竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3250の歌

2010年03月30日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3250の歌
 長歌の集歌3250の歌とその反歌の集歌3251と3252の歌は、旅先の男と奈良の都に残る女との恋の相聞関係ですが、付属の人麻呂歌集の歌二首はまったく関係がありません。ちょっと、不思議な関係です。
 なお、集歌3250の歌と集歌3253の歌での「言挙」、「事挙」と「辞挙」では、それぞれの言葉の意味が違うようです。それで「言挙」、「事挙」と「辞挙」との違いを明確にするために集歌3253の歌を、あえて載せたのでしょうか。
 古事記や延喜式に載る祝詞での「言挙」のように「言」の語字が使われている場合、との約束や重大な決意を示します。それで「言挙」や「言霊」の言葉は神との交接に関わる行為を表す言葉と考えられます。そのため、人が「言挙」をたやすく行うことは神を弄ぶこととなり、それはタブーとなります。次に、中臣寿詞では、「事依(ことよ)せ」や「事教(ことの)る」をするのは高天原の神々です。その神々の行為に対して、人が神々に行うのが「稱辞(たたへごと)定奉(さだめまつる)」です。ここから類推して、集歌3254の歌の「事霊」とは、高天原の神々を意味しますし、「事挙」は神が人に対して行う行為です。それに対して人が神に対して行うのが「辞挙」です。こうした時、集歌3250の歌での「言挙」の言葉の使い方は、ずいぶんとおかしな使い方になります。

集歌3250 蜻嶋 倭之國者 神柄跡 言擧不為國 雖然 吾者事上為 天地之 神父甚 吾念 心不知哉 徃影乃 月父經徃者 玉限 日父累 念戸鴨 胸不安 戀烈鴨 心痛 末逐尓 君丹不會者 吾命乃 生極 戀乍父 吾者将度 犬馬鏡 正目君乎 相見天者社 吾戀八鬼目

訓読 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 吾(わ)れは事挙げす 天地の 神もはなはだ 吾が思ふ 心知らずや 行く影の 月も経(へ)ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸の苦しき 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 吾が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 吾は渡らむ まそ鏡 正目(ただめ)に君を 相見てばこそ 吾が恋やまめ

私訳 雄と雌の蜻蛉が睦合い飛び交う、そのような蜻蛉島の大和の国は、神だからと云って言葉に出して気持ちを表すことをしない国です。しかし、私は気持ちを示しましょう。天上と地上の神様もそれほどは私の貴女を想う気持ちを知らないでしょうが、移り行く月の姿のように月日が経って行き、玉のように輝く日々も重なると、貴女を想うからなのか胸が苦しく、恋しているからなのか心が痛い。このまま貴女に逢えないのならば、私の命が生きている限りは、私は貴女に恋つづけてこの世を渡って行くでしょう。真澄鏡を真っ直ぐに見るように、目の前に貴女を見ることが出来たなら、この私の恋心は止むでしょう。


反歌
集歌3251 大舟能 思憑 君故尓 盡心者 惜雲梨

訓読 大船の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし

私訳 大船のように思えて信頼できる貴方ですから、貴方に尽くす気持は何にも惜しいことはありません。


集歌3252 久堅之 王都乎置而 草枕 羈徃君乎 何時可将待

訓読 ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ

私訳 永遠に栄える奈良の都を置いて、草を枕にするような旅を行く貴方を、何時に逢えるのでしょうと待っています。


柿本朝臣人麿歌集歌曰
標訓 柿本朝臣人麿の歌集の歌に曰はく、

集歌3253 葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾

訓読 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 事(こと)挙げせぬ国 しかれども 辞(こと)挙げぞ吾がする 言(こと)幸(さき)く ま幸(さき)くませと 恙(つつが)なく 福(さきく)いまさば 荒礒(ありそ)波(なみ) ありても見むと 百重(ももへ)波(なみ) 千重(ちへ)波(なみ)にしき 言(こと)上げす吾れは

私訳 天皇が治める葦原の瑞穂の国は地上の神々が気ままに人民に指図しない国です。しかし、その神々にお願いをする、私は。約束が祝福され、この国が繁栄しますようにと。そして何事もなく繁栄するならば、荒磯に常に波が打ち寄せるように百回も、千回も繰り返して、神々に誓約します、私は。


反歌
集歌3254 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具

訓読 磯城島の大和の国は事霊(ことたま)の助くる国ぞま福(さきく)ありこそ

私訳 天皇の志の貴い磯城島の大和の国は地上の神々が天皇を補佐する国です。きっと、繁栄するはずだ。
右五首
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3248の歌

2010年03月28日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
相聞

集歌3248の歌
 集歌3248の歌は考えようでは、少し、不思議な歌です。この二首には、歌の感覚から若い女性からその女性が恋する男性に対して贈った可能性があります。そうしたとき、歌は、恋する女性が、男性の心と行動を想像した短編小説のような雰囲気になります。また、感覚的に人麻呂とその隠れ妻との匂いがします。想像するこの姿は、巻十三の相聞歌の最初に選択するに、相応しい歌ではないでしょうか。
 ただし、奈良時代に若き女性が、恋する恋人の気持ちに為り変わって、その心境を詠いながら自分の恋する気持ちを詠うと云うような複雑な構成の歌を詠ったことに、驚嘆を覚えます。一方、反歌も非常に巧みな歌です。初句と二句は長歌と同じ歌詞を繰り返しますが、漢字表記でそれぞれの文字に二重の意味合いを持たせたような歌です。
 歌の感覚で、互いに肉体関係はあると想像出来ますが、このような歌を創って贈り、またそれを受け止めると云う、非常に漢字・漢語の教養レベルの高い恋人同士ですから、飛鳥御浄原宮から藤原宮時代での該当者を想像すると、その該当者は限られるのではないでしょうか。
 当然、正統な万葉集の研究では、奈良時代にこのような高度な和歌の世界は存在しないことになっていますので、集歌3248の歌は男が恋人の女を想う長歌との解釈を行います。なお、反歌の結語は「嗟」であって、「嘆」ではないことに注目しておく必要があると思います。
 正面から向き合うと、難しい恋歌です。

集歌3248 式嶋之 山跡之土丹 人多 満而雖有 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 君自二 戀八将明 長此夜乎

訓読 磯城島の 大和の国に 人(ひと)多(さわ)に 満ちてあれども 藤波の 思ひ纏(まつ)はり 若草の 思ひつきにし 君が自(おのず)に 恋ひや明(あ)かさむ 長きこの夜を

私訳 磯城島の大和の国に若い女の人は多く満ちているけれど、藤の蔓が波打ち周辺の木々に纏わるように恋人への思いが纏わり、若草のように思いが湧き出るでしょう。貴方は自然と恋人(私)への恋心に夜を明かすでしょう。長い、この夜を。


反歌
集歌3249 式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 難可将嗟

訓読 磯城島の大和の国に人二人ありとし思(も)はば何か嗟(なげ)かむ

私訳 この磯城島の大和の国に貴方のような、私の心に想う人が二人はいると、二年以上もずっと思えるならば、何を貴方一人への恋の想いに嘆くでしょうか。ただ、貴方を讃嘆します。
右二首


参考に、当時の表記法を反歌に見ると、次のようになるでしょうか。

集歌3249 式嶋乃山跡乃土丹人二有年念者難可将嗟

 こうした時、この歌は表記として残っていますから、恋人同士も漢語と万葉仮名表記の「書記する和歌」として歌を交換したと思います。すると、発声とは違い、表記では「土丹」と「丹人」であり、「人二有」と「二有年」とも解釈出来ます。また、「嗟」の漢字の用法には、その時の状況で「嘆息」と「感嘆」との相反する意味がありますから、「嘆」ではなく「嗟」の用字が巧みです。言葉や状況での比喩の名手で、漢語・漢字に巧みな女性。それを、十分に受け止める恋人の男性。さて、貴女は、これらの歌の中に、どんな恋人たちを想像しましたか。
 ところで、恋詩として、万葉集には、つぎのような歌があります。集歌3249の歌の「二」は、貴方のような人が二人居て欲しいですが、集歌2382の歌の「一」は、貴方一人しかいないです。言葉遊びのようですが、情念があります。もし、集歌3249の歌と集歌2382の歌とが関係するのですと、非常に知的で高度な情念の世界です。
 素人の万葉集好きはこんな妄想で、楽しんでいます。


集歌2381 公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉

訓読 公(きみ)が目を見まく欲(ほ)りしてこの二夜(ふたよ)千歳(ちとせ)の如く吾(わ)は恋ふるかも

私訳 貴方の姿を直接にお目にしたいと思って、この二夜がまるで千年のように感じるように私は貴方を慕っているのでしょう。


集歌2382 打日刺 宮道人 雖満行 吾念公 正一人

訓読 うち日さす宮道(みやぢ)を人は満ち行けど吾(わ)が思(も)ふ君はただひとりのみ

私訳 日が輝く宮殿への道を人はあふれるように歩いて行くが、私がお慕いする男性はただ一人、貴方だけです。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3245の歌と集歌3247の歌

2010年03月27日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3245の歌
 集歌3245の歌は、身分ある人の誕生祝賀の宴での歌のようです。出席者で長歌を詠った人はやや身分が下の人で、その反歌を歌った人は身分が上の人だったと推定されます。反歌には、身分高い人が招かれて来て久しぶりに誕生を祝う人物に会って「貴方は、年取ったなあ」と思った雰囲気があります。
 その雰囲気を出すために長歌の「公」に対して、反歌の「君」でしょうか。普段の解釈が取り入れる江戸期以降の訓読み万葉集のようにすべて「公」で統一するのは、この万葉集の歌の鑑賞では乱暴ですし、残念ではないでしょうか。

集歌3245 天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之早物

訓読 天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読(つくよみ)の 持てる変若水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉(まつ)りて 変若(をち)しめむはも

私訳 天上への橋も長くあってほしい。高い山もより高くあってほしい。そして、月の神が持っている若返りの水を取って来て、貴方にさし上げて、若返っていただきたい。


反歌
集歌3246 天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文

訓読 天なるや月日のごとく吾が思へる君が日に異(け)に老ゆらく惜しも

私訳 天空にある月や太陽のように私が思える貴い貴方が、日ごと一層に年老いて行くのが惜しいことです。
右二首


集歌3247の歌
 集歌3247の歌は、集歌3245の歌と同じ宴で詠われたような老齢の人の誕生日を祝う時の宴会での歌のようです。歌での玉は越の国の沼名川の玉ですから、翡翠です。緑に輝く翡翠は古くから魔除けや長寿に関わる高貴な玉とされていますから、その比喩と願いを込めての「沼名川の玉」の意味合いのようです。


集歌3247 沼名河之 底奈流玉 求而 得之玉可毛 拾而 得之玉可毛 安多良思吉 君之 老落惜毛

訓読 沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜(を)しも

私訳 越の国の沼名川の水底にある翡翠の玉。探し求めて得た玉でしょうか、潜って取って来た玉でしょうか。そのような大切な玉のような貴方が年老いて行くのが惜しいことです。
右一首
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3243の歌

2010年03月24日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3243の歌
 集歌3243の歌は「長門の浦」と「阿胡の海」を同時に詠っていますから、広島県の倉橋島と呉市の間に挟まれる阿賀の海の景色を詠った歌でしょう。詠い手は教養のある奈良の京の男のようですから、長門の湊にいる旅行く人を接待する女性との相聞の一コマになると思われます。その相手をする女性も野良衣ではない白栲の衣を着て領布や玉で身を装っていますから、歌で詠いあげる浜辺の情景とは違い、それなりの身分の女性です。
 ただし、歌の表記にもあるように女性は神事での領布を身に付けいますし、「朝奈祇尓」や「夕奈祇尓」の特別に選ばれた用字から「朝にどのように敬い、夕にどのように敬うか」との意味を採ると、歌で示される女性は宴会の唄女ではなく、旅行く人々を寿ぐ儀礼での若く美しい巫女の日中の様子を思い出しての直礼の宴席での歌である可能性もあります。一方、正統に教えられる和歌の歴史では、宴席の人々が共に空想の場面を思い浮かべて歌を楽しむ姿は、奈良時代には無いことになっていますし、万葉仮名の漢字自体に意味は認めませんので、ここでの提議は素人の無知として御笑納ください。
 なお、「阿胡の海」の地名を単独で使う場合は、伊勢国、紀伊国など候補地は広がりますが、ここでは「長門之浦」の地名を挙げることで「阿胡乃海」は特定されます。こうしたとき、万葉集には遣新羅使が詠った「安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首」があり、その内の集歌 3620の歌に島の女性を詠った歌があります。ほぼ、似た感覚ですので、集歌3243の歌は天平四年の従五位下角朝臣家主を遣新羅大使とする一行が詠った歌なのかもしれません。
 専門家からすれば、天平四年の従五位下角朝臣家主からして非常に邪道な解釈ですが、素人にはこんな奔放があっても良いと思っています。


集歌3243 處女等之 床笥垂有 續麻成 長門之浦丹 朝奈祇尓 満来塩之 夕奈祇尓 依来波乃 波塩乃 伊夜益舛二 彼浪乃 伊夜敷布二 吾妹子尓 戀乍来者 阿胡乃海之 荒礒之於丹 濱菜採 海部處女等 纓有 領巾文光蟹 手二巻流 玉毛湯良羅尓 白栲乃 袖振所見津 相思羅霜

訓読 娘子(をとめ)らが 麻笥(をけ)に垂れたる 績麻(うみを)なす 長門(ながと)の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の 波の潮の いやますますに その波の いやしくしくに 吾妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡(あご)の海の 荒礒(ありそ)の上に 浜菜摘む 海人(あま)娘子(をとめ)らが うながせる 領布(ひれ)も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも

私訳 里の娘女達が麻を入れる籠に垂らしたその績麻が長い、その海の長門の湊に、朝の凪時に満ちて来る潮、夕方の凪時に寄せて来る波、その波や潮のように一層はげしく、その波のように一層しきりに、私の愛しい貴女に恋してやって来ると、阿胡の海の荒磯の上で浜菜を摘む漁師の娘子達が、首に掛けた領布も輝くばかりに、手に巻き持つ玉もゆらゆらと、白栲の袖を振るのが見えた。あの子も私と同じように、私に恋しているようだ。


反歌
集歌3244 阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無

訓読 阿胡(あご)の海の荒礒(ありそ)の上のさざれ浪吾が恋ふらくはやむ時もなし

私訳 阿胡の海の荒磯の上を越えて行くさざれ浪、その浪と同じように私が貴女を想う恋心は止む時はありません。
右二首


参考歌 安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首より一首
集歌 3620 故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母

訓読 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭(しまかげ)に廬(いほ)りするかも

私訳 貴女を想う恋心が激しいのを慰めることが出来ず、ひぐらしの鳴く島蔭に宿りするでしょう。


参考表記
漢字で凪を表す「なぎ」の万葉仮名での表記の例
丹比真人笠麿の歌では、「朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二」
車持朝臣千年の歌では、「朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二」
山部宿祢赤人の歌では、「朝名寸二 梶音所聞」
笠朝臣金村の歌では、「朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二」
柿本朝臣人麿謌集では、「朝菜寸二 真梶榜出而」
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3242の歌

2010年03月20日 | 万葉集巻十三を鑑賞する
集歌3242の歌
 集歌3242の歌は、万葉集の難訓歌の代表的なものです。言葉の意味が取れないものが多く、普段の解釈が成立するのかも不明です。なお、「八十一隣之宮」の「八十一」は九九算での九九、八十一の擬訓で、日本書紀の泳宮を示す言葉です。このように、この歌は日本書紀の景行天皇紀を引用していると思われますので、人々の心に倭建命が活躍する原古事記の伝承があった時代ではなく、日本紀が編纂された養老四年(720)の元正天皇時代以降に作歌されたと思われます。
 また、ここで登場する美濃の国の高北の泳宮の地は、現在の岐阜県可児市久々利とされています。そして、同地を通る美濃から木曽への木曽道の公式な開通は和銅六年(713)七月七日ですから、この歌はそれ以降の官僚の東国への赴任の時の歌になるのでしょうか。ただし、この歌の姿自体は飛鳥時代の香りがする古歌を示しています。もし、集歌3242の歌の由来が天武天皇の時代までさかのぼるのですと、天武十三年の王宮の建設の予備調査ともされる三野王の信濃への派遣の記事や十四年の信濃行宮の記事を日本書紀に見ることが出来ます。
 参考に、時代的には日本書紀に載る景行天皇の東国征討の事績と古事記に載る倭建命の東国征討の事績とは同時代ですが、互いに背反する事績です。こうしたとき、万葉集の倭皇后の御製や柿本人麻呂の歌から推定して、天智天皇の葬送では倭建命の東国征討に因む四歌が詠われたと思われますから、明日香人には古事記に載る倭建命の東国征討の事績があります。すると、集歌3242の歌には歴史の作為が最大限に感じられる歌になることになります。さて、奈良の時代に、一体、何があったのでしょうか。

集歌3242 百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山

訓読 ももきねの 美濃の国の 高北(たかきた)の 八十一隣(くくり)の宮に 日向(ひむか)ひに 行(い)き靡(な)び闕(か)かふ ありと聞きて 吾が通ひ道(ぢ)の 奥(おきや)十山(そやま) 野の山 靡けと 人は踏(ふ)めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山

私訳 沢山の年を経た立派な木が根を生やす美濃の国の高北の泳宮(くくりのみや)のある場所に、日に向きあう処に人が行き靡びく大門を欠いた大宮があると聞いて、私が通って行く道の山奥の多くの山、その野の山よ。優しく招き寄せよと、人は山路を踏み行くが、このようにやって来いと、人は山路に胸を衝くように行くのだが、歩くのに優しさがない険しい山たる山奥の多くの山よ、美濃の山は。
右一首


参考 その一
日本書紀 景行天皇四年の記事

原文 四年春二月甲寅朔甲子。天皇幸美濃。左右奏言之、茲国有佳人、曰弟媛。容姿端正、八坂入彦皇子之女也。天皇欲得為妃、幸弟媛之家。弟媛聞乗輿車駕、則隠竹林。於是天皇権令弟媛至、而居于泳宮之。(泳宮。此云区玖利能弥揶)

訓読 四年の春二月の甲寅朔甲子に、天皇、美濃に幸(いでま)す。左右の之を奏(もう)して言(もう)さく、「茲(こ)の国に佳き人有り。『弟媛(おとひめ)』と曰(もう)す。容姿は端正(きらきら)にして、八坂入彦皇子の女(みむすめ)なり」ともうす。天皇、妃として得むと欲(おもほ)して、弟媛の家に幸(いでま)す。弟媛の乗輿(すまらみこと)車駕(みゆき)すと聞きて、則ち竹林に隠くる。ここにおいて、天皇、弟媛を至らしめむと権(はか)りて、泳宮(くくりのみや)の居(ま)します。(泳宮、此を「区玖利能弥揶(くくりのみや)」と云う)


参考 その二
御葬に歌う倭建命の薨去ゆかりの四歌
原文 那豆岐能多能 伊那賀良邇 伊那賀良爾 波比母登富呂布 登許呂豆良

読下 なづきの田 稲幹(いながら)に 稲幹に 匍(は)ひ廻(もとほ)ろふ 野老蔓(ところづら)


原文 阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那

読下 浅小竹(あさじ)原(のはら) 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな


原文 宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波 伊佐用布

読下 海處(うみが)行けば 腰なづむ 大河原(おほかはら)の 植ゑ草 海處はいさよふ


原文 波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布

読下 浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝う


参考歌 その三
(倭媛)太后御謌一首
標訓 (倭媛)太后の御歌(おほみうた)一首

集歌153 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立

訓読 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る船 辺(へ)附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)の 念(おも)ふ鳥立つ

私訳 大きな魚を取る淡海の海を、沖遠くを漕ぎ来る船、岸近くを漕ぎ来る船、沖の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、岸の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、若草のような妻が想いを寄せる八尋白智鳥が飛び立つ


参考歌 その四
柿本人麻呂
集歌266 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

訓読 淡海(あふみ)の海夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)念(おも)ほゆ

私訳 淡海の海の夕波に翔ける千鳥よ。お前が鳴くと気持ちは深く、この地で亡くなられた天智天皇がお治めになった昔の日々を思い出す。
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