだよ」とか、
余計な事ばかり言ってくれています。

いつか着物美人になるぞ!!と今に見ておれ。と張り切るのでした。










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ヒロクニさんとアドルフ・ヴェルフリ展を観にいく

2017-01-15 17:41:01 | Weblog


1月11日 兵庫近代美術館へ『アドルフ・ヴェルフリ、二萬五千頁の王国』展へ行って来ました。
アドルフ・ヴェルフリは、ヒロクニさんと結婚した頃から、お互い知っていました。
時々、美術雑誌で取り上げられていて、ヒロクニさんと「面白い絵画だね」。と、
お互い思っていて、その展覧会がはじめて実現したのです。

本当に、変わった絵なので、文章では伝えられないので何点か紹介します。









この絵は、出口の近くにありました。

アドルフ・ヴェルフリは、アウトサイダー・アートとか、アール・ヴリュットの画家と紹介される。
一般の美術教育もなにも受けていない人で、精神病を患った人が描いた絵ことを指す絵です。
急に、ある日を境に描きだす人が多い。

アドルフ・ヴェルフリもスイスの精神病院に入ってから、絵を描きだしました。
その作品を観てきたのです。

鉛筆と色鉛筆で描かれた絵であり、ヒロクニさんも鉛筆と色鉛筆で描く。
その共通項もあり、観に行きました。
それに、アドルフ・ヴェルフリを知ってから、30年ぐらいの月日も経ち、初めての展覧会です。
実物を見れることに凄くワクワクして行きました。

実物を見ると、ほぼ直線に見える線が多く引かれているので、定規でも使っていたのだろうか?
きっと使っているのだろうと絵を見て思った事。
円径が非常に綺麗な事。コンパスでも使っているのだろうか?と思った事。
そんな時ふと、兵庫近代美術館の館長の方が解説している言葉が耳に入ってきた。
「彼は、定規などのものはいっさい与えられていないので、・・・」という言葉が・・・。
思わず近くへ行って「本当に、定規とかコンパスは使用していないのですか?」と
聞いてしまいました。返答は、「そうなんです。一種の才能があったわけです」と教えて下さいました。

それからは、直線と円径を食い入るように見た。

左右対称に繰り広げられる円と曲線は美しい。

画集などでは分からないが、繰り返し出てくる同じ顔の人物の顔も良く見ると、
一つ一つ表情があり、意外と可愛らしい。それは画集では小さくなってしまうので分からなかった。

ヒロクニさんは、音符のある直線の間に描かれているあの形(なめくじかと私は思っていた)は、
「小鳥なんだ」と何度も言いに来た。②の絵にその小鳥が描かれています。

①と②の絵は、スイスの新聞紙(印刷されていない)描かれています。
③は画用紙に描かれています。
③の絵は、絵を売って換金できることに気がついたヴェルフリが、換金する為に描いた絵だそうです。
そして、そのお金で、色鉛筆を買って貰って色数を増やしたそうです。
初期の頃は、鉛筆で描かれた部分が多いのは、単に色鉛筆があまりなかったようです。

いつも気になるのは、アール・ヴリュットと言われる画家の生い立ちだ。
とても、不幸であることが多い。
ヴェルフリも例外ではない。
1864年、貧しい両親のもとで生まれ、その父は品行不良で妻や子供のめんどうをみず、やがて犯罪者に
なり、犯罪者の子供といわれる。病弱ながら優しかった母は、子供の面倒をみることが出来ず、
養育は、地方行政区の福祉援助に委ねられる。行政区長はその兄弟を罵り、屈辱をあたえる。
そして兄弟5人はバラバラに。
8歳だったヴェルフリは、里子奉公協会に引き取られ、母からひきはなされる。
貧しい大工の所で一年間働くことになったが、その家も安住の場ではなく、いつもひもじかった。
その上、酒飲みだった家主にブランデーを買いにしばしば行かされるが、ある日転んで瓶を
割ってしまい事情を説明すると、カンバの木の鞭で、裸の背中から尻までを鞭打ちされる。
度々の折檻。
1年が終わり、新しい家に移り、以前の里親と比べるとましであったが、やはり召使のように扱い、
また、鞭打ちが待っていたのであった。
これ以降も不遇が続くのである。
また、ヴェルフリも猜疑心や怒りの感情を内包してく。

これは、ヴェルフリが記した自伝の幼少の箇所ですが、ヴェルフリが9歳の時、すなわち1872年のスイスでは、
鞭打ちをこのようにしていたことに驚く。
それとも、ただ運が悪かっただけなのであろうか?

精神病院に入ってから、外の世界に出たがらなかったヴェルフリ。
そして、絵に打ち込み出したヴェルフリ。
絵を描くことで、少しは幸せになれたであろうか?と考えるのでした。

ヒロクニさんは、実物を鑑賞してから、あまりヴェルフリについて語らなくなった。
なんでだろう?と、
そちらの方が、疑問なのであった。
書いたようなことを、ヒロクニさんに話すが、ヒロクニさんは聞いているだけで、
私が一方的に家でも話しています。


今日は、寒い一日ですね。
我家の猫ちゃん、ジルくんは雪が積もった朝から、外で遊んでいます。
なんか、変な猫なのだ。
私は、着物に羽織、そしてショールもまいて、過ごしています。
江戸時代は、庶民は寒さをしのぐにの、着物を何枚も重ねて過ごしていたようですね。
重ねて布団みたいになっているのです。
浮世絵にその姿が描かれているのを見たことがあり、なんとなくしたくなるよね、と
含み笑いを今日しています。








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