太陽のカケラ(鷲田 岳志の詩のブログ)

思いついた詩、詞、アフォリズム等を書いています。ドラフトなので書籍にする際には高度化します。第1詩集作成に向けて作業中。

Prism

2007年10月28日 | 
色ずくストーリーの上を行く。君は肌色の生物。中心が持つ力は彩りを操り、非現実性を演出する。赤は光り、新しく赤くなり、青は光り、新しく青くなり、緑は・・・黄色は・・・ピンクは・・・くなる。機会は灰色、明日の希望。思想は水色、過去の結晶。今日は幻想の中を進む愉快なマーチ。唐突は永遠と結婚し、生活を作り、Laugh is always prism.

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過ち

2007年10月28日 | 
私の過ちに私は気が付かない。私の過ちに私が気が付くとき私は"私"のことを知り、"あなた"のことを知り、"社会"を知る。[供給者]としての"私"と、[消費者]としての"私"と、[一人の人間の尊厳]としての"私"。それは言い換えれば"私"を構成する要素に恥や客観性が加わっていることを言う。


自身の正義は時として、他者に対しての悪となり得る。主張と自己の快楽が侵食した領域。金銭と行動の謝罪をどのように消化させるかという方法論。盲目的な絶対性は怪物を助長させることも知る必要があるのだろう。カオスは私だけの論理でも有り得、過度な複雑性は現実性を帯びない。同時に強者と弱者の存在は必然では無く、時限性を多分に有している。


企業や政府に要求する時、例えば私はイラクで一つの家族が終焉を迎えることを想像しただろうか。例えばテロリズムの犠牲になった人を思う事が出来ただろうか。社会に存在を問いかけるならば、私はコンビニエンスストアで一枚の新聞紙を買った理由とその仕組みと読者としての責任を自身に問わなければならないのではないだろうか。

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閃光

2007年10月28日 | 
丑三つ時の静けさ。閃光が始まり、地面に至る空間を裂く。屋根の上のアンテナ。光を誘惑する。要素と要素が結実したシナプス。響く遠い落音。

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2007年10月22日 | 
大雨の後、雫が地面を疾走する。残された時間は僅か。気体化されるまで一時間。太陽が気を変えて熱を発してしまえば、30分に短縮される。それは短い命であり、短い形態でもある。彼は嘗ては辺りの空を覆う雨雲の中の大衆の一部で在ったが、地上では一つの個体として認識され、視覚化されている。雫よ。私とあなたの共通点は限定性と地上での一つの存在であること。私が時限の彼方へと向かう時、あなたは自身の液体としての浄化摂氏を向かえ、一体どこまですべり落ちていくのだろう。

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”そんな絵”

2007年10月21日 | 
昔から合理的行為の生物であるという前提の上にピクチャーの構成図を考えているが、君はあまりにも人間らしく、彼女もあまりにも人間らしく、彼までもあまりにも人間らしいから、出来上がるものが、期待や不安が入り混じり、膨れ上がったバブルになってしまう。15年前の日本では”そんな絵”が沢山溢れていたし、私は今中国にそれを見ているのかも知れない。だけれども、”そんな絵”の中に僕らはいつも笑顔や怒りという感情を豊富に見付けてしまうから、快感や盲目の彩りに熱中してしまい、否定を忘却する。反省や警告という理性が記された新しい理論が開発される頃、バブルから孵化した“そんな絵”が無数のシャボン玉になり空にフワフワと舞っている。

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車体の素材

2007年10月20日 | 
若い頃に君はよくこう言った。“社会の一つの駒にはなりたくない”。だが、それは盲目になるという惰性の思い上がりであって、最小単位の仕組みを担う素材を材料と呼ぶのならば、君も僕も社会や会社の構成を担う材料に過ぎない。感情や思想と言った、いわば人間の自意識によるエゴは、自己完結の主体性の産物であって、客体物としての僕らは経済発展合理性の一つの駒であると言える。気づこうが、否が、君は例えばトヨタやGMやフォードの車体の何れかの世界と構造の中で、時速という時代の最中を走っている。

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時速50マイルの法定速度で今日も国道を走っている。

2007年10月20日 | 
時速60マイルで珊瑚の海に溺れる。浜辺の十字架は青く羅列され、森林の緑を真ん中に、白い雲と大空との二重演奏を奏でる。退屈なフラミンゴの無機的な移動風景。


アメリカでは小さな新種の猿が人間の手の片で実験される。アフリカでは小さな少女が2000年前から生息している種の鼠を頭の籠にのせて売っている。猿の目と少女の目が同じように写る。


時速80マイルの速度で振り下ろされた鉈は牛の頭を斬りおとし、動脈から噴出した赤血は点々と弧を描き瞬間となる。脳裏はシャッターチャンスと名称を変え、パキスタンのイスラム過激派の爆弾テロをいつも好む。


サブプライムはアメリカで生まれ世界に輸出された。HIVはアフリカで生まれ世界に輸出された。人類の欲求に根ざした証券化スキームは苦悩と科学を命題とし、社会と戦う。


時速100マイルでゼロ歳児の子供が成長すれば、ネクストジェネレーションという言葉に嫌気を持たずに、幼少の頃から大気圏の外側で白いメタルスーツを着て遊泳をすることが出来る。無限性は安堵を与えてくれる。


時速50マイルの法定速度で今日も国道を走っている。

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単純な世界

2007年10月15日 | 
社会の小作用に反応している。1%の出来事に95%もの思い入れが加わった大脳は今日も孤独に夢想している。社会情勢や流行は私にとっては対岸の火事で、恐らく一生涯かけても、一杯のコーヒーの旨さには適わない。だけれでも私たちはその対岸の火事を仕事のネタにし、給料を貰い、一日の大半を費やしている。それを繰り返せば、消えて無くなる時間の片隅に儚さが寝そべることが分かる。私はあなたもカオスの中を飛び回る彼方を夢想していることを知った。カタコト、カタコトと1秒1秒動く単純な世界で。



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誕生

2007年10月15日 | 

想像が創造に転化され、固定観念を破裂する。誕生は強烈なエナジーの結晶体である。


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