万葉うたいびと 風香’s ブログ

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鳴海潟(なるみがた)と東海道

2017年06月19日 | なごみ
さ夜千鳥 声こそ近く鳴海潟(なるみがた) かたぶく月に 潮や満つらむ(新古今和歌集)

今回は名鉄本線鳴海駅(名古屋市緑区鳴海町)界隈の台地を中心とした古代遺跡を歩く。
所用で15分ほど遅れて参加。

名鉄鳴海駅で下車。ここから北へ扇川を渡るとほどなく左手上方に鳴海城跡がある。戦国時代、織田、今川両家の戦の最前線だったところ。
みなさんと合流できた。

現在は鳴海城跡公園となっており、名古屋名物「富士山公園!」となっている。

ここではないが、元名古屋市民の私も子供の頃はほんとによく遊んだ!懐かし〜い!

弥生時代においてはなんとここは環濠集落だった複合遺跡である。

そして本道から今度は右手、鳴海城の向かい側に当たるところは鳴海廃寺跡。
出土瓦の一部は尾張国分寺の瓦と同范。


現在の園龍寺の辺りで、本堂前から見た高低差のある眺めは干潟が広がっていた古代を思い浮かべるには十分であった。




白い高架が鳴海駅。台地と干潟のちょうど端に位置しているのがよくわかり半島上に突き出している地形。

ほど近くにあるのは天神社。式内社成海(鳴海)神社の旧地である。朱鳥元年創建に思わず身を乗り出した。こ、こんなところにも。。。



古代住居跡があった矢切遺跡(こんもりしたところ)のある鳴海小学校。
子供の頃、ピアノの発表会にきた懐かしい記憶も蘇ってきた。

市内最大の縄文時代の貝塚は雷(いかづち)貝塚といい、土製耳飾りが出土している。住宅街だったので案内板のみ。

小字名の「いかづち」が気になる私。飛鳥だけだと思っていた。。。

こちらは、、、桶狭間の戦い、善照寺砦。





四方見晴らしがきくことと、お高そうな看板であることがよくわかった(笑)

時代は下って近代の遺産、名鉄自動車学校。


よくみると後方にそのままの形を残す観客席が。

日本初のプロ野球の開催場所だそうで、あのベイブ・ルースもきたというからファンでなくても驚き!

台地の高低差をそのまま古代の地形と重ね歩き続け本日のゴール、鳴海潟、年魚市潟を眼下に見下ろす三王山遺跡に。





星崎の 闇をみよとや 啼く千鳥 芭蕉

公園入り口に建っているのは芭蕉直筆の唯一の歌碑だそう。ちなみに星崎は名古屋市南区星崎。尾張名所図会には星の宮が見られる。

芭蕉の碑に、連綿と受け継がれている歴史の重みを感じる。


この遺跡は弥生時代後期の二重環濠集落が見られ、古墳時代と中世の遺跡もあったとか。
講師の先生はここの発掘もされ、青銅製釧(くしろ)(=腕輪)の発掘状況も現地で詳細に教えて下さりなんだか聞いてるだけでワクワクしてきた。

縄文、弥生〜戦国、そして近代までを巡った鳴海潟に面した台地上の遺跡歩きは、今回も目から鱗の連続だった。

ここからは番外編。
歴女4人は解散後、現:成海(鳴海)神社目指して東海道の旅路へ出陣。(笑)

勘を頼りに東海道筋をあちらこちらと寄り道しながら、成海神社にようやく到着。


立派な山車蔵が3つも。




創建は686年6月。祭神は日本武尊、宮簀媛命、建稲種命。


プロから学ぶ郷土の歴史。知らないことを知る楽しさを味わっています。

ご一緒させていただいた皆様、今回もありがとうございました!










































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