竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3284の歌

2010年04月29日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3284の歌
 集歌3284の歌は、男に抱かれて耳元で「お前は私の妻だよ」と云われた女が、それを信じて再び男がやって来るのを待っている状況でしょうか。「お前は私の妻だよ」と抱かれながら囁かれた女は、その男の許に手紙を送るのではなく、恋のライバルに打ち勝つために神に祈るしか手がないようです。
 このような状況を想像すると、二十巻本万葉集が出来た後に付けられた集歌3284の歌の左注がおかしな解説であることがわかります。本来、万葉集の編者は相聞として長歌と短歌を一体としているのですから、ここでの私訳のように素直に歌を楽しむべきなのです。ところが、普段の解説では左注のおかしな解説に引きずられて、宮中に残る古歌を長歌と短歌で似た雰囲気の歌を組み合わせただけだから歌意が通じなくても良く、長歌と反歌を連動させる必要がないと云う、万葉集の編集者より左注の注釈者の方が正しいとする、不思議な説明をするものもあります。
 なお、歌意が理解できなかった注釈者が付けた集歌3284の歌の左注のおかしな解説を別にすれば、五首はすべて同じテーマであることは明瞭です。現代の万葉集の歌の専門家が、万葉集の歌を原文からは読めないとは思えないのですが、少し、不思議です。ただし、「菅根之根毛一伏三向凝呂尓」と「吾念有妹尓縁而者言之禁毛無在乞常」とは難訓で、どこで区切りを入れるかで意味は大きく変わります。「一伏三向」は四戯(しぎ)と云う朝鮮の博打からの言葉で「コロ」と読むようです。そして「菅根之根毛一伏三向凝呂尓」を「菅の根のねもころごろに」と読みますと、中国の「草菅人命」と「惻隠之情」との故事と人麻呂歌集の「菅根之惻隠々々」から「実につまらない私ですが」のようなへりくだった意味合いになります。日本語で「ねもころごろ」と「ねんごろ」とでは、言葉の意味が違います。
 そして、先に見たように笠女郎も多くを引用するように、奈良時代には人麻呂歌集は恋詩のバイブルですから恋する女性はそれを巧みに引用しますし、それが教養ある女性のたしなみです。対する男も、それを理解するのが風流人です。ただ、集歌3284の歌の左注が示すように、漢字で書かれた万葉集そのものが読めなくなったとされる梨壷の五人以降の藤原貴族には、原文万葉集は少し難しい世界かもしれません。

集歌3284 菅根之 根毛一伏三向凝呂尓 吾念有 妹尓縁而者 言之禁毛 無在乞常 齊戸乎 石相穿居 竹珠乎 無間貫垂 天地之 神祇乎曽吾祈 甚毛為便無見

訓読 菅(すが)の根の ねもころごろに 吾が思(も)へる 妹によりては 言(こと)の障(さへ)も なくありこそと 斎瓮(いはひべ)を 斎(いは)ひ掘り据ゑ 竹玉(たかたま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ 天地の 神祇(かみ)をぞ吾が祈(の)む 甚(いた)もすべなみ

私訳 菅の根のように取るに足らない運命にもてあそばれる私が想う「貴方の妻」について、神の御告げに恋の障害がありませんようにと、神に祈りを捧げる斎瓮を謹んで掘り据えて、神事の竹玉を間なく紐に貫いて垂らし、天と地との神祇に私は祈願する。恋の障害にどうしようもなくて。

今案、不可言之因妹者。應謂之縁君也。何則、反歌云公之随意焉。

左注 今案(かむが)ふるに「妹に因りては」といふべからず。まさに「君に縁りては」といふべし。何とならば則ち、反歌に「公のまにまに」といへり。


反歌
集歌3285 足千根乃 母尓毛不謂 裹有之 心者縦 君之随意

訓読 たらちねの母にも告(の)らず包(つつ)めりし心はよしゑ君がまにまに

私訳 心を満たしてくれる実母にも相談せずに、心に包み込んだ気持は、ままよ、貴方のお気持ちのままに。


或本歌曰
集歌3286 玉手尓 不懸時無 吾念有 君尓依者 倭父幣乎 手取持而 竹珠叨 之自二貫垂 天地之 神叨曽吾乞 痛毛須部奈見

訓読 玉たすき 懸けぬ時なく 吾が思へる 君によりては 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 天地の 神をぞあが乞(こ)ふ 甚(いた)もすべ無(な)み

私訳 神に祈る玉のタスキを懸けないことはなくずっと、私が慕う貴方を信じて、倭文幣を手に取り持って、竹の玉を沢山紐に貫き垂らして、天と地との神を私は祈り乞い願う、恋の障害にどうしようもなくて。


反歌
集歌3287 乾坤乃 神乎祷而 吾戀 公以必 不相在目八

訓読 天地の神を祈りて吾が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも

私訳 天と地の神を祈っていますから、私が恋する貴方にかならずに逢えないことはありません。


或本歌曰
集歌3288 大船之 思憑而 木始己 弥遠長 我念有 君尓依而者 言之故毛 無有欲得 木綿手吹 肩荷取懸 忌戸乎 齊穿居 玄黄之 神祇二衣吾祈 甚毛為便無見

訓読 大船の 思ひ頼みて 来(き)始(そ)みの いや遠長の 我が思(も)へる 君によりては 言(こと)の故(ゆゑ)も 無くありこそと 木綿(ゆふ)襷(たすき) 肩に取り懸け 斎瓮(いはひべ)を 斎(いは)ひ掘り据ゑ 天地の 神祇(かみ)にぞあが祈(の)む 甚(いた)もすべ無(な)み

私訳 大船を深く信頼するように、あの日に貴方が私の許を訪れたことが永遠に長久にとあるように、私が想う貴方を信じて、神の御告げからの障害もないはずと、木綿のタスキを肩に取って懸け、神に祈りを捧げる斎瓮を謹んで掘り据えて、天と地との神祇に私は祈願する。恋の障害にどうしようもなくて。
右五首
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3280の歌

2010年04月26日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3280の歌
 集歌3280の歌は、少し年下ですが身分ある男に誘われた女の歌の雰囲気があります。きっと来ると云ったのにやって来ない男を待つ女の歌でしょうか。少し恨みを込めての「妄背兒(吾が背子)」での「妄」の漢字と思われます。
 古代では急に吹く風は魂の息つかいのような感覚で捉えていたらしくて、ここでは恋人が訪れる前兆の意味合いがあるようです。さらに「天原」を示すことで永遠の愛の感覚も示していると思われます。もう切れそうな男女の仲と薄々気が付いていての、女の思いでしょうか。相思相愛ではないと思われるのが辛いところです。
 さて、万葉集には、一度は抱かれた男を心底恋焦がれますが、捨てられた女の歌があります。それが、笠女郎の大伴家持に贈った全部で二十六首の歌群です。笠女郎の詠う歌の感情は、乙女の歌と云うよりも大人の女の歌ですので、笠女郎と家持とは同年代か、女の方が年上のような感覚です。ちょうど、この集歌3280の歌が詠う世界と同じですので、長いですが、参考に紹介します。

集歌3280 妄背兒者 雖待来不益 天原 振左氣見者 黒玉之 夜毛深去来 左夜深而 荒風乃吹者 立留 待吾袖尓 零雪者 凍渡奴 今更 公来座哉 左奈葛 後毛相得 名草武類 心乎持而 三袖持 床打拂 卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜千

訓読 吾(あ)が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更(ふ)けにけり さ夜更けて 嵐の吹けば 立ち待てる 吾が衣手に 降る雪は 凍(こほ)りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて 御袖もち 床うち掃ふ 現(うつつ)には 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足(たる)夜(よ)ち

私訳 うそつきのあの人は待っていてもやっていらっしゃらない。天の原を遥かに見上げると、漆黒の夜は更けていった。夜が更けて嵐が吹くので、外で立って待っている私の衣の袖に降るくる雪はすっかり凍り付くでしょう。今更に貴方はいらっしゃらないでしょう。さな葛の蔓根のように後では逢えるでしょうと自分を慰める気持ちを持って、貴方の形見の袖で床を片付ける。実際には貴方に逢えないけれど、夢だけでも貴方に逢えると思えるからこそ、年に一度の天の原での恋人たちの夜も満ち足りると思えます。


或本歌曰
集歌3281 吾背子者 待跡不来 鴈音毛 動而寒 烏玉乃 宵文深去来 左夜深跡 阿下乃吹者 立待尓 吾衣袖尓 置霜文 氷丹左叡渡 落雪母 凍渡奴 今更 君来目八 左奈葛 後文将會常 大舟乃 思憑迹 現庭 君者不相 夢谷 相所見欲 天之足夜尓

訓読 吾が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響(とよ)みて寒し ぬばたまの 夜も更(ふ)けにけり さ夜更くと 嵐の吹けば 立ち待つに 吾が衣手に 置く霜も 氷に冴え渡り 降る雪も 凍り渡りぬ 今さらに 君来まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど 現(うつつ)には 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足(たる)夜(よ)に

私訳 私の愛しいあの人は待っていてもやっていらっしゃらない。雁の音も響いて寒い漆黒の夜も更けていった。夜も更けて嵐が吹くので、外で立って待っている私の衣の袖に降りる霜も氷のように冴え渡り、降る雪も凍りつくでしょう。今さらに貴方はやって来ないのでしょう。さな葛の蔓根のように後では逢えるでしょうと、大船のように思い深く期待していても、実際は貴方には逢えない。夢だけでも愛しい貴方に逢えると思えるからこそ、年に一度の天の原での恋人たちの夜も満ち足りると思えます。


反歌
集歌3282 衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 獨鴨寐

訓読 衣手(ころもて)にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む

私訳 衣の袖に嵐の風が吹いて来て寒い夜を貴方が御出でにならないと、私一人で寝ることでしょう。


集歌3283 今更 戀友君尓 相目八毛 眠夜乎不落 夢所見欲

訓読 今さらに恋ふとも君に逢はめやも寝(ぬ)る夜をおちず夢に見えこそ

私訳 今さらに恋する相手の貴方に逢うことがあるでしょうか、寝る夜には欠かさずに夢に貴方の姿を見せて欲しい。
右四首


参考歌 その一
笠女郎贈大伴宿祢家持謌廿四首
標訓 笠女郎の大伴宿祢家持に贈れる謌廿四首
集歌587 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思

訓読 吾が形見見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒長く吾(あれ)も思(おも)はむ

私訳 私の思い出のものを見ながら私を思い出してください。年が改まる時を経ても末永く私も貴方をお慕いします。


集歌588 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎

訓読 白鳥(しらとり)の飛羽(とば)山松(やままつ)の待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月比(なら)ふ

私訳 白鳥の飛ぶ飛羽山の山松のように、貴方の訪れを待ちつつ、私は貴方をお慕いしています。この月はきっといらっしゃる。


集歌589 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留

訓読 衣手(ころもて)を打廻(うちみ)の里にある吾を知らにぞ人は待てど来(こ)ずける

私訳 衣の袖を打つ、打廻の里にいる私の心を知らないで、貴方は、待っていても遣って来ません。


集歌590 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 名告為莫

訓読 あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはと勤(いめ)よ吾が背子名を告(の)らすな

私訳 気持ちが改まる新しい年が来たので、今はもう良いだろうと、決して、私の愛しい貴方。私から貴方に告白させないで。


集歌591 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見

訓読 吾が思ひを人に知るれか玉匣(たまくしげ)開き明(あ)けつと夢(いめ)にし見ゆる

私訳 私の思いを貴方に知られたからか、櫛を入れる美しい匣の蓋を開いてあけた(藤原卿と鏡王女の相聞のように、貴方に抱かれる)と夢に見えました。


集歌592 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓

訓読 闇(やみ)の夜に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに

私訳 闇夜に鳴いている鶴の声を遠くから聞いているように、うわさに聞いても姿の見えない貴方と逢うこともありません。


集歌593 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨

訓読 君に恋ひ甚(いた)も便(すべ)なみ平山(ならやま)の小松が下(した)に立ち嘆くかも

私訳 貴方に恋い慕ってもどうしようもありません。(人麻呂が詠う集歌2487の歌のように)平山に生える小松の下で立ち嘆くでしょう。


集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨

訓読 吾が屋戸(やど)の夕蔭草(ゆふかげぐさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも

私訳 私の屋敷に咲く夕萱の花の白露のように消えてしまいそうに、いたずらに寂しく思えるでしょう。


集歌595 吾命之 将全幸限 忘目八 弥日異者 念益十方

訓読 吾が命(いのち)の全(また)幸(さき)限り忘れめやいや日に異(け)には念(おも)ひ増すとも

私訳 私の命がこの世にある限り貴方のことを忘れることがあるでしょうか、いいえ、日に日に貴方への想いは増すことはあっても。


集歌596 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守

訓読 八百日(やほか)行く浜の沙(まなご)も吾が恋にあに益(まさ)らじか沖つ島守(しまもり)

私訳 何百日も歩いていけるほどの広い浜にある砂の数も、私が貴方に恋する想いに勝るでしょうか、ねえ、沖の島守よ。


集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞

訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石走る間(ま)近きに恋ひ渡るかも

私訳 この世の人々のうわさが激しい。岩をも流す木津川のそばの久邇の京を建設する仕事に従事する貴方に恋い慕っているからでしょうか。

注意 この歌が詠われたとき、家持は久邇の京にいて、笠女郎がその家持に片思いの歌を贈ったと思われる。


集歌598 戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異

訓読 恋にもぞ人は死にする水無瀬(みなせ)川(かは)下(した)ゆ吾れ痩(や)す月に日に異(け)に

私訳 恋によっても人は死にます。水の無い川の川床の下を流れる水のように人知れず私は痩せます。月に、日毎に。


集歌599 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨

訓読 朝霧のおほに相見し人故(ゆゑ)に命死ぬべく恋ひわたるかも

私訳 (人麻呂が詠う吉備津采女の歌のような)朝霧の中でぼんやりとお逢いするように、お逢いした貴方のために、恋焦がれて死んでしまいそうな恋をしています。


集歌600 伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨

訓読 伊勢の海の礒(いそ)もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも

私訳 伊勢の海にある磯に轟いて打ち寄せる波のように、身もおののくような貴方に恋い慕っています。


集歌601 従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽

訓読 情(こころ)ゆも吾は念(おも)はずき山川も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは

私訳 心底、私は想いもしませんでした。山や川が隔てているのでもないのに、これほど逢えない貴方を恋しいと思うとは。


集歌602 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而

訓読 夕されば物念(おも)ひ益(まさ)る見し人の言(こと)問(と)ふ姿面影(おもかげ)にして

私訳 夕方になると物思いは募ります。儀式でお目にかかった貴方の神事の祝詞を奏上する姿を思い出にして。

注意 「言」、「辞」、「事」の意味の違いから、「言問」は神事の祝詞奏上、「事問」は消息などを尋ねる意味合いと取っている


集歌603 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益

訓読 念(おも)ふにし死にするものにあらませば千遍(ちたび)ぞ吾は死に返(かへ)らまし

私訳 (人麻呂に愛された隠れ妻が詠うように)閨で貴方に抱かれて死ぬような思いをすることがあるのならば、千遍でも私は死んで生き返りましょう。


集歌604 劔太刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為

訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身(み)に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ如何(いか)なる怪(け)そも君に相(あ)はむため

私訳 (人麻呂に抱かれた隠れ妻が詠うように)貴方が身につける剣や太刀を受け取って褥の横に置くことを夢に見ました。この夢はどうしたことでしょうか。貴方に会いたいためでしょうか。


集歌605 天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目

訓読 天地の神の理(ことわり)なくはこそ吾が念(も)ふ君に逢はず死にせめ

私訳 天と地の神の理が無いと云うならば、私が恋する貴方に逢わさずに死なせなさい。


集歌606 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有

訓読 吾も念(も)ふ人もな忘れたな和(にぎ)に浦吹く風の止(や)む時なかれ

私訳 私も貴方をお慕いします。貴方も私を忘れないでください。まったく穏やかに入り江に吹く風が止むときがないように。


集歌607 皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨

訓読 皆(みな)人(ひと)を寝(ね)よとの鐘(かね)は打つなれど君をし念(も)へば寝(ゐ)ねかてぬかも

私訳 皆の人よ寝よと亥の刻の鐘を打つのだが、貴方をひたすら想うと床に就くことが難しい。


集歌608 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如

訓読 相(あひ)念(も)はぬ人を思ふは大寺(おほてら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)つく如(ごと)

私訳 愛しても愛してくれない人を愛することは、立派な寺にある仏を守る仁王に踏みつけにされている、その餓鬼を、後ろから額ずいて拝むようものです。


参考歌 その二
集歌609 従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者

訓読 情(こころ)ゆも我は念(おも)はずきまたさらに吾が故郷(ふるさと)に還(かへ)り来(こ)むとは

私訳 心からも私は思いませんでした。いまさらに、私が自分の里に一人で帰って来ようとは。


集歌610 近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自

訓読 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君が座(いま)さば有りかつましじ

私訳 近くに住んでいましたら貴方にお目にかかることもあるでしょうが、こんなに一層に遠くに貴方が住んでいらっしゃると、お目にかかることはもう無いでしょう。

右二首、相別後更来贈
注訓 右の二首は、相別れし後に更来(また)贈れり


参考歌 その三
大伴宿祢家持和謌二首
標訓 大伴宿祢家持の和(こた)へたる謌二首
集歌611 今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有

訓読 今さらに妹に逢はめやと念(おも)へかもここだ吾が胸(むね)欝悒(いぶせ)くあるらむ

私訳 今、また更に、貴女に逢わないと心に決めたからでしょうか。私の心は重くふさぎこんでいるのでしょう。


集歌612 中々者 黙毛有益呼 何為跡香 相見始兼 不遂尓

訓読 なかなかは黙然(もだ)もあらましと何すとか相見そめけむ遂(と)げざらまくに

私訳 本当は何もしないでいることも出来たのに。どうして貴女と愛し合ってしまったのか、添い遂げることが出来ないのに。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3278の歌

2010年04月24日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3278の歌
 集歌3278の歌の雰囲気には、久しぶりに女の許を訪れた男に対し、女が「どうやって来たの、馬に乗って来たの、それはどんな馬」と次の機会の期待を込めて何度も何度も聞いた思い出があるようです。この歌もまた、集歌3276の長歌に対する長歌での反歌のような内容の歌です。もしそうですと、これらの歌々は、万葉集の歌々の中でも異色な歌群となります。
 さて、歌では、男は何かのきっかけでその女を強く思いだしたようです。その想いの時に、犬が想いを消すかのように吠えたのでしょうか。ですが、反歌では、男はすぐに伴の先駆け無しで駆けだして女に逢いに行く雰囲気です。その反歌の「人丹勿告 事者棚知」の言葉には、馬に乗り従者を伴う男の身分と女に逢いたくて逸る男の気持ちが現れています。
 もし、これらの歌が柿本人麻呂と関係するのですと、柿本朝臣人麻呂歌集に参考歌のようなものがあります。情景は非常に似たものとなっていますが、これは偶然の一致なのでしょうか。
 このように、この万葉集巻十三の歌々は、原文から想いを起こすと色々な想像や妄想を起こさせてくれ、そして、自分の知る万葉集の歌に思いを馳せることのできる面白く楽しい巻です。

集歌3278 赤駒 厩立 黒駒 厩立而 彼乎飼 吾徃如 思妻 心乗而 高山 峯之手析丹 射目立 十六待如 床敷而 吾待君 犬莫吠行羊

訓読 赤駒の 馬屋を立て 黒駒の 馬屋を立てて そを飼ひ 吾が行くがごと 思ひ妻 心に乗りて 高山の 嶺のたをりに 射目(いめ)立てて 鹿猪(しし)待つがごと 床敷きて 吾が待つ君 犬な吠えそね

私訳 赤駒の馬屋を建て、黒駒の馬屋を建てて、その赤駒と黒駒を飼い、私が貴女の許に通うと思う貴女。 そんな貴女が私の心を占めているので、 高い山の嶺の峠のくぼ地に射目を立て据えて、狩りでじっと鹿や猪を待つように、床を敷いてやがてやって来るでしょうと私を辛抱強く待つ貴女。そんな期待を追い払うように、犬よ吠えるな。


反歌
集歌3279 蘆垣之 末掻別而 君越跡 人丹勿告 事者棚知

訓読 葦(あし)垣(かき)の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事(こと)はたな知る

私訳 葦が生い茂る道を掻き分けて貴女の恋人が越えて行くと、あの貴女(ひと)には告げるな。私に突然に逢うことで、あの貴女はそのことを知るでしょう。
右二首


参考歌 人麻呂歌集より抜粋
集歌1271 遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒

訓読 遠くありて雲居(くもゐ)に見ゆる妹が家(いへ)に早く至らむ歩め黒駒

私訳 遠くにある雲のある彼方に見える貴女の家に早く行き着こう。歩め黒駒よ。


集歌2510 赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹

訓読 赤駒が足掻(あがき)速けば雲居にも隠(かく)り行(い)かむぞ袖枕(ま)け吾妹

私訳 赤駒の歩みが速いので彼方の雲の立つところにも、忍んで行きましょう。褥を用意して待っててください。私の貴女。


集歌1817 今朝去而 明日者来牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微

訓読 今朝(けさ)去(い)きて明日は来(き)なむと云(い)ひし子鹿(こ)に朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく

私訳 「今朝はこのように貴方は行き去っても、明日はかならず来てください」と云った、かわいい貴女の朝妻山に霞が棚引く。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3276の歌

2010年04月22日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3276の歌
 集歌3276の長歌が、ちょうど、集歌3274の長歌の反歌に相当するような歌です。もし、この推測が成り立つのですと、長歌の相聞歌に対して長歌の反歌で返すと云う非常に特殊な組み合わせになります。私の感覚では、万葉集全体でこんなことが出来るのは、柿本人麻呂とその相手の隠れ妻だけです。
 さて、太陽が沈むとすぐに昇る月は「丸い満月」で「丸月(まろつき)」ですが、聞きようでは「麿月」とも聞こえます。それで、通りがかりの人は「麿を待つ」を「丸い月を待つ」と聞き間違えたのでしょうか。すると男の名前に「麿」か「麻呂」の文字を持つと推定されます。
 なお、歌の山田道とは、山科の木幡から近江草津の山田湊へと抜ける道のことと推測されます。古代では、相対する唐崎と山田は南琵琶湖の海上交通では重要な港だったようですので、集歌3274の長歌の「大舟乃 徃良行羅二(大船の ゆくらゆくらに)」に対応しての「百不足 山田道乎 浪雲乃(百足らず 山田の道を 波雲の)」の言葉なのでしょう。すると、淡海の湊を想定しての言葉遊びの反語として、山の道と空の波打つ雲を択んだ可能性がありますし、百に不足する九十九なのでしょう。さらに、言葉遊びですが、柿本人麻呂といえば「物部乃八十」の言葉で有名な歌が想い浮かび、その歌には、ここでのように先の見えない不安な気持ちがあります。
 このように色々と、想いは飛びます。素人には、実に楽しい万葉集の鑑賞です。

集歌3276 百不足 山田道乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 徃父不知 衣袂笶 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 八十乃心叨 天地二 念足橋 玉相者 君来益八跡 吾嗟 八尺之嗟 玉杵乃 道来人乃 立留 何常問者 答遣 田付乎不知 散釣相 君名日者 色出 人不知 足日木能 山従出 月待跡 人者云而 君待吾乎

訓読 百(もも)足(た)らず 山田の道を 浪(なみ)雲(くも)の 愛(うるは)し妻と 語らはず 別れし来れば 速(はや)川(かは)の 行きも知らず 衣の袂まで 帰りも知らず 馬じもの 立ちてつまづき 為むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心と 天地に 思ひ足らはし 魂(たま)合(あ)はば 君来ますやと 吾が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙の 道来る人の 立ち留(と)まり いかにと問はば 答へ遣る たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知らず あしひきの 山より出づる 月待つと 人は言ひて 君待つ我れを

私訳 曲がりくねった九十九(つづら)折りの山田の道を、浪が寄せるように次々と打ち寄せる雲のように、何度も何度も愛しい貴方の妻ですと、貴方と語らうことなく別れてしまうと、速い流れの川の水の遥かに流れ行くようにその行方も知らず、魂を引き寄せると云うその衣の袂まで、貴方がいつ戻ってくるのかも知らず、馬のように気持が立ち止まって貴方への想いがつまずく。どのようにしたらよいか思いもつかず、物部の八十のようなたくさんの色々な想いを、天と地とのこの世界全体に満たし、心が通じたら貴方が来るでしょうかと、私が嘆く、愛しい夫を追いかける妻を遮る八坂のような長い嘆き。立派な鉾を立てる公の道をやって来る人が立ち留まり「どうしたのか」と問うと、どのように答えて良いか思いもつかず、顔色美しい貴方の名を云うと、ちょうど月が出て来たので、その人は気が付かず「お前は、葦や桧が生える山の峯から出てくる満月を待っているのか」とその人は云う、貴方がやって来るのを待つ私を。


反歌
集歌3277 眠不睡 吾思君者 何處邊 今夜誰与可 雖待不来

訓読 眠(い)も睡(ね)ずに吾が思ふ君は何処辺(いづくへ)に今夜(こよひ)誰れとか待てど来まさぬ

私訳 うつらうつらと居眠りをすることもなく、私が慕う貴方を「どちらで今夜は、貴方は誰と過ごすのでしょうか」と思って待っていても、貴方は私の許にやって来ません。
右二首


参考歌 その一
柿本朝臣人麿従近江國上来時至宇治河邊作謌一首
標訓 柿本朝臣人麿の近江國より上り来し時に、宇治河の辺(ほとり)に至りて作れる歌一首

集歌264 物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代經浪乃 去邊白不母

訓読 もののふの八十氏河の網代木にいさよう波の行く方知らずも

私訳 物部八十の氏上、その宇治河の網代の木にただよいつづける波のように、何処へ行くのか判らない物部麻呂一族の行く末が不安です。


参考歌 その二
麻呂謌一首
標訓 麻呂の歌一首
集歌1725 古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨

訓読 古(いにしへ)の賢(か)しこき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも

私訳 昔の高貴な御方が御出になった吉野の川原は、美しくて見ても見飽きることがありません。

右、柿本朝臣人麻呂之謌集出。
注訓 右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3274の歌

2010年04月19日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3274の歌
 集歌3274の歌の主人公も相手の女性も大船を見たことがあるようですから、近江大津宮や難波宮などに関係する人々でしょうか。女性が遠くに旅に出る風習がない時代ですから、相手の女性は奈良の京の女性ではないような気がします。すると、逢坂山を越えるような恋だったのでしょうか。その場合、これらの歌は天智天皇の近江朝時代のこととなります。
 私は、この歌で使われている漢字や歌の雰囲気から柿本人麻呂の歌と思い込んでいますが、さて、どうでしょうか。これが、人麻呂の歌ですと、まだ幼い将来の隠れ妻が、そろそろ初潮を向かえ裳儀を行う時期に成りかかる頃の歌となります。そうしますと、歌の背景としては、人麻呂が大和の巻向に住み、幼い将来の隠れ妻が近江大津宮に住む時代です。そして、人麻呂が巻向の穴師山に登り近江の方面を眺めての歌になると思われます。この続きの歌が、集歌3305の歌になるでしょう。ここの辺りは、ブログの「人麻呂の恋 隠れ妻とのラブレター」を参考にしていただければ幸いです。(少し、宣伝をさせていただきました)
 なお、集歌3274の歌の「石根乃興凝敷道乎」を「岩が根の こごしき道を」と訓みますと、万葉集では集歌301の長屋王が詠う歌が浮かび上がります。ただ、私は長屋王は集歌3274の歌の世界を知っていて、平山とも記すように本来のなだらかな寧樂山の風景とは違いますが、その詞を引用したのではないかと考えています。集歌3274の歌と集歌301の歌は、雰囲気は共に遠距離恋愛ですが、集歌3274の歌は現在が遠距離恋愛で、集歌301の歌はこれから遠距離恋愛になる景色があり、そこが違います。集歌3274の歌とその背景を恋する男女が知っていて、集歌301の歌を女に送ったのでしたら、集歌301の歌の奥行きは非常に深くなります。

集歌3274 為須部乃 田付叨不知 石根乃 興凝敷道乎 石床 笶根延門叨 朝庭 出居而嘆 夕庭 入居而思 白桍乃 吾衣袖叨 折反 獨之寐者 野干玉 黒髪布而 人寐 味眠不睡而 大舟乃 徃良行羅二 思乍 吾睡夜等呼 讀父将敢鴨

訓読 為(せ)むすべの たづきと知らに 岩が根の こごしき道を 岩床の 笶(や)の根(ね)延(は)へる門(かど)と 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕(ゆふへ)には 入り居て偲(おも)ひ 白栲の 吾が衣手(ころもて)と 折り返し ひとりし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味寝(うまい)は寝(ね)ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寝(ぬ)る夜らを 数(よ)みも敢(あ)へむかも

私訳 どうしたらよいのか、ただ思いもつかず、岩山の裾の荒々しく険しい道を、ひたすらに大きな岩に矢を作る竹の根が生え延びる門を、朝に家から出てやって来ては嘆き、夕べには家に戻って来ては想い出し、白栲の私の衣の袖をみだりに折り返して一人で寝ると、ぬばたまの黒い実のようなつややかに光る黒髪を床に流して貴女が寝るようには、安眠が出来なくて、大船がゆらゆら揺れるように揺れる気持ちで貴女を想いながら、私は一人寝る夜をとうてい数え上げることが出来ないほどです。


反歌
集歌3275 一眠 夜笇跡 雖思 戀茂二 情利文梨

訓読 ひとり寝る夜を算(かぞ)へむと思へども恋の繁(しげ)きに情(こころ)利(ど)もなし

私訳 一人で寝る夜を数えようと思うのですが、貴女への恋心が募りそれどころではありません。
右二首


参考歌 その一 人麻呂歌集より
集歌2421 参路者 石踏山 無鴨 吾待公 馬爪盡

訓読 参(まひ)る路(じ)は岩踏む山はなくもがも吾(わ)が待つ君が馬躓(つまづ)くに

私訳 貴方がやって来る路は岩だらけの山がなければよいのですが、私が待つ貴方の馬が躓いてしまう。


集歌2422 石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨

訓読 岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも

私訳 岩道を踏み岩の重なるような険しい山は無いのですが、ただ、貴女に会えないが日が重なるので逢うことに恋しくなっています。


参考歌 その二
長屋王駐馬寧樂山作謌二首
標訓 長屋王の馬を寧樂山に駐(とど)めて作れる謌二首
集歌300 佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣

訓読 佐保(さほ)過ぎて奈良の手向(たむ)けに置く幣(ぬさ)は妹を目(め)離(か)れず相見しめとぞ

私訳 佐保を通り過ぎて奈良山の峠で手向けとして置く儀礼の幣は、愛しい貴女と逢わないことがなく互いに逢えるようにと(して置く)。


集歌301 磐金之 凝敷山乎 超不勝而 哭者泣友 色尓将出八方

訓読 岩が根の凝敷山(こごしきやま)を越えかねて哭(ね)には泣くとも色に出でめやも

私訳 荒々しい岩の険しい山を惹かれる思いで越えがたくて、心の内に怨んで泣いても、それを貴女に示すことはありません。
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