竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻九を鑑賞する  集歌1726から集歌1746まで

2011年05月30日 | 万葉集巻九を鑑賞する
万葉集巻九を鑑賞する

高橋連蟲麻呂謌集の歌か

 素人考えですが、集歌1726の歌から集歌1765の歌までの歌は高橋連虫麻呂歌集に載る歌と考えています。
 最初に集歌1760の歌の左注「右件謌者、高橋連蟲麻呂謌集中出」の詞で「右」とは、集歌1726の歌から集歌1760の歌までを示すと考えています。次に集歌1761の歌から集歌1765の歌までの歌は、その左注に注目すると「ある共通した歌集」の載せられていることが前提のような注記の仕方であることが判ります。そして、左注は、その「ある共通した歌集」に載る歌に異伝があるとしています。ここから、集歌1760の歌の左注の「高橋連蟲麻呂謌集中出」を前提に、集歌1761の歌から集歌1765の歌までの歌の左注が記述されたと考えています。
 なお、万葉集に載る高橋連虫麻呂本人また本人が詠ったと思われる歌は長歌十四首、旋頭歌一首、短歌十九首です。これらの歌が詠われた地域は駿河・房州・常陸の東国と畿内のため、この地域性と集歌971の歌が藤原宇合の西海道節度使に就任する状況を詠ったものであることから、高橋虫麻呂の身分は藤原宇合の随員ではないかとの推測があります。ただし、「高橋連虫麻呂」は、正史には現れないことや万葉集の標や左注でもその人物像が探れないために、公式には、未だ、その人物像や生涯については不明の人物です。歌を鑑賞した感覚として、高橋虫麻呂は大伴旅人の筑波山への登山や関東各地の巡検に同行したようですが、対する藤原宇合は筑波山には登らなかったのではないかと思える節があります。そこから、素人ではありますが、従来の藤原宇合の随員説は本当に正しいのか疑問を抱いています。
 ただ、高橋虫麻呂に関係する歌で詠われた年が確定出来るのは、天平四年(732)の集歌971の藤原宇合卿遣西海道節度使の時の歌と神亀元年(724)の集歌1747の諸卿大夫等下難波の時の歌だけです。その他の歌は、万葉集でのその歌の配置関係や藤原宇合の年賦から推測するものが過半です。
 ここで、高橋虫麻呂が詠う歌が藤原宇合の常陸国守就任と関係するとしますと、およそ、養老・神亀年間から天平初期に活躍した人物となります。


丹比真人謌一首
標訓 丹比真人(たぢひのまひと)の歌一首
集歌1726 難波方 塩干尓出 玉藻苅 海未通等 汝名告左祢
訓読 難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)に出でて玉藻刈る海人(あま)未通女(をとめ)ども汝(な)が名(な)告(の)らさね

私訳 難波潟の潮干に出て美しい藻を刈る海人の娘女よ、貴女の名を名乗って下さい。


和謌一首
標訓 和(こた)へたる歌一首
集歌1727 朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人尓 妻者不敷
訓読 漁(あさり)する人とを見ませ草枕旅行く人に嬬(つま)は敷(ふ)させず

私訳 朝に漁をする人を御覧になる草を枕にするような苦しい旅を行く貴方に、私の名を名乗って、妻として抱かれることはありません。



石川卿謌一首
標訓 石川卿(いしかはのまえつきみ)の歌一首
集歌1728 名草目而 今夜者寐南 従明日波 戀鴨行武 従此間別者
訓読 慰(なぐさ)めて今夜(こよひ)は寝(ゐ)なむ明日(あす)よりは恋ひかも行かむ此間(このま)別れは

私訳 紀伊の名草の日前国懸の社を見て、旅路の気持ちを慰めて今夜は寝ましょう。明日からは懐かしく思うことでしょう。ここから出立して行けば。



宇合卿謌三首
標訓 宇合卿(うまかひのまえつきみ)の歌三首
集歌1729 暁之 夢所見乍 梶嶋乃 石越浪乃 敷弖志所念
訓読 暁(あかとき)の夢(いめ)に見えつつ梶島(かぢしま)の石(いは)越す波のしきてし思ほゆ

私訳 うつらうつら見る明け方の夢に見えつつ、梶島の巖を越す波が覆い被さるように私の心に貴方の姿が被さっています。


集歌1730 山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
訓読 山科(やましな)の石田の小野の柞原(ははそはら)見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ

私訳 山科の石田の小野のクヌギの林を見ながら、貴方は山道を越えるのでしょうか。


集歌1731 山科乃 石田社尓 布靡越者 蓋吾妹尓 直相鴨
訓読 山科の石田の杜(もり)にしま越せばけだし吾妹(わぎも)に直(ただ)に逢はむかも

私訳 山科の石田の杜を袖を靡かせて暫しの間に越えて来れば、たぶんきっと、私の愛しい貴女に直ぐに逢えるでしょう。



碁師謌二首
標訓 碁師(ごし)の歌二首
集歌1732 母山 霞棚引 左夜深而 吾舟将泊 等万里不知母
訓読 はは山の霞たなびきさ夜(よ)更(ふ)けて吾(あ)が舟泊(は)てむ泊(とまり)知らずも

私訳 はは山に霞が棚びき、夜は更け行き、私が乗る船は停泊する。どこの湊かは知らないが。


集歌1733 思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津
訓読 思ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾(みを)の崎真長(まなが)の浦をまたかへり見つ

私訳 心に気を懸けてやって来たので、帰り行きかねて三尾の崎や真長の入り江を、何度も振り返って見てしまう。



少辨謌一首
標訓 少辨(せうべん)の歌一首
集歌1734 高嶋之 足利湖乎 滂過而 塩津菅浦 今者将滂
訓読 高島(たかしま)の阿渡(あと)の湖(みなと)を滂(こ)ぎ過ぎて塩津(しほつ)菅浦(すがうら)今は滂(こ)ぐらむ

私訳 高島にある阿渡の湖を船を操って行き過ぎ、塩津の菅浦を、今、船は行くのでしょう。



伊保麻呂謌一首
標訓 伊保麻呂(いほまろ)の歌一首
集歌1735 吾疊 三重乃河原之 礒裏尓 如是鴨跡 鳴河蝦可物
訓読 吾(あが)畳(たたみ)三重(みへ)の川原(かはら)の礒(いそ)裏(うら)にかくしもかもと鳴くかはづかも

私訳 私の畳を三重に重ねるような、三重の川原の水辺の磐の裏で、このように「そうでしょうかとばかりに「かも」と鳴く蛙よ。



式部大倭芳野作謌一首
標訓 式部(しきぶ)の大倭(やまと)の芳野にして作れる歌一首
集歌1736 山高見 白木綿花尓 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香開
訓読 山(やま)高(たか)み白(しろ)木綿花(ゆふはな)に落ち激(たぎ)つ夏身(なつみ)の川門(かはと)見れど飽(あ)かぬかも

私訳 山が高く、白い木綿の花のように流れ落ちて渦巻く夏身の川の狭間を見ると、心を奪われ見飽きることがありません。



兵部川原謌一首
標訓 兵部(ひょうぶ)の川原(かはら)の歌一首
集歌1737 大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙
訓読 大瀧(おほたき)を過ぎて夏身(なつみ)に近きにて清(きよ)き川瀬を見るがさやけさ

私訳 大瀧を行き過ぎて激流渦巻く夏身に近いので、清らかな川の瀬を見ると底が透けて見えるように清らかです。



詠上総末珠名娘子一首并短謌
標訓 上総(かみつふさ)の末(すゑ)の珠名娘子を詠める一首并せて短歌
集歌1738 水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道徃人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 預 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留

訓読 御長鳥(みながとり) 安房(あほ)に継ぎたる 梓弓(あずさゆみ) 周淮(すゑ)の珠名(たまな)は 胸別(むねわ)けの 広き吾妹(わぎも) 腰細(こしほそ)の すがる娘子(をとめ)の その姿(かほ)の 端正(きらきら)しきに 花のごと 咲(ゑ)みて立てれば 玉桙(たまほこ)の 道往(ゆ)く人は 己(おの)が行く 道は去(い)かずて 召(よ)ばなくに 門(かど)に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻(おのつま)離(か)れて 乞(こ)はなくに 鍵(かぎ)さへ奉(まつ)る 人皆(みな)の かく迷(まと)へれば 容(かほ)艶(よ)き 縁(より)てぞ妹は 戯(た)はれてありける

私訳 天の岩戸の大切な長鳴き鳥の忌部の阿波の安房に云い伝わり、弓の弦を継ぐ梓弓の末弭(すえはず)の周淮の郡に住む珠名は、乳房が豊かに左右に分かれ大きな胸の愛しい娘、腰が細くすがる蜂のような娘の、その顔の美しく花のような笑顔で立っていると、美しい鉾を立てる官道を行く人は、その行くべき道を行かないで、呼びもしないのに家の門まで来てしまう。家が立ち並ぶ隣の家のお方は、あらかじめ自分の妻と離縁して頼みもしないのに鍵まで渡す。多くの人がこのように心を惑えるので、美貌の理由から娘は、心が浮かれていたことよ。


反謌
集歌1739 金門尓之 人乃来立者 夜中母 身者田菜不知 出曽相来
訓読 金門(かなと)にし人の来(き)立(た)てば夜中(よなか)にも身はたな知らず出(い)でてぞ逢ひける

私訳 家の立派な門に人がやって来て立つと、夜中でも自分の都合を考えないで出て行って尋ねてきた人に逢ったことだ。



詠水江浦嶋子一首并短謌
標訓 水江(みずのえ)の浦嶋の子を詠める一首并せて短歌
集歌1740 春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝多 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叨袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

訓読 春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船の とをらふ見れば 古(いにしへ)の 事ぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦島(うらしま)の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向ひ 相(あひ)眺(あとら)ひ 言(こと)成しかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海若(わたつみ)の 神の宮(みや)の 内の重(へ)の 妙なる殿(あらか)に 携(たづさ)はり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の 吾妹子に 告(つ)げて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 吾は来(き)なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 墨吉(すみのへ)に 還り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に 垣もなく 家滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺(とこよへ)に 棚引(たなび)きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反(こひ)側(まろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(かう)せぬ 若くありし 膚も皺(しわ)みぬ 黒(ぐろ)かりし 髪も白(しろ)けぬ ゆなゆなは 気(き)さへ絶えて 後(のち)つひに 命死にける 水江(みづのへ)の 浦島の子が 家地(いへところ)見ゆ

私訳 春の日の霞んでいる時に、住吉の岸に出て佇み、釣舟が波に揺れているのを見ると、遠い昔のことが偲ばれる。水江の浦の島子が、鰹を釣り、鯛を釣って皆にその腕を誇り、七日間も家に帰らず、海の境を越えて漕いで行くと、海神の神の娘に偶然行き遭って、互いに求め合い、愛し合う約束が出来たので、夫婦の契りを結び、常世に至り、海神の宮殿の奥深くの立派な御殿に、手を取り合って二人で入って暮した。そうして老いもせず、死にもせず、永遠に生きていられたというのに、人の世の愚か者が妻に告げて言うことには、すこしだけ家に帰って、父と母に事情を告げて、明日にでも帰って来ようと云うので、妻が言うことには、この常世の国の方にまた帰って来て、今のように夫婦で暮そうと言うのなら、この箱をあけていけません、きっと。と、そんなにも堅くした約束を、島子は住吉に帰って来て、家はどこかと見るけれども家は見つからず、里はどこかと見るけれども里は見当たらず、不思議がって、そこで思案することには、家を出て三年の間に、垣根も無く家が消え失せてしまうとはと、この箱を開けてみれば、昔のように家はあるだろうと、玉の箱を少し開けると、白い雲が箱から出て来て、常世の国の方まで棚引いて行ったので、立ち走り、叫びながら袖を振り、転げ回り、地団駄を踏みながら、すぐに気を失ってしまった。島子の若かった肌も皺ができ、黒かった髪の毛も白くなった。後々は息さえ絶え絶えになり、挙句の果て死んでしまったという。その水江の浦の島子の家のあったところを見たよ。


反謌
集歌1741 常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曽也是君
訓読 常世辺(とこのへ)に住むべきものを剣太刀(つるぎたち)汝(な)が心から鈍(おそ)やこの君

私訳 常世の国に住むべきはずを、鋭い剣太刀とは違いお前は心根から鈍い奴、ほんにこの人は。



見河内大橋獨去娘子謌一首并短謌
標訓 河内(かふち)の大橋を獨り去(ゆ)く娘子(をとめ)を見たる謌一首并せて短謌
集歌1742 級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

訓読 級(しな)照(て)る 片足羽(かたしは)川(かは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾引き 山(やま)藍(あゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫(せを)かあるらむ 橿(かし)の実の 独りか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)の 家の知らなく

私訳 光輝く片足羽川の美しく丹に塗られた大橋の上を、紅色の赤裳を裾に着け山藍で染めた緑色の上衣を着て、ただ独りで渡って行く娘(こ)は、若々しい夫がいるのだろうか、それとも、橿の実のように一つ身で、夜を過すのだろうか。名を聞いてみたいような、私が恋する貴女の氏・素性を知らない。


反謌
集歌1743 大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
訓読 大橋の頭(つめ)に家あらば心(うら)悲(かな)しく独り去(い)く子に屋戸(やと)借りましを

私訳 もし、大橋のほとりにあの娘の家があるのなら、何か、もの悲しげに独り去っていくあの娘に、今宵の宿を借りるのですが。


見武蔵小埼沼鴨作謌一首
標訓 武蔵(むさし)の小埼(をさき)の沼の鴨を見て作れる謌一首
集歌1744 前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
訓読 埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨ぞ羽(は)霧(き)るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとに有らし

私訳 埼玉の小埼の沼の水に浮かぶ鴨が飛沫を上げて羽を振るわせ、自分の尾に降りた霜を払うかのようです。


那賀郡曝井謌一首
標訓 那賀郡(なかのこほり)の曝井(さらしゐ)の謌一首
集歌1745 三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我
訓読 三栗(みつくり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

私訳 栗のイガの中に実が三つあるような、那賀に向かって流れる川の源の曝しの泉の水が絶えることがないように、私は絶えず通って来ましょう。そこに愛しい貴女がいるから。


手綱濱謌一首
標訓 手綱(たづな)の濱の謌一首
集歌1746 遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益
訓読 遠妻(とほつま)し多珂(たか)にありせば知らずとも手綱(たづな)の浜の尋ね来なまし

私訳 遠くに住む愛しい貴女が多珂にいるしたら、場所を知らなくても手綱の浜のように、人の手伝(てずな)を頼って尋ねて来ましょう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻九を鑑賞する  集歌1710から集歌1725まで

2011年05月28日 | 万葉集巻九を鑑賞する
万葉集巻九を鑑賞する
柿本朝臣人麻呂歌集の歌か 後半


集歌1710 吾妹兒之 赤裳泥塗而 殖之田乎 苅将蔵 倉無之濱
訓読 吾妹児(わぎもこ)が赤(あか)裳(も)ひづちて殖ゑし田を刈りて蔵(おさ)めむ倉無の浜

私訳 私の愛しい娘が赤い裳裾を泥で汚して種を播いた田で穂を刈って納めましょう。もう難波大蔵が焼け失せてしまった、その倉無の浜で。


集歌1711 百傳之 八十之嶋廻乎 榜雖来 粟小嶋者 雖見不足可聞
訓読 百づたふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕ぎ来れど粟(あは)の小島は見れど飽かぬかも

私訳 百へと続く八十、その沢山の島の周りを漕ぎ来るが、粟の小島は何度見ても見飽きることはありません。

右二首、或云、柿本朝臣人麻呂作。
注訓 右の二首は、或は「柿本朝臣人麻呂の作なり」といへり。


登筑波山詠月一首
標訓 筑波山に登りて月を詠める一首
集歌1712 天原 雲無夕尓 烏玉乃 宵度月乃 入巻吝毛
訓読 天の原雲なき夕(ゆふ)にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜(を)しも

私訳 天の川原に雲が出ていない夕べに、漆黒の夜を渡って往く月が山の端に隠れていくのが残念です。



幸芳野離宮時謌二首
標訓 芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時の謌二首
集歌1713 瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥
訓読 滝の上の三船の山ゆ秋津辺(あきつへ)に来鳴き渡るは誰れ呼子(よぶこ)鳥(どり)

私訳 激流の上流の先の三船の山の、その秋津の野辺に来鳴き渡って行くのは、誰を呼ぶのか、呼子鳥よ。


集歌1714 落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
訓読 落ち激(たぎ)ち流るる水の磐(いは)に触(ふ)れ淀める淀に月の影見ゆ

私訳 流れ落ち渦巻き流れる水が磐に触れて流れを淀む、その淀に月の影が映るのが見える。

右三首、作者未詳。
注訓 右の三首は、作者いまだ詳(つばら)らかならず。


槐本謌一首
標訓 槐本(ゑにすもと)の歌一首
集歌1715 樂波之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見
訓読 楽浪(ささなみ)の比良(ひら)山風の海(うみ)吹けば釣りする海人(あま)の袖返る見ゆ

私訳 楽浪のある比良山から山風が淡海に吹くと、沖で釣りをする海人の袖が風に翻るのが見える。


山上謌一首
標訓 山上(やまのうへ)の歌一首
集歌1716 白那弥之 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
訓読 白波の浜松の木の手(た)向(む)け草(くさ)幾世(いくよ)さへにか年は経ぬらむ

私訳 白波の寄せる浜の浜松の木に結ばれた手向けの幣よ。あれからどれほどの世代の年月が経ったのでしょうか。

右一首、或云、川嶋皇子御作謌。
注訓 右の一首は、或は云はく「川嶋皇子の御(かた)りて作(つく)れる歌なり」といへり。


春日謌一首
標訓 春日(かすが)の歌一首
集歌1717 三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手湖 干兒波無尓
訓読 三川(みつかは)の淵(ふち)瀬(せ)もおちず小網(さで)さすに衣手(ころもて)湖(ひづ)き干(ほ)す兒はなしに

私訳 三川で淵や瀬も残さずに小さな網を刺すと、袖は水が溜まるほどに濡れても、それを乾かす子供達は居ない。


高市謌一首
標訓 高市(たけち)の歌一首
集歌1718 足利思伐 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門尓 極尓濫鴨
訓読 率(あとも)ひて榜(こ)ぎ行く舟は高島(たかしま)の阿渡(あと)の水門(みなと)に泊(は)てるらむかも

私訳 船人を率いて帆を操り行く舟は、高島の阿渡の湊に停泊するのでしょうか。


春日蔵謌一首
標訓 春日蔵(かすがのくら)の歌一首
集歌1719 照月遠 雲莫隠 嶋陰尓 吾船将極 留不知毛
訓読 照る月を雲な隠しそ島(しま)蔭(かげ)に吾(あ)が船(ふね)泊(は)てむ泊(とまり)知らずも

私訳 照る月を雲よ隠さないでくれ、島蔭に私が乗る船が榜ぎ行くが、停泊する処が判らなくなる。

右一首、或本云、小辨作也。或記姓氏無記名字、或称名号不称姓氏。然依古記便以次載。凡如此類、下皆放焉。
注訓 右の一首は、或る本に云はく「小辨(せうべん)の作なり」といへり。或は姓氏(うぢ)を記して名字(な)を記すことなく、或は名号(な)を称えて姓氏(うぢ)を称えず。然れども古記(こき)に依りて、便(すなは)ち次(ついで)を以ちて載す。凡てかくの如き類(たぐひ)は、下(しも)皆これに放(なら)へ。


元仁謌三首
標訓 元仁(ぐわんにん)の歌三首
集歌1720 馬屯而 打集越来 今日見鶴 芳野之川乎 何時将顧
訓読 馬(むま)並(な)めてうち群(む)れ越え来(き)今日(けふ)見つる吉野の川をいつかへり見む

私訳 馬を並べて集って道を越え来た、今日見るこの吉野の川を、次はいつ再び見るでしょうか。


集歌1721 辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君
訓読 苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに

私訳 残念ですが暮れ行く夕日なのでしょう。吉野川の清らかな川原を見ると見飽きることはないのですが。


集歌1722 吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布莫國
訓読 吉野川川浪(かはなみ)高(たか)み激(たぎ)の浦を見ずかなりなむ恋しけなくに

私訳 吉野川の川の浪は高く、激流の中の淀みを見ることもないのでしょう。後で残念に思わないと良いのですが。


絹謌一首
標訓 絹(きぬ)の歌一首
集歌1723 河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽君鴨
訓読 かわづ鳴く六田(むた)の川の川(かは)楊(やなぎ)のねもころ見れど飽(あ)かぬ君かも

私訳 カジカ蛙が鳴く六田の川の川楊を心行くまで眺めるように、心行くまで思い浮かべても飽きることがない貴方です。


嶋足謌一首
標訓 嶋足(しまたり)の歌一首
集歌1724 欲見 来之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷
訓読 見まく欲(ほ)り来(こ)しくも著(しる)く吉野川音(おと)の清(さや)けさ見るにともしく

私訳 見たいと思ってやって来た甲斐があり、吉野川の流れの音の清かさを聞き見ると、心が奪われてしまう。


麻呂謌一首
標訓 麻呂(まろ)の歌一首
集歌1725 古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨
訓読 古(いにしへ)の賢(か)しこき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも

私訳 昔の高貴な御方がおいでになった吉野の川原は、美しく眺めていても見飽きることがありません。

右、柿本朝臣人麻呂之謌集出。
注訓 右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻九を鑑賞する  集歌1664から集歌1709まで

2011年05月26日 | 万葉集巻九を鑑賞する
万葉集巻九を鑑賞する

はじめに
 万葉集巻九の歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。
 さて、この巻九は雑歌、相聞、挽歌の三部で構成されていて、それは、ちょうど、巻一と巻二とに対応するような形ですし、巻一とこの巻九との巻頭歌は、ともに雄略天皇の御製とされています。一方、集歌1725の歌の左注の「右柿本朝臣人麻呂之謌集所出」と集歌1760の歌の左注の「右件謌者高橋連蟲麻呂謌集中出」に示す「右」の範囲の採り方によっては、この巻九は万葉集に先行する歌集から歌を採歌したような「歌集に載る歌だけを集めた」ような特別編成の巻になるのかもしれません。この姿は、巻十三が長歌だけで雑歌、相聞・問答、(譬喩歌)、挽歌と構成されるのと相似の関係になります。
 この素人考えで、集歌1709の歌の左注の「右柿本朝臣人麻呂之謌集出」の「右」は集歌1664の歌から集歌1709の歌までを示し、集歌1760の歌の左注の「右件謌者高橋連蟲麻呂謌集中出」の「右」は集歌1712の歌から集歌1765の歌までを示すと考えています。こうした時、この巻九は柿本朝臣人麻呂歌集、高橋連虫麻呂歌集、笠朝臣金村歌集、田辺福麻呂歌集を中心として歌を採歌しただけでなく、万葉の時代を代表する歌集から歌を順に採歌したとも考えることが出来ます。
 この巻では、このような独り善がりですが、すべての歌を万葉集に先行する歌集から採ったと云う万葉集編纂の面白みに焦点を置いて鑑賞してみました。そのために、煩雑ですが、各々の歌よりも推定する歌集を単位として紹介して鑑賞していますし、西本願寺本万葉集とは歌順を変えたものがあります。西本願寺本万葉集において、この巻九は歌番号順に前後の移動はなく、本来の歌順は集歌番号の順です。

 *このブログでは一万字制限があり表現は難しいのですが、一万字を越える場合は二部に別けて連続して紹介します。その場合は先後が逆になりますが、ご了解下さい。


雜謌
訓 雑(くさぐさ)の歌

柿本朝臣人麻呂歌集の歌か

 素人考えですが集歌1664の歌から集歌1711の歌までを、集歌1709の歌の左注の「右柿本朝臣人麻呂之謌集所出」と集歌1711の歌の左注の「右二首或云柿本朝臣人麻呂作」及び集歌1725の歌の左注の「右柿本朝臣人麻呂之謌集出」の詞から、これらはすべて人麻呂歌集に載る歌と考えています。
 特に集歌1710と集歌1711の二首は、二十巻本の万葉集が編纂された時点において、人麻呂歌集とは別に伝わる歌集との照合から柿本人麻呂の作品と認定されたようです。逆に二十巻本の万葉集が編纂された時点では、既に人麻呂歌集に載る歌の多くに対して柿本人麻呂の作品と認定することが困難であったと推定できます。
 なお、非常に恣意的な憶測ですが、柿本人麻呂は本名を柿本朝臣佐留(猿)と云い、天智天皇の近江朝から元明天皇の和銅元年までに活躍した技術官僚で、死没のときの官位は従四位下です。この憶測の柿本人麻呂像については、ブログ「職業人としての柿本人麻呂」を見ていただければ幸いです。


泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製謌一首
標訓 泊瀬朝倉宮に天の下知(し)らしめしし大泊瀬幼武天皇の御製謌一首

集歌1664 暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
訓読 夕されば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも

私訳 夕方になると小倉の山に棲む鹿が、今宵は鳴かない。もう、棲家で寝てしまったようだ。

右、或本云、崗本天皇御製。不審正指。因以累載。
注訓 右は或る本に云はく、「崗本天皇の御製なり」といへり。正指(せいし)を審(つまび)らかにせず。これに因りて以ちて累ねて載す。


崗本宮御宇天皇幸紀伊國時謌二首
標訓 崗本宮に天の下知(し)らしめしし天皇(すめらみこと)の紀伊国に幸(いでま)しし時の歌二首

集歌1665 為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁持来 奥津白波
訓読 妹がためわれ玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波

私訳 愛しい恋人のために私は玉を拾う。沖辺にある玉を寄せ持って来る沖の白波よ。


集歌1666 朝霧尓 沾尓之衣 不干而 一哉君之 山道将越
訓読 朝霧に濡れにし衣干さずして独りか君が山道越ゆらむ

私訳 朝霧に濡れた衣を干すこともなく、独りで貴方が山道を越えて行くようです。

右二首、作者未詳
注訓 右の二首は、作者いまだ詳(つばひ)らかならず。


大寶元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇幸紀伊國時謌十三首
標訓 大宝元年辛丑の冬十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)大行天皇(さきのすめらみこと)の紀伊国に幸(いでま)しし時の歌十三首

集歌1667 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
訓読 妹がため我れ玉求む沖辺(おきへ)なる白玉寄せ来(こ)沖つ白浪

私訳 貴女のために私は真珠の玉が欲しい。沖の方から白い真珠の玉を波とともに寄せて来い。沖に立つ美しい玉のような波立つ白浪よ。

右一首、上見既畢。但、謌辞小換、年代相違。因以累載。
注訓 右の一首は、上に見ゆること既に畢(をは)りぬ。ただ、歌の辞(ことば)小(すこ)しく換(かは)り、年代相(あひ)違(たが)へり。これに因りて以ちて累ねて載す。


集歌1668 白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧
訓読 白崎は幸(さき)をあり待つ大船に真梶(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)きまたかへり見む

私訳 由良の白崎は御幸のふたたびの訪れを待っている。大船に立派な梶を差し込んで船を出し、また紀伊国の御幸の帰りに見ましょう。


集歌1669 三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人 見戀来六
訓読 三名部(みなべ)の浦潮(しほ)な満ちそね鹿島なる釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む

私訳 紀伊国の三名部の浦に磯の道を閉ざす潮よ満ちるな。鹿嶋で釣をする海人を見に行って来たいから。


集歌1670 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反将来
訓読 朝(あさ)開(ひら)き漕ぎ出て我れは由良(ゆら)の崎釣りする海人(あま)を見変(みかへ)り来まむ

私訳 朝が開け船を漕ぎ出すと、私は由良の岬で釣をする海人の色々な姿を見ることが出来るでしょう。


集歌1671 湯羅乃前 塩乾尓祁良乎志 白神之 磯浦箕乎 敢而滂動
訓読 由良(ゆら)の崎潮(しほ)干(ひ)にけらし白神(しらかみ)の礒の浦廻(うらみ)を敢(あ)へて漕ぐなり

私訳 由良の岬の潮は引き潮のようです。白浪が打ち寄せる白神の磯の浦の辺りを、敢えて船を楫を漕いでいく。


集歌1672 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裙須蘇延 往者誰妻
訓読 黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれなゐ)の玉裳(たまも)裾(すそ)引(ひ)き行くは誰(た)が妻

私訳 黒牛の潟の潮が干いた浜辺を紅の美しい裳の裾を引いて歩いているのは誰の恋人でしょうか。


集歌1673 風莫乃 濱之白浪 従 於斯依久流 見人無
訓読 風莫(かぜなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに
私訳 風があっても風莫の浜と呼ばれる浜の白波は、ただ無性に寄せてくる。見る人もいないのに。

一云、於斯依来藻
訓読 一(あるひ)は云はく、ここに寄せ来も
右一首、山上臣憶良類聚歌林曰、長忌寸意吉麿、應詔作此謌。
注訓 右の一首は、山上臣憶良の類聚歌林に曰はく「長忌寸意吉麿、詔(みことのり)に応(こた)へてこの歌を作る」といへり。


集歌1674 我背兒我 使将来歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
訓読 我が背子が使(つかひ)来(こ)むかと出立(いでたち)のこの松原を今日(けふ)か過ぎなむ

私訳 私の愛しい子が父からの便りの使いが来ないかと家の外に出て立つように、まだかまだかと待っていた出立のこの松原を今日は行き過ぎます。


集歌1675 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳
訓読 藤白(ふぢしろ)の御坂を越ゆと白栲の我が衣手(ころもて)は濡れにけるかも

私訳 藤白の御坂を越えると、有馬皇子の故事を思うと白栲の私の衣の袖は皇子を思う涙に濡れるでしょう。


集歌1676 勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
訓読 背の山に黄葉(もみち)常敷く神岳(かむたけ)の山の黄葉(もみちは)は今日か散るらむ

私訳 有馬皇子の藤白の御坂の山は黄葉で覆われています、大和の明日香の雷丘の黄葉はもう散っているでしょうか。


集歌1677 山跡庭 聞往歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
訓読 大和には聞こえ往(い)かぬか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほり)せりとは

私訳 大和にはその評判が聞こえているでしょうか、大我野にある珍しい竹葉を刈り取って仮の宿に敷いていることを。


集歌1678 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
訓読 紀(き)の国の昔弓雄(さつを)の響矢(なりや)用(も)ち鹿取り靡けし坂上(さかへ)にぞある

私訳 紀の国で、昔、弓の勇者が神の響矢で鹿を取り従わせた熊野荒坂です。


集歌1679 城國尓 不止将往 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄
訓読 紀(き)の国にやまず通(かよ)はむ妻の杜(もり)妻寄しこせね妻と言(い)ひながら

私訳 紀の国には止むことなくいつも通いましょう。仁徳天皇の妻の磐姫命皇后の御綱柏の社の故事のように、妻を御綱柏を採りに寄せ来させましょう。貴女は妻と言ひながら。

一云、嬬賜尓毛 嬬云長良
訓読 一(あるひ)は云はく、妻賜はにも妻と言ひながら
右一首、或云、坂上忌寸人長作。
注訓 右は一首は、或は云はく「坂上忌寸人長の作なり」といへり。


後人謌二首
標訓 後(のこる)人(ひと)の歌二首
集歌1680 朝裳吉 木方往君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
訓読 朝も吉(よ)し紀(き)へ行く君が信土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)そ雨な降りそね

私訳 今朝は日よりも良いようです。紀の国に行く貴方が大和と紀の国との境の信土山を今日は越えていく。雨よ降らないで。


集歌1681 後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
訓読 後(おく)れ居(い)て吾(わ)が恋ひ居(を)れば白雲の棚(たな)引(ひ)く山を今日(けふ)か越ゆらむ

私訳 後に残り居て私が貴方を恋慕っていると、彼方に見える白雲の棚引く山を、貴方は今日は越えるのでしょうか。


献忍壁皇子謌一首  詠仙人形
標訓 忍壁皇子に献(たてまつ)れる歌一首  仙人(やまひと)の形(かた)を詠めり
集歌1682 常之陪尓 夏冬往哉 裘 扇不放 山住人
訓読 とこしへに夏冬行けや 裘扇放たぬ山に住む人

私訳 永遠に夏と冬がやって来るためか、皮の衣も扇も手放さない山に住む人よ。


献舎人皇子謌二首
標訓 舎人皇子に献(たてまつ)れる歌二首
集歌1683 妹手 取而引与治 球手折 吾刺可 花開鴨
訓読 妹が手を取りて引き攀(よ)ぢふさ手折りわが插頭(かざ)すべく花咲けるかも

私訳 あの子の手を取って引き寄せるように捩って花の房を手折ろう。私が髪飾りに刺せば花が美しく咲くだろう。(私が少女を抱いて女にすれば、美しい乙女になるだろう。)


集歌1684 春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君待勝尓
訓読 春山は散るぬとも三輪山はいまだ含めり君待ちかてに

私訳 今は春の山の花は散っていますが、三輪山の花は未だ蕾のままです。貴方をお待ちして。(三輪山の傍に住む少女は、貴方に抱かれるのを待つように、未だ、少女のままです。)


泉河邊間人宿祢作謌二首
標訓 泉川の辺(ほとり)にして間人宿禰の作れる歌二首
集歌1685 河瀬 激乎見者 玉藻鴨 散乱而在 川常鴨
訓読 川の瀬の激(たぎち)を見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも

私訳 川の浅瀬の激しい流れを見ると美しい川藻でしょうか。それとも、玉のような水しずくのような川面はいつもの川の表情でしょうか。


集歌1686 孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓
訓読 彦星の插頭(かざし)の玉の嬬恋に乱れにけらしこの川の瀬に

私訳 天の川を渡る彦星が髪に挿した美しい玉が、恋しい恋の想いに心が乱れてこぼれたのでしょう。この川の浅瀬の流れに。


鷺坂作謌一首
標訓 鷺坂にして作れる歌一首
集歌1687 白鳥 鷺坂山 松影 宿而往奈 夜毛深往乎
訓読 白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も深け行くを

私訳 白い鳥の鷺の、その鷺坂山の松の木陰に野宿して行きましょう。夜が更けていくので。


名木河作謌二首
標訓 名木川にして作れる歌二首
集歌1688 炙干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印
訓読 炙(あぶ)り干す人もあれやも濡衣を家には遣らな旅のしるしに

私訳 濡れた衣を焚火に炙って干す人もいるでしょうが、この濡れた衣を家に送りましょう。苦しい旅の証に。


集歌1689 在衣邊 着而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
訓読 在(あ)る衣辺を着きて漕がさね杏人(ありひと)の浜を過ぎれば恋しく在(あ)りなり

私訳 そこに在る粗末な衣を纏って船を漕ぎなさい。人が居なくても杏人(有り人)の浜を漕ぎゆくと、人が恋しくなります。


高島作謌二首
標訓 高島にして作れる歌二首
集歌1690 高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥
訓読 高島の阿渡(あと)川波(かわなみ)は騒くともわれは家思ふ宿悲しみ

私訳 高島の阿渡川の川浪が音高く騒いでいても、それでもしみじみ、私は家を思い出します。旅の辛さに。


集歌1691 客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠惜毛
訓読 旅なれば夜中を指して照る月の高島山に隠らく惜しも

私訳 旅なので大和では夜通し照る月が、ここでは夜半に高島山に隠れて行くのが惜しいことです。


紀伊國作謌二首
標訓 紀伊国にして作れる歌二首
集歌1692 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐
訓読 吾(わ)が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣(ころも)片(かた)敷(し)き独りかも寝(ね)む

私訳 私が恋しい貴女は逢ってくださらず、美しい玉の浦で私の衣だけの片身で、鴨は二匹で仲良く寝ますが、今夜は私は独りで寝るのでしょう。


集歌1693 玉匣 開巻惜 吝夜牟 袖可礼而 一鴨将寐
訓読 玉櫛笥(たまくしげ)開けまく惜(を)しき吝(お)しむ夜を袖(そで)離(か)れて独りかも寝(ね)む

私訳 美しい櫛を納める箱を開けて見せるのを慈しむように私に貴女が衣を開けるのを、貴女と逢える機会を吝しむこの夜を共寝の袖を交わすことをしないで、独りで今夜は寝るのでしょう。


鷺坂作謌一首
標訓 鷺坂にして作れる歌一首
集歌1694 細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波弖 妹尓示
訓読 細領巾(たくひれ)の鷺坂山の白(しろ)躑躅(つつじ)われににほはて妹に示さむ

私訳 美しい白領巾のような鷺坂山の白い躑躅。私の衣に色を染めて行きましょう。恋人に見せたいから。


泉河作謌一首
標訓 泉川にして作れる歌一首
集歌1695 妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遺 未冬鴨
訓読 妹が門入り泉川の常滑(とこなめ)にみ雪残れりいまだ冬かも

私訳 貴女の家の門に入る。その泉川の滑らかな川の岩に雪が残っている。暦と違って、未だ、冬なのでしょう。


名木河作謌三首
標訓 名木川にして作れる歌三首
集歌1696 衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可
訓読 衣手の名木の川辺を春雨にわれ立ち濡ると家思ふらむか

私訳 旅で萎えた衣の袖のように心も萎える名木の川辺で冷たい春雨に私が濡れると、貴女の住む家を想うでしょう。


集歌1697 家人 使在之 春雨乃 与久列杼吾乎 沾念者
訓読 家人の使にあるらし春雨の避くれどわれを濡らす思へば

私訳 雪は天からの使いと云います。貴女の住む家の人の使いなのでしょう。冷たい春の雨を避けようと思うけれど、それでも春雨が私を濡らすと思うと。


集歌1698 炙干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使尓為
訓読 炙(あぶ)り干す人もあれやも家人の春雨すらを間使にする

私訳 濡れた衣を焚火に炙って干す人もいますが、貴女の住む家の人の便りのような春雨さえも、便りの使いと思いましょう。


宇治川作謌二首
標訓 宇治川にして作れる歌二首
集歌1699 巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 雁渡良之
訓読 巨椋(おぐら)の入江響(とよ)むなり射目(いめ)人(ひと)の伏見が田井に雁渡るらし
私訳 巨椋の入江に鳴き声が響く。射目に身を隠す人が伏す、その伏見の田井に雁が飛び渡るようだ。

集歌1700 金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 雁相鴨
訓読 秋風に山吹の瀬の響るなへに天雲翔ける雁に逢へるかも
私訳 秋風に山吹の浅瀬の川音が響き渡ると、天雲を飛び翔ける雁が見えるでしょう。


献弓削皇子謌三首
標訓 弓削皇子に献(たてまつ)れる歌三首
集歌1701 佐宵中等 夜者深去良斯 雁音 所聞空 月渡見
訓読 さ夜中と夜は深けぬらし雁が音の聞ゆる空に月渡る見ゆ

私訳 真夜中へと夜は深けたようだ。雁の鳴き声が聞こえる空に月が渡り往くのが見える。


集歌1702 妹當 茂苅音 夕霧 来鳴而過去 及乏
訓読 妹があたり茂き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに

私訳 恋人が住むあたりにたくさんの雁の鳴き声。その雁が夕霧の中に飛び来て鳴いて行く。その様を思うと吾を忘れるほどに。


集歌1703 雲隠 雁鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過
訓読 雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉(もみち)片待つ時は過ぐれど

私訳 雁が雲間を飛び鳴き行く時期は、秋山の黄葉の季節を待つような初秋の時ですが、今はその季節を過ぎています。


献舎人皇子謌二首
標訓 舎人皇子に献(たてまつ)れる歌二首
集歌1704 球手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留
訓読 ふさ手折り多武(たむ)の山霧しげみかも細川(ほそかは)の瀬に波の騒ける

私訳 さあ、乙女と云う花の房を手折ろう。多武山を山霧が覆っているのだろうか、細川の瀬の川波の音が騒がしいことよ。(これから花を手折りに行く想いに、心も騒がしいことよ)


集歌1705 冬木成 春部戀而 殖木 寶成時 片待吾等叙
訓読 冬ごもり春べを恋ひて殖ゑし木の実になる時を片待つわれぞ

私訳 冬に木が芽を付けるように、春の訪れを恋しく想って植えた木のその花が咲き、実が育つ時を心待ちにする私達です。


舎人皇子御謌一首
標訓 舎人皇子の御歌一首
集歌1706 黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏微麻天尓
訓読 ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋(たかや)の上に棚引くまでに

私訳 漆黒の闇に夜霧が立ち渡り、布を裁ち縫う衣手の、その袖で高く指す高屋の上まで棚引くほどに。


鷺坂作謌一首
標訓 鷺坂にして作れる歌一首
集歌1707 山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来
訓読 山城の久世の鷺坂神代より春ははりつつ秋は散りけり

私訳 山城の久世の鷺坂は、神代から春は花が咲き乱れ、秋は黄葉が散り往く。


泉河邊作謌一首
標訓 泉川の辺(ほとり)にして作れる歌一首
集歌1708 春草 馬乍山自 越来奈流 雁使者 宿過奈利
訓読 春草を馬咋(うまくひ)山ゆ越え来なる雁の使(つかひ)は宿(やどり)過ぐなり

私訳 春の草が繁る馬咋山を越えて飛び来る雁の、仮初めの急の使いが馬咋山で宿ることなく急いで過ぎて行った。


献弓削皇子謌一首
標訓 弓削皇子に献(たてまつ)れる歌一首
集歌1709 御食向 南渕山之 巌者 落波太列可 削遺有
訓読 御食(みけ)向ふ南淵山(みなふちやま)の巌(いはほ)には落(ふ)りしはだれか消え残りたる

私訳 昔、皇極天皇が雨乞いの四方拝の儀式をされた南淵山の巌が白く見えるのは、巌に降った雪がまだらに消え残っているからでしょうか。

右、柿本朝臣人麻呂之謌集所出
注訓 右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻六を鑑賞する  集歌1062から集歌1067まで

2011年05月23日 | 万葉集巻六を鑑賞する
万葉集巻六を鑑賞する

難波宮作謌一首并短謌
標訓 難波宮にして作れる謌一首并せて短謌
集歌1062 安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲参 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 汭渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞

訓読 やすみしし 吾が大王(おほきみ)の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚(いさな)取り 海(うみ)片付きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺を清み 朝羽(あさは)振る 浪の声(ね)せむ 夕凪に 櫂合(かあ)ひの声(ね)聞く 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 汭渚(くます)には 千鳥妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)鳴き響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むこ)ふ 味原(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも

私訳 この国を平らかに統治なされる吾等の大王が、御通いなされる難波の宮は、鯨のような大きな魚を採る海が引き、美しい石を拾う浜辺は清らかで、朝に鳥が羽ばたき、浪の寄せ来る音が聞こえ、夕凪に船を漕ぐ櫂の調子を合わせる声が聞こえる、暁に目覚めに聞くと、海の岩を見せながら潮が引くと共に浜に現れる曲がりくねった川の洲には千鳥が妻を呼び、葦辺には鶴の鳴き声が響く、この景色を見る人が物語りにすると、それを聞く人は、一目見たみたいと思う、天皇が治められる味原の宮は、見るだけでも見飽きることがありません。


反歌二首
集歌1063 有通 難波乃宮者 海近見 童女等之 乗船所見
訓読 あり通ふ難波の宮は海(うみ)近(ちか)み童女(わらはをみな)の乗れる船見ゆ

私訳 御通いなされる難波の宮は海が近いので、童女たちが乗った船が見える。


集歌1064 塩干者 葦邊尓参 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二 (参は、足+参)
訓読 潮干(しほひ)れば葦辺に参(さへ)く白鶴(しらたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに

私訳 潮が引けば葦辺により来る白鶴の妻を呼び声が、宮に響き渡る。


 西本願寺本の原文の漢字を尊重すると歌の感情が変わります。例えば、集歌1063の歌の「童女等之乗船所見」の句に、現在の訓読み万葉集では「海」の一字を足し「海童女等之乗船所見」とします。この「海」の字一字を足すことで、見る景色は全くに変わります。原文では華美に飾った船に着飾った貴族の女の子を眺めていますが、訓読み万葉集では粗末な漁民の船に乗る裸に近い漁民の女の子を見ています。
 歌の鑑賞では、難波の海辺の美しさを詠った感情を見て、西本願寺本の原文の漢字を尊重した方が良いとの思いで、素人の無知のなせる業として、その他の誤字・誤記として改変された漢字を含めて原文のままにしています。



過敏馬浦時作謌一首并短謌
標訓 敏馬(うぬめ)の浦を過し時に作れる謌一首并せて短謌
集歌1065 八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱

訓読 八千桙(やちほこ)の 神の御世より 百船(ものふね)の 泊(は)つる泊(とまり)と 八島国(やしまくに) 百船人(ももふねひと)の 定めてし 敏馬(うぬめ)の浦は 朝風に 浦浪(うらなみ)騒き 夕浪に 玉藻は来寄る 白(しら)真子(まなこ) 清き浜辺(はまへ)は 去(い)き還(かへ)り 見れども飽かず 諾(うべ)しこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代(ももよ)経て 偲(しの)はえゆかむ 清き白浜

私訳 伊邪那岐、伊邪那美の八千矛で大八島国を御創りなされた神の御世から、多くの船が泊まる湊として、この八島の国々のたくさんの船を操る人たちが定めてきた敏馬の浦は、朝風に浦には浪が立ち、夕方の浪に玉藻が来寄せる。白砂の清らかな浜辺は、行き帰りに見るが見飽きることが無い。なるほど、見る人がそれぞれに、語り継ぎ思い出にしてきたようだ。百代も過ぎても人は旅の思い出にするでしょう、この清らかな白浜を。


反謌二首
集歌1066 真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國
訓読 真澄鏡(まそかがみ)敏馬(うぬめ)の浦は百船(ももふね)の過ぎて往(い)くべき浜ならなくに

私訳 願うと見たいものを見せると云う真澄鏡、しかし、敏馬の浦は、多くの船が寄ることなく通り過ぎて行く浜ではないのだが。


集歌1067 濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱
訓読 浜(はま)清(きよ)み浦(うら)愛(うるは)しみ神世(かむよ)より千船(ちふね)の湊(みなと)大(おほ)和太(わだ)の浜

私訳 浜は清らかで、入り江は美しい、神代から多くの船が泊まる湊だよ、大和太の浜は。

右廿一首、田邊福麿之謌集中出也
注訓 右の廿一首は、田辺(たなべの)福麿(さきまろ)の歌集の中(うち)に出づ。


おわりに
 後期万葉集の歴史を語るような雑歌だけで部立されたこの巻六の最後が、どうも、神亀三年の播磨国印南郡への行幸のときの歌のようです。その前の集歌1062の長歌が天平十六年の難波宮遷都の歌ですから、本来の時代の流れとしては次の平城宮の東大寺大仏建立になるはずです。それが、神亀三年の播磨国印南郡への行幸の歌です。なにか、不思議な巻六の閉め方です。
 参考に、現代において復元される歴史では、神亀三年の播磨国印南郡への御幸と後期難波宮の建設は、ともに長屋王に深く係る事項です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻六を鑑賞する  集歌1037から集歌1061まで

2011年05月21日 | 万葉集巻六を鑑賞する
万葉集巻六を鑑賞する

十五年癸未秋八月十六日、内舎人大伴宿祢家持、讃久邇京作謌一首
標訓 (天平)十五年癸未の秋八月十六日に、内舎人大伴宿祢家持の、久邇(くに)の京(みやこ)を讃(ほ)めて作れる謌一首

集歌1037 今造 久尓乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之
訓読 今造る久迩(くに)の王都(みやこ)は山川の清(さや)けき見ればうべ知らすらし

私訳 新しく造る久邇の都は、山川の清らかさを見れば、まことに王が統治なされていることです。


高丘河内連謌二首
標訓 高丘(たかおかの)河内連(かふちのむらじ)の謌二首
集歌1038 故郷者 遠毛不有 一重山 越我可良尓 念曽吾世思
訓読 故郷(ふるさと)は遠くもあらず一重山(ひとへやま)越ゆるがからに念(おも)ひぞ吾(あ)がせし

私訳 故郷が遠くにあるからではない。ただ、この一重の山並みを越えるがゆえに、貴女への物思いを私はしているのです。


集歌1039 吾背子與 二人之居者 山高 里尓者月波 不曜十方余思
訓読 吾が背子と二人し居(を)らば山高み里には月は照らずともよし

私訳 私の愛しい貴女と二人で居るならば、山が高くて里に月が照らなくてもかまわない。

 恋する男女で見るべき満月の月を、高丘河内は今年は独りで見ているようです。集歌1037の歌の続きとしますと、高丘河内は建設中の久邇の都から恋人の住む奈良の都を眺めているような雰囲気になります。こうした時、歌としては大伴家持が詠う集歌1037の歌は年代を示すだけのおまけの歌で、本題は高丘河内の詠う二首となります。



安積親王、宴左少辨藤原八束朝臣家之日、内舎人大伴宿祢家持作謌一首
標訓 安積親王(あさかのみこ)の、左少辨藤原八束朝臣の家に宴(うたげ)せし日に、内舎人大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌1040 久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戸尓今夜者 明而将去
訓読 ひさかたの雨は降りしけ念(おも)ふ子が屋戸(やど)に今夜(こよひ)は明かして行かむ

私訳 遥か彼方から雨は降りしきる。私がお慕いする貴方は、この家に今夜は明日の朝まで夜を明かしていくでしょう。



十六年甲申春正月五日、諸卿大夫、集安倍蟲麿朝臣家宴謌一首  作者不審
標訓 (天平)十六年甲申の春正月五日に、諸(もろもろ)の卿大夫(まえつきみたち)の、安倍蟲麿朝臣の家に集(つどひ)て宴(うたげ)せし謌一首  作者は審(つばひ)らかならず

集歌1041 吾屋戸乃 君松樹尓 零雪之 行者不去 待西将待
訓読 吾が屋戸(やど)の君(きみ)松(まつ)の樹に降る雪の行(ゆ)きには去(い)かじ待(まつ)にし待(ま)たむ

私訳 私の家の貴方を待つ、君松の樹に降る雪、その雪のように行きはいきません。君松のように貴方を待ちに待ちましょう。


同月十一日、登活道岡集一株松下飲哥二首
標訓 (天平十六年)同じ月十一日に、活道(いくぢ)の岡に登り、一株(ひともと)の松の下(もと)に集ひて飲(うたげ)せる歌二首
集歌1042 一松 幾代可歴流 吹風乃 聲之清者 年深香聞
訓読 一つ松(まつ)幾代(いくよ)か経ぬる吹く風の音(おと)の清きは年(とし)深(ふ)かみかも

私訳 この一本松はどれほどの世代を経てきたのだろう。松に吹く風の音が清らかなのは、松の寿命が長いからだろう。

右一首、市原王作
注訓 右の一首は、市原王の作れる


集歌1043 霊剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曽念
訓読 霊(たま)きはる寿(よはひ)は知らず松が枝(え)を結ぶ情(こころ)は長くとぞ念(おも)ふ

私訳 宿る霊にも期限がありその寿命は判らないが、松の枝に結ぶ願いは命が長くあって欲しいと念じます。

右一首、大伴宿祢家持作
注訓 右の一首は、大伴宿祢家持の作れる



傷惜寧樂京荒墟作謌三首 (作者不審)
標訓 寧樂(なら)の京(みやこ)の荒れたる墟(あと)を傷(いた)み惜(お)しみて作れる謌三首 (作者審(つばひ)らかならず)
集歌1044 紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
訓読 紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし情(こころ)かも寧樂(なら)の京師(みやこ)に年の経(へ)ぬべき

私訳 栄華に建物が紅に彩られた、その紅に深く染まってしまった思いなのか、それなら留守の司以外住む事を許されない、この奈良の都で年を過すべきです。


集歌1045 世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者
訓読 世間(よのなか)を常無きものと今ぞ知る平城(なら)の京師(みやこ)の移(うつ)ろふ見れば

私訳 人の世を常無きものと、今、知った。奈良の都の時の中での、その姿の移り変わりようを見ると。


集歌1046 石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
訓読 石綱(いはつな)のまた変若(を)ち反(かへ)りあをによし奈良の都をまたも見むかも

私訳 岩に這う蔦が、時に合わせて若返るように、よみがえる青葉美しい奈良の都を再び見るでしょう。



悲寧樂故郷作謌一首并短謌
標訓 寧樂の故(ふ)りにし郷(さと)を悲しびて作れる謌一首并せて短謌
集歌1047 八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀塊丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男牡鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思並敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

訓読 やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和の国は 皇祖(すめろき)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 平城(なら)の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺に 桜花 木の暗(くれ)隠(こも)り 貌鳥(かほとり)は 間(ま)無くしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 射駒(いこま)山 飛火(とぶひ)が塊(たけ)に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし 大夫(もののふ)の 八十伴の男(を)の うち延(は)へて 念(おも)へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 念(おも)へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の京(みやこ)を 新世(あらたよ)の ことにしあれば 皇(すめろぎ)の 引きのまにまに 春花の 移(うつ)ろひ易(かは)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(い)かねば 荒れにけるかも

私訳 天下をあまねく承知なられる吾等の大王が天まで高らかに統治なられる大和の国は、皇祖の神の時代から御統治なされる国であるので、お生まれになる御子が継ぎ継ぎに統治ならせると、八百万、千年の統治なされる歳とを兼ねてお定めになられた奈良の都は、陽炎の立つ春になると春日山の三笠の野辺に桜の花、その樹の暗がりにはカッコウが絶え間なく啼く、露霜の秋がやって来れば、生駒山の飛火の丘に萩の枝のシガラミを散らして角の立派な牡鹿が妻を呼び声が響く。山を見れば山を眺めたくなり、里を見れば里に住みたくなる。立派な男たちの大王に仕える男たちが寄り集まって願うことには、天と地が重なり合う果てまで、万代まで栄えていくでしょうと、念じている大宮だけでも、頼もしく思っていた奈良の都だが、新しい時代のことであるので、天皇の人々を引き連れるままに、春の花が移ろい変わり、群れた鳥が朝に寝床から揃って飛び立つように旅たっていくと、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮の宮人が踏み均して宮に通った道は、馬も行かず、人も行かないので荒れてしまったのでしょう。


反謌二首
集歌1048 立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異利
訓読 たち易(かは)り古き京(みやこ)となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生ひにけり

私訳 繁栄していた時代とは立ち代り、古い都となってしまったので、路に生える芝草が長く伸びてしまった。


集歌1049 名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益
訓読 なつきにし奈良の京(みやこ)の荒(あ)れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増さる

私訳 慣れ親しんだ奈良の都が荒れていくと、都度、立ち寄るたびに嘆きが増してくる。



讃久邇新京謌二首并短歌
標訓 久邇の新しき京(みやこ)を讃(ほ)むる謌二首并せて短歌

集歌1050 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛可怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜

訓読 現(あき)つ神 吾が皇(すめろぎ)の 天の下 八島(やしま)の中(うち)に 国はしも 多(さわ)くあれども 里はしも 多(さわ)にあれども 山並みの 宜(よろ)しき国と 川なみの たち合ふ郷(さと)と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱 太敷き奉(まつ)り 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清(きよ)き 山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)め 春されば 岡辺(おかへ)も繁(しじ)に 巌(いはほ)には 花咲きををり あなおもしろ 布当(ふたぎ)の原 いと貴(たふと) 大宮所 うべしこそ 吾が大王(おほきみ)は 君がまに 聞かし賜ひて さす竹の 大宮(おほみや)此処(ここ)と 定めけらしも

私訳 身を顕す神である吾等の皇が天下の大八洲の中に国々は沢山あるが、郷は沢山あるが、山並みが願いに適い宜しい国と、川の流れが集る郷と、山代の鹿背の山の裾に宮柱を太く建てられて、天まで高だかに統治なされる布当の都は、川が近く瀬の音が清らかで、山が近く鳥の音が響く。秋になれば山も轟かせて角の立派な牡鹿の妻を呼ぶ声が響き、春になれば丘のあたり一面に岩には花が咲き豊かに枝を垂れ、とても趣深い布当の野の貴いところよ。大宮所、もっともなことです。吾等が大王は、君の進言をお聞きになられて、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮はここだと、お定めになられたらしい。


反謌二首
集歌1051 三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 (一云 此跡標刺) 定異等霜
訓読 三香(みか)の原布当(ふたぎ)の野辺(のへ)を清(きよ)みこそ大宮所 (一云 ここと標(しめ)刺し) 定めけらしも

私訳 三香の原の布当の野辺が清らかなので大宮所と(或いは云く、ここの場所だと境界を)定められたのでしょう。


集歌1052 弓高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将 大宮所
訓読 豊き川の瀬清(きよ)し百世(ももよ)さへ神の味はふ大宮所

私訳 物部の人々が弓を掲げ、豊かな川の流れは清らかです。百代の後に至るまでも神が祝福する大宮所よ。



集歌1053 吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左牡鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處

訓読 吾が皇(きみ)の 神の命(みこと)の 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 百樹(ももき)成(な)し 山は木高(こだか)し 落ち激(たぎ)つ 瀬の音(と)も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌(いはほ)には 山下(した)光(ひか)り 錦なす 花咲きををり さ雄鹿(をしか)の 妻呼ぶ秋は 天(あま)霧(ぎ)らふ 時雨(しぐれ)をいたみ さ丹つらふ 黄(もみち)葉(は)散りつつ 八千年(やちとせ)に 生(あ)れ衝(つ)かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代(ももよ)にも 易(かは)るましじき 大宮所

私訳 吾等の皇子で神の命が天まで高く統治なされる、その布当の宮は、多くの木々が生い茂り、山には木が高く生え、流れ落ちる激流の瀬の音も清らかで、鶯がやって来て啼く春になると、岩には山の麓を輝かせるように錦のような色取り取りに花が咲きたわみ、角の立派な牡鹿が妻を鳴き呼ぶ秋には、空に霧が立ち、時雨がしきりに降り、美しく丹に染まる黄葉は散り行き、数千年に生まれ継ぎながら天下を統治なされるでしょうと、百代にも遷り易ることがあるはずも無い、ここ大宮です。


反謌五首
集歌1054 泉河 徃瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷徃目
訓読 泉川往(い)く瀬の水の絶えばこそ大宮所遷(うつ)ろひ往(い)かめ

私訳 泉川の流れ往く瀬の水が絶えることがあるならば、ここ大宮は遷り易り往くでしょう。


集歌1055 布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處
訓読 布当山(ふたぎやま)山並み見れば百代(ももよ)にも易(かは)るましじき大宮所

私訳 布当山の、その山並みを見れば、百代にも遷り易ることがあるはずも無い、ここ大宮です


集歌1056 盛嬬等之 續麻繁云 鹿脊之山 時之徃去 京師跡成宿 (盛は、女+盛)
訓読 女子(をみな)らが続麻(うみを)懸(か)くといふ鹿背(かせ)の山時の往(い)ければ京師(みやこ)となりぬ

私訳 女達が績麻を懸ける「かせ」と云う鹿背の山よ、時が過ぎ行くと今は都となった。


集歌1057 鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鴬之音
訓読 鹿背(かせ)の山樹立(こだち)を繁(しげ)み朝さらず来鳴き響(とよ)もす鴬の声

私訳 鹿背の山の木立は茂っている、朝毎に飛び来て啼き響かす鶯の声よ。


集歌1058 狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 (一云 渡遠哉 不通者武)
訓読 狛山(こまやま)に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠(とほ)みここに通(かよ)はず (一云 渡り遠みか通はずはらむ)

私訳 狛山に啼くホトトギスは、泉川の渡りが広く遠いので、ここには通って来ない。(あるいは云うに「渡りが広く遠いのか、それで通わないのだろう」といへり。)



春日悲傷三香原荒墟作謌一首并短謌
標訓 春日(はるひ)に、三香(みか)の原の荒れたる墟(あと)を悲傷(いた)みて作れる謌一首并せて短謌
集歌1059 三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在果石 住吉里乃 荒樂苦惜哭

訓読 三香(みか)の原 久迩(くに)の京師(みやこ)は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は云へども 在(あ)りよしと 吾は念(おも)へど 古(ふ)りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり 愛(は)しけやし 如(かく)ありけるか 三諸(みもろ)つく 鹿背(かせ)の山の際(ま)に 咲く花の 色めづらしく 百鳥(ももとり)の 声なつかしく 在(あ)り果(はて)し 住みよき里の 荒るらく惜しも

私訳 三香の原にある久邇の京は、山が高く、川の瀬は清らで、住むのに良い処と人は云うけれど、滞在するに良いと私は思うけれど、既に過去の里になってしまったので、この土地を見ても人はやって来ず、人里を見ると家は荒れ果てている。愛しくもこのようになってしまったのか、神々しい鹿背の山のほとりに咲く花は色美しく、多くの鳥の鳴き声は心地好く、滞在していたこの住みやすい里が、荒れ果てていくのが残念です。


反謌二首
集歌1060 三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者
訓読 三香(みか)の原久迩(くに)の京(みやこ)は荒れにけり大宮人の遷(うつろ)ひぬれば

私訳 三香の原にある久邇の京は荒れ果ててしまった。大宮人が遷っていってしまったので。


集歌1061 咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易去流
訓読 咲く花の色は易(かは)らずももしきの大宮人ぞ立ち易(かは)りさる

私訳 咲く花の色は変わることもない。多くの岩を積み作る大宮の宮人だけが立ち替わり去って行った。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加