竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集巻十一を鑑賞する  集歌2790から集歌2819まで

2011年08月29日 | 万葉集巻十一を鑑賞する
万葉集巻十一を鑑賞する


集歌2790 玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒将有
訓読 玉の緒のくくり撚(よ)りつつ末(すへ)終(つひ)に行きは別れず同じ緒にあらむ

私訳 玉の緒の両端を括りよじるように、しまいには、別れ別れにならずに同じ緒のようにつながる仲になりましょう。


集歌2791 片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知
訓読 片糸(かたいと)もち貫(ぬ)きたる玉の緒を弱(よわ)み乱(みだ)れやしなむ人の知るべく

私訳 一本撚りの糸で貫き通した玉の緒が弱いので糸が切れ玉が乱れるように、私の心緒が弱く貴方への想いで心が乱れてしまうでしょう。人が気付くほどに。


集歌2792 玉緒之 嶋意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有
訓読 玉の緒の島(しま)の心や年月の行き易(かは)るまで妹に逢はずあらむ

私訳 玉を貫く二本の紐の緒が形造る「輪」の気分でしょうか。最初は別れていても後で遇うような、年月の時が過ぎ行き替わるほど愛しい貴女に逢わないままでは居られない。

注意 原文の「嶋意哉」の「嶋」では歌意が通じないとして、江戸時代から「寫」の誤字説が唱えられています。ここでは「嶋」の「周辺が水で囲まれた陸地・周囲が区切られた地域」の語意から、二本の紐の緒で作る円形を「嶋」と解釈しています。


集歌2793 玉緒之 間毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而
訓読 玉と緒の間(あひだ)も置かず見まく欲(ほ)り吾が思ふ妹は家(いへ)遠(とほ)くありて

私訳 玉とそれを貫く緒との隙間がないほどに、間を置かず、常に逢いたいと思う。私が恋い慕う愛しい貴女の家は遠くにあるので。


集歌2794 隠津之 澤立見尓有 石根従毛 達而念 君尓相巻者
訓読 隠(こもり)津(つ)の沢たつみなる石根(いはね)ゆも通してぞ思ふ君に逢はまくは

私訳 人目に付かない谷間の沢の泉にある巨石でも、通すほどに恋い焦がれる。貴女に逢いたいことを。


集歌2795 木國之 飽等濱之 礒貝之 我者不忘 羊者雖歴
訓読 紀(き)の国の飽等(あくら)の浜の磯の貝我れは忘れじ遥か経ぬとも

私訳 紀の国にある飽等の浜の磯の貝。その「忘れ貝」ではないが、私は貴女を忘れることはありません。遥かに時が経っても。

注意 原文の「羊者雖歴」の「羊」では歌意が通じないとして、一般には「年」の誤字説が採用されています。ここでは漢語において「羊」は「遥」であるとの説文から私訳を行っています。


集歌2796 水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 羊者經管
訓読 水(みな)潜(くく)る玉にまじれる磯貝(いそかひ)の片恋ひのみに遥か経につつ

私訳 水に潜る玉にまじる磯貝の、その「忘れ貝」の「片貝」ではないが、片思いのままで遥かに時が経っていく。


集歌2797 住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方
訓読 住吉(すみのへ)の浜に寄るといふうつせ貝(かひ)実(み)なき言(こと)もち余(あ)れ恋ひめやも

私訳 住吉の浜辺に打ち寄せると云う、その「忘れ貝」の「片貝」である「空(うつ)せ貝」のような、実の無い言葉で私が恋を誓うでしょうか。


集歌2798 伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天
訓読 伊勢の白水郎(あま)の朝(あさ)な夕(ゆふ)なに潜(かづ)くといふ鰒(あはび)の貝の片思(かたもひ)にして

私訳 伊勢の漁師が朝に夕べに潜ると云う鮑の貝のような、片思いの恋をしている。


集歌2799 人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相誥而遣都
訓読 人(ひと)事(こと)を繁みと君を鶉(うづら)鳴く人の古家(ふるへ)に相告ぎて遣(や)りつ

私訳 世の出来事が多いと忙しくする貴方を、「鶉鳴く」故事のようにすっかり世から忘れられてしまった人の古家に、事前に話をして貴方を遣りました。


集歌2800 旭時等 鶏鳴成 縦恵也思 獨宿夜者 開者雖明
訓読 暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなりよしゑやしひとり寝(ぬ)る夜は明(あ)けば明けぬとも

私訳 もう、暁だと鶏は鳴き出した。えい、構わない。独り寝の夜は明けるなら明けたとしても。


集歌2801 大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見巻欲乎 不所見公可聞
訓読 大海(おほうみ)の荒礒(ありそ)の渚鳥(すとり)朝(あさ)な朝(さ)な見まく欲(ほ)しきを見えぬ君かも

私訳 大海の荒磯に居る渚鳥を、毎朝毎朝、眺めたいと思うが、時化ると見ることが出来ない。そのように、毎日毎日、逢いたいと願うが逢えない貴方です。


集歌2802 念友 念毛金津 足桧之 山鳥尾之 永此夜乎
訓読 思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を

私訳 恋い焦がれても、貴女への想いは尽きない。葦や桧の生える山の山鳥の尾のような長いこの夜を。

或本謌云 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿
或る本の謌に云はく、
訓読 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む
私訳 葦や桧の生える山の山鳥のしだれ尾のような、長い長い夜を、ただ独りで寝るのでしょう。


集歌2803 里中尓 鳴奈流鶏之 喚立而 甚者不鳴 隠妻羽毛
訓読 里中(さとなか)に鳴くなる鶏(かけ)の呼び立てていたくは泣かぬ隠(こもり)妻(つま)はも

私訳 人里で鳴いている鶏のように声を張り上げて大層には泣かない。私は、人には秘めた貴方の妻だから。

一云 里動 鳴成鶏
一は云はく、
訓読 里(さと)響(と)め鳴くなる鶏(かけ)の
私訳 里、一体を響かせて鳴いている鶏のように


集歌2804 高山尓 高部左渡 高々尓 余待公乎 待将出可聞
訓読 高山(かくやま)にたかべさ渡り高々に余(あ)が待つ公を待ち出(い)でむかも

私訳 天の香具山にたかべが渡って来て高々と飛ぶように、彼方を見つめるために背を伸ばし高々と私が待っている貴方を、待ち受けることが出来るでしょうか。


集歌2805 伊勢能海従 鳴来鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾将戀八方
訓読 伊勢の海ゆ鳴き来(く)る鶴(たづ)の音(おと)どろも君が聞こさば吾(わ)れ恋ひめやも

私訳 伊勢の海から鳴き飛び来る鶴のはっきりした鳴き声のようでなくても、貴方が気付いていただければ、私はこのように忍ぶ恋をするでしょうか。


集歌2806 吾妹兒尓 戀尓可有牟 奥尓住 鴨之浮宿之 安雲無
訓読 吾妹子に恋ふれにかあらむ沖に住む鴨の浮寝(うきね)の安けくもなし

私訳 私の愛しい貴女に恋い焦がれているかでしょうか。沖に棲む鴨が海に浮き寝をするように、心が揺れ動き、気が休まる時もありません。


集歌2807 可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未厭君
訓読 明けぬべく千鳥(ちどり)數(しば)鳴く白栲(しらたへ)の君が手枕(たまくら)いまだ飽かなくに

私訳 もう夜が明けると、千鳥がしきりに鳴く。白い栲の夜着を着る貴方が私の体を抱くことに、私はまだ満足してもいないのに。


問答
標訓 問答(もんどう)

集歌2808 眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎
訓読 眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け待てりやも何時かも見むと恋ひ来しわれを

私訳 眉を掻き、小鼻を鳴らし、下着の紐を解いて、貴方を待っていましょう。何時、いらっしゃるのかと、思っています。私は。

右、上見柿本朝臣人麿之歌中也。但以問答故、累載於茲也。
注訓 右は、上に柿本朝臣人麿の歌の中に見ゆ。ただ問答なるを以ちての故に、累ねて茲に載せたり。


参考歌
集歌2408 眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾君
訓読 眉根(まよね)掻き鼻(はな)ひ紐(ひも)解(と)け待つらむか何時(いつ)かも見むと想ふ吾が君
私訳 眉を掻き、小鼻を鳴らし、下着の紐を解いて、貴方を待っていましょう。何時、いらっしゃるのかと想っています。私の貴方。


集歌2809 今日有者 鼻之〃〃火 眉可由見 思之言者 君西在来
訓読 今日(けふ)なれば鼻し鼻しひ眉(まよ)痒(かゆ)み思ひしことは君にしありけり

私訳 それは、今日だからなのでしょう、鼻をひくひくさせ、そして眉を痒いと思ったことは。つまり、貴方がいらっしゃることだったのです。

右二首
注訓 右は二首


集歌2810 音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 目直相而 戀巻裳太口
訓読 音(おと)のみを聞きてや恋ひむ真澄鏡(まそかがみ)目は直(ただ)逢(あ)ひて恋ひまくもいたく

私訳 噂だけを聞くだけで恋い慕っていましょう。願うと見たいものを見せてくれる真澄鏡の中に姿を見て、面影だけ恋していても辛い。


集歌2811 此言乎 聞跡乎 真十鏡 照月夜裳 闇耳見
訓読 この言(こと)を聞かむとや真澄鏡(まそかがみ)照れる月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見つ

私訳 私のこの願いを聞かなかったのか。願うと見たいものを見せてくれる真澄鏡よ。照り輝く月夜の明かりにも鏡の中は闇のまま。

右二首
注訓 右は二首


集歌2812 吾妹兒尓 戀而為便無 白細布之 袖反之者 夢所見也
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢(いめ)に見えきや

私訳 愛しい貴女に恋しても逢えず、どうしようもないので、白い栲の夜着の袖を折り返して寝たのを、貴女は夢に見えましたか。


集歌2813 吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有
訓読 吾(あ)が背子(せこ)が袖返す夜の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし

私訳 私の愛しい貴方が白い栲の夜着の袖を折り返した夜の夢なのでしょう。まるで、夢の貴方は、実際にお逢いしたようでした。

右二首
注訓 右は二首


集歌2814 吾戀者 名草目金津 真氣長 夢不所見而 羊之經去礼者
訓読 吾(わ)が恋は慰めかねつま日(け)長く夢(いめ)に見えずて遥けし経(へ)ぬれば

私訳 私の恋心は慰めることができません。本当に日々長く貴女が夢に見えなくて、遥かに時が経ってしまうと。


集歌2815 真氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有
訓読 ま日(け)長く夢(いめ)にも見えず絶えぬとも吾(あ)が片恋は止(や)む時もあらじ

私訳 本当に日々長く夢にも見えず、例え、二人の仲が絶えたとしても、私の片思いは止むことがありません。

右二首
注訓 右は二首


集歌2816 浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 吾念莫國
訓読 うらぶれて物な思ひそ天雲のたゆたふ心吾(あ)が思はなくに

私訳 心しなだれて物思いをしないでください。大空の雲のような、うわつき漂う気持ちを私は貴方には思ってもいません。


集歌2817 浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎
訓読 うらぶれて物は思はじ水無瀬(みなせ)川(かは)ありても水は逝(ゆ)くといふものを

私訳 心しなだれて物思いをしません。水が無いと云う水無瀬川があっても、その川の水は流れて行くと云うではないでしょうか。

右二首
注訓 右は二首


集歌2818 垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 羊曽經去来
訓読 杜若(かきつはた)佐紀(さき)沼(ぬ)の菅を笠に縫ひ着む日を待つに遥かぞ経(へ)にける

私訳 杜若が咲く、その言葉の響きではないが、佐紀沼の菅を笠に編み縫って身に着ける日を待っていて、ずいぶん時が経ってしまった。


集歌2819 臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國
訓読 おし照る難波(なには)菅(すげ)笠(かさ)置き古(ふる)し後(のち)は誰が着(き)む笠ならなくに

私訳 太陽と大地が光り輝く難波の菅の笠よ。その菅笠を身に着けることなく、そのままにして古びさせた後は、誰が身に着けるでしょうか。もう、菅笠ではないでしょうから。

右二首
注訓 右は二首




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万葉集巻十一を鑑賞する  集歌2760から集歌2789まで

2011年08月27日 | 万葉集巻十一を鑑賞する
万葉集巻十一を鑑賞する


集歌2760 足桧之 山澤徊具乎 採将去 日谷毛相将 母者責十方
訓読 あしひきの山(やま)沢(さわ)ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はせ母は責(せ)むとも

私訳 葦や桧の生える山の沢に生えるえぐを摘みに行く日だけでも逢って下さい。母が二人の仲を責めたとしても。


集歌2761 奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者
訓読 奥山の石(いは)本(もと)菅(すげ)の根深くも思ほゆるかも吾(あ)が念妻(おもひつま)は

私訳 奥山の岩陰に生える菅の根が深いように、心深く恋募るでしょう。私の心の妻よ。


集歌2762 蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名
訓読 葦垣(あしかき)の中の似兒草(にこくさ)にこやかに我(われ)と笑(ゑ)まして人に知らゆな

私訳 葦垣の中に生えるにこ草。その言葉のひびきではないが、にこやかに私だけに微笑んで、人に気付かれないでください。

注意 原文の「似兒草」は「にこくさ」と訓みますが、現在もそのものが何を示すかは未確定です。一説には「ハコネソウ=箱根羊歯」とされています。また、葉の柔らかい下草の総称とも説かれています。


集歌2763 紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
訓読 紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も吾(わ)を忘らすな

私訳 黄葉の紅がまだ浅い、その言葉ではないが、浅葉の野辺で刈る草の束、その束の間も私のことを忘れないでください。


集歌2764 為妹 壽遺在 苅薦之 思乱而 應死物乎
訓読 妹がため命(いのち)遺(のこ)せり刈(かり)薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを

私訳 愛しい貴女のためにこの世に命を残しています。刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。


集歌2765 吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋つつあらずは刈(かり)薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを

私訳 私の愛しい貴女をこのように抱き伏せ「愛の営み」が続けられないのなら、刈り取った後の薦のように想いを乱して恋煩いで死ぬべきものですが。


集歌2766 三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来
訓読 三島江(みしまえ)の入江の薦(こも)を刈りにこそ吾(われ)をば公(きみ)は念(おも)ひたりけれ

私訳 三島江にある入り江の薦を刈る、その言葉のひびきではないが、かりそめだからこそ、私に貴方は想いを寄せたのですね。


集歌2767 足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 八目難為名
訓読 あしひきの山橘の色に出(い)でて吾(われ)は恋なむを止(や)め難(かて)にすな

私訳 足を引きずるような険しい山の山橘のように、はっきりと色に出して、私はお前を抱こうとしているが、お前はそれを躊躇している。


集歌2768 葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨
訓読 葦(あし)鶴(たづ)の騒く入江の白菅(しらすげ)の知らせむためと乞痛(こふた)かるかも

私訳 蘆辺の鶴が鳴き騒ぐ入り江の白菅、その言葉のひびきではないが、貴女に知らせる(=気づかせる)ためだと人は騒ぎ立てる。


集歌2769 吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如
訓読 吾が背子に吾(あ)が恋ふらくは夏草の刈り除(そ)くれども生(お)ひ及(し)く如(ご)くし

私訳 私の貴方に私が恋い焦がれるのは、まるで、夏草を刈り取り除いてもまた生え茂るようなものです。


集歌2770 道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待
訓読 道の辺(へ)のいつ柴原(しばはら)のいつもいつも人の許さむ言(こと)をし待たむ

私訳 道のほとりの厳柴の原、その言葉のひびきではないが、いつかは、いつかはと、その娘が私の想いを許す。その言葉を口に出し神に誓う時を待ちましょう。


集歌2771 吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有
訓読 吾妹子(わぎもこ)が袖を頼みて真野(まの)の浦の小菅(こすげ)の笠を着ずて来(き)にけり

私訳 (濡れた体を包んで貰えるとばかりに、)愛しい恋人の袖を頼りとして、真野の浦で採れる小菅で編んだ笠を着けないままでやって来ました。貴方は。


集歌2772 真野池之 小菅乎笠尓 不縫為 人之遠名乎 可立物可
訓読 真野(まの)の池の小菅(こすげ)を笠に縫はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか

私訳 真野にある池の小菅を笠に縫うこともせず(=真野の娘を抱き、女へと変えることもしないのに、)そんな男の浮名をはやし立てることがあるでしょうか。


集歌2773 刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方
訓読 さす竹の葉(は)隠(かく)りてあれ吾(あ)が背子が吾(あ)がりし来(こ)ずは吾(あ)れ恋めやも

私訳 伸びて天を刺す竹の子の葉が巻き隠れているように、貴方は姿を見せずいる。私の愛しい貴方が私の許を訪ねて来なければ、私はこのように恋悩むことはありません。


集歌2774 神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口
訓読 神南備(かむなび)の浅(あさ)小竹原(しのはら)のうるはしみ妾(わ)が思ふ公(きみ)が声のしるけく

私訳 神が宿る浅小竹の生える野のように、好ましい、その私が慕う貴方の声がはっきりと聞こえて来る。


集歌2775 山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得
訓読 山高み谷(たに)辺(へ)に延(は)へる玉(たま)葛(かづら)絶ゆる時なく見むよしもがも

私訳 山が高い。その谷のあたりに蔓を伸ばす美しい藤蘰の蔓が切れることがないように、絶えず会う機会があって欲しい。


集歌2776 道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞
訓読 道の辺(へ)の草を冬野(ふゆの)に履(ふ)み枯らし吾(あ)れ立ち待つと妹に告(つ)げこそ

私訳 道端の草を冬の野の草のように踏み枯らし、私がその野辺で立って待っていると、愛しいその娘に告げて欲しい。


集歌2777 疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾
訓読 畳(たたみ)薦(こも)へだて編む数(かづ)通(かよ)はさば道の芝草(しばくさ)生(お)ひざらましを

私訳 畳に編む薦を機に隔てて編む、その網目の数ほどに通って来たら、道の芝草が生えることはないでしょうのに。


集歌2778 水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通
訓読 水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻の生(お)ひ出(い)でずよしこのころはかくて通(かよ)はむ

私訳 水底に生える美しい藻が水面に生え出ないように、恋仲は表に出さない。構わない、しばらくはこのように貴女の許に通いましょう。


集歌2779 海原之 奥津縄乗 打靡 心裳四怒尓 所念鴨
訓読 海原(うなはら)の沖つ縄(なは)海苔(のり)うち靡き心もしのに思ほゆるかも

私訳 海原の沖の縄海苔が波に靡くように、貴方に靡いた私のこの心も、貴方の仕打ちに打ちひしがれ拗ねています。


集歌2780 紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎
訓読 紫(むらさき)の名高(なだか)の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを

私訳 高貴な色として名高い紫の、その名高の入り江で波に靡く藻のように、私の寄せる心は愛しい貴女に靡き寄ってしまいました。

注意 原文の「名高」は、有名と云う意味合いよりも、「名(=身分)が高い」が本来の意味です。


集歌2781 海底 奥乎深目手 生藻之 最今社 戀者為便無寸
訓読 海(わた)の底(そこ)沖を深めて生(お)ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき

私訳 海の底の沖合深く生える藻のように、この言葉の響きではないが、もっとも今こそ、恋の行方はどうしようもない。


集歌2782 左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎
訓読 さ寝(に)蟹(かに)は誰れとも寝(ね)めど沖つ藻の靡きし君の言(こと)待つ吾(われ)を

私訳 磯の蟹は皆が寄り添い誰とも共に夜を過ごすが、沖に生える藻のように心が靡いた貴方の愛の誓いを待つ私を(知っていますか、貴方)。


集歌2783 吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲
訓読 吾妹子(わぎもこ)の何とも吾(あ)れを思はねば含(ふふ)める花の穂に咲きぬべし

私訳 私の愛しい貴女が、私のことを何とも思ってくれないのなら、つぼみの花がいきなり咲き出すように、ひそめた貴女を恋い焦がれる思いが私の顔に出てしまうでしょう。


集歌2784 隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八目
訓読 隠(こも)りには恋ひて死ぬとも御苑(みその)生(ふ)の鶏冠(かへる)草の花の色に出(い)でめやも

私訳 恋の想いを隠すことで恋い焦がれて死んでしまっても、庭園の朱に色づく草紅葉のように、私が貴方を恋い焦がれる想いを顔色に出すでしょうか。

注意 原文の「鶏冠草花乃」は、一般に「韓藍(ケイトウ)」のことになっています。なお「鶏冠木」と記すと「かへるで」と戯訓し、楓(カエデ)を示します。ここでは草紅葉を想像しました。


集歌2785 開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨
訓読 咲く花は過(す)ぐる時あれど我が恋ふる心のうちは止(や)む時もなし

私訳 咲く花には散り過ぎる時はありますが、私が恋い焦がれる心の内は止む時はありません。


集歌2786 山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
訓読 山吹のにほへる妹が朱華色(はねづいろ)の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ

私訳 山吹のように彩る愛しい貴女が朱華色の赤い裳を着けた、その姿を夢に見ています。


集歌2787 天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津
訓読 天地の寄り合ひの極(きはみ)玉の緒の絶えじと思ふ妹のあたり見つ

私訳 天空と地平線が寄り合う極み、その遥かな、玉の緒のように縁が切れることなくと願う愛しい貴女の居るあたりを眺めました。


集歌2788 生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友
訓読 生(いき)の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも

私訳 ため息とともに恋い慕うと辛い。玉の緒が切れて乱れるように、心乱して思いが表に顕れ、人が気付くなら気付いても良い。


集歌2789 玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而
訓読 玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして

私訳 玉の緒が切れたような、切れた恋に気持ちが乱れるのならば、ただ死ぬだけです。二度と逢うことなく。

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万葉集巻十一を鑑賞する  集歌2730から集歌2759まで

2011年08月25日 | 万葉集巻十一を鑑賞する
万葉集巻十一を鑑賞する


集歌2730 木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓
訓読 紀(き)の海の名高(なだか)の浦に寄する波音(おと)高きかも逢はぬ子ゆゑに

私訳 紀の海にある名高の浦に打ち寄せる波音のように、世の雑音が激しい。逢えないあの娘のために。


集歌2731 牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之君尓 不相鴨将有
訓読 牛窓(うしまど)の波の潮騒(しほさゐ)島(しま)響(とよ)み寄そりし君に逢はずかもあらむ

私訳 牛窓の波の潮騒が島中に響くように、辺り一面に噂が立つので、私が心を寄せた貴方に逢えないままなのでしょうか。


集歌2732 奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞
訓読 沖つ波辺波(へなみ)の来(き)寄(よ)る佐太(さた)の浦のこの時(さた)過ぎて後(のち)恋ひむかも

私訳 沖からの波、岸辺からの波が、打ち寄せる佐太の浦のように、このひと時(逢瀬)が過ぎ去ると、後で恋しくなるのでしょう。


集歌2733 白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者
訓読 白浪の来(き)寄(よ)する島の荒礒(ありそ)にもあらましものを恋ひつつあらずは

私訳 白浪が叩き寄せて来る島の荒磯でもなった方が良い。このように恋い焦がれていないで。


集歌2734 塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而
訓読 潮満てば水沫(みなわ)に浮かぶ細砂(まなご)にも吾(われ)はなりてしか恋ひは死なずて

私訳 潮が満ちると水沫に浮かび漂う細かな砂(細砂=まなご=愛児)にも、私はなってしまいたい。この身を任せ、恋の想いに死ぬような苦しみをしないで。


集歌2735 住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得
訓読 住吉(すみのえ)の岸の浦廻(うらみ)にしく波のしくしく妹を見む縁(よし)もがも

私訳 住吉の海岸にある入り江に繰り返し寄せる波のように、何度も何度も愛しい貴女に逢える手立てがあると良いのだが。


集歌2736 風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香
訓読 風をいたみ甚振(いたぶ)る波の間(あひだ)無く吾(あ)が念(も)ふ妹は相念(おも)ふらむか

私訳 風の激しさにひどく立ち騒ぐ波のように絶え間なく私が恋い焦がれる愛しい貴女は、同じように私を慕ってくれるでしょうか。


集歌2737 大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久
訓読 大伴の三津の白波間(あひだ)無く我(あ)が恋ふらくを人の知らなく

私訳 大伴の御津の白波が絶え間なく打ち寄せるように、絶え間なく私が恋い焦がれているのを、あの人は気づいてくれない。


集歌2738 大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨 吾戀将止
訓読 大船のたゆたふ海にいかり下ろし如何(いか)に為(せ)ばかも吾(あ)が恋止(や)まむ

私訳 大船が揺れ漂う海に碇を降ろして船を留めるように、いかにすれば、私の恋心は鎮まるのでしょうか。


集歌2739 水沙兒居 奥麁礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波
訓読 みさご居(ゐ)る沖つ荒礒(ありそ)に寄する波行方(ゆくへ)も知らず吾(あ)が恋ふらくは

私訳 みさごが棲む沖の荒磯に打ち寄せる波の行方が判らないように、この先、どうなるのかは判らない。私が恋い焦がれるこの想いは。


集歌2740 大船之 舳毛艫毛 依浪 友吾者 君之随意依
訓読 大船の舳(へ)にも艫(とも)にも寄する波友の吾(われ)は君がまにまに

私訳 大船の舳にも艫にも打ち寄せる波のように、貴方と付き合い従う私は貴方のお気に召すまま。


集歌2741 大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨
訓読 大海(おほうみ)に立つらむ波は間(あひだ)あらむ公(きみ)に恋ふらく止(や)む時もなし

私訳 大海に立つと云う浪は、きっと、絶え間もあるでしょう。でも、私が貴方を恋い慕うことは止む間もありません。


集歌2742 牡鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨
訓読 志賀(しか)の海部(あま)の火気(ほのけ)焼き立て焼く塩(しほ)の辛(から)き恋をも吾(われ)はするかも

私訳 志賀の海人がほのおを焼き立てて煮詰める塩のように、辛い恋をも私はするのでしょう。

右一首、或云石川君子朝臣作之
注訓 右の一首は、或(ある)は云はく「石川君子朝臣の作れり」といへり。


集歌2743 中々二 君二不戀者 牧浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管
訓読 なかなかに君に恋ひずは牧浦(まきうら)の白水郎(あま)ならましを玉藻刈りつつ

私訳 なまじっかに貴方に恋い焦がれていないで、牧浦の海人であったら良かった。ただ、恋煩いなどせずに、美しい藻を刈る日々です。

或本謌曰 中々尓 君尓不戀波 留鳥浦之 海部尓有益男 珠藻苅苅
或る本の歌に曰はく、
訓読 なかなかに君に恋ひずは留鳥(なは)の浦の海部(あま)にあらましを玉藻刈る刈る
私訳 なまじっかに貴方に恋い焦がれていないで、留鳥の入り江の海人であったら良かった。ただ、恋煩いなどせずに、美しい藻を刈るだけです。


集歌2744 鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日
訓読 鱸(すずき)取る海部(あま)の燭火(ともしび)外(よそ)にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ

私訳 スズキを釣る海人の燈火のように、遠くからだけでも見ることの出来ない貴女のために、恋い焦がれる今日この頃です。


集歌2745 湊入之 葦別小船 障多見 吾念項尓 不相頃者鴨
訓読 湊入(みなとり)の葦別け小舟(をふね)障(さは)り多(おほ)み吾(あ)が念(も)ふ項(うなぢ)に逢はぬころかも

私訳 湊に入って来て葦を別けて進む小船のように差し障りが多いので、私が恋い焦がれる貴女の顔が拝めない今日この頃です。


集歌2746 庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨
訓読 庭(には)清(きよ)み沖へ榜(こ)ぎ出る海人(あま)舟(ふね)の梶(かぢ)取る間(ま)なき恋もするかも

私訳 海面が穏やかな、その沖に榜ぎ出る海人の舟の梶を操るいとまがないように、気の休まらない恋をしている。


集歌2747 味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方
訓読 あぢかまの塩津(しほつ)を指(さ)して水手(かこ)船の名は告(の)りてしを逢はざらめやも

私訳 味鎌にある塩津を目指して進む船員が操る官船のように、はっきりと名前を教えてくれたのに、どうして、貴女に逢わずに居られるでしょうか。


集歌2748 大舟尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨
訓読 大舟(おほふね)に葦荷(あしに)刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも

私訳 大きな舟に葦の荷を刈り取って積みいっぱいのように、胸いっぱいに愛しい貴女への想いは心の内に乗り移ったようです。


集歌2749 驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨
訓読 駅(はゆま)路(ち)に引舟(ひきふね)渡し直(ただ)乗りに妹は心に乗りにけるかも

私訳 官道である駅路に引舟を渡してまっすぐに川を渡るように、ただ、一心に愛しい貴女への想いは心の内に乗り移ったようです。


集歌2750 吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右
訓読 吾妹子(わぎもこ)に逢はず久(ひさ)しもうましもの阿倍(あへ)橘(たちばな)の苔(こけ)生(む)すまでに

私訳 私の愛しい貴女に逢わない時が長くなった。おめでたい安倍の橘の木に苔が生すほどに。


集歌2751 味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待兒等波 但一耳
訓読 あぢの住む渚沙(すさ)の入江の荒礒(ありそ)松(まつ)我(あ)を待つ子らはただ独りのみ

私訳 あじ鴨が棲む渚沙にある入り江に生える荒磯の松。その言葉のように私の訪れを待つ娘は、ただ貴女一人だけです。


集歌2752 吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者
訓読 吾妹子(わぎもこ)を聞き都賀(つが)野辺(のへ)のしなひ合歓木(ねぶ)吾(あ)は隠(しの)びず間(ま)なくし思へば

私訳 私の愛しい貴女の噂を聞きつ(聞いた)、その都賀の野辺に枝が靡きよる合歓の言葉ではないが、私は貴女と合歓することを我慢出来ない。いつもしきりに、貴女のことを恋い慕うと。


集歌2753 浪間従 所見小嶋 濱久木 久成奴 君尓不相四手
訓読 波の間(あひだ)ゆ見ゆる小島の浜(はま)久木(ひさき)久(ひさ)しくなりぬ君に逢はずして

私訳 波間から見える小島の浜の久木。その言葉ではないが久しくなった。貴女に逢えないままで。


集歌2754 朝柏 閏八河邊之 小竹之眼笶 思而宿者 夢所見来
訓読 朝(あさ)柏(かしは)潤八(うるや)川辺(かわへ)の小竹(しの)の芽の思(しの)ひて寝(ぬ)れば夢に見えけり

私訳 朝の柏が露に潤う、その潤八川の小竹のしなった芽のように、恋い慕って寝ると、夢の中に貴方が表れました。


集歌2755 淺茅原 苅標刺而 空事文 所縁之君之 辞鴛鴦将待
訓読 浅茅(あさぢ)原(はら)苅り標(しめ)さして空事(むなこと)も寄そりし君の辞(こと)をし待たむ

私訳 浅茅原で浅茅を刈りその浅茅で標をさし立てるような、そのような些細なことだけでも縁のあった、その貴方からの愛の告白を待ちましょう。


集歌2756 月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛将相公
訓読 月草(つきくさ)の借(か)れる命にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむ公(きみ)

私訳 ツユクサのように、この世に生を借りたかりそめの命である人の身を、それをどのように知っていて、機会があれば再び逢いましょうと貴方はおっしゃるのか。


集歌2757 王之 御笠尓縫有 在間菅 有管雖看 事無吾妹
訓読 王(おほきみ)の御笠(みかさ)に縫へる有間(ありま)菅(すげ)ありつつ見れど事なき吾妹(わぎも)

私訳 王の御笠にと縫える有間の菅笠、その言葉ではないが、ずっと出会っているのに男女の仲がまだない愛しい貴女です。


集歌2758 菅根之 懃妹尓 戀西 益卜思而心 不所念鳧
訓読 菅の根のねもころ妹(いも)に恋ふるにし壮士(ます)とし心念(おも)ほえぬかも

私訳 菅の根の、その言葉のひびきではないが、ねもころ(=ねんごろ)に愛しい貴女に恋い焦がれると、勇猛な男としての気構えが湧いてきません。


集歌2759 吾屋戸之 穂蓼古幹 採生之 實成左右二 君乎志将待
訓読 吾が屋戸(やと)の穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘み生(おほ)し実になるさへに君をし待たむ

私訳 私の屋敷にある穂蓼の古い幹、その実を摘んで蒔き生やし、実が実るようになるまで貴方の訪れを待ちましょう。

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万葉集巻十一を鑑賞する  集歌2700から集歌2729まで

2011年08月22日 | 万葉集巻十一を鑑賞する
万葉集巻十一を鑑賞する


集歌2700 玉蜻 石垣淵之 隠庭 伏以死 汝名羽不謂
訓読 玉かぎる石垣淵(いはかきふち)の隠(こも)りには伏して死ぬとも汝(な)が名は告(の)らじ

私訳 美しく光きらめく岩垣の淵のようにひっそり籠り、恋の病に伏して死んでも、貴方の名前は人には告げません。


集歌2701 明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
訓読 明日香川明日(あす)も渡らむ石(いは)走(はし)る遠き心は思ほえぬかも

私訳 明日香川の言葉のように明日も川を渡ろう、水嵩が増し急流で岩も流れ渡れなくなるような間遠い考えは、思いも付きません。


集歌2702 飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝甲目
訓読 明日香川水行きまさりいや日(ひ)異(け)に恋の増(まさ)らばありかつならめ

私訳 明日香川の水嵩が増すように日一日に恋心が増したら、このまま、生きていくことが出来ません。


集歌2703 真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者
訓読 真薦(まこも)刈る大野(おほの)川原(かはら)の水隠(みこも)りに恋ひ来(こ)し妹の紐(ひも)解(と)く吾(われ)は

私訳 すっきり伸びた薦を刈る、その大野川原の水が表に流れず見えないよう、人目につかないように抱こうと遣って来た、その愛しい貴女の下着の紐を、今、解く。私は。


集歌2704 悪氷木之 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨
訓読 あしひきの山下(やました)響(とよ)み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも

私訳 木々が凍てつくような高き山の麓を響かせて流れ行く水のように、流れる時を区切ることがないように絶え間なく、貴女と恋と云う「愛の営み」をしましょう。


集歌2705 愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳沾津
訓読 愛(は)しきやし逢はぬ君ゆゑ徒(いたづら)にこの川の瀬に玉裳濡らしつ

私訳 ああ、いとおしい。逢えない貴方のために、甲斐もなくこの川の瀬に美しい裾裳を濡らしました。


集歌2706 泊湍河 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳
訓読 泊瀬(はつせ)川(かは)速(はや)み早湍(はせ)を掬(むす)び上げて飽かずや妹と問ひし公(きみ)はも

私訳 泊瀬川の速く激しい瀬の水を手ですくい上げ飲ませて「満足しましたか、お前」と、私にお尋ねになった貴方です。


集歌2707 青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉度 相縁乎無
訓読 青山の石垣(いはかき)沼(ぬま)の水隠(みこも)りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ

私訳 青き山の岩垣沼の水が流れ出ず籠っているように、表に出さず恋い焦がれましょう。貴女に逢うすべがないので。


集歌2708 四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母
訓読 しなが鳥(とり)猪名山(ゐなやま)響(とよ)に行く水の名のみ寄そりし内妻(うちつつま)はも

私訳 しなが鳥が居(ゐ)る、その猪名山を轟かせて流れ行く水の評判が立つように、噂だけが立った心の中の妻である貴女よ。

一云 名耳之所縁而 戀管哉将在
一(ある)は云はく、名のみし寄そりて恋ひつつやあらむ
私訳 噂だけが立って、逢えないままで恋い焦がれ続けるだろう。


集歌2709 吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三越而 應逝衣思
訓読 吾妹子(わぎもこ)に吾(あ)が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべくそ思ほゆ

私訳 私の愛しい貴女に私が恋い焦がれるのは、もし、川の水であったなら、しがらみを乗り越え流れ行くような想いです。

或本謌發句云 相不思 人乎念久
或る本の歌の発句に云はく、
訓読 相思はぬ人を念(おも)はく
私訳 愛してくれない娘に恋い焦がれることは、


集歌2710 狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈
訓読 犬上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉(いさや)川(かは)不知(いさ)と聞(き)こせ吾(あ)が名告(の)らすな

私訳 犬上の鳥籠の山にある不知哉川の、その言葉のひびきではないが、「イサ(知らない)」と母親には告げてください、貴女。私の名は告げないでください。

注意 原文の「不知二五寸許瀬」の「二五」は「十(ト)」の戯訓です。また万葉集では母親を「母命」と表現しますから「不知と聞こせ」と訓んでも、男から女への歌として解釈しています。


集歌2711 奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘
訓読 奥山の木(こ)の葉(は)隠(こも)りて行く水の音聞きしより常忘らえず

私訳 奥山の落ち葉に隠れて流れ行く水のような、わずかな音(評判)だけを聞いたときから、いつも貴女が忘れられません。


集歌2712 言急者 中波余騰益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目
訓読 言(こと)急(と)くは中(うち)は淀ませ水無(みなせ)川(かは)絶ゆといふことをありこすなゆめ

私訳 人の噂話が頻りでしたら、心の内の恋心は抑えて下さい。でも、水無し川の水が絶えるように、仲を絶つようなことは、けっして、ありませんように。


集歌2713 明日香河 逝湍乎早見 将速登 待良武妹乎 此日晩津
訓読 明日香川行く湍(せ)を早み速けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ

私訳 明日香川の流れ行く瀬が早いと思うように、私を乗せる馬が速いだろうと待っているでしょう愛しい貴女よ。私は出かけ往かないままにこの日を過ごしてしまった。


集歌2714 物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾為鴨
訓読 物部(もののふ)の八十(やそ)宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も吾(われ)はするかも

私訳 物部の八十氏と云うような、たくさんの宇治川の早い瀬の流れに立つことも出来ないような、そんな叶わぬ恋を私はしたのでしょう。

一云 立而毛君者 忘金津藻
一(ある)は云はく
訓読 立ちても君は忘れかねつも
私訳 流れに立つ。その言葉のひびきではないが、時が経っても貴女は忘れることができません。


集歌2715 神名火 打廻前乃 石淵 隠而耳八 吾戀居
訓読 神名火(かむなび)の打廻(うちみ)の崎の石淵(いはぶち)の隠(こも)りてのみや吾(あ)が恋ひ居(を)らむ

私訳 飛鳥神名火の甘樫の丘の打廻の崎の岩淵に水が淀むように、心に秘めただけで私は恋い焦がれています。


集歌2716 自高山 出来水 石觸 破衣念 妹不相夕者
訓読 高山(かくやま)ゆ出(い)で来(く)る水の岩に触れ破(わ)れてそ念(も)ふ妹に逢はぬ夜(よ)は

私訳 天の香具山から湧き出て来る水が岩にふれ砕けるように、心が砕けたようだと感じられる。貴女に逢えない夜は。

注意 高山を、集歌13や14の歌の表記に従って、天の香具山と解釈している。


集歌2717 朝東風尓 井堤越浪之 世蝶似裳 不相鬼故 瀧毛響動二
訓読 朝(あさ)東風(こち)に井堤(ゐで)越す波の外目(そよめ)にも逢はぬものゆゑ瀧(たぎ)もとどろに

意訳 朝、東風に堰を越し外に溢れる川波が遠くから判るように、遠くから見つめ合った訳でもないのに、噂だけが激流のように轟きわたる。

注意 原文の「世蝶似裳」の定訓はありません。一般に「蝶」を「染」の誤字と扱って「外目にも」と訓んでいます。なお、この歌は、「東風」を「こち」、「鬼」を「もの」と訓むように難訓の歌です。ここで「蝶」を「てふ」とそのままに訓んでみました。その時、「鬼」に「隠(をん)」の意味合いをも拾っています。

試訓 朝(あさ)東風(こち)に井堤(ゐで)越す波の寄(よ)てふにも逢はぬものゆゑ瀧(たぎ)もとどろに

試訳 朝、東風に堰を越し外に溢れる川波が寄せると云う。そのように貴方が私に心を寄せると云うときも、私が心を閉ざして貴方の求婚を受け入れないものだから、周囲の催促が激流の音のように轟き騒がしいことです。


集歌2718 高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死
訓読 高山(かくやま)の岩もと激(たぎ)ち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも

私訳 天の香具山の岩の淵に水しぶきを上げて流れ行く水のように、音(=声)を立てません。床で貴方に抱き伏せられ、愛の営みで死んだとしても。

注意 高山を、集歌13や14の歌の表記に従って、天の香具山と解釈しています。


集歌2719 隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎
訓読 隠沼(こもりぬ)の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌(い)むべきものを

私訳 水が流れ出ることのない隠沼のように表に出すことなく心の底に恋い焦がれていると、秘めた恋に満足できずに、人に貴方への恋心を語ってしまった。慎むべきなのに。

注意 原文の「戀」を「恋い焦がれる」の意味合いより、もっと直接的な「男女の愛の営み」と解釈すると、女が詠う歌の「隠沼」のイメージは男によって為されたある夜の女性の状態を示します。


集歌2720 水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨
訓読 水鳥(みずとり)の鴨の棲む池の下樋(したひ)無みいぶせき君を今日(けふ)見つるかも

私訳 水鳥の鴨の棲む池に水を流し去る下樋が無いように、想いを流し去らずに鬱々としている貴方を、今日見てしまった。


集歌2721 玉藻苅 井提乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞
訓読 玉藻刈る井堤(ゐで)のしがらみ薄(うす)みかも恋の淀める吾(あ)が心かも

私訳 美しい藻を刈る池の土手にあるしがらみのように、貴方とのしがらみ(=からみあい)が少ないからか、貴方との「愛の営み」の機会がありません。それは私の情が足りないからでしょうか。


集歌2722 吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞
訓読 吾妹子(わぎもこ)の笠のかりての和暫野(やざみの)に吾(われ)は入(い)りぬと妹に告(つ)げこそ

私訳 私の愛しい貴女の笠のかりての輪、その和暫野に私の旅路は入ったと愛しいあの娘に告げて下さい。


集歌2723 數多不有 名乎霜惜三 埋木之 下徒其戀 去方不知而
訓読 數多(まね)あらぬ名をしも惜(を)しみ埋木(うもれぎ)の下ゆぞ恋ふる行方(ゆくへ)知らずて

私訳 一つしかない私の名が噂に立つことを残念と恐れ、埋もれ木のように人目に付かないように私は貴方に恋い焦がれる。その恋の行方も判らないままに。


集歌2724 冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知
訓読 秋風の千江(ちへ)の浦廻(うらみ)の木積(こずみ)なす心は寄りぬ後(のち)は知らねど

私訳 秋風の吹く千江にある入り江に打ち寄せる木端のような、とめどなく積み重なる想いは貴女にすり寄ってしまった。後の始末は判らないが。


集歌2725 白細妙 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者
訓読 白細(しろたへ)の御津の黄土(はにふ)の色に出(い)でて云はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは

私訳 白い栲の布が御津の岸辺の埴生の色を鮮やかに染め見せるように、顔色には出して云わないだけです。私が貴女を恋い焦がれる想いは。


集歌2726 風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二
訓読 風吹かぬ浦に波立ちなき名をも吾(われ)は負(お)へるか逢ふとはなしに

私訳 風が吹きもしない入り江に波が立つ、そのような故のない評判を私は背負うのか。貴方と逢うこともないのに。

一云 女跡念而
一は云はく、
訓読 女(をみな)と念(おも)ひて
私訳 私はやはり女だからと観念して。


集歌2727 酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君
訓読 酢蛾(すが)島(しま)の夏身(なつみ)の浦に寄する波間(あひだ)も置きて吾(われ)君し念(も)はず

私訳 酢蛾嶋にある夏身の入り江に打ち寄せる波が間を置くように、想い出しては恋するような、私は、そんな恋を貴方に対していたしません。


集歌2728 淡海之海 奥津嶋山 奥間經而 我念妹之 言繁
訓読 淡海(あふみ)の海(うみ)奥(おき)つ島山(しまやま)奥(おく)まへて我(あ)が念(も)ふ妹の言(こと)の繁けく

私訳 淡海の海の沖の島山の奥の、その奥底に秘めて私が恋い慕う貴女に、世の噂話が絶えないことです。


集歌2729 霰零 遠大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君
訓読 霰(あられ)降り遠(とほ)つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎(にく)あらなくに

私訳 霰が降る遠い大浦に打ち寄せる波、えい、そのようにひたすらに私に心を寄せても良い。嫌いではない貴方ですから。

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万葉集巻十一を鑑賞する  集歌2670から集歌2699まで

2011年08月20日 | 万葉集巻十一を鑑賞する
万葉集巻十一を鑑賞する


集歌2670 真素鏡 清月夜之 湯徒去者 念者不止 戀社益
訓読 真澄鏡(まそかがみ)清き月夜(つくよ)の移(ゆつ)りなば念(おも)ひは止(や)まず恋こそまさめ

私訳 願うと見たいものを見せると云う真澄鏡のような、この清らかな満月の夜が天空を動いて行ったなら、貴女への想いは止むことなく、恋心だけが募るでしょう。


集歌2671 今夜之 在開月夜 在乍文 公叨置者 待人無  (叨は、口+リの当字)
訓読 今夜(こよひ)の有明(ありあけ)の月夜(つくよ)ありつつも公(きみ)をおきては待つ人もなし

私訳 今夜は有明の月の夜ではありますが、このように人を待ちつつ居ますが、貴方をおいて、待つ人はいません。

注意 原文の「在開月夜」には、女性の「毎月の忌み籠り」が明けたの意味もあると思われます。


集歌2672 此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨
訓読 この山の嶺(みね)に近しと吾(あ)が見つる月の空なる恋もするかも

私訳 この山の峰に近いと私が眺めている月が大空にあるように、とらえどころのない恋をしたのでしょうか。


集歌2673 烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居
訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月の移(ゆつ)りなばさらにや妹に吾(あ)が恋ひ居(を)らむ

私訳 漆黒の夜を一晩中照らす月が天空を渡って行ったなら、そうすれば、愛しい貴女を私は床で抱き伏せましょう。


集歌2674 朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲
訓読 朽網山(たくみやま)夕(ゆふ)居(を)る雲の薄れゆかば余(あ)は恋ひむな公(きみ)が目を欲(ほ)り

私訳 朽網山に夕刻に懸かる雲が薄れていけば、私は抱かれたいと願うでしょう。貴方が欲しい。


集歌2675 君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨
訓読 君が着る三笠の山に居(ゐ)る雲の立てば継がるる恋もするかも

私訳 貴方が身に着ける立派な笠の、その言葉のような三笠の山に懸かる雲が立ち上っては後に続くように、後から後からと終わりのない夜の営みをしましょう。


集歌2676 久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死
訓読 ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに

私訳 遥か彼方の大空を飛ぶ雲であったなら、貴方に逢えるでしょう。一日も欠くことなく。


集歌2677 佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸
訓読 佐保(さほ)の内(うち)ゆ嵐の風の吹きぬれば還(かへ)るさ知らに嘆く夜(よ)そ多(おほ)き

私訳 佐保の里から嵐の風が吹いてくるので(夜に戸を叩く音が消され)、貴方が私の許に帰って来るのも気が付かず、逢えないと嘆く夜がたびたびです。


集歌2678 級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸
訓読 愛(は)しきやし吹かぬ風ゆゑ玉(たま)櫛笥(くしげ)開けてさ寝(ね)にし吾(われ)ぞ悔(くや)しき

私訳 ああ、いとしいことに、簾を動かすはずなのに吹かない風のせいで、美しい櫛笥を開けるように、貴方を待ち続けて夜明けになって寝た私の今の身が悔しい。


集歌2679 窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念
訓読 窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしぞ思ふ

私訳 窓越しに見る、月が天空と大地を輝かし、葦や桧の生える山から嵐が吹く夜は、ただ、貴女のことばかり思いつめている。


集歌2680 河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言
訓読 川(かは)千鳥(ちどり)棲(す)む沢の上(へ)に立つ霧のいちしろけむな相言ひ始(そ)めてば

私訳 川千鳥が棲む沢のほとりに立つ霧がはっきり目に映るように、二人の仲は目立つだろう、出会って愛を語り合うようになると。


集歌2681 吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓
訓読 吾が背子が使(つかひ)を待つと笠も着ず出でつつそ見し雨の降(ふ)らくに

私訳 私の愛しい貴方からの使いを待つと、笠も着ずに家から出て来て様子を見続けました。雨が降り続いているのに。


集歌2682 辛衣 君尓内著 欲見 戀其晩師之 雨零日乎
訓読 唐衣(からころも)君にうち着せ見まく欲(ほ)り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を

私訳 美しい到来の唐の着物を貴女に着せて眺めたいと願い、貴女と床を共に夜を過ごしました。あの雨の降る日を。


集歌2683 彼方之 赤土少屋尓 霈零 床共所沾 於身副我妹
訓読 彼方(をちかた)の赤土(ひにふ)の小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身に副(そ)へ我妹(わぎも)

私訳 遠くの野辺の土間敷きの小屋に激しい雨が降り、床までも濡れる。そのように滲み出し濡れたお前の体を私の身に寄せなさい。愛しい貴女。


集歌2684 笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念
訓読 笠なしと人には言ひて雨障(あまつつ)み留(とど)まりし君が姿し思ほゆ

私訳 笠が無いからですと人には言い訳して、雨宿りとして私の家に留まった貴方の姿が、想い出されます。


集歌2685 妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為
訓読 妹が門(かど)去(い)き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそを因(よし)にせむ

私訳 愛しい貴女の家の門を行き過ぎることが出来ず、遥か彼方の大空から雨も降って来ないだろうか。それを言い訳にしたいものです。


集歌2686 夜占問 吾袖尓置 露乎 於公令視跡 取者清管
訓読 夕占(ゆふけ)問ふ吾(あ)が袖に置く露を公(きみ)に見せむと取れば清(すが)しつ

私訳 夕占いを問うとして外に立つ私の袖に置く露を、貴方にお見せしようと手に取ると涼しく冷たい。


集歌2687 櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知
訓読 桜麻(さくらを)の苧原(をふ)の下草露しあれば明(あか)かしてい行け母は知るとも

私訳 もし、桜色の麻の生える麻の原の下草に露が置くのなら、夜を明かして行きなさい。母が気付いたとしても。


集歌2688 待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆
訓読 待ちかねて内には入らじ白栲の吾(あ)が衣手(ころもて)に露は置きぬとも

私訳 貴方の訪れを待ちくたびれても、家の中には入りません。白栲の私の夜着の袖に露が置いたとしても。


集歌2689 朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待
訓読 朝露の消(け)やすき吾(あ)が身老(お)いぬともまた若反(をちか)へり君をし待たむ

私訳 朝露のように消え失せやすい儚き我が身ですが、例え貴方を待って老いたとしても、また再び、若返り貴方を待ちましょう。


集歌2690 白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶預四手
訓読 白栲の吾(あ)が衣手(ころもて)に露は置き妹は逢はさずたゆたひにして

私訳 (貴女のための外に立つ)白栲の私の夜着の袖に露が置く。その愛しい貴女は逢ってもくれない。戸を開けることをためらって。

注意 原文の「猶預四手」の「預」は経典では「豫」に通じるとされますので、「たゆたひに」としての意味は変わらないようです。ただし、「猶豫四手」ですと「まだ、身を許してくれない」、一方「猶預四手」ですと「まだ、床や身支度が出来ていない」のような歌の感覚の差となります。


集歌2691 云云 物者不念 朝露之 吾身一者 君之随意
訓読 かにかくに物は思はじ朝露の吾(あ)が身一つは君がまにまに

私訳 あれこれと物思いはしません。朝露のようなはかないわが身一つは、貴女の気持ちのままに。


集歌2692 夕凝 霜置来 朝戸出 甚踐而 人尓所知名
訓読 夕(ゆふ)凝(こほ)り霜置きにけり朝戸出(あさとで)にいたくし踐(ふ)みて人に知らゆな

私訳 寒い夜が更け行き霜を置きました。その翌朝に家を出る時に、ひどく霜を踏んで音を立てて、他の人に気付かれないでください。


集歌2693 如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは朝(あさ)に日(け)に妹の履(ふ)むらむ地(つち)にあらましを

私訳 このように貴女と恋と云う「愛の営み」が続けられないのなら、この身は、朝に、一日中に、いつも愛しい貴女の足が踏み触れる大地であったらよいのに。


集歌2694 足日木之 山鳥尾乃 一峰越 一目見之兒尓 應戀鬼香
訓読 あしひきの山鳥の尾の一嶺(ひとを)越え一目(ひとめ)見し児に恋ふべきものか

私訳 葦や桧の生える山の山鳥の尾。その言葉のひびきではないが、遥か長い一峰(を)を越えて、一目遇った貴女に、このように恋い焦がれるものでしょうか。


集歌2695 吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有
訓読 吾妹子(わぎもこ)に逢ふ縁(よし)を無(な)み駿河(するが)なる不尽(ふぢ)の高嶺(たかね)の燃えつつかあらむ

私訳 私の愛しい貴女に逢う機会が無い、その言葉のひびきではないが、「良し壮浪(をなみ)」、その美しい浪が打ち寄せる駿河にある富士の高嶺のように、想いは燃え続けています。


集歌2696 荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告
訓読 荒熊(あらくま)の住むといふ山の師歯迫山(しはせやま)責(せ)めて問ふとも汝(な)が名は告(の)らじ

私訳 荒々しい熊が棲むと云う山の師齒迫山。その名前のように、馳せや責めて、母が問うても(急き立てて詰問しても)、貴方の名前は告げません。


集歌2697 妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡
訓読 妹が名も吾(あ)が名も立たば惜(を)しみこそ布仕(ふぢ)の高嶺(たかね)の燃えつつわたれ

私訳 愛しい貴女の噂も、私の噂も立つと残念と想うから、富士の高嶺のように想いを燃やしながら恋い焦がれている。

或謌曰 君名毛 妾名毛立者 惜己曽 不盡乃高山之 燎乍毛居
或る謌に曰はく、
訓読 君が名も吾(あ)が名も立たば惜(を)しみこそ不尽(ふぢ)の高嶺(たかね)の燃えつつも居(を)れ

私訳 愛しい貴女の噂も、私の噂も立つと残念と想うから、富士の高嶺のように想いを燃やしながらも忍んでいます。


集歌2698 徃而見而 来戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨
訓読 行きて見て来れば恋ほしき朝香潟(あさかかた)山越しに置きて寝(い)ねかてぬかも

私訳 行って眺めてから帰って来ると心惹かれる朝香の潟のような、朝、帰ってくると心惹かれる貴女を、山を越した里に置いて、貴女への想いに夜を寝られないでしょう。


集歌2699 安太人之 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨
訓読 阿太(あた)人(ひと)の梁(やな)打ち渡す瀬を速み心は念(おも)へど直(ただ)に逢はぬかも

私訳 吉野川の阿太の人々が梁の杭を打ち川面に渡す、その瀬が速いように、心に急いて恋い焦がれるが、直接には逢えないものです。

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