竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3848、集歌3849

2010年07月31日 | 万葉集巻十六を鑑賞する
夢の裏に作れる謌
 忌部首某が詠う歌が集歌3832の歌として、この巻に載っています。この集歌3848の歌の左注からすると、集歌3832の詠數種物謌は忌部首黒麿の作品かもしれません。
 歌は、正夢の出来事を伝える確証の歌です。夢の中で歌を作り友に贈り、その夢から覚めて友に「夢で歌を贈ったが、受け取ったか」と聞いたときに、その夢で歌を贈られた人の回答の歌です。これが真実だとすると、不思議なことは在るようです。それで時の話題になった歌なのでしょう。
 なお、漢字表記では、「田」と「稲」、「倉」と「蔵」の遊びを楽しんでください、さて、夢の内に、このような遊びたっぷりの歌が作れるものでしょうか。集歌3848の歌は墨書して表記で楽しむ歌ですが、左注は口唱した歌とします。すると、この忌部首黒麿の胡散臭さが、当時には「夢の裏」よりも評判だったのでしょうか。表記方法が凝っていますから、色々と勘ぐってしまいます。

夢裏作謌一首
標訓 夢の裏に作れる謌一首
集歌3848 荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲干稲志 吾戀良久者

訓読 新墾田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)の稲を倉に擧蔵(あ)げしあなひねひねし我が恋ふらくは

私訳 新しく開墾した田の鹿や猪が荒らす田の稲を刈り取って倉に納めると、新しい稲もとてもひなびれるように、ああ、ひなびれてしまったよ、私の恋心は。

右謌一首、忌部首黒麿、夢裏作此戀謌贈友。覺而令誦、習如前

注訓 右の謌一首は、忌部首黒麿の、夢の裏(うち)に此の戀の謌を作り友に贈る。覺めて誦(うた)はしむ、習(なら)ひは前(さき)の如し。

注訳 右の歌一首は、忌部首黒麿が夢の中でこの恋の歌を作り友に贈った。夢から覚めて友に歌を詠わさせると、その様は夢の中と同じであった。



世間を厭ひ、常無き謌
 集歌3849の歌から集歌3852の歌までの四首は、仏教説話のような輪廻転生を厭い、そこからの解脱を説く仏教世界を詠った歌とされています。
 ただし、集歌3851の歌だけは道教の荘子を引用しているのではないかと解釈します。四首を組として解釈する上では、非常にバランスが悪いのですが「狼孤射能山乎」(「狼」は草冠に狼)が難訓で「藐孤射能山」の誤字として「藐姑射の山」と訓む関係で、荘子になります。

厭世間無常謌二首
標訓 世間(よのなか)を厭(いと)ひ、常(つね)無き謌二首

集歌3849 生死之 二海乎 厭見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨

訓読 生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲ひつるかも

私訳 生まれ、死ぬ、この二つの人の定めの世界を厭わしく想い、海の水が引ききって再び潮の満ちることのない山を慕ってしまう。


集歌3850 世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞

訓読 世間(よのなか)の繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも

私訳 この世の煩わしい仮の人生に住み暮らしていても、死して旅行く国への標を知ることはない。

右謌二首、河原寺之佛堂裏、在倭琴面之
注訓 右の謌二首は、河原寺の佛堂の裏(うち)の、倭(やまと)琴(こと)の面(おも)に在りと。


集歌3851 心乎之 無何有乃郷尓 置而有者 狼孤射能山乎 見末久知香谿務

訓読 心をし無何有(むかふ)の郷(さと)に置きてあらば藐孤射(はこや)の山を見まく近けむ

私訳 心を無為自然の無何有の境地に置きたらば、仙人の住む藐姑射の山を見て暮らすような境地は近いであろう。
右謌一首
注訓 右は、謌一首


集歌3852 鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼

訓読 鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干(しほひ)て山は枯(か)れすれ

私訳 鯨魚を獲る広い海も死して滅する、山も死して滅する。死して滅するからこそ海は潮が引くし、山は木が枯れる。
右謌一首
注訓 右は、謌一首

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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3846

2010年07月29日 | 万葉集巻十六を鑑賞する
檀越と法師の歌
 集歌3847の歌の「弖戸等我」の「弖」を「丁」の当字と解釈しています。そうすることで「丁(よぼろ)」を出す「戸」に指名されたら大変でしょうと、班田収受の規定から外れる僧侶からのからかいになります。つまり、伝わる西本願寺本の万葉集の歌を、「訓読み万葉集」のように「弖」を「五十」、「等」を「長」の誤記として、「弖戸等我」の表記を「五十戸長我」が正しいとして新しい万葉集の歌に創り直す必要はなくなります。このように時代や先達の苦労の背景を想像しながら歌を楽しむのも、万葉集鑑賞での一つの楽しみでもあります。
 歌自体としては、二首の間には物理的な痛さと精神的な痛さの差があります。檀越が坊主頭にヤギ鬚のような風采の僧侶へ軽いからかいの歌を詠ったのですが、法師からの返しの歌としては、少し真剣で精神的に辛い痛みのあるからかいです。また、「甘」には、「しかたないと思って我慢する」のような意味もありますが、「半甘(なかかむ)」と訓むと「泣かん」です。字面は甘そうですが、意味合いは辛い処があります。
 一見、日常会話のような歌ですが、社会と世相風刺があり、素人には難しい歌です。


戯嗤僧謌一首
標訓 僧を戯(たわむ)れ嗤(わら)ひたる謌一首
集歌3846 法師等之 鬚乃剃杭 馬繋 痛勿引曽 僧半甘

訓読 法師らが鬚(ひげ)の剃り杭(くい)馬(うま)繋(つな)ぐいたくな引きそ法師は泣かむ

私訳 法師らの鬚を剃らずに残した杭のようなアゴヒゲに馬を繋いだ。ひどく引っ張るな。法師が我慢しても。


法師報謌一首
標訓 法師の報(こた)へたる謌一首
集歌3847 檀越也 然勿言 弖戸等我 課役徴者 汝毛半甘

訓読 壇越(だんをち)やしかもな言ひそ丁戸(よほろ)らが課役(えつき)徴(はた)らば汝(いまし)も泣かむ

私訳 檀越よ、そんな風に云うな。丁(よぼろ)を出す家に当たって課役を課せられたら、お前も多少は仕方がないと思って我慢するだろう。

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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3840

2010年07月26日 | 万葉集巻十六を鑑賞する
罵り嗤ふ歌 建前と本音
 歌で「阿曽」の言葉を、歌の鑑賞での便宜上、これを「朝臣(あそ)」と訓んでいますが、奈良時代には建前の言葉では「阿曽」は崖地や斜面を掘ったような地形を示す言葉です。したがって、表面上では歌で特定の人物を示して罵り嗤ってはいないことになっています。また「鼻」は、場所を示す言葉で使う場合は「その先」の意味ですから、特定の人物の赤い鼻を示しているのではありません。さらに、女餓鬼は、奈良時代の仏法では淫欲や物欲等の欲望を求め続ける女性をも意味します。つまり、普段に思う地獄の餓鬼道に落ちた女性、女の形をした餓鬼仏像や女性への蔑称・罵声だけの意味ではありません。
 このように集歌3840の歌、集歌3844と集歌3845の歌も、読み手は特定の人物を明確に想像するのですが、表面上の歌の表記では特定の人物を示してはいません。これがこれらの歌の鑑賞では、重要です。これらの歌々を「罵り嗤ふ歌」と標題に惑わされて「なま」に解釈しては、風流人ではありません。表記する字面での「建前」が重要です。本来なら、建前を説明した後に、本音を説明すると「授業」になるのでしょうが、本音だけでは「話題」だけです。
 ここでは、訓読みを伝統に従って「歌の鑑賞での便宜上の表記」で示していますから、私訳は本来の「建前の表記」からの意訳の方を紹介します。標題に合わせた罵る意味合いの歌意は、普段に目にする「意訳した後の訓読み万葉集」のままです。このため、原文、訓読と私訳とが全く持って不統一を来たしていますが、このような理由であることを了解下さい。


池田朝臣、嗤大神朝臣奥守謌一首 (池田朝臣名忘失也)
標訓 池田朝臣の、大神朝臣奥守を嗤ひたる謌一首 (池田朝臣の名を忘れ失すなり)
集歌3840 寺々之 女餓鬼申久 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播

訓読 寺々の女餓鬼(めがき)申(もを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)給(たは)りてその子(し)播(ひろ)めむ

私訳 寺々で淫欲や嫉妬深い女たちが申すことには、大神寺にある男餓鬼の仏像を頂いて、その係累の仏像を世の中に広めましょう。


大神朝臣奥守報嗤謌一首
標訓 大神朝臣奥守の報(こた)へて嗤(わら)ひたる謌一首
集歌3841 佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼

訓読 仏造る真朱(まそ)足らずは水渟(た)まる池田の朝臣(あそ)が鼻の上(うへ)を穿(ほ)れ

私訳 仏を造る真っ赤な真朱が足りないのなら、水が溜まる池田の崖のその先の上を掘れ。


或云
標訓 或るは云はく
平群朝臣謌一首
標訓 平群朝臣の謌一首
集歌3842 小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼

訓読 童(わらは)ども草はな刈りそ八穂蓼(やほたで)を穂積の朝臣(あそ)が腋(わき)草(かや)を刈れ

私訳 童たちよ、草をそんなに刈るな、たくさん穂のある蓼を。穂積の崖の脇の草を刈れ。


穂積朝臣和謌一首
標訓 穂積朝臣の和へたる謌一首
集歌3843 何所曽 真朱穿岳 薦疊 平群乃阿曽我 鼻上乎穿礼

訓読 いづくにぞ真朱(まそ)穿(ほ)る岳(をか)薦畳(こもたたみ)平群(へぐり)の朝臣(あそ)が鼻の上を穿れ

私訳 どこにあるのだろう。真っ赤な真朱を掘る丘は。薦や疊の平群の崖のその先の上の方を掘れ。


嗤咲黒色謌一首
標訓 色の黒きを嗤咲ひたる謌一首
集歌3844 焉玉之 斐太乃大黒 毎見 巨勢乃小黒之 所念可聞

訓読 ぬばたまの斐太(ひた)の大黒(おほくろ)見るごとに巨勢の子(こ)黒(くろ)し思ほゆるかも

私訳 この真っ黒な飛騨の大きい黒馬を見るたびに、巨勢の子の黒麿のことを思い出します。


答謌一首
標訓 答へたる謌一首
集歌3845 造駒 土師乃志婢麿 白尓有者 諾欲将有 其黒色乎

訓読 駒造る土師(はじ)の志婢麿(しびまろ)白にあば諾(うべ)欲(ほ)しからむその黒色(くろいろ)を

私訳 埴輪の駒を造る土師の志婢麿よ。埴輪の駒が白いので、なるほど欲しいだろう。埴輪の駒を塗る、その黒色を。

右謌者、傳云有大舎人土師宿祢水通、字曰志婢麿也。於時大舎人巨勢朝臣豊人、字曰正月麿、与巨勢斐太朝臣(名字忘之也 嶋村大夫之男也)兩人、並此彼皃黒色焉。於是、土師宿祢水通作斯謌咲者。巨勢朝臣豊人、聞之、即作和謌酬咲也

注訓 右の謌は、傳へて云はく「大舎人土師宿祢水通(みみち)といへるあり、字(あざな)を志婢麿(しびまろ)と曰ふ。時に、大舎人巨勢朝臣豊人(とよひと)、字を正月麿(むつきまろ)と曰へると巨勢斐太朝臣(名(な)字(あざな)は忘る。 嶋村大夫の男(をこと)なり)との兩人(ふたり)、並(とも)に此(これ)彼(それ)の皃(かほ)黒色なり。ここに、土師宿祢水通この謌を作りて咲ふ。巨勢朝臣豊人、これを聞きて、即ち和(こた)ふる謌を作りて酬(こた)へ咲(わら)ふ」といへり。

注訳 右の歌は伝えて云うには「大舎人の土師宿祢水通と云う者がいた。字を志婢麿と云った。ある時、大舎人の巨勢朝臣豊人、字を正月麿と云う、と巨勢朝臣斐太(名と字は忘れた、嶋村大夫の息子である)との二人、共にどちらともに顔の色が黒かった。そこで、土師宿祢水通がこの歌を作って笑った。巨勢朝臣豊人がそれを聞いて、そこでその歌に応える歌を作って応酬して笑った」という。

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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3838

2010年07月24日 | 万葉集巻十六を鑑賞する
意味がありそうで意味のない歌
 言葉の並びや口調から、一見、歌意がありそうですが、まったく、歌意はありません。また、詞を聞くと、どこかで聞いたことのあるような詞ですのでパロディーの様ですが、引用するものも無いためにパロディーとも違います。それで、これが特選の歌で、その褒賞の代価が銭二千文なのでしょう。
 この歌は、集歌3832から3834までの歌で見たような品物の名や言葉を羅列した歌ではありませんから、万葉集の歌を知り尽くさないと逆に歌えない歌に位置するのかも知れません。つまり、詠う人も、褒美をあげる人も、それを脇で聞く人も、これら全ての人々が人麻呂時代の万葉集の代表的な歌々を知っていることが、前提の歌です。
 このように「心の著く所無き謌二首」は、万葉集を楽しむ立場の者にとっては、どれだけ万葉集を楽しんだかを試験されるようで辛い歌です。

無心所著謌二首
標訓 心の著(つ)く所無き謌二首
集歌3838 吾妹兒之 額尓生 雙六乃 事負乃牛之 倉上之瘡

訓読 我妹子が額(ひたひ)に生(お)ふる双六の牡(ことひの)牛(うし)の鞍(くら)上(へ)の瘡(かさ)

私訳 私の愛しい妻の額の二つの、双六の勝負に負けた形の牛の、牡牛の倉の、鞍の上の瘡。


集歌3839 吾兄子之 犢鼻尓為流 都夫礼石之 吉野乃山尓 氷魚曽懸有 (懸有、反云佐家礼流)

訓読 我が背子が犢鼻(たふさき)にする円石(つぶれし)の吉野の山に氷魚(ひを)ぞ下がれる
(懸有、反(はん)して「さかれる」と云ふ )

私訳 私の愛しい夫がフンドシにする丸い石の、礫岩の吉野の山に氷雨、その氷魚がぶら下がる。

右謌者、舎人親王令侍座曰、或有作無所由之謌人者、賜以錢帛。于時、大舎人安倍朝臣子祖父乃作斯謌獻上。登時以所募物、錢二千文給之也

注訓 右の謌は、舎人親王侍座(じざ)に令(おほ)せて曰はく「或は由(よ)る所無き謌を作る人あらば、賜ふに錢帛(せんはく)を以ちてせむ」といへり。時に、大舎人安倍朝臣子祖父(こおほぢ)、乃(すなは)ちこの謌を作りて獻上れり。登時(すなはち)以所(ゆえに)募(つの)れる物、錢二千文を給ひき

注訳 右の歌は、舎人親王が侍者に命じられて云うには「もし、意味が有りそうで無い歌を作る者がいたら、褒美を授けるのに銭や帛をやろう」と云われた。その時に、大舎人の安倍朝臣子祖父が、すぐにこの歌を作って献上した。そこで、その褒賞の品物として、銭二千文を授け為された。

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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3837

2010年07月22日 | 万葉集巻十六を鑑賞する
荷葉を開く歌
 万葉集の中でも屈指のなぞ解きの歌です。
 この歌は、その左注に記されるように、当時に評判の和歌の歌い手である右兵衛府に勤める人物が酒宴を盛り上げるために「荷葉」の文字を分解して歌を詠ったとありますから、この歌を鑑賞するときには表面上の歌意の鑑賞ではなく、その「なぞなぞ」に答える必要があります。
 そこで、私は「荷葉」の文字を開いて「廾何廾世木」(「廾」は「ソウ・サ」と訓む)として「さかさせき」と訓み、「探させき」を意味すると推理しました。その「誰を探すか」と云うと、「久堅之雨毛落奴可」と「渟在水乃玉似将有見」の意味合いから、柿本人麻呂の挽歌の一節と天渟中原瀛真人天皇(天武天皇)を想い、亡くなられ法要される「玉」の漢字に似た「草壁王(皇子)」を探したと解釈しました。つまり、草壁皇子は仏として蓮葉の上にいらっしゃることになります。
 こうした時、集歌3837の歌は二重のなぞ掛けを持った万葉集でも屈指のなぞなぞ歌となり、万葉時代の風流人の中でも「多能謌作之藝」とされる人に相応しくなります。それで、この巻十六に左注を付けての採録と思います。参考に集歌3824の歌では、「關此饌具雜器狐聲河橋等物」とあり、似たような出題ですが、集歌3824の歌は「饌具」、「雜器」、「狐」、「聲」、「河」と「橋」の詞を織り込めとの要請です。同じような宴会で余興の歌ですが、集歌3837と集歌3824の歌では、その性質が違います。
 なお、普段の解説では左注の漢文の詞の「開其荷葉而作。此謌者、」を集歌3824の歌と同じようなものとしての「関其荷葉而作歌者、」の誤記として、「その荷葉に関(か)けて歌を作れといへれば」と解釈します。つまり、歌の中に「荷葉又は蓮荷」の言葉が有れば、それで十分と解釈しての誤記説です。素人としては、ただ、残念です。
 このように歌を紹介しますが、訳文は直のそのままを示すだけにしますので、なぞなぞの答えとなる歌は、別途、お楽しみください。

集歌3837 久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似将有見

訓読 ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に渟(とど)まる水の玉に似る見む

私訳 遥か彼方から雨も降って来ないだろうか。蓮の葉に留まる水の玉に似たものを見たいものです。

右謌一首、傳云有右兵衛。(姓名未詳) 多能謌作之藝也。于時、府家備設酒食、饗宴府官人等。於是饌食、盛之皆用荷葉。諸人酒酣、謌舞駱驛。乃誘兵衛云開其荷葉而作。此謌者、登時應聲作斯謌也

注訓 右の謌一首は、傳へて云はく「右兵衛(うひょうえ)なるものあり(姓名は未だ詳(つばび)らならず)。 多く謌を作る藝(わざ)を能(よ)くす。時に、府家(ふか)に酒食(しゅし)を備へ設け、府(つかさ)の官人等(みやひとら)を饗宴(あへ)す。是に饌食(せんし)は、盛るに皆荷葉(はちすは)を用(もち)ちてす。諸人(もろびと)の酒(さけ)酣(たけなは)に、謌舞(かぶ)駱驛(らくえき)せり。乃ち兵衛なるものを誘ひて云はく『其の荷葉を開きて作れ』といへば、此の謌は、登時(すなはち)聲に應(こた)へて作れるこの謌なり」といへり。

注訳 右の歌一首は、伝えて云うには「右の兵衛府にある人物がいた。姓名は未だに詳しくは判らない。多くに歌を作る才能に溢れていた。ある時、兵衛府の役所で酒食を用意して、兵衛府の役人達を集め宴会したことがあった。その食べ物は盛り付けるに全て蓮の葉を使用した。集まった人々は酒宴の盛りに、次ぎ次ぎと歌い踊った。その時、右の兵衛府のある人物を誘って云うには『その荷葉を開いて歌を作れ』と云うので、この歌は、すぐにその声に応えて作ったと云う歌」と云う。

 ここで、この「荷葉を開く歌」が暗示する「柿本人麻呂の挽歌の一節」が当時の歌人の共通の認識であることを記憶して置いてください。集歌3858と3859の歌を理解する上で重要な時代背景になります。そして、柿本人麻呂は自らを「大夫跡念有吾毛」と詠う身分の人物です。

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