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自然災害 仕組みとアプローチ -  大坂の陣 豊臣氏の危機で復権を目論んでいたとも考えられる織田家

2016-11-02 20:37:18 | 地震 津波
 そもそも豊臣政権とは何ぞや? と言えば、それは織田信長を討った明智光秀と言う当時逆賊に対して信長のあだ討ちをしたからその存在を認められたのであって、それが無ければ「一体何なの?」となるわけです。
 それで淀君の存在が有るわけですが、淀君とて所詮は信長の孫に過ぎません。
 それなら織田長益や織田信包の方が信長との血縁は濃い、となるわけです。
 ならば織田長益や織田信包を戦死させる事は逆賊と見られる可能性も当時は未だ多少は有ったはずで、家康はその所が有って織田長益や織田信包がいた大坂城に攻撃しにくかったのだと筆者は考えています。
 つまり織田家の遺族二人は豊臣氏の「命綱」だったと見ています。
 そうした点から、筆者が考えるのは、織田長益や織田信包は豊臣秀頼に右大臣の地位を織田家の二人にいずれかに譲らせ、豊臣氏を従臣にする事で秀頼の生存保障と織田家の復権を目論んでいたのではないでしょうか。
 何しろ大坂城内に右大臣の織田家いれば、家康はこれに過激な攻撃をして戦死させてしまっては逆賊の汚名を貼られかねないのです。
 少なくともそうしようとする可能性のある不満分子は国内にはまだ大勢いたはずだと思われます。
 ですがこれに変化が現れたのがまず織田信包の城内での死去です。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%8C%85
織田信包
徳川家康の時代
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に属して丹後田辺城攻撃などに参戦したものの、戦後に徳川家康は信包の罪を問わず、所領を安堵された。その後、信包は大坂城にあって姪孫である豊臣秀頼を補佐したが、慶長19年(1614年)7月17日、大坂冬の陣直前に大坂城内で吐血して急死した。享年72。片桐且元による毒殺の噂が流れたが、定かではない。

引用終了

 そして大坂冬の陣に突入するのですが、この時にまだ織田長益は大坂城内にいます。
 ですがその後夏の陣になる前に退城してしまいます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E9%95%B7%E7%9B%8A
織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。長益系織田家嫡流初代。
織田信秀の十一男で、有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、有楽斎と称される。

(中略)

大坂冬の陣の際にも大坂城にあり、大野治長らとともに穏健派として豊臣家を支える中心的な役割を担った。一方、嫡男の頼長は強硬派であり、和平派としばしば対立している。冬の陣後、治長と共に和睦を締結させ、家康に人質を出すが、大坂夏の陣を前にして再戦の機運が高まる中、家康・秀忠に対し「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」と許可を得て豊臣家から離れた。

引用終了

 これで豊臣側は織田家と言う「命綱」を失ったわけで、徳川方にとっては荒っぽい攻撃もその後には可能となったのではないでしょうか。
 これは次のようにも解釈できます。
 織田家の二人は復権を狙って豊臣方の動きを見ていた。そして交渉を少しでも有利に出来るように徳川方とも連絡をとっていた。しかし織田信包は何故か死去し、残る織田長益も結局は豊臣方が織田家に地位を譲る気が無いのがわかって大坂城を出てしまう。そしてこうした経緯には豊臣方が織田家の二人を厄介に思ってしまったか、或いは徳川方の誘いも有ったのか、と考えられるのです。 
 真相は今となってはわかりません。
 豊臣方の「命綱」が無くなった時点で、もう既に家康の思う壺となるのは目に見えています。
 そして当時、大坂城近辺での大地震は発生しなかったのですが、天正地震や慶長伏見地震以降は特に、野戦や城攻めをする方は、当時の「仮設住宅」「テント村」と言う「大地震に強い住居」に兵士がいたわけで、大地震の発生時には篭城する豊臣方よりも更に有利となったのではなかろうかと見ています。

一部訂正 2016.11.2
秀頼は1607年に右大臣を既に辞しているようです。
従って「織田長益や織田信包は豊臣秀頼に右大臣の地位を織田家の二人にいずれかに譲らせ、豊臣氏を従臣にする事で秀頼の生存保障と織田家の復権を目論んでいたのではないでしょうか。」 
の部分は、
「織田長益の家臣となり大名の座を一度織田家に戻す」
に訂正です。
 調査不足でした。お詫びします。

更に一部訂正 2016.11.2
 淀君は信長の孫ではなく信長の姪でしたのでこれに訂正です。
 慣れない歴史物で調査不足でした。重ねてお詫びします。
ジャンル:
災害
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