自分でも不思議な感じなんですが、ここのところ「哲学」というものににわかにのめり込みつつあります。
きっかけは本屋をぶらついていた時に見つけたマイケル・サンデル教授の「これからの「正義」の話をしよう」という本が目に入ったからです。というかこの少し前にテレビのニュースで教授の授業が面白いというのをチラッと見て頭に入っていたというのがあります。
そして、週刊ダイヤモンドの「「哲学」入門」の記事を読んで更に興味を持ち、ついにはiPhoneアプリで先ほどの「これからの「正義」の話をしよう」を購入して今必死に読んでおります。
でも、考えてみれば、「哲学」にのめり込む素地はありました。少し前に宮台真司氏の「日本の難点」という本を読んで、かなり難解な文章もありましたが、今の日本に関する様々な論点が書かれていて、何故か一気に読んでしまいました。
リーマン・ショック以降、私の周りでもその影響を感じる事が多く、それを考えると「経済とは」、「政治とは」と考える事が多くなりました。会社では経営に携わる立場ですが、政治や経済を考える事抜きでは、経営も考えられないなあと感じていました。
「哲学」に興味を持ってみると、このように人生の中でいろいろ考えるきっかけがあり、それは「哲学」に通じているんだと、最近かなり感じています。そもそも”自分”とは何であるのか?人生を生きていく意味は?など、根本的な事を考えるきっかけは実はそこら中にあるような気がします。
今はマイケル・サンデル教授の著書を読みながら、「哲学」の入門書のような本も読んでいます。哲学とは?から始まり、ソクラテスやプラトンと行った古代ギリシャ哲学の事をかじりました。何かますますのめり込んでいく感じです。
元々自分の素地には仏教の思想があると考えています。物心付いた頃から、父母の実家の仏壇に手を合わせてお坊さんの説教を聞いておりました。最近は特に葬儀や法事に参列する事が多く、般若心経を唱えて、お坊さんの説教の深い意味も理解出来るようになってきました。
また、博多祇園山笠に参加して、そこでは氏子としての役割もあり、神社の信仰にいろいろ触れる事も多いです。
一方でキリスト教系の大学に行った関係で、聖書の言葉にも影響を受けました。多くの最近の日本人がそうであるように無宗教というよりもあらゆる宗教に気軽に触れる環境が自分にもあります。
こうした宗教の言葉と哲学書の言葉は深く通じるものがあります。サンデル教授の授業でも「道徳のジレンマ」という言葉が出てきますが、こうした事を考えるのは人生のいろんな場面での決断を迫られる時に直面する事です。
最近では政治の事がそうではないでしょうか。昨年に民主党政権を選んだ国民ですが、今年はその政権にノーを突きつける。何か国民の中に政治に対するジレンマがあると思うのですが、その要因を考えるのに政治哲学を知るのは大事な事だと思います。
さてさて、何とも自分らしからぬ小難しい事を書いてしまいましたが、「哲学」というのは人生を面白く生きるツールのような気がして面白くなってきています。ただ、難しい理論や概念などもあり、理解するのは大変なところもありますが、それを考えるプロセスがまた面白かったりします。
勢いに任せて何冊か「哲学」関連書類を購入しましたが、これからしばらくは「哲学」から離れられそうにありません。
このまま「哲学」にどっぷり浸かってしまうかも?まあ面白おかしく勉強したいとは思いますが。
きっかけは本屋をぶらついていた時に見つけたマイケル・サンデル教授の「これからの「正義」の話をしよう」という本が目に入ったからです。というかこの少し前にテレビのニュースで教授の授業が面白いというのをチラッと見て頭に入っていたというのがあります。
そして、週刊ダイヤモンドの「「哲学」入門」の記事を読んで更に興味を持ち、ついにはiPhoneアプリで先ほどの「これからの「正義」の話をしよう」を購入して今必死に読んでおります。
でも、考えてみれば、「哲学」にのめり込む素地はありました。少し前に宮台真司氏の「日本の難点」という本を読んで、かなり難解な文章もありましたが、今の日本に関する様々な論点が書かれていて、何故か一気に読んでしまいました。
リーマン・ショック以降、私の周りでもその影響を感じる事が多く、それを考えると「経済とは」、「政治とは」と考える事が多くなりました。会社では経営に携わる立場ですが、政治や経済を考える事抜きでは、経営も考えられないなあと感じていました。
「哲学」に興味を持ってみると、このように人生の中でいろいろ考えるきっかけがあり、それは「哲学」に通じているんだと、最近かなり感じています。そもそも”自分”とは何であるのか?人生を生きていく意味は?など、根本的な事を考えるきっかけは実はそこら中にあるような気がします。
今はマイケル・サンデル教授の著書を読みながら、「哲学」の入門書のような本も読んでいます。哲学とは?から始まり、ソクラテスやプラトンと行った古代ギリシャ哲学の事をかじりました。何かますますのめり込んでいく感じです。
元々自分の素地には仏教の思想があると考えています。物心付いた頃から、父母の実家の仏壇に手を合わせてお坊さんの説教を聞いておりました。最近は特に葬儀や法事に参列する事が多く、般若心経を唱えて、お坊さんの説教の深い意味も理解出来るようになってきました。
また、博多祇園山笠に参加して、そこでは氏子としての役割もあり、神社の信仰にいろいろ触れる事も多いです。
一方でキリスト教系の大学に行った関係で、聖書の言葉にも影響を受けました。多くの最近の日本人がそうであるように無宗教というよりもあらゆる宗教に気軽に触れる環境が自分にもあります。
こうした宗教の言葉と哲学書の言葉は深く通じるものがあります。サンデル教授の授業でも「道徳のジレンマ」という言葉が出てきますが、こうした事を考えるのは人生のいろんな場面での決断を迫られる時に直面する事です。
最近では政治の事がそうではないでしょうか。昨年に民主党政権を選んだ国民ですが、今年はその政権にノーを突きつける。何か国民の中に政治に対するジレンマがあると思うのですが、その要因を考えるのに政治哲学を知るのは大事な事だと思います。
さてさて、何とも自分らしからぬ小難しい事を書いてしまいましたが、「哲学」というのは人生を面白く生きるツールのような気がして面白くなってきています。ただ、難しい理論や概念などもあり、理解するのは大変なところもありますが、それを考えるプロセスがまた面白かったりします。
勢いに任せて何冊か「哲学」関連書類を購入しましたが、これからしばらくは「哲学」から離れられそうにありません。
このまま「哲学」にどっぷり浸かってしまうかも?まあ面白おかしく勉強したいとは思いますが。











『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対に保存ができない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 思考そのものの形は現象に含まれ, 視覚的現象等と共に常に変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が,【0∞1】有の無限拡散性をもつ物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何なのかを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であることである。
零的確定論では一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え,【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。