竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3314の歌

2010年05月31日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3314の歌
 集歌3314の歌以下四首の歌の情景が、不明です。集歌3314の長歌では、女は平城山から山代の方角を見て、丘を次々と越えて行く一行を見送っています。その反歌の集歌3315の歌は、その山背の道を辿って行く先の情景ですから、話は通ります。ところが、或る本の反歌では、女は木津川のほとりに立っていたり、また、その旅の同行者になっています。
 ここらから、何らかの歌垣での一節のような感覚がします。集歌3317の歌が男からの歌ですから、女が詠う集歌3315の歌と集歌3316の歌との間に、男歌を挟むと歌垣らしく感じるのは欲でしょうか。
 なお、普段の解説で、真澄鏡と蜻蛉領巾とを持って行っても、それでは馬とは交換出来ないと説明するものもありますが、普段の女性が自分の自由になる最大の価値ある持ち物を想像したとして、私は歌を楽しんでいます。女性が、恋した貴方だけが徒歩で行くことに対して、自分の出来ることを全てしたいと云う女心です。その返しが、集歌3317の歌のそんなお前と手に手を取って歩きたいです。

集歌3314 次嶺經 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背

訓読 つぎねふ 山背道(やましろみち)を 他夫(ひとつま)の 馬より行くに 己夫(おのつま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ そこ思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 吾が持てる 真澄鏡(まそかがみ)に 蜻蛉(あきつ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へ吾が背

私訳 次々と丘を越えて山背の道を他の夫は馬に乗って行くのに、私の夫が歩いて行くのを見るたびに、恨めしく泣いてしまう。その姿を思うと心が痛い。乳をくれて育ててくれた実母の思い出と私が持っている真澄鏡に蜻蛉領巾をともに背負って市場に持って行って、馬を買いなさい、私の愛しい貴方。


反歌
集歌3315 泉河 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨

訓読 泉川渡り瀬深み吾が背子が旅行き衣(ころも)濡(ひづち)なむかも

私訳 泉川を渡る瀬は深い。私の愛しい貴方が旅を行くのに衣を濡らさないでしょうか。


或本反歌曰
標訓 或る本の反歌に曰はく、
集歌3316 清鏡 雖持吾者 記無 君之歩行 名積去見者

訓読 真澄鏡(まそかがみ)持てれど吾は験(しるし)なし君が徒歩(かち)よりなづみ行く見れば

私訳 真澄鏡を持っていても私には思い出にもならない。貴方が徒歩で川の水に浸かって渡って行くのを見ると。


集歌3317 馬替者 妹歩行将有 縦恵八子 石者雖履 吾二行

訓読 馬替はば妹(いも)徒歩(かち)ならむよしゑやし石(いは)は履(ふ)むとも吾は二人行かむ

私訳 馬に交換しても貴女は徒歩で行くのでしょう。いいではないか、足で石を踏んでも、私は貴女と二人で歩いて行きたい。
右四首
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3310の歌

2010年05月29日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3310の歌
 集歌3310の歌以下四首の歌で、集歌3313の歌には棚機津女(たなはたつめ)と乞巧奠(きつこうてん)の行事が混在した状態と推測されますから、歌が詠われたのは飛鳥時代後半以降でしょうか。そして、泊瀬の地名から推測して、奈良の京時代までは下らずに藤原京時代のものでしょうか。
 ただし、人麻呂歌集から推定して、集歌3310の歌の世界が示す屋敷を持つような身分の妻問いでは、事前にお互いの家同士で連絡があり、妻問いを受ける女性の方で訪れる男性の使う寝具と枕を準備します。つまり、この歌の世界と実際の当時の貴族たちの生活とは違います。そこで、これらの歌は藤原京時代の宮中での歌垣の一コマである可能性が、高いと思っています。ちょうど、男側の代表が長歌で情景を詠い、その詠い納めに一呼吸置いて反歌で閉めます、その情景を受けて女側の代表が長歌と反歌で返します。そんな受取で一話が終わると、男女の集団で旋頭歌を交換する。そんな情景でしょうか。

集歌3310 隠口乃 泊瀬乃國尓 左結婚丹 吾来者 棚雲利 雪者零来 左雲理 雨者落来 野鳥 雉動 家鳥 可鶏毛鳴 左夜者明 此夜者昶奴 入而且将眠 此戸開為

訓読 隠口(こもくり)の 泊瀬の国に さ結婚(よはひ)に 吾が来れば たな曇り 雪は降り来 さ曇り 雨は降り来 野つ鳥 雉は響(とよ)む 家つ鳥 鶏(とり)も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ

私訳 隠口の泊瀬の国に、貴女と一夜の契をしようと私がやって来ると、空は雲に覆われ雪が降って来る。空は曇って雨が降って来る。野の鳥、雉の鳴き声は響き渡る。家の鳥、鶏も鳴く。その夜は明け、この一夜の夜は明ける。貴女の家に入って貴女と寝ましょう、この家の戸を開けてください。


反歌
集歌3311 隠来乃 泊瀬小國丹 妻有者 石者履友 猶来々

訓読 隠口の泊瀬小国(をくに)に妻しあれば石(いは)は履(ふ)めどもなほし来にけり

私訳 隠口の泊瀬の小さい郷に、妻が住んでいるのででこぼこ道なので足で石を踏んでも、それでもやって来ました。


集歌3312 隠口乃 長谷小國 夜延為 吾天皇寸与 奥床仁 母者睡有 外床丹 父者寐有 起立者 母可知 出行者 父可知 野干王之 夜者昶去奴 幾許雲 不念如 隠麗香聞

訓読 隠口(こもくり)の 泊瀬小国(をくに)に よばひ為(せ)す 吾が天皇(すめろぎ)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝(ね)たり 外(よそ)床(とこ)に 父は寝(ね)たり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こもり)妻(つま)かも

私訳 隠口の泊瀬の小さい郷に、私に夜這う私の天皇のような貴方。奥の床に母は寝ている。別の処で父は寝ている。起き出したら母は気付くでしょう。家から出て行くと父は知ってしまうでしょう。貴方の姿を隠す漆黒の夜は明けていくでしょう。たくさんに思うことがままならぬ、私は家に籠る、籠り妻なのでしょう。


反歌
集歌3313 川瀬之 石迹渡 野干玉之 黒馬之来夜者 常二有沼鴨

訓読 川の瀬の石(いは)踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも

私訳 川の瀬の石を踏み渡り、人々が待ち焦がれる漆黒の黒馬に乗って恋人がやって来る棚機津女の夜が、私に常にあってほしい。
右四首
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3305の歌

2010年05月27日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3305の歌
 集歌3305の歌以下五首は、柿本人麻呂と隠れ妻との最初の夜を過ごす、その日を待ちわびる想いを詠った歌です。少女の性的成長を花で喩えていますので、それぞれの花の開花を思い浮かべて女性の肢体を想像してください。ここで、桜は江戸彼岸か山桜かのどちらからしいのですが、ツツジより後から咲くのですと山桜の方が、その可能性が高いようです。
 なお、集歌3307の歌で、西本願寺本での「羊」は「遥」、「父」は「甫」の同意の異字と解釈するのが良いようで、それぞれに意味を持たしています。この漢字・漢語の世界から推定して、近代の万葉集の研究での誤字とする説は成り立たないとしていますし、誤字説での「羊の遥(遥かな)」の代わりに「年」、「父の甫(広大な)」の代わりに「文」として、万葉集の和歌として意味を取るのは難しいのではないでしょうか。

集歌3305 物不念 道行去毛 青山乎 振放見者 茵花 香未通女 櫻花 盛未通女 汝乎曽母 吾丹依云 吾叨毛曽 汝丹依云 荒山毛 人師依者 余所留跡序云 汝心勤

訓読 物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 香(にほへ)少女(をとめ) 桜花 栄(さかへ)少女 汝(な)れをぞも 吾に寄すといふ 吾をもぞ 汝れに寄すといふ 荒山(あらやま)も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ

私訳 花を是非に見ようと思わずに道を行き来ても、青葉の山を見上げるとツツジの花が芳しく香る未通女のようで、桜の花は盛りを迎えた未通女のようだ。そんな貴女は私を信頼して気持ちを寄り添え、つまらない私も同じように貴女を信じ気持ちを寄せる。手の入っていない未開の山も人が感心を寄せると、すぐに寄り来て手を入れると云います。ひたすら、貴女は私のことだけを想ってください。


反歌
集歌3306 何為而 戀止物序 天地乃 神乎祷迹 吾八思益

訓読 いかにして恋ひ止むものぞ天地の神を祈れど吾は思(も)ひ益(まさ)る

私訳 どのようにして貴方への恋は止むものでしょう。天地の神に貴方と契ることを願ったあとも、私の貴方を慕う気持ちはいっそう募ります。


集歌3307 然有社 羊乃八歳叨 鑚髪乃 吾同子叨過 橘 末枝乎過而 此河能 下父長 汝情待

訓読 然(しか)れこそ 遥(よう)の八歳(やとせ)を 切り髪の 吾同子(よちこ)を過ぎ 橘の 末枝(ほつゑ)を過ぎて この川の 下(しも)の甫(ほ)長く 汝(な)が情(こころ)待つ

私訳 このようにして、ようやくの八歳の幼さない切り髪のおかっぱ頭の髪を伸ばし始めて肩まで伸びてうない放髪の幼さを過ぎて、橘の薫り高い末枝の花芽の時を過ぎて、この川の下流が広く大きく長いようにと、始めて女として貴方の情けを待っています。


反歌
集歌3308 天地之 神尾母吾者 祷而寸 戀云物者 都不止来
訓読 天地の神をも吾は祈りてき恋といふものはかつて止(や)まずけり
私訳 貴女と同じように天と地の神にも私は願いを捧げています。貴女と恋の行為をするというものは奥ゆかしくて引き止めることは出来ません。


柿本朝臣人麻呂之集歌
標訓 柿本朝臣人麻呂の集(あつ)むる歌

集歌3309 物不念 路行去裳 青山乎 振酒見者 都追慈花 尓太遥越賣 作樂花 佐可遥越賣 汝乎叙母 吾尓依云 吾乎叙物 汝尓依云 汝者如何念也 念社 歳八羊乎 斬髪 与知子乎過 橘之 末枝乎須具里 此川之 下母長久 汝心待

訓読 物思はず 路(みち)行く行くも 青山を 振り放(さ)け見れば つつじ花 香(にほゑ)少女(をとめ) 桜花 栄(さかえ)少女 汝(な)れをぞも 吾に寄すといふ 吾をぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふや 思へこそ 年の八歳(やとせ)を 切り髪の 吾同子(よちこ)を過ぎ 橘の 末枝(はつゑ)を過(す)ぐり この川の 下にも長く 汝(な)が心待て

私訳 花を是非に見ようと思わずに道を行き来ても、青葉の山を見上げるとツツジの花が芳しく香る未通女のようで、桜の花は盛りを迎えた未通女のようだ。そんな貴女は私を信頼して気持ちを寄り添え、つまらない私も同じように貴女を信じ気持ちを寄せる。貴女はどのように想っているのか。 心を寄せて、ようやくの八歳の幼さない切り髪のおかっぱ頭の髪を伸ばし始めて肩まで伸びてうない放髪の幼さを過ぎて、橘の薫り高い末枝の花芽の時を過ぎて、この川の下流が広く大きく長いようにと、始めて女として貴方の情けを待っています。
右五首
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3303の歌

2010年05月24日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3303の歌
 最初に集歌3303の歌の歌は、万葉集では相聞歌に分類されます。
 したがって、この歌の解釈は原則として相聞歌として解釈しなければいけません。幽霊や挽歌的に解釈するものもありますが、大伴坂上郎女と藤原麿との宮中歌会での相聞歌を鑑賞した後で、このでの「烏玉之黒馬」や「七湍渡而裏觸而」の言葉を解釈していただきたいと思います。そうしたとき、専門家ではない素人の私たちは、相聞で多く表現される「烏玉之黒馬」の言葉が七夕馬(たなはたうま)を意味していて、そこから、普段ではなかなか会えない男女の逢瀬を暗示する言葉だと気がつくはずです。
 謎めいていますが、集歌3303の歌は非常に奥行きが深い歌です。ここでは、奥行きが深いとだけ紹介します。本歌取りの技法の長歌ですから、説明すると長いです。そこで、詳しくは「おっちゃんの万葉集 竹取翁の歌を推理する」を参照ください。ここまででも色々な歌を説明して来ましたが、素人が楽しむ万葉集の世界は「訓読み万葉集」では楽しむことの出来ない想像以上に乱暴・突飛な世界ですが、不思議に原文の万葉集に沿っています。
 この歌は、大伴坂上郎女と藤原麿との相聞歌など、二重に万葉集の歌が引かれています。それで、相聞歌最後に位置するこの歌は、どこまで万葉集を楽しんでいるかを確かめるような歌の位置にあります。そして、それは眞字で書かれた「ふる歌」を愛読出来ることを自慢した紫式部やその眞字で書かれた「ふる歌」の目録を作った紀貫之が楽しんだ万葉集の世界と思っています。

集歌3303 里人之 吾丹告樂 汝戀 愛妻者 黄葉之 散乱有 神名火之 此山邊柄 (或本云 彼山邊) 烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎 七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴

訓読 里人(さとひと)の 吾に告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる 愛(うつく)し夫(つま)は 黄葉(もみぢは)の 散り乱(まが)ひたる 神名火(かむなび)の この山辺(やまへ)から (或本云 その山辺) ぬばたまの 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人ぞ告(つ)げつる

私訳 里人が私に告げるには、貴女が恋しがる愛しい恋人は黄葉の葉が散り乱れる神名火のこの山辺の道を通って(或る本に云う、「その山辺」)、真っ黒な黒馬に乗って、川の渡りの早い流れの瀬を幾つも渡って来て、貴女に逢えなくてしょんぼりしいたと、そんな貴女の恋人に逢ったと人は私に告げたことよ。


反歌
集歌3304 不聞而 點然有益乎 何如文 君之正香乎 人之告鶴

訓読 聞かずして點然(もだ)あらましを何しかも君が正香(ただか)を人の告げつる

私訳 あの人の噂話を聞かないで恋の想いを心に内に小さく仕舞い込んでいたのに、どうして愛しいあの人の話題を人は私に告げるのでしょう。
右二首


参考歌 大伴坂上郎女と藤原麿との相聞歌
京職藤原大夫贈大伴郎女謌三首  卿諱曰麿也
標訓 京職、藤原大夫の大伴郎女に贈れる歌三首  卿の諱(いみな)を麿というなり

集歌522 咸嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者 (咸は女+咸)

訓読 娘女らが珠篋(たまくしげ)なる玉櫛(たまくし)の神さびけむも妹に逢はずあれば

私訳 娘女たちが美しい箱に入れて大切にしている櫛が美しい娘女の髪に相応しいように、私はまるで恋人に逢えない天上の彦星のような神にでもなったようだ、貴女に逢わないでいると


集歌523 好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来

訓読 よく渡る人は年にもありといふを何時(いつ)の間(ま)にぞも吾が恋ひにける

私訳 上手に川を渡る彦星は年に一度は恋人と逢うことがあると云うらしい、そんな彦星と織姫が逢う、そのようなわずかな間に逢う仲なのですが、私は貴女に恋をしたようだ


集歌524 蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹不宿者 肌之寒霜

訓読 むし衾(ふすま)和(な)ごやが下に臥(ふ)せれども妹とし寝(ゐ)ねば肌し寒しも

私訳 体を暖かく蒸すような寝具の柔らかいものを被って寝ているけれど、貴女と共寝をしないので肌寒いことです。


大伴郎女和謌四首
標訓 大伴郎女の和(こた)へたる歌四首
集歌525 狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有粳

訓読 佐保川(さほかわ)の小石(こいし)踏み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜は年にもあらぬか

私訳 佐保川の小石を踏み渡って、七夕馬を祝う七夕の暗闇の中を漆黒の馬が来る夜のように、逢う日が年に一度はあってほしいものです


集歌526 千鳥鳴 佐保乃河瀬之 小浪 止時毛無 吾戀者

訓読 千鳥鳴く佐保(さほ)の川瀬のさざれ波止む時も無し吾が恋ふらくは

私訳 千鳥が鳴く佐保の川の瀬のせせらぎの音が止む時もありません、私の恋のように


集歌527 将来云毛 不来時有乎 不来云乎 将来常者不待 不来云物乎

訓読 来(こ)むと云ふも来(こ)ぬ時あるを来(こ)じと云ふを来(こ)むとは待たじ来(こ)じと云ふものを

私訳 私の許に来ると云っても来ないときがあるのに、私の許に来ないと云うのを来るだろうとは貴方を待ちません、私の許に来ないと貴方が云われるのに


集歌528 千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者

訓読 千鳥鳴く佐保(さほ)の川門(かわと)の瀬を広み打橋渡す汝(な)が来(く)と念(おも)へば

私訳 千鳥鳴く佐保の川の渡りの瀬は広いので、川に杭を打って橋も架けましょう、もし、貴方が私の許に来ると想えるならば


右、郎女者、佐保大納言卿之女也。初嫁一品穂積皇子、被寵無儔。而皇子薨之後時、藤原麿大夫娉之郎女焉。郎女、家於坂上里。仍族氏号曰坂上郎女也。

注訓 右の、郎女(いらつめ)は、佐保大納言卿の女(むすめ)なり。初め一品穂積皇子に嫁(とつ)ぎ、寵(うつくし)びを被むること儔(たぐひ)なかりき。皇子の薨(みまか)りしし後に藤原麿大夫、郎女を娉(よば)へし。郎女は、坂上の里に家(す)む。その族氏(うから)号(な)けて坂上郎女といへり。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3302の歌

2010年05月22日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3302の歌
 集歌3302の歌もまた、比喩や言葉遊びのある歌です。この歌も、先に紹介した歌と同じように歌垣で披露された歌と思われます。感覚的には男が歌垣で先にこの歌を謡い、その返しに集歌3301の歌を女が謡うと云う雰囲気でしょうか。
 集歌3302の歌で深海松と縄海苔を取り上げて、別れたはずの貴女を恋していますと謡うと、集歌3301の歌では深海松と俣海松を取り上げて、思い返して妻を呼びますかを答えたとすると符号は合います。即興での掛け合いですと、非常に楽しい歌のもつれあいです。
 なお、男女の問答歌で梓弓が有名な歌が、万葉集にあります。それが、久米禅師の歌です。本来、梓弓は儀礼や神事での弓で、日常的に使うものではありませんから、場合により、声を掛けたが女に振られてしまった情景をイメージするのに集歌3302の歌は、梓弓を引き矢を放つことを詠うことで、久米禅師の歌を引用しているのかもしれません。
 そうしたとき、集歌3300の歌から始まり集歌3302の歌までは、即興で相手の歌の歌詞を踏まえた上で、伝承の歌など取り入れて返歌を歌うと云う高度な歌垣の世界を見ていることになりそうです。

集歌3302 紀伊國之 室之江邊尓 千羊尓 障事無 万世尓 如是将有登 大舟之 思恃而 出立之 清瀲尓 朝名寸二 来依深海松 夕難岐尓 来依縄法 深海松之 深目思子等遠 縄法之 引者絶登夜 散度人之 行之屯尓 鳴兒成 行取左具利 梓弓 弓腹振起 志乃岐羽矣 二手狭 離兼 人斯悔 戀思者

訓読 紀の国の 牟婁(むろ)の江の辺(へ)に 千遥(ちはる)かに 障(さは)ることなく 万代(よろずよ)に かくしもあらむと 大船の 思ひ頼みて 出立(いでたち)の 清き渚(なぎさ)に 朝凪に 来寄る深海松(ふかみる) 夕凪に 来寄る縄海苔(なはのり) 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引けば絶ゆとや 散(さ)と人(ひと)の 行きの集(つど)ひに 泣く児なす 靫(ゆき)取りさぐり 梓弓 弓腹(ゆはら) 振り起(おこ)し しのぎ羽(は)を 二つ手(た)挟(ばさ)み 放(はな)ちけむ 人し悔(くや)しも 恋ふらく思へば

私訳 紀の国の牟婁の入江の岸辺に、永遠に問題もなく、万代もこのようにあるでしょうと、大船を頼もしく思いように、やって来た清らかな渚に朝凪に来寄る深海松、夕凪に来寄る縄海苔。深海松の言葉のように想いを深めた貴女を、縄海苔のように岩から無理に引き抜くと、縁は千切れてしまうらしい。その別れた貴女がやって来ってくる歌垣で、泣く赤子が母親を探すように背に着ける靫を取り探り、手に持つ梓弓の弓腹を振り立てて縦に起こし、しのき羽の矢を二本手に挟み持って、矢を放つように、二人の仲を離ってしまった。別れた貴女(ひと)よ、心残りです。このように貴女を慕っていると。
右一首


参考歌 
久米禅師、娉石川郎女時謌五首
標訓 久米禅師の、石川郎女を娉(よば)ひし時の歌五首

集歌96 水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人佐備而 不欲常将言可聞  (禅師)

訓読 御薦(みこも)刈りし信濃(しなの)の真弓(まゆみ)吾が引かば貴人(うまひと)さびて否(いな)と言はむかも

私訳 あの木梨の軽太子が御薦(軽大郎女)を刈られたように、信濃の真弓を引くように私が貴女の手を取り体を引き寄せたら、お嬢様に相応しく「だめよ」といわれますか。


集歌97 三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強佐留行事乎 知跡言莫君二  (郎女)

訓読 御薦(みこも)刈りし信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずして強(し)ひさる行事(わさ)を知ると言はなくに

私訳 あの木梨の軽太子は御薦(軽大郎女)を刈られたが、貴方は強弓の信濃の真弓を引かないように、無理やりに私を引き寄せて何かを為されてもいませんのに、貴方が無理やりに私になされたいことを、私が「貴方がしたいことを知っている」とは云へないでしょう。


集歌98 梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨  (郎女)

訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに依(よ)らめども後(のち)の心を知りかてぬかも

私訳 梓巫女が梓弓を引くによって神依せしたとしても、貴方が私を抱いた後の真実を私は確かめるができないでしょうよ。


集歌99 梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引  (禅師)

訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)弦(つら)緒(を)取りはけ引く人は後(のち)の心を知る人ぞ引く

私訳 梓弓に弦を付け弾き鳴らして神を引き寄せる梓巫女は、貴女を抱いた後の私の真実を知る巫女だから神の梓弓を引いて神託(私の真実)を告げるのです。


集歌100 東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問  (禅師)

訓読 東人(あずまひと)の荷前(のさき)の篋(はこ)の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも

私訳 貴女の気を引く信濃の真弓だけでなく、さらに、それを納める東人の運んできた荷物の入った箱を縛る荷紐の緒までに、貴女への想いで私の心に乗り被さってしまったようです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加