よろず戯言

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猪俣彪+コレクションコラボ展

2017-06-13 00:12:01 | アート・文化

田川市美術館

いつも正面斜め前からのショットなので、今回は趣向を変えて反対側から撮ってみた。

 

先日の休みに絵画展を観に田川市美術館へ行った。

秘めたるメッセージ 猪俣彪(たけし)+コレクションコラボ展”だ。

県立高校で美術教員として教鞭をとりながらも、自身の制作活動も精力的に行っていた画家。

「文明」や「生命」をテーマに、冷たく無機質な機械など人工物と、

それに抗うかのように描かれる、ジャガイモのような生命の塊。

それから伸びる根や茎、それが動脈のように力強く描かれる抽象画。

メッセージ性が強く独特な氏の作品は、一目見たら忘れられないくらいインパクトがあった。

 

 

一貫してそのテーマで制作を続けていたのだが、

残念ながら、2001年、急性白血病のため60歳で逝去してしまった。

十七回忌にあたる今年、地元田川の美術館で猪俣氏の作品とともに、

同じテーマに沿った、他の作家の同美術館所蔵品のいくつかが、

同時に展示される展覧会が開催されることになった。

開催されてすぐ観に行った。

 

 

・・・・。

これだけ?!

たった9作品のみの展示。

他の作家の作品の方が多いときた。

いや、たったこれだけで猪俣先生を紹介しちゃいけないと思うんだけど・・・。

あの数々の作品、もうあちこちへ行っちゃったのかしら?

あの気難しそうな奥さんも監修して、OK出してるんだろうしなあ。

 

こんなだったっけ?

これけっこう若い頃の写真だろ。

 

実は、猪俣彪氏、自分の高校時代の恩師だ。

というわけで、ここからは猪俣先生と表記させてもらう。

うちの学校、週一の芸術授業は、書道,音楽,美術からの選択式だった。

当然、美術を専攻し、さらに美術部に所属した自分は、

猪俣先生に毎日お会いしてご指導いただいた。

 

入学してすぐ、美術室へ入部志願にお伺いしたとき、

「ぼくはね、君みたいな部員を待ってたんよ!!」

既に最初の美術の授業で、自分に才能を感じてくださっていたらしく

満面の笑顔で、少ししゃがれた高めの声で大いに喜んでくださった。

とはいえ、自分はあまり真面目な部員ではなく、

先生の期待を大きく裏切ってしまったと反省している。

 

 

当初イラストレーターとかアニメーターになりたいと思っていたものの、

かなり早い段階で公務員志望へ転向。

そのため放課後は公務員専門の課外授業にあけくれて、

その後に部室である美術室へと行くものの、

他の部員達がイスを並べて真面目にデッサンなんかしてるなか、

隅っこで公務員試験の問題集を広げ、適性試験にあけくれる。

肝心の部活でのイラストの制作はなおざり気味になってしまう。

 

せっかく高文祭の県大会へと出展させてくださったのに、

その制作もダラダラと本気でやらず、ギリギリになって仕上げ、

それはそれは粗悪で、とても他の作品と並べられるような代物ではなかった。

先生は理事だったか会長だったか、当時福岡支部で役員をなさっていたのに、

その直接の教え子の作品があんなだったので、先生の顔に泥を塗ったようなもんだ。

 

先生が病に倒れたと知ったのは卒業して5年ほど経ったときだった。

健康診断にひっかかり、即日入院。

言いわたされた病名は、“急性白血病”。

大きな総合病院の無菌室で闘病生活がはじまった。

数ヶ月は面会謝絶だった。

その後、面会謝絶が解かれてお見舞いに行ったが、

先生は、すっかり変わっていた。

抗がん剤治療のせいで、頭髪は抜け落ち、げっそりと痩せ、一気に老けてしまわれた。

起き上がることもできず、弱々しく言葉を発していた。

 

その数ヶ月後。

退院が許可され自宅療養になったとのことで、自宅へお伺いした。

かなりしんどそうではあったが、ソファに座って会話ができるまでに回復されていた。

禿げ頭をペチペチやりながら冗談をおっしゃったり、

お茶をすすり、細かく割って少しずつではあるが、

固いせんべいなどもボリボリと召し上がっておられた。

前に病院でお会いしたときより、ずっと良くなってる!

素人目にそんなふうに思い、少し安心して先生とお別れした。

それが最後だった。

・・・。 

今思えば、先生は既に末期で助かる見込みがなく、

辛い抗がん剤治療を拒み、最期は病室ではなく自宅アトリエで迎えたいと、

医師に自宅療養を願い出て退院していたのではなかろうかと思う。 

 

先生の作品を間近で見てきた。

自宅アトリエのみならず、学校でも制作なさっていた。

それまで具象画にしか触れて来なかった自分は、

先生の描く抽象画に、当初、首をかしげたものだった。

 

 

ほとんどが暗いタッチ。

アンモナイト?

心臓?

よく判らない物体から伸びる、触手のような根っこのような・・・。

それが、あるときは布で覆われていたり、板で囲まれていたり、

冷たくて固い金属で動きを抑制されていたり。

だが、その物体から伸びる触手のような根っこのようなものが、

必死に外へと伸びて、自身を抑えようとする力に抗っている。

タイトルは「生命」。

先生の作品の多くは、「生命」シリーズ。

 

もうひとつのテーマ、「文明」。

八幡製鉄所か、地元の炭鉱遺構か?

記憶がおぼろげだけど、大きな工場のような、

機械の集合体を描いた作品がいくつかあったのを覚えている。

 

生命と相反する文明によってもたらされる機械。

生活を豊かにするために、それを生みだすのは命を持った人でもある。

しかし文明が発展し過ぎると、それに囲まれ支配され、生命は逆に鬱屈してしまう。

自分勝手な解釈というか捉え方だけど、

先生はそういったメッセージを描き続けていたのではなかろうか。

 

自宅アトリエにも、美術室にも、雑多に鉢植えが置かれていたのを覚えている。

作品のなかにも、植物の根が描かれることが多い。

単に植物を愛でていたわけではなく、

絵のモチーフとして置いていたわけでもなく、

植物の持つ強い生命力に、強い魅力を感じていたのではなかろうか。

 

縁ある先生の十七回忌を謳った展覧会ではあったが、

その展示数の少なさに、がっかりして展示室を後にした。

うーん・・・先生の作品は、年代別に見て行くと、すごく面白いんだけどなあ。

きっと集められなかったんだろう。

三回忌のときに開催された遺作展は、たくさん展示されていて良かったんだけどなあ。

あれから14年も経っちゃってるしなあ。

しかし、いち美術教師だったひとの作品が、

市営の美術館で企画展として開催されるだけでも凄いことだろうな。

 

それにしても、先生が亡くなってもう16年かあ。

そりゃわしも年とるわけだわ・・・。

あの頃の美術部の仲間たちは、皆元気でやってんだろうか?

何人かは風の噂と年賀状で、なんとなく近況が判るんだけど、

一番仲の良かった、アイツ。

10年くらい前に東京行っちゃったというのは聞いたけれど、それっきり。

のたれ死んでなきゃいいが・・・。

 

美術館の正面入口じゃない側に行くと、

喫煙スペースというか屋根付きの休憩スペースがあった。

ふだん、こっち側へ来ないから存在を知らなかった。

 

その柱に何か貼紙が・・・。

 

ちょ・・・!

柱でゲロとか、カトちゃんかよ!

 

さらに別の柱に、こんな貼紙まで。

わざわざこんな貼紙するってことは、イヌのじゃなく確実にヒトのなんだろうな。

排尿ならまだ解らないでもないが、排便て・・・。

田川ってこれだもん・・・。

  

 

※高文祭(こうぶんさい)

“全国高等学校文化祭”の略。

年に一度開催される、全国高等学校文化連盟(略称:高文連)主催の文化部の祭典。

高文連は全国の高校の、美術部,書道部,写真部,演劇部,合唱部,吹奏楽部,etc・・・

いわゆる文化部に区別される部活動やクラブなどを総括して行事やイベントを主催する公益法人。

自分が高校生だった当時は、文部省(現:文部科学省)所轄のれっきとした団体だった。

高文祭には、各校から選抜された作品が出展されたり、演劇や演奏が発表される。

まず各県で県大会が開催され、その優秀作品が集まって全国大会が開催される。

運動部のインターハイに対し、総文祭は文化部におけるインターハイ。

自分は2年と3年のとき、これの県大会にイラスト画を出展した。

 

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