竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

亡き人の眠るところ

2009年07月31日 | 人麻呂歌集 恋歌篇
亡き人の眠るところ

ある日、もう老人の域にある人麻呂は石上神社の祭りで逝ってしまった恋人の幻影を見たようです。悲しみはもうありませんが、死に遅れたような寂しさです。

集歌2415 處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者
訓読 処女(をとめ)らを袖(そで)布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり吾は
私訳 処女たちが神寄せの袖を振る布留山の瑞垣の久しい時よ。昔を思い出したよ。私は。

そして、その寂しさに曳かれて、逝ってしまった人がいる場所にやって来たようです。

集歌1118 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 挿頭折兼
訓読 古(いにしへ)にありけむ人も吾がごとか三輪の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ
私訳 昔にいらしたと云われる伊邪那岐命も、私と同じでしょうか。三輪の檜原で鬘(かづら)を断ち切って、偲ぶ思いを断ち切ったのでしょうか。

集歌1119 徃川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之檜原者
訓読 往(ゆ)く川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪の檜原は
私訳 流れいく川のように過ぎて去ってしまった人が、もう、手を合わせて祈ることがないので寂しそうに立っている三輪の檜原の木々は。

なお、漢字の「折」には現在の日本語の「折りたたむ」の「折る」の意味合いの他に、中国の字源では「本義是、斬断。引伸為、曲折。」とあり、本来の漢字の意味合いは「断ち切ってばらばらにする」の意味合いです。最初の集歌1118の歌の「折」は斬断の意味合い、次の集歌1119の歌の「折」は曲折の意味合いで私訳を行なっていますので、少し、普段の解説とは違うと思います。



おわりに

ここで紹介するおっちゃんの解釈の万葉集の意訳は、普段に目にする解説と少し意味合いが違ったものが多々あります。特に違うとおっちゃんが思ったものにはその理由や説明を付けましたが、ちょっとしたものについては、理由や説明を端折っています。もし、興味がお有りでしたら、原文の漢字を調べて見て下さい。なるほどと、思っていただけると思います。また、原則として、原文の表記は西本願寺本に準拠しています。そのために、漢字が違うと思われるものもありますが、それはその理由です。さらに、難訓歌とされるものや意が取り難いものは、和語漢文体のような感覚で意訳を行っています。それはそれとして、いかんせん、スコップとツルハシを持って生業とするおっちゃんの万葉集の解釈ですので、眉につばをつけてお楽しみください。。
最後に人麻呂の恋歌とは直接には関係ありませんが、私の推定のように隠れ妻が桜井市の忍坂の石位寺付近に根拠を持つ百済からの漢・呉系の渡来人の末とされる忍部一族の関係者としますと、場合により、私たちは隠れ妻の素顔を想像できるかもしれません。
桜井の忍坂にある石位寺は、現在は見る影も薄れるようなお寺ですが、飛鳥時代は相当な規模のお寺だったようで、江戸末期まではその面影はあったそうです。ところが、明治時代の廃仏毀釈の混乱期に地元の有志だけでは寺の補修・維持が出来なくなり、その時の行政責任者が寺の仏像を売り払い、箱物である寺の修理費に当てたそうです。その売り払われた仏像は、現在、長野県長野市の若穂保科の清水寺で国の重要文化財として拝見できます。その移っていった仏像の、その制作年代は藤原京中期にあたり、ちょうど、人麻呂や隠れ妻が生きた時代です。それで、忍坂の石位寺から遣って来た仏像の内の千手観音菩薩または薬師如来のどちらかが、生前の隠れ妻を写した可能性があります。
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紀伊国への御幸 大宝元年

2009年07月30日 | 人麻呂歌集 恋歌篇
紀伊国への御幸 大宝元年
大宝元年(701) 人麻呂五十四歳

隠れ妻が亡くなって、しばらくしての紀伊国への御幸です。昔、隠れ妻と御幸に随行して来た同じ紀伊の土地です。行く場所、見る場所、すべてに隠れ妻との思い出のある土地です。久しいと思ったか、それとも侘びしく切ないと思ったのでしょうか。

大寳元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇幸紀伊國時謌十三首
標訓 大宝元年辛丑の冬十月に、太上天皇大行天皇の紀伊國に幸(いでま)しし時の歌十三首
集歌1667 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
訓読 妹がため我れ玉求む沖辺(おきへ)なる白玉寄せ来(こ)沖つ白波
私訳 貴女のために私は真珠の玉が欲しい。沖の方から白い真珠の玉を波とともに寄せて来い。沖に立つ美しい玉のような波立つ白浪よ。
右一首、上見既畢。但、歌辞小換、年代相違。因以累戴。
注訓 右の一首は、上に見ゆること既に畢(をは)りぬ。ただ、歌の辞(ことば)小(すこ)しく換(かは)り、年代相違へり。因(よ)つて以つて累(かさ)ねて戴(の)す

集歌1672 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻
訓読 黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれなゐ)の玉裳(たまも)裾(すそ)引(ひ)き行くは誰(た)が妻
私訳 黒牛の潟の潮が干いた浜辺を紅の美しい裳の裾を引いて歩いているのは誰の恋人でしょうか。

集歌1673 風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無
訓読 風莫(かぜなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに
私訳 風があっても風莫の浜と呼ばれる浜の白波は、ただ無性に寄せてくる。見る人もいないのに。

一云、於斯依来藻
あるひは云はく、
訓読 ここに寄せ来(こ)も
右一首、山上臣憶良類聚歌林曰、長忌寸意吉麻呂、應詔作此謌。
注訓 右の一首は、山上臣憶良の類聚歌林に曰はく、「長忌寸意吉麻呂、詔(みことのり)に應(こた)へて此(これ)を作れる」といへり。

紀伊國作謌四首
標訓 紀伊國にて作れる歌四首
集歌1796 黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳
訓読 黄葉(もみちは)の過ぎにし子らと携(たづさ)はり遊びし礒を見れば悲しも
私訳 黄葉の時に逝ってしまった貴女と手を携えて遊んだ磯を今独りで見ると悲しいことです。

集歌1797 塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来
訓読 潮気(しほけ)立つ荒礒(ありそ)にはあれど往(い)く水の過ぎにし妹が形見とそ来し
私訳 潮気が立つ何も無い荒磯ですが、磯を洗い流れ往く水のように過ぎ去った貴女との思い出と思ってここにやって来ました。

集歌1798 古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下
訓読 古(いにしへ)に妹(いも)と吾(わ)が見しぬばたまの黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも
私訳 昔に貴女と私が人目を忍んで寄り添って見た漆黒の黒牛潟を、独りでこうして見ていると寂しいことです。

集歌1799 玉津嶋 礒之裏未之 真名子仁文 尓保比去名 妹觸險
訓読 玉津島(たまつしま)礒の浦廻(うらみ)の真砂(まなご)にも色付(にほひ)て行かな妹も触れけむ
私訳 玉津嶋の磯の砂浜の真砂にも偲んでいきましょう。貴女がこのように触れた砂です。
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悲嘆と回顧

2009年07月29日 | 人麻呂歌集 恋歌篇
悲嘆と回顧
文武三年(699)晩秋 人麻呂五十二歳

中西進氏の推測で人麻呂歌集から採られたのではないかとされる歌三首に私の推測を加えた隠れ妻への回顧の歌です。なお、ここでの歌は人麻呂歌集から採るとした冒頭に掲げた約束違反の番外の歌です。

集歌1407 隠口乃 泊瀬山尓 霞立 棚引雲者 妹尓鴨在武
訓読 隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)の山に霞立ち棚引く雲は妹にかもあらむ
私訳 人が隠れるという隠口の泊瀬の山に霞が立っている。その棚引く雲は貴女なのでしょうか。

集歌1408 狂語香 逆言哉 隠口乃 泊瀬山尓 廬為云
訓読 狂語(たはごと)か逆言(おとづれこと)か隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)の山に廬(いほり)すといふ
私訳 たわけた話なのでしょうか、逆言なのでしょうか。人が隠れるという隠口の泊瀬の山に貴女は籠っていると人は云っています。

集歌1409 秋山 黄葉可怜 浦觸而 入西妹者 待不来
訓読 秋山の黄葉(もみち)あはれびうらぶれて入りにし妹は待てど来まさず
私訳 秋山の黄葉は可怜で美しいが、なぜかうら寂しい。秋山の美しい紅葉に引かれて行った愛しい貴女は、待っていても帰ってきません。

集歌1410 世間者 信二代者 不徃有之 過妹尓 不相念者
訓読 世間(よのなか)はまこと二(ふた)代(よ)は往(ゆ)かざらし過ぎにし妹に逢はなく念(おも)へば
私訳 人のこの世は、本当に二世代に渡って長く生きることは出来ないようです。逝き過ぎていった貴女に逢えないと思うと。

集歌1411 福 何有人香 黒髪之 白成左右 妹之音乎聞
訓読 福(さきはい)いかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く
私訳 幸福な人とは、どのような人でしょうか。黒髪が白髪に変わるまで愛しい妻の声を聞く人のことでしょうか。

集歌1412 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳
訓読 吾が背子を何処(いづち)行かめと辟(さき)竹(たけ)の背向(そがひ)に寝(ね)しく今し悔(くや)しも
私訳 私の愛しい貴女がどこかに行くことがあるだろうかと、捩れ竹のように曲げた背を貴女に向けて夜を寝たことが、今は残念で悔いが残ります。

集歌1413 庭津鳥 下鷄乃垂尾乃 乱尾乃 長心毛 不所念鴨
訓読 庭つ鳥(とり)下鶏(しと)の垂(たり)尾(を)の乱(みだれ)尾(を)の長き心も念(おも)ほえぬかも
私訳 庭にいる普段には枝にとまる鶏が地上に降りて垂れた尾羽の乱れ、その尾羽のように心も乱れ、末永くと思う気持ちも、今は思うことが出来ない。

集歌1414 薦枕 相巻之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責
訓読 薦(こも)枕(まくら)相(あひ)纏(ま)きし子もあらばこそ夜(よ)の更(ふ)くらくも吾(あ)が惜(を)しみ責(せ)む
私訳 薦で造った枕を共にして二人で抱き合って寝た貴女が居たからこそ、夜が更けていくことを私は慈しみ、かつ残念に思ったのです。

集歌1415 玉梓能 妹者珠氈 足氷木乃 清山邊 蒔散染
訓読 玉梓の妹は珠かもあしひきの清(きよ)き山辺(やまへ)に蒔(ま)けば散り染(そ)む
私訳 玉梓の使いが知らせをもたらした貴女は大切な珠や渡来の毛氈です。寒さ厳しいなかで木々の茂る清らかな山に貴女の灰を撒くと、山は珠や毛氈のように美しく黄葉に染まりました。

或本謌曰
標訓 或る本の歌に曰はく、
集歌1416 玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影尓 麻氣者失留
訓読 玉梓の妹は花かもあしひきのこの山(やま)蔭(かげ)に蒔(ま)けば失せぬる
私訳 玉梓の使いが知らせをもたらした貴女は、花なのかもしれません。あしひきのこの山陰に貴女の灰を撒くと灰とともに花も散り失せるでしょう。
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隠れ妻の死

2009年07月28日 | 人麻呂歌集 恋歌篇
隠れ妻の死
文武三年(699)晩秋 人麻呂五十二歳、隠れ妻四十五歳

歌は、持統六年の伊勢国への御幸から時期を置いて突然ですが、内容もまた突然です。
その突然の出来事に、すべてが信じられなくて、人の話が理解できないほどの人麻呂の自分の心の衝撃的な悲しみを詠った歌です。
その悲しみを私の訳ではほとんど表現できていませんが、人麻呂の思いの一隅でも感じて下さい。

柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作謌二首并短謌
標訓 柿本朝臣人麻呂の妻死(みまか)りし後に泣(い)血(さ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌
集歌207 天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 入目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣淵之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使之言者 梓弓 聲尓聞而 (一云 聲耳聞而) 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 (或本 有謂之名耳聞而有不得者句)
訓読 天飛ぶや 軽の道は 吾妹児の 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど 止(や)まず行かば 人目を多(おほ)み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる 磐(いは)垣(かき)淵(ふち)の 隠(こ)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠(くもかく)るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉(もみちは)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまずさ)の 使(つかひ)の言へば 梓(あずさ)弓(ゆみ) 音に聞きて (一は云はく、 音のみ聞きて) 言はむ術(すべ) 為(せ)むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得(え)ねば 吾が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止(や)まず出で見し 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉(たま)襷(たすき) 畝傍の山に 喧(な)く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし去(ゆ)かねば 術(すべ)を無み 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる (或る本に、「名のみを聞きてありえねば」といへる句あり)
私訳 空を飛ぶのか、雁の軽の路は私の愛しい貴女の住んでいる豊浦寺へ続くものと思うと、ねんごろに逢いに行きたいのですが、ひっきりなしに行くと人の目を引くし、たびたび行くと人が気づいてしまうだろう。さね葛の根が絡みあっているように後にも逢えると、大船のように思い後に逢うことを信頼していて、美しい玉となって輝く玉石の磐垣の淵に隠れるように貴女に恋しているのに、空を渡る日が暮れていくように、夜照る月が雲に隠れるように、沖の藻が浪に靡き寄せるように私に靡いた貴女は、黄葉のように過ぎて去って行った玉梓の使いが言うので、巫女が神寄せする梓弓の音のように聞いて、答えるべき言葉も為すべきことも思いもつかず、使いが言う言葉の音だけ聞いて、その内容が理解できずにいると、「貴方の恋するあの人へ千回の想いを一回にするような悼む気持ちはありますか」と。私の愛しい貴女が儀式がある毎にたびたび出かけていって見ていた軽の市の辻に私が立ち、辻占として人の言葉を聞くと、美しい玉の襷をかけるような畝傍の山に普段は鳴き騒ぐ鳥の声も聞こえず、美しい鉾を立てる道を行く人も、誰一人、鳥の行いに似て立ち去らない。貴女の行方を占う辻占も出来ずにどうしようもなく、貴女の名前を口に出して呼んで、魂を呼び戻す袖を振りました。

短謌二首
集歌208 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母
訓読 秋山の黄葉(もみち)を茂み迷(まと)ひぬる妹を求めむ山道知らずも
私訳 秋山の黄葉の落ち葉が沢山落ちているので道に迷ってしまった。居なくなった貴女を探そう、山の道を知らなくても。

一云、路不知而
あるひは云はく、
訓読 道知らずして

集歌209 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
訓読 黄葉(もみちは)の落(ち)り去(ゆ)くなへに玉梓の使(つかひ)を見れば逢ひし日念(おも)ほゆ
私訳 黄葉の落ち葉の散っていくのつれて貴女が去っていったと告げに来た玉梓の使いを見ると、昔、最初に貴女に会ったときに、恋の手紙の遣り取りを使いに託した、そんな日々を思い出します。

参考に、「里」の漢語には住んでいる場所の意味合いもありますので、実家の意味合いには取っていません。また、隠れ妻は四十歳ぐらいで仏門に入ったような観があります。それで、人々が知る元恋人の人麻呂が尼寺に頻繁に訪ねていくことは、忌諱すべきでしょうし、人目を引く行為でもあります。
これらの歌で一番肝心なのは、集歌209の歌の「使を見れば逢ひし日念ほゆ」の詞です。人麻呂は、実際には僧尼になった隠れ妻の不治の病を知っていたはずです。隠れ妻の死を予想はしていたようですが、それでも、実際にその知らせを聞いて、現実の世界から過去に二人で過ごした思い出の世界に入り込んだようです。たぶん、人麻呂の心には過去の隠れ妻との波乱万丈の出来事や肌の温もりが次から次に浮かびあがったはずです。それが、「使を見れば逢ひし日念ほゆ」であり、「音のみを 聞きてあり得ねば」の世界と思っています。
戦乱と高度成長の嵐のような時代を共にした恋人の死への悲しみと過去の回想を、どこまで意訳できたでしょうか。拙い意訳ですが、感じていただければ幸いです。
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伊勢国への御幸 持統六年

2009年07月27日 | 人麻呂歌集 恋歌篇
伊勢国への御幸 持統六年
持統六年(692) 人麻呂四十六歳、隠れ妻三十九歳

これらの歌は捧呈歌と云うより、御幸の旅から戻ってきた隠れ妻への贈呈歌のような感覚がします。集歌40の歌は三・四の十二の遊びがありますし、集歌41の歌には麻続王の話題があります。

幸于伊勢國時、留京柿本朝臣人麻呂作謌
標訓 伊勢國に幸(いでま)しし時に、京(みやこ)に留(とど)まれる柿本朝臣人麻呂の作れる歌
集歌40 鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 感嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香 (感は女+感の代字)
訓読 嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむ感嬬(をとめ)らが玉裳の裾に潮満つらむか
私訳 あみの浦で遊覧の船乗りをしているだろう官女の人たちの美しい裳の裾に潮の飛沫がかかって、すっかり濡れているでしょうか。

集歌41 釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武
訓読 くしろ着く手節(たふせ)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
私訳 美しいくしろを手首に着ける、手節の岬で今日もあの大宮人の麻続王は足を滑らせることなく玉藻を刈っているのでしょうか。(そして、貴女は足を滑らせませんでしたか。)

集歌42 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
訓読 潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)漕ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を
私訳 潮騒の中で伊良湖水道の島の海岸を漕ぐ船に私の恋人は乗っているのでしょうか。あの波の荒い島のまわりを。

今までの二人の関係ですと、隠れ妻からの返歌があってもおかしくは無いのですが、万葉集にそれを見つけることは出来ません。歌には遊び心が溢れていますから、二人の仲はとても良好なので、不思議です。そして、人麻呂自身の歌も、この時期を境に特別な機会で歌が詠われるだけの、極く、僅かなものになります。詠わなかったのか、伝わらなかったのか、さて、どちらでしょうか。
なお、人麻呂は、このころに「引手の山の妻」を同居する家の妻として迎え入れています。場合により、当時は女性の四十歳は老女に区分されるの年になりますから、隠れ妻が四十歳を迎えるとして人生の区切りとして仏門に入ったのかもしれません。二人の間に何かがあったようなのですが、そこがよく判りません。私が感じる万葉集の歌からは、人麻呂と隠れ妻との間には、どうも最後まで子供は生まれなかったようですので、それも一つの理由かもしれませんが。
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