竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百九六 今週のみそひと歌を振り返る その十六

2016年12月24日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百九六 今週のみそひと歌を振り返る その十六

 万葉集の歌を鑑賞する時、悩ましい古語に「つま」と云う言葉があります。古語辞典や標準的な万葉集の解説書では、この「つま」を夫婦における女性、現代語の妻と男性、現代語の夫の二つの意味があり、歌の解釈により女性か男性かの判断が必要とします。つまり、この「つま」と云う古語は夫婦関係を持つ女性にも男性にも使う言葉と解説します。
 このような古語説明をしますから、次の集歌426の歌は困惑する歌となります。

集歌426 草枕 騎宿尓 誰嬬可 國忘有 家待莫國
訓読 草枕旅し宿(やど)りに誰が嬬(つま)か国忘るるか家待たなくに

 参考として「つま」と男性として解釈しますと、つぎのような意訳が可能です。

訳A 草を枕にするような野宿する旅の宿りの中に、誰の夫がその妻が待つ故郷を忘れたのでしょうか。きっと、故郷の家の人たちはここで草枕している貴方を待っているのに。

 一方、「つま」を女性として解釈しますと、つぎのような意訳が行えます。

訳B 草を枕にするような野宿する旅の宿りの中に、誰の妻が、貴方が帰るべき故郷を忘れた、その故郷の家で、ここで草枕している貴方を待っているのに。

 変な話ですが、歌で「つま」を男性としますと、三句目の「誰嬬可」の「誰」は旅で行き倒れた男の妻となり、歌はその男の妻への同情の歌となります。一方、「つま」を女性としますと、「誰」は家で帰りを待っている妻の夫と云うことになり、歌は旅で行き倒れた男を悼む歌となります。歌は「柿本朝臣人麿見香具山、屍悲慟作謌一首」と云う標題を持つ歌ですから、歌は香具山の辺で行き倒れて死んだ男への挽歌です。そのため、歌は訳Bのように解釈せざるを得ないことになります。ここでは「つま」を男性の夫とは解釈は出来ません。また、集歌426の歌では「嬬」を「つま」と訓じていますが、この「嬬」と云う漢字の原義は『説文解字』からすると「濡、柔也。一曰下妻也。下妻猶小妻」ですから、漢字には男性のイメージはありません。原義では一夫多妻制度での序列の低い妻と云うものです。

 さて、最初に紹介しましたように「つま」を標準解釈では女性にでも男性にでも使える古語です。すると、漢語ではなく万葉仮名表記を使う『古事記』歌謡の「都麻(つま)」、『日本書紀』歌謡の「兎摩・逗摩・都麼(つま)」で表記される「つま」が、標準解釈で示す古語なのでしょうか。
 ところが、以下に紹介しますが、『古事記』歌謡五七の「由玖波多賀都麻(行くは誰が妻)」や『日本書紀』歌謡六九の「和餓儺勾菟摩(我が泣く妻)」は夫婦における女性、現代語での「妻」を意味します。夫婦における男性、夫ではありません。
 では、どこから「つま」と云う言葉に夫婦における男性と云う意味合いが導き出されたのでしょうか。伝聞の又聞きですが、有る解説では『古事記』歌謡六の「那遠岐弖 都麻波那斯(なをきて つまはなし)」と云う一節を根拠にする様です。この「なをきて つまはなし」は「汝を除て 夫は無し」と解釈して、ここから「つま」と云う言葉に夫婦における男性と云う意味合いの根拠を求めるようです。
 ただし、非常に危うい根拠です。誰かの『古事記』歌謡の解釈が唯一の根拠では、それは単なる可能性の仮説にしかすぎません。例えば「那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯(なをきて をはなし なをきて つまはなし)」と云う文章は、つぎのように二通りに解釈が可能ではないでしょうか。

訳A 貴方を除くと男はいないし、貴方を除くと夫はいない
訳B 貴方を除くと男はいないし、貴方が居なければ私は妻ではない

 当然、訳Aが標準的な解釈で、訳Bは「吾妹子」の「私の貴女」と同じ発想の解釈です。『続日本紀』の記事に示すように夫の死後、新たな男と婚姻せずに貞操を保つ女性を褒賞するように記紀歌謡が編まれた時代、律令制度の要請などから一夫一婦制を尊重した時代です。そうした時、貞操を保つ女と云う立場からしますと「なをきて つまはなし」と云う言葉は夫婦の契りを為した相手が居なければ「妻」と云う特別な地位を示す名称を名乗れないと云うことです。
 さらに同じ歌謡六の「和加久佐能 都麻母多勢良米(わかくさの つまもたせらめ)」では「若草の 妻持たせらめ」と解釈します。標準的な解釈では同じ歌謡中で現れる「都麻(つま)」と云う同じ万葉仮名表記を「夫」と「妻」との二つの意味合いで歌を詠うことになりますし、歌中では「夫」を「那(な)」と表記しているのに、なぜ、「那遠岐弖 都麻波那」では「那」ではなく「都麻」なのでしょうか。
 つまり、「なをきて つまはなし」を「汝を除て 夫は無し」と解釈した人は「吾背子」、「妹背」、「吾勢」のような万葉集表現に弱く、その態度で「記紀歌謡」を独特に解釈した結果、「つま」を「夫」と解釈出来るとしたのかもしれません。もし、「都麻」と云う万葉仮名表記に対して「つま=夫」と解釈するのですと、『古事記』歌謡六以外の根拠を示す必要があると考えます。ただ、弊ブログでは「記紀歌謡」を資料篇に紹介していますが、「都麻」、「兎摩」、「逗摩」、「都麼」などは「つま」と訓じ、解釈は一律に「妻」です。例外はありません。

 当然、標準的な解釈で「つま」と云う古語に「妻」と「夫」との二通りの解釈があるとしていますと、その解釈根拠があやふやで信頼できないのですと、『万葉集』の解釈に混乱が生じます。例えば次の集歌153の長歌の解釈は相当に変わります。なお『万葉集』と同時代となる『古事記』歌謡での「わかくさの つま」は「若草の妻」が標準解釈であって、「若草の夫」などと云う軟弱でヤワヤワした解釈はありません。大后が歌を奉げた相手は血で血を洗うような皇位継承を戦い勝ち、百済の役なども経験した天智天皇です。その人物が「若草の夫」ですか。それに原歌表記での漢字は「若草乃嬬」ですから、漢字原義からも不適です。

大后御謌一首
標訓 大后の御歌(おほみうた)一首
集歌153 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来舡 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
試訓 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けに 漕ぎ来る船 辺(へ)附きに 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)し念(も)ふ鳥立つ

 今回もまた、与太話で終始してしまいました。反省する次第です。
 ただ、弊ブログでの解釈は標準的な古語解釈とは待ったくに違いますが、少なくとも『古事記』や『日本書紀』に載る歌謡と『万葉集』の歌に対して、「つま」と云う古語に「妻」と「夫」との二通りの解釈があると云うものは採用出来ません。採用する場合は、『古事記』や『万葉集』と同時代文献などから、その根拠を示すのが先です。個人的な文章解釈一例だけでもってその言葉の定義として採用することは出来ません。一例だけしか無いのであれば、一義的にその言葉の定義に収束することを証明する必要があります。その証明で社会的肩書は学問根拠にならないことは明らかです。
 で、立場を持つお方、漢字だけで記述された原文や原歌から仮説を確認しましたか。訓じの漢字交じり平仮名文は、時に、訳者によっては意図に叶うように誘導する創訳を行うことがあります。


<参考資料>
古事記 歌謡五七
原歌 夜麻登幣邇 由玖波多賀都麻 許母理豆能 志多用波閇都都 由久波多賀都麻
読下 やまとへに ゆくはたがつま こもりづの したよはへつつ ゆくはたがつま
解釈 倭方に 行くは誰が妻 隠り処の 下よ延へつつ 行くは誰が妻

日本書紀 歌謡六九
原歌 阿資臂紀能 椰摩娜烏菟絇利 椰摩娜箇弥 斯哆媚烏和之勢 志哆那企弐 和餓儺勾菟摩 箇哆儺企弐 和餓儺勾兎摩 去樽去曾 椰主区泮娜布例
読下 あしひきの やまだをつくり やまだかみ したびをわしせ したなきに わがなくつま かたなきに わがなくつま こぞこそ やすくはだふれ
解釈 あしひきの 山田をつくり 山高み 下樋を走しせ 下泣きに 我が泣く妻 片泣きに 我が泣く妻 今夜こそ 安く膚觸れ

古事記 歌謡五
原歌 奴婆多麻能 久路岐美祁斯遠 麻都夫佐爾 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許禮婆布佐波受 幣都那美 曾邇奴岐宇弖 蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 於岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許母布佐波受 幣都那美 曾邇奴棄宇弖 夜麻賀多爾 麻岐斯 阿多尼都岐 曾米紀賀斯流邇 斯米許呂母遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許斯與呂志 伊刀古夜能 伊毛能美許等 牟良登理能 和賀牟禮伊那婆 比氣登理能 和賀比氣伊那婆 那迦士登波 那波伊布登母 夜麻登能 比登母登須須岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久 阿佐阿米能 佐疑理邇多多牟敍 和加久佐能 都麻能美許登 許登能 加多理碁登母 許遠婆
読下 ぬばたまの くろきみねしを まつふさに とりよそひ をきつとり むなみるとき はたたぎも こればふさはず へつなみ そにぬきうて そにとりの あをきみねしを まつふさに とりよそひ をきつとり むなみるとき はたたぎも こもふさはず へつなみ そにぬきうて やまがたに まきしあたねつき そめきがしるに しめころもを まつふさに とりよそひ をきつとり みなみるとき はたたぎも こしよろし いとこやの いものみこと むらとりの わがぬれいなば ひけとりの わがひけいなば なかしとは なはいふとも やまとの ひともとすすき うなかふし なかなかさまく あさあめの さぎちにたたぬそ わかくさの つまのみこと ことの かたりごとも こをば
解釈 ぬばたまの 黒く御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも これは適さず 辺つ波 そに脱き棄て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こも適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山県に 蒔きし あたね舂き 染木が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し いとこやの 妹の命 群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは 汝は言ふとも 山処の 一本薄 項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡六
原歌 夜知富許能 加尾能美許登夜 阿賀淤富久邇奴斯 那許曾波 遠邇伊麻世婆 宇知尾流 斯麻能佐岐耶岐 加岐尾流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米 阿波母與 賣邇斯阿礼婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾 牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻伝 多麻伝佐斯麻岐 毛毛那賀邇 伊遠斯那世 登與美岐 多弖麻都良世
読下 やちほこの かみのみことや わがをふくにぬし なこそは をにいませば うちみる しまのさきさき かきみる いそのさきをちず わかくさの つまもたせらめ あはもよ めにしあれば なをきて をはなし なをきて つまはなし あやかきの ふはやがしたに むきふすま にこやかしたに たくふすま さやぐかしたに あわゆきの わかやるむねを たくずぬの しろきただむき そだたき たたきまなかり またまて たまてさしまき ももなかに いをしなせ とよみき たてまつらせ
解釈 八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男は無し 汝を除て 妻は無し 綾垣の ふはやが下に 苧衾 柔やが下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 百長に 寝をし寝せ 豊御酒 奉らせ

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