竹取翁と万葉集のお勉強

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改訂 社会人のための万葉集入門 はじめに

2017年05月01日 | 初めて万葉集に親しむ
改訂 社会人のための万葉集入門

はじめに

 本編は「社会人のための万葉集入門」と題していますが、実はブログ「竹取翁と万葉集のお勉強」をより楽しんで頂くことを主目的に補助資料として作成しています。常識的には、ブログの記事を読むために補助資料を作ると云うことは、実に馬鹿げたことだと思われるでしょう。確かにそうではありますが、ブログ「竹取翁と万葉集のお勉強」はその題名の通りに万葉集と云う特殊なジャンルを扱い、さらにその万葉集に対して一般的な鑑賞方法とは違う独特な視点や立場から歌を鑑賞しています。なにが独特な視点や立場なのかと云うと、万葉集の歌をその万葉集に記載する原歌表現を尊重して、それをテキストとして歌を鑑賞していることであります。また、このような背景がありますので「万葉集入門」と題していますが、本編の読者にはある程度の知的好奇心と文字を楽しむ姿勢が求められます。ただ、本編が扱うものは万葉集に記載する原歌表現をそのままに尊重と云う一般的な教科書では紹介しない方面からのアプローチです。そのため教科書の暗記を要求される受験や学業とは切り離された人生経験豊かな人、つまり、「社会人」を読者の対象としています。
 ここで、文学作品をオリジナルの文章から鑑賞することは至極当たり前のことと思われるでしょうが、古典文学の世界や学業ではそれは非常に特殊な鑑賞方法です。そのため、万葉集に記載する原歌表現を尊重して、それをテキストとして和歌を鑑賞することは、本編が行うように独特な視点や立場からの作品鑑賞となります。この背景において紹介するものが一般的なものとは違うため、どのような観点や立場で鑑賞しているかを説明する必要がありますし、読者におかれては本編で主張するものの背景を知って頂く必要があると考えています。
 その独特な視点や立場をご理解頂く為に、いきなりですが『万葉集』と『古今和歌集』の本来の歌を紹介します。

万葉集巻二十 歌番号四二九七 大伴家持
原歌 乎美奈弊之安伎波疑之努藝左乎之可能都由和氣奈加牟多加麻刀能野曽
読下 をみなへしあきはきしぬきさをしかのつゆわけなかむたかまとののそ
解釈 をみなへし 秋萩凌ぎ さを鹿の 露別け鳴かむ 高円の野ぞ (新訓万葉集 佐佐木信綱)

高野切第一種 古今和歌集 歌番二 紀貫之
原歌 曽天悲知弖武春比之美川乃己保礼留遠波留可太遣不乃可世也止久良武
草書 曽天悲知弖武春比之美川乃己保礼留遠波留可太遣不乃可世也止久良武
読下 そてひちてむすひしみつのこほれるをはるかたけふのかせやとくらむ
解釈 袖ひちて むすびし水の こほれるを 春かた今日の 風やとくらむ (本編独自)

 紹介しました「原歌」と案内するものが本来の万葉集の歌であり、古今和歌集の歌です。ブログ「竹取翁と万葉集のお勉強」で扱う歌はこの原歌で示すものですが、一般的な万葉集や古今和歌集の評釈書や解説書では「解釈」で紹介する「漢字交じり平仮名歌」を和歌テキストとして扱います。つまり、根本的に扱う歌が違うのです。
 ご承知のように、日本古典文学作品は古語日本語で記述されたものです。そのため、一般に普通の人では直接にそのような作品をオリジナルから鑑賞することは出来ないと考えます。それ故に、読者が生活する時代に合わせて、その時代の言葉への翻訳が必要となります。私たちはこの古典の現代語翻訳で古典文学を手軽に楽しむことが出来るのです。ですから本編でも「解釈」で紹介する翻訳歌を否定する立場ではありません。
 ところが、日本古典文学では和歌道のような芸道から派生した不思議な慣習があります。平安時代末期頃までは、万葉集や古今和歌集などはオリジナルの表記を尊重し「不違一字書写之畢」と云う書写態度を保っていて、オリジナル表記とその翻訳と云うものの区分が明確でした。やがて時代が下り、鎌倉時代以降になると社会変動とそれに伴う文化の変化により原歌を読解することが困難となったことから翻訳物が主体となり、その翻訳物も和歌道のような芸道からその始祖とされる藤原定家によるものを尊重するようになりました。なお、藤原定家は、彼が考えるよりよきものを追及したためか、彼の書写本や翻訳には不違一字書写之畢の態度はありません。しかし、藤原定家は伝統において和歌道の祖たる位置にあります。結果、鎌倉時代になされたその当時の現代語翻訳「漢字交じり平仮名」による表記スタイルのものが疑似オリジナルのような形で一人歩きを始めます。それが今日までも続いており、万葉集や古今和歌集などは本来のオリジナルの表記よりも、藤原定家による鎌倉時代の現代語翻訳「漢字交じり平仮名」ものを疑似オリジナルとします。そしてその疑似オリジナルに現代語訳を行うことが今日の学問とされています。それが先に示しました「解釈」と云うものです。
 では、「原歌」と翻訳歌である「解釈」が同じかと云うとその保証はありません。扱う歌が違うとどうなるかと云いますと、古今和歌集の歌の方を例としますと、「こほれる」の句には「凍れる」、「零れる」や「毀れる」の解釈が、「とくらむ」には「溶くらむ」、「疾くらむ」や「解くらむ」の解釈が成り立ちます。このとき、「凍れる」と「零れる」とでは見る景色が全くに違いますし、「毀れる」では「みす」の対象が完全に変わります。標準では「凍れる」を採用し「夏に袖を濡らしてすくった水が冬になり凍った」と解釈しますが、「零れる」ですと「春の野遊びで袖を濡らしてすくった水が手から零れた」との解釈が成り立ちます。また、清音表記ですと「むすひしみつの」には「掬びし水」と「結びし御簾」との二通りの解釈も成り立ちます。このように「原歌」から歌を鑑賞しますと、時に歌の解釈や示す景色が違う可能性があることを認識することが重要としています。ここが一般的な鑑賞方法とは違う独特な視点や立場なのです。本編からしますと標準の「凍れる」が和歌としては一番酷い解釈と考えます。万葉集の歌については、以降に例題を挙げつつ説明を致します。
 本編ではこの本来の万葉集の歌(原歌)をいかに楽しむかを紹介していきます。ただし、この「本来の万葉集の歌」を鑑賞することは一般的な古典の鑑賞方法とは違いますので、受験や授業でのものとは違う世界の話となります。およそ、本編の示すものは受験勉強や大学教科からしますと、人を惑わし、害悪です。そのため、受験などの世のしがらみから解放された人々のためとして「社会人のための万葉集入門」と題しています。
 いきなり、ハードルの高い話のようでびっくりされたかもしれませんが、しょせんはブログです。人によっては「ある種の便所の落書き」と評する程度のものです。難しい話のようですが素人のブログが背景ですから中身をしっかり確認しますと大した話ではありません。

 もう少し、本編への解説に先立ち、扱う万葉集のテキスト(=原歌)について触れますと、本編で使用するテキストは万葉集の鑑賞では標準的に使用される校本万葉集や訓読み万葉集として扱われる歌を使用しません。本編では西本願寺本万葉集に載る原歌の表記をそのままに採用します。その理由として、現在、伝存する万葉集古本の中では鎌倉時代、当時に伝わる各種の万葉集伝本を交合・校訂して仙覚が編んだ第三次校訂本の伝本、所謂、西本願寺本万葉集が原典に一番近い万葉集伝本と考えられています。しかしながら、鎌倉時代以降ではこの西本願寺本万葉集に載る原歌に対して難訓歌の存在、つまり、適切な読解が得られていない歌の存在から西本願寺本万葉集に載る原歌表記にはなんらかの間違い(誤記や脱字)があり、それ故に読解不能と判断しています。この判断を下になんらかの間違いを訂正し、歌を読解する作業が行われ、現在の校本万葉集とその翻訳ものである訓読み万葉集と云うものが得られています。つまり、読解での訓じを得るため西本願寺本万葉集に載る原歌に対して校訂と云う修正作業を施していますから、西本願寺本万葉集に載る原歌と校本万葉集に載る歌とではその表記では一致しないことになります。一方、本編の基にする弊ブログ「竹取翁と万葉集のお勉強」で公開していますように西本願寺本万葉集準拠の全歌に対して訓じを与えています。つまり、西本願寺本万葉集に載る原歌はそのままでも適切な訓じを持ち、現代日本語への翻訳が可能です。この歌の読解が可能と云うことは読めない西本願寺本万葉集の歌を訂正して歌を読むべく校本万葉集を編むという出発点への適切性への問題が生じ、引いては、それは不要です。このような全歌読解可能と云う背景から西本願寺本万葉集に載る原歌表記を本編では万葉集のテキスト(=原歌)としています。重ねて、本編では「近代解釈を得る」と云う建前で原歌に対し校訂と云う術語の下 改変操作を行った校本万葉集の歌は採用しません。
 なお、費用と資料アクセスの関係から使用するテキストは『西本願寺本万葉集(主婦の友)』からの直接の引用ではありません。本編で使用するテキストは次の操作によって得ています。まず、テキストの準備として西本願寺本万葉集を底本としそれを校訂して編まれた校本万葉集の一種である『萬葉集(おうふう)』と『萬葉集 本文編(塙書房)』とを基本資料とします。次いで、それぞれの脚注に示す校訂記録から校訂前の西本願寺本万葉集の姿に戻したものを相互、交合・確認し得られた原歌表記を『万葉集』のテキストとして使用しています。正確には『西本願寺本万葉集(主婦の友)』からの直接の引用では無いために疑似西本願寺本万葉集ですが、ここではこれを万葉集と称しています。また、それに付ける訓読み及び現代語訳は、全て、筆者が私的に行ったものです。つまり、今日、広く流布する校本万葉集を下にした訓読みや現代語訳ではありません。従いまして、時に鑑賞する歌の解釈・現代語訳に相違がありますが、それはこのような背景に由来します。

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2 コメント

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万葉集入門について (作業員)
2017-05-01 08:35:18
2週間に渡り、個人が考える万葉集と云うものについて、酔論を述べます。
そのため、短歌の鑑賞はお休みになります。
従来のものへは、5月15日(月)からを予定しています。ある種の連休としてください。
拝見 (しらかべ)
2017-07-05 10:30:25
大変に勉強になります。
基礎は大切なものですね。

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