竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二三六 今週のみそひと歌を振り返る その五六

2017年10月14日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二三六 今週のみそひと歌を振り返る その五六

 今回は巻八に載る大伴家持が詠った歌に遊びます。なお、歌は夏雜謌に部立されますので季節では夏(旧暦4月から6月)となります。

大伴家持石竹花謌一首
標訓 大伴家持の石竹花(なでしこ)の謌一首
集歌1496 吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母
訓読 吾が屋前(やと)し撫子(なでしこ)の花盛りなり手(た)折(を)りに一目見せむ児もがも
私訳 私の家の撫子の花は盛りです。その盛りの花を手折ってそれを一目見せるような娘がいると良いのだが。

 一方、同じ巻八に山上憶良が詠う有名な秋の七草の歌があります。それが次の歌です。秋の七草の歌ですから季節は秋(旧暦7月から9月)と云うことになります。家持と憶良とともに撫子の花に関わる歌を詠いますが、その季節感は違います。

山上巨憶良詠秋野花二首
標訓 山上(やまのうへの)巨(おほ)憶良(おくら)の、秋の野の花を詠める二首
集歌1537 秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 (其一)
訓読 秋し野に咲きたる花を指(および)折(を)りかき数(かぞ)ふれば七種(ななくさ)し花 (其一)
私訳 秋の野に咲いている花を指折り、その数を数えると七種類の花です。
注意 標題の「山上巨憶良」の「巨(おほ)」は、一般に「臣(おみ)」の誤記とします。「巨」と云う文字は「王」と云う意味合いがありますから、時に山上憶良は渡来系王族や領袖一族からの出身であった可能性があります。

集歌1538 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 (其二)
訓読 萩(はぎ)し花尾花(をばな)葛花(ふぢはな)撫子(なでしこ)し花姫部志(をみなえし)また藤袴(ふじはかま)朝貌(あさかほ)し花 (其二)
私訳 萩の花、尾花、葛の花、撫子の花、女郎花、また、藤袴、朝貌の花

 さて、石竹、瞿麥、瞿麦、撫子はナデシコの漢字表記で、石竹、瞿麥、瞿麦は中国のセキチクに由来します。同じナデシコと云う草木分類ではありますがヤマトナデシコ(カワラナデシコ)とセキチク(唐ナデシコ)は別品種であり、セキチクと云う品種のナデシコは平安時代に舶来したとします。つまり、言葉や漢字表記は奈良時代以前に到来し使用されていましたが、中国語でナデシコを示す石竹、瞿麥、瞿麦で表記される本来の品種セキチクは奈良時代には無かったとします。
 一方、開花時期についてヤマトナデシコは新暦6月から9月に咲き、セキチクは5月から10月に咲くとします。およそ、ヤマトナデシコは旧暦の秋に咲く花となりますが、セキチクは旧暦晩夏から初冬までに渡って咲く花となります。
 歌を詠った歌人は大伴家持ですし、山上憶良です。また、万葉集編纂においても大伴家持の歌は夏に分類され、その前後には霍公鳥を詠う歌が配置されています。従いまして、こららの態度からしまして当時の人々の認識では旧暦6月に「瞿麥乃花」は盛りを迎えてよいとしています。すると歌に詠われるナデシコが違うのでしょうか。つまり、家持は咲き始めが早いセキチクを詠い、憶良は大和固有の野に咲くヤマトナデシコを詠ったのでしょうか。建前ではセキチクは平安時代に輸入された栽培種のナデシコですが、実際には大伴旅人や山上憶良の時代には中国語表記と共にその種子がもたらされていたと云うことでしょうか。
 例えば、梅は従来の解説では中国から輸入された帰化植物でその到来は飛鳥・奈良時代にもたらされたとします。ところが遺跡考古学からしますと弥生時代から古墳時代には栽培されたと思われる梅の木の断片や種が発掘されており、現在では西暦紀元前に北部九州から畿内・北陸方面までにはもたらされたのではないかと考えられています。文献や言葉からの研究成果とは相違しますが、考古学と文献学とには梅の大和到来時期において六百年以上の相違があります。
 それと同じように栽培種のナデシコの到来もまた、相当に早い時期に大和にもたらされた可能性があるのではないでしょうか。つまり、示しましたように家持は庭でたいせつに育てたセキチクをナデシコとして歌を詠い、憶良は大和の秋の野の風景としてヤマトナデシコを詠ったのではないでしょうか。鑑賞と季節感からしますと、このような推定が一番収まりが良いと考えます。

 少し。
 原歌表記において「令見兒毛我母」とあります。漢字で「兒」は保護するような幼い子供を意味しますから、時に大伴家持は、どこかで幼い子を連れた母親の姿を見て、早く亡くした妾を想ったかもしれません。または、セキチクが栽培品種としますと春に植えた(播いた)そのセキチクが育ち、花になる前に妾は亡くなったのでしょう。
 この推定を裏付けるものとして巻三に次のような歌があります。歌は天平十一年夏六月の歌と集歌462の歌の標題にあります。ただ、六月ですが晦日頃となります。

十一年己卯夏六月、大伴宿祢家持悲傷亡妾作謌一首
標訓 十一年己卯の夏六月に、大伴宿祢家持の亡(みまか)りし妾(をみなめ)を悲傷(かな)しびて作れる謌一首
集歌462 従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿
訓読 今よりは秋風寒く吹きなむを如何(いか)にかひとり長き夜を宿(ね)む
私訳 今からは秋風が寒く吹くでしょうに、これからどのようにして独りで長い夜を寝ましょう。

弟大伴宿祢書持即和謌一首
標訓 弟(おと)大伴宿祢書持の即ち和(こた)へる謌一首
集歌463 長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
訓読 長き夜をひとりや寝(ね)むと君し云へば過ぎにし人し思ほゆらくに
私訳 長い夜を独りで寝るのかと貴方が云うと、死して過ぎ去ていったあの人の事を思い出されます。

又、家持見砌上瞿麦花作謌一首
標訓 又、家持の砌(みぎり)の上の瞿麦(なでしこ)の花を見て作れる謌一首
集歌464 秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
訓読 秋さらば見つつ思(しの)へと妹し植ゑし屋前(やと)の石竹花(なでしこ)咲きにけるかも
私訳 秋がやって来たら眺めて観賞しなさいと愛しい貴女が植えた家の庭のナデシコは、咲き出した。


 最初に集歌1496の歌だけから、後半の部分を想像し、「妾」の文字から、ふと、巻三の歌を思い出しました。弊ブログは酔い加減の与太話ばかりですが、そこそこ、根拠のありそうなことも扱っていると、独り、喜んでいます。まぐれでも、うれしい。

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