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益富城址

2016-10-17 23:17:39 | 旅行・まち歩き

先日の休みに福岡県嘉麻市(かま)にある、益富城址(大隈城)に行ってきた。

豊臣秀吉の九州征伐の際、一夜城として有名な城。

黒田長政が筑前に入国すると、益富城は筑前(黒田)六端城のひとつとして、

豊前国との境にある城として要城となり、長政の家臣、猛将・後藤(基次)又兵衛が城主となった城。

又兵衛が長政と対立し、黒田家を出奔したのちは、黒田節で有名な母里太兵衛が城主となる。

江戸時代の一国一城令によって破却された。

以前にも行ったことがあり、今回で二度目。

自宅から車でほんの20分ほどの場所にある。

 

益富城址を含む、この山の一帯が益富城自然公園として整備されている。 

遊歩道の脇にトラックのコンテナが放置されているのが無粋過ぎる。

 

国道211号線を朝倉方面へと進む。

嘉麻市の大隈地区に入り、322号線と交わる交差点を過ぎると、

一夜城の看板が出てくる。

益富城へと続くわき道への案内だ。

民家や工務店の事務所などが立ち並ぶ、山の裾野の道を登っていく。

大きくうねる山道、民家が途絶えると、プールや各種グラウンドなどが並ぶ。

そうして山の上の方まで登ると、益富城自然公園となる。

駐車場に車を入れて、ここからは徒歩で散策する。

 

駐車場や公衆トイレもきちんとある。

駐車場、ちょっと城址を過ぎた場所にあるため、

みんな判らないようで、そこらに路駐してんだよな。

 

ここは低い山で、その山頂付近がまるごと城郭になっている。

まずは、出丸跡と別曲輪(くるわ)跡へ向かう。

本丸とは離れた場所に設けられた城の一部だ。

駐車場から最も近い場所にある益富城の遺跡となるため、

最初から本丸ではなく、大抵はここからの見物からになるはず。

 

 

 

 

城址から少し離れた場所にある、別曲輪(べつくるわ)跡と出丸(でまる)跡

曲輪(郭とも:くるわ)とは、石垣や塀,土塁などで仕切られた城の区画のこと。

 

 

出丸とは、城の補強のため外側に作られた、防御や見張り用の増設区画。

現在NHK大河ドラマのタイトルにもなっている"真田丸”も出丸。

真田信繁が大阪城の弱点を補強するために、城の外に新たに築いた砦のような出丸。

大阪・冬の陣では、この真田丸で徳川軍を撃退し大阪城を守った。

益富城の出丸は片側が急な崖になっていた。

 

駐車場から100m~200mといったところか。

舗装されてはいないが、平坦な道なのでここは楽。

原生林が広がるけれど、きちんと通れる場所は整備されており、

雑草も定期的に刈られているため、通行に難はない。

本丸側には大きな崖があり、天然の堀となっていたようだ。

 

 

運悪く除草作業中。

作業員の方々には申し訳ないけれど、草刈機の音がやかましい。

 

出丸と別曲輪を見物したら、次は本丸を目指す。

案内看板がきっちりとあるので迷うことはない。

本丸までは、ちょっとしたハイキングとなる。

勾配となるが、そこまできつくはない。

途中、コンクリートで整備されているので難はない。

ハイヒールやサンダルでなければ問題なく登ることができる。

この日、ちょうど草刈作業をされていて、本丸前の別曲輪の見学はできなかった。

石垣跡や、空掘跡,水の手曲輪跡を見ながら本丸目指して登っていく。

石垣跡には、大きな石が無造作に転がっていた。

 

本丸跡までは、坂道を登っていく。

コンクリートで舗装されているので、そんなに厳しくはない。

 

 

本丸へ向かう途中にある、石垣跡。

一国一城令で破却されたままの姿か?

巨大な石が無造作に転がっている。

 

 

水の手曲輪とは、ため池や井戸など、城の給水施設のある場所。

益富城の場合は、ため池だったようだ。

空堀とは、水を張っていない堀のこと。

深い溝で敵の侵入を遅らせる。 

 

畝状竪堀跡とは、地面に溝を堀り、

トタン状に波打った状態にして敵の左右の動きを封じる地形。

斜面にこれが作られているため、落石攻撃などで敵を一網打尽にできる。

 

コンクリートで補強された坂を登りきると、開けた場所に出る。

立派な石碑と、顔ハメ写真のパネルが目に入る。

"史跡 益富城址”と彫られた石碑。

それと、一時期この城の城主となっていた、後藤又兵衛の顔ハメ写真のパネルだ。

ここが益富城、二の丸跡となる場所。

周囲には櫓跡や、敵を迎撃する、横矢跡,枡形の虎口跡などが見られる。

本丸内にある石垣は、一部 土嚢で補強されている個所があるものの、ほぼ当時の形を残している。

周囲は急斜面の堀、登って攻めてくる敵に対し、幾重にも施した防御と迎撃の構造。

城は小高い山の上に築かれることが多いが、なるほどと唸らされる。

 

 

 

 

石碑の横に、後藤又兵衛の顔ハメ写真パネル。

よく見ると前回来たときにはなかったサインが!

NHK大河ドラマ真田丸で、後藤又兵衛を演じている俳優、哀川翔の直筆サインだ!

 

 

 

櫓(やぐら)跡。

ここに物見櫓が設置され、見張りが配置されていた。

この向こうには、抵抗する秋月氏の居城、古処山城がある。

 

虎口(こぐち)とは、城の出入口のこと。

益富城の場合、枡形(ますがた)といって、門をくぐると正方形の空間になり、

もう一つの門をくぐらねば、城に入ることができない二重構造。

敵が門を破って侵入した際、この枡のなかに閉じ込めて殲滅できる構造になっている。

 

二の丸跡から、さらに奥へと進むと、白米流し跡なる遺跡が出てくる。

これは、山向こうの古処山城に籠る秋月種実を欺くために、

秀吉がここから白米を流させ、あたかも滝のように見せかけ、

益富城に水が潤沢にあると見せかけた仕掛けの跡。

 

ここから白米を流して、滝に見せたという。

二ヶ所あった。

兵糧として貴重な白米を流すなど、九州征伐の頃の秀吉はさぞ潤沢だったのだろう。

 

 

白米流し跡の斜面は、現在はうっそうと木々が茂っているが、

当時はきれいに伐採されていて遮蔽物などなく、

対峙する山向こうの古処山城がきれいに見えたのだろう。

少し位置をずれると、その山がきれいに見える。

あの山の向こう側は筑前の小京都、秋月だ。

 

益富城下はのどかな田園地帯。

・・・だが最近、工場だか公共施設なんだか、でかい施設が結構増えてるのね。

 

益富城は元々、秋月氏の居城であったが、

秀吉が難攻不落と言われた、豊前の岩石城をわずか一日で陥落させたと知ると、

種実は益富城を破却・放棄し、本拠地である筑前の古処山城へと退却する。

その晩、秀吉は近隣の村や町の住民にかがり火を焚かせて、

一帯が火の海になっていると見せかけたうえ、

さらに戸やふすまを益富城に持って来させ、それを城の形に組み立たせる。

一夜にして益富城が復元されたうえ、ごうごうと流れ落ちる滝。

それを見た種実は秀吉の力に戦意喪失し、とうとう降伏したという。

 

 

横矢とは、土塁で地面をうず高くして、

その陰に弓兵を配置し、城へと登ってくる敵を一斉に射る場所。

数ヶ所点在した。

 

白米流し跡を過ぎると、再び櫓跡。

本丸と二の丸のちょうど境にあたる場所に置かれた櫓。

そうして、またひときわ開けた場所に出る。

ここが本丸跡となる。

建物礎石群があり、かつて大きな建造物があったことが判る。

周りは小さな石垣が幾重にも残っており、

瓦の破片や花崗岩の破片がたくさん散乱している。

破却された当時のまま、これら残骸が残っているということなのだろうか。

 

 

二の丸と本丸の間にあった櫓跡。

 

 

ひときわ開けた場所が本丸跡。

城の中枢部分だ。

 

 

建物跡礎石群。

建物の基礎部分として、石がきれいに並んでいるのが観察できるのだが、

時期的に落ち葉が堆積していて、あまりはっきりと確認できなかった。

 

 

ところどころ足下に散乱している、瓦や花崗岩の欠片。

当時のままのものだろうか。

 

 

 

 

本丸を過ぎたあたり。

たくさんの区画があり、くっきりと石垣が残っている。

 

本丸跡から奥を下っていく。

しばらく斜面の続く山道を下ると馬屋跡がある。

その名の通り、馬小屋があった場所だと思うのだが、

ただのうっそうとした原生林の一角。

とくに何か痕跡らしきものがあるわけでもなく、

何を以てここがその跡だと断定しているのか素人にはイマイチ解らない。

この先もハイキングコースとしては続きがあるのだが、

城址として見るべき遺跡はこれで最後となるため引き返す。

 

馬屋跡。

その名のとおり、城の馬小屋がここにあったのだろう。

 

帰りは、益富城自然公園のウォーキングコースとして整備された場所を通って駐車場へ向かう。

モミジやサクラが植樹され、芝生が植えられて、舗装された道路できれいに整備されている。

城址を散策して汗をかいた後は、ここを歩いて山の心地いい風を楽しむといい。

途中、芝生の先に休憩できる場所もあり、ここでお弁当なんてのも最高かもしれない。

春だと桜が、晩秋だとモミジの紅葉が楽しめるはず。

 

そんな眺望はよろしくないが、ここでランチは気持ちよさそうだ。

  

 

木の実がたくさん落ちていて秋を感じる。

  

 

芝生のなかで発見!

これは、osaruno-kokeさんのブログで連載中のツマグロヒョウモンの幼虫だな!

 

現在放送されているNHKの大河ドラマ、真田丸。

真田信繁(幸村)が主人公のこのドラマ、いよいよクライマックスに突入。

豊臣VS徳川の、大阪 夏の陣,大阪 冬の陣を迎える。

関ヶ原の戦いの後、高野山のふもとで蟄居生活を送っていた信繁が、

大阪城へと入城し、豊臣方の武将のなかでも代表格、

大阪城五人衆のひとりとして活躍する。

同じく大阪城五人衆のひとり、信繁と肩を並べる猛将が益富城主だった後藤又兵衛。

 

嘉麻市にある道の駅うすいのインフォメーションに、デカデカと真田丸のポスター。

 

黒田官兵衛(如水)によって、その嫡男、長政とともに兄弟のように育てられた又兵衛。

黒田二十四騎に名を連ね、そのなかでも特に勇猛な黒田八虎にも挙げられる猛将。

槍の使い手として、九州平定,朝鮮出兵,関ヶ原の戦いなどで数々の武功を上げ、その名を轟かせる。

だが、長政とそりが合わず、官兵衛没後ほどなくして黒田家を出奔。

豊前中津の細川家を頼るも、長政の妨害に遭い細川家から出て牢人に。

その後も、各地の大名からスカウトされるも、尽く長政の妨害に遭い、

諸国を流浪の末、とうとう京の町でホームレス同然の牢人になり下がってしまう。

そんな又兵衛の元に届いた大阪城への誘い。

かつての主君、官兵衛が仕えていた豊臣方への参加に何のためらいもなかったのだろう。 

 

真田丸で後藤又兵衛を演じる哀川翔。

2ちゃんねるでは既に"ヘリウム又兵衛”というニックネームが付けられていた・・・。

軍師官兵衛のときは、速水もこみち演じる母里太兵衛に対して、

"オリーブ太兵衛"とかニックネームが付けられていたし、2ちゃんねらーってよく考えるわ。

 

一昨年の大河ドラマ、軍師官兵衛で後藤又兵衛を演じていた塚本高史。

 

だが、家康は巧妙に豊臣を陥れ、徹底的に大阪城を無防備にする。

冬の陣で家康を撤退できたものの、夏の陣で大阪城は陥落。

真田信繁も、そして後藤又兵衛もこの戦いで討死にすることとなる。

大阪で散った猛将は、この地で語り継がれ、

今もだんじり祭りの山車の彫刻に、又兵衛の雄姿が彫られ続ける。

 

嘉麻市には、この幟がたくさんはためいていた。

軍師官兵衛のときは、又兵衛と太兵衛の両方が並んでいたな。

 

そんな又兵衛が一時期城主を務めていたという、筑前 益富城。

すぐ近所にこんな猛将ゆかりの地があるなんて嬉しい限りである。

破却された城とはいえ、その遺構が数多く残っており、のどかで自然も豊かな場所。

真田丸を観ていて、近所に住んでいる方は一度ぜひ、この益富城に足を運んで欲しい。

又兵衛の後に城主を務めたのは、あの黒田節の母里太兵衛。

こちらも又兵衛にひけをとらない猛将。

福島正則から名槍、日本号を呑み獲った豪傑だ。

本丸跡の今や静かな雑木林のなかで、

はるか昔、戦国の世の豪傑たちの時代に思いを馳せるのもいい。

 

 

211号線沿い益富城址のほど近くで売られている"又兵衛饅頭"。

道の駅うすいでも売られていた。

同じく嘉飯地域の名物、千鳥饅頭や山田饅頭に比べると劣るかなあ。

まあ、ふつうのおまんじゅうだ。

 

本丸と二の丸の間にあった、益富城の案内看板から。

益富城の歴史。

 

益富城の一夜城伝説。

現在も一夜城まつりなるものが開催されている。

一度行ってみたいけれど、夜中にやってるみたいなんだよなあ。

  

 

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2 コメント

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しろ (けい)
2016-10-18 00:04:32
武さん、こんばんは

益富城に行かれたのですね~
秀吉の作った一夜城として名前だけは知ってました。

墨俣城
石垣山城
益富城

詳細までは知らなかったので今回の記事は参考になりました。
お城巡り良いですね~!
私もどこか散策してみたくなりました。

真田丸もそろそろクライマックスですね~
ここに来て幸村を出してくるとは意外でした。

赤い装束に身を包んだ信繁が
秀頼に面会したシーン
「小さい頃会ったこと覚えてる」と秀頼
グワダンでのクワトロとミネバを連想しちゃいました…
ハマーンは大野治長……
いや茶々かな……
くろ (武)
2016-10-18 00:35:05
Keiさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
 
益富城址、実は6月に一度行ったのですが、
SDカードのデータが破損して写真が全部吹っ飛んでしまい、
真田丸で又兵衛が本格的に登場する前に記事にしたいと思い、
先日、再度行って来ました。
哀川翔さんのサインなんかが増えていて、
結果的にあらためて行って正解でした。
 
墨俣城は有名で自分も知っていましたが、石垣山城は知らないですね。
Keiさんに比べたら、自分の歴史の知識なんて微々たるものなので、
是非、近くの城へ行ってレポートしてみてください。
城址でなくても、歴史人のゆかりの史跡なんかを訪ね歩くのも面白いですよ。
 
真田丸、なんだかんだであっと言う間だったように思います。
よくよく紐解くと、信繁って大阪冬の陣の前までは、
あまりこれといったエピソードがないみたいですね。
そのぶん、三谷無双ができたようですが。
 
やっぱハマーンは茶々ですね。

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