たわごとを ぽつり

関東に来ても、やることは一緒やねん。

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残念なこと

2016年01月21日 | たわごと 東へ
「東京スポーツ」や「日刊ゲンダイ」といった、いわゆる下世話な記事満載の夕刊紙というやつは、仕事帰りのサラリーマンなんかが120円ほどのお金を払って購入し、仕事の疲れを癒しつつ、たまにはほくそ笑みながらひっそりと読むもの、のはずだった。

いわば、限られた人にとっての、狭い空間における活字娯楽。
だからこそデタラメな記事でも鼻で笑っておしまい、の繰り返しで良かったのだ。


それが今では、ネットで誰でも実質無料で読めてしまう。
いいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、こんな危険なことはないと私は思っている。

ゴシップ系夕刊紙と接するには、それなりのリテラシーがないといけない。
基本あんな記事を真に受けて読んではいけない。「ハハハ…また書いてるよこんなこと。」というライトな感覚で、適当にあしらう必要があるのだが、それは紙面をうまく折りたたんで家路に向かう電車の中で読んでいる大人達だからこそできた心得であって、それを未成年のガキや社会を知らない学生どもの全てに求めることはできない。


よって、賢くない人間でも読めてしまうネットニュースに流れてしまうと、うまく消化できない輩はさもそれが真実、立派なマスメディアによる疑いの欠片もない記事と思い込んでしまい、冷静さを書いた中でそれをSNSで広めるという愚行に走ってしまう。。


夕刊紙は読む人を選んだ上でこそ成り立つ、貴重なメディア文化であってほしかった。
正直18禁、いや、学生生徒未成年はいけませんぐらいのフィルターがほしいぐらいだ。
情報化社会の弊害が、こんなところに出てしまったとは、というあくまで私の価値観によるところの「残念」。
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「努力」とは

2014年10月09日 | たわごと 東へ
※こんなもん飲んだからといって、
何の役にも屁のつっぱりにもならん。


「努力が必ずしも報われない世の中」に、
不平不満を漏らす人がいる。


・・・じゃあ考えてもみろ。

「努力が必ず報われる世の中」だったなら。


馬鹿で愚かな人間は、きっと考えるだろう。

いかに要領よく努力するか。

いかに合理的に努力するか。

いかに最速で努力するか。

いかに、努力しないで努力するか。


毎日寝ないで考えるだろう。

毎晩日付が替わるまで社内でミーティングするだろう。

知恵を出し合い、答えを導き、それを金づるにして有料でセミナーを開くだろう。


そして古きよき努力の尊さを、ないがしろにしてしまうのだろう。。



だから、報われない努力というのは存在しなければいけない。

別に可哀想とか非情だとかではなく、努力とて、ただやればいいというものではない。頭を使ってやらねばいけないのだと思う。努力の仕方、というのは重要である。

報われない努力の裏には理由や原因が必ずある。それを考えて、次の努力をする。
この繰り返しが結果として「コツコツ」という言葉そのものだと、俺は思っている。


だから、だから、(※にもどる)
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私観

2014年10月04日 | たわごと 東へ
「いやな世の中になったもんだ」

「生き辛い世の中になったもんだ」

「物騒な世の中になったもんだ」

「昔は良かったよね」


・・・。


今は言わずもがなとして、

たしか5年ほど前もこんな言葉であふれていた。

10年前も、やっぱりそうだった。

20年前も。30年前も。


50年前・・・

当時のニュース映像を見ても、
街頭の市民が口を揃えて言うのは、同じだった。



この世の中というのは、
生きれば生きるほど「ヤなもの」になっていくのか。


いろんなものを見て、いろんなものに触れて、
いろんな人に会って、いろんなことを言われて。

見すぎる、知りすぎることは、いけないことなのか。
加齢なのか、悪知恵がこびりついた心の汚れか、
それとも、ヤなものになっていくのが普通なのか。



がんばらずに生きるのがいいのか、

それとも、がんばって生きたほうがいいのか。



・・・そんなもん他人に聞くな。自分で考えろ。



宗教やセミナーみたいなもんに傾倒したところで、
その先に本当の幸福なんてものはない。

自分がしっかりしていない人生を
いくら良くしようとしたところで、
出費を重ねるという事実以外に何が残ろうか。



生きとったらそれでええんやから、

そのまま生きて生きて、生き抜いたらええねん。




少し前に、少しだけ考えたことがある。


人間は空を飛べん。水にも潜れん。

「地に着いて」生きてる。

なんでやろ。


・・・深い意味があるような、ないような。
 
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満たされるとは、うれしいことだ。

2014年08月16日 | たわごと 東へ
「どん兵衛」は関東、関西でダシが違うので、東上(あるいは西下)することで「どん兵衛」そのものをお土産にできたのだが、この前コンビニに行ったら、東西の「どん兵衛」が並んで売られていた。

関西を離れる時、断腸の思いで別れを告げた「ぼんち揚」や「おにぎりせんべい」も、時に近所のスーパーで山積みになっていたりする。

「radikoプレミアム」のおかげで、ほぼ全国のラジオが聴けるようになった。会社帰り、ABCラジオで甲子園の阪神戦を聴きながら家路につく自分の姿など、ついこの前まで想像すらできなかったのに。

神座、きじ、グリル梵、自由軒・・・今や大阪に行かずとも、帰らずとも、関東でも食せる。


便利な時代になった。特に首都圏にいると、全国のいろんなものが集まってくる。
そして、日本中が近くなったような気分にもなる。


便利さに満たされることが「欲することを無くす」という空しさを生むこともあるのだが、、、


都会とはなんと贅沢な場所か。
人間とはなんと贅沢な生き物か。


最近、考えを変えた。
不便だった頃を懐かしむ、事をやめたのだ。


心のどこかで当時は現在のような世の中を望んでいたはずなのに、それが満たされたとなると今度は無理やり「それはそれでねぇ・・・」などという勝手な解釈で不要な不満を持ち出し、「昔は良かった。不便でも良かった」などと意味のないプレイバックで、満たしてもらったはずの現世にそっぽを向く。


これじゃあ、進歩がない。
良かった昔と悪かった昔の区別ぐらい、ちゃんとつけよう。

満たされる喜びを素直に感じれば、もう少し毎日を楽しく生きれるような気がするのだ。
 
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2年4ヶ月ぶり

2014年07月23日 | たわごと 東へ
ずーっと放置していても、
ここを訪れてくれていた方達がいる。


長い間、何も書いていなくても、
何かを探したいために、何かを思い出したいために
ここに辿り着いてくれた方達がいる。


「ABCニュース速報」
「青春という名のラーメン」
「ノックは無用」


・・・検索結果の上位に、くる。

この「たわごとをぽつり」が。



主が長らく留守にしていても、
なんとなく気になって書いていた事を、
誰かが気になって読みに来てくれる。


中にはウソや誇張もあるけれど、
ブログとて情報であり、メディアの端くれである。


留守の間にもつながっているのなら、
たまには動かしてみよう。

twitterやfacebookは手軽だけど、
手軽なものには「軽い」ものしか残らない。
少なくとも自分の場合は。


改めて。22歳の春。
大学新聞の一スペースから始めた「たわごと」。

途中ブランクを挟みながら18年が過ぎても
「たわごと」は変わらず。

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この瞬間に祈る

2012年03月11日 | たわごと 東へ

被災した人の気持ちは、本人にしか分からない。

大切なものを失った人の気持ちも、本人にしか分からない。



震災も、原発事故も、これからに対する懸念も、

理屈であれこれ言ったところで
すべて「外の意見」なのだと、改めて感じた。



だから、この日も祈る。


命を奪われた方々のために。

心に悲しみを抱える遺族の方々のために。

そして今もなお、故郷を離れて不安な日々を過ごす方々が
1日でも早く戻れるように。


これからも、ずっと。
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「ありがとう、いわき」

2012年02月18日 | たわごと 東へ



2012年2月12日「第3回 いわきサンシャインマラソン」
一生忘れられないマラソンとなった。


写っているのは、16kmの江名港折り返し地点。
風になびく無数の大漁旗。地元の方々の大声援。

多くの人が、左手を出して迎えてくれた。

1人ひとり、ハイタッチをしていく中で、
「来てくれてありがとう」と言われた。


ありがとうと言いたいのは、こっちなのに・・・
サングラスの下で、思わず感極まった。


走ったコースの半分以上が、被災を受けていた。
海沿いの道路や岸壁は総じて津波に呑まれ、
一面が海水に浸かり、たくさんの車や建物が流された。

マラソンどころじゃないといわれても仕方ない。
それでも、地元の皆さんの尽力で開催できたのだから、
こちらが感謝しなければならない。


東電の原発からも決して遠くはないし、
放射線量も安全とされる値で測定されたとはいえ、
それだけで不安が消えるわけでもないだろう。


でも、あの日出会ったいわきの人々は皆、前向きだった。
地元の誇りをしっかりと持って、我々ランナーを応援してくれた。

どうせなら、自分も可能な限り「前向き」に生きたい。
そして、復興の道を確実に歩んでいるあの日のいわきを走れたことを、
自分も「誇り」に思いたい。


行って良かった。走って良かった。

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この瞬間に祈る

2012年01月17日 | たわごと 東へ
17年前の記憶は、今でも鮮明に残っている。


東日本大震災の大きな揺れを間に挟んでも、
17年前の寒い朝。円を描くように激しく揺さぶられた
あの日の記憶は、ハッキリと残っている。


こたつの中に隠れ、じっと目をつむり、
揺れが収まるのを待つ時間が長く長く感じられた
あの日の記憶は、一生消えないだろう。


阪神・淡路大震災に対する捉え方は人それぞれだと思う。
「復興を果たした」と考える声も多くなっているが、
ひとり暮らしの孤独死の問題は年々深刻になっている。

何より、震災後に他府県へ避難した人達も少なくない。
今となっても、神戸に帰ってきたくても、帰ってこられないという
現実がある。


1月17日。そして3月11日。


忘れてはならない。ずっと記憶から消してはならない出来事を
どれだけの日本人が共有できるのか。


「がんばろう日本」という言葉の意味を
心底から噛みしめて毎日を生きなければ。


そう感じながら、今年もテレビの前で手を合わせ、
6434人の犠牲者に祈りを捧げる寒い朝。

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いい年にしましょう

2012年01月04日 | たわごと 東へ
この年末年始は旅という名の移動が多くて、
気温等々の変化についていけず、本格的な風邪をひきながらも
食べるものはきちんとおいしく食べて増量して帰ってきました。


年末には25年ぶりに伊勢神宮へ行ったのですが、
やはり小学校の修学旅行で「連れ回された」記憶というのは
ほとんど残っていないもので、

年を重ねて静かな自然の奥深さ、神社という場所の荘厳さと
いったものが少しばかり分かるようになってきた今だからこそ、
お伊勢さんを詣でるということに対する意義を認識した上で
手を合わせることができる。


行きたい場所へ行く。旅の本質といいましょうか。。。
おかげ横丁にて伊勢うどんや赤福本店のぜんざい、
行列ができる豚捨のコロッケなど、もちろん食べるものは
しっかり食べて、休日を満喫した訳です。



昨年はマラソンのあれこれを除いても、
人生2度目の大きな地震、突然の耳の血腫で病院通いに明け暮れた
夏休みをはじめ、大なり小なりいろんなことがありましたが、


今年はいい年になりますように、ではなく
「いい年にします」という気概で前を向いていきましょう。


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「B級グルメ」を荒らした人たち

2011年11月12日 | たわごと 東へ
長らく、本当に長らく更新が滞っていたのは、


何の狙いもございません。筆不精が長引いたというのが最も適当でしょう。


とはいえ、突発的筆不精に罹った私でも、
このタイミングでは書いておきたかった。


この週末、姫路でB-1グランプリが開催されております。

先に書きますが、私はこのB-1グランプリに対してあまり好意的ではありません。


案の定というか何というか、テレビでも表現がまちまちです。


「B級グルメナンバーワンを決める・・・」
「ご当地グルメの祭典・・・」


そもそも「B級グルメ」って何なの?
というか、今までどんな位置づけだったの?

というかいつからこんなA級扱いされる存在になったの?という疑問が最も大きいですが、私としては。



B級グルメっていうのは、


何よりまず「お店ありき」であり、

とりあえず誰でも買える値段の安さで、

とにかく店構えが素朴で、店主に強い欲がなくて、

“値段の割に”美味しくて、なおかつ「ホッとする」味で、

自ら大々的に宣伝することなく、かといって世間でもそれほど知名度が高くない、いわば泉麻人のような著名人が食いついたことで、ポッと小さな炎が上がる程度の知られ様。


これらが、私の考える価値観であります。



そんな私から見ると、
今日のB-1グランプリというのは、

何やら的外れだらけの捉え方、さらには
B級グルメという肩書きを流行り言葉として
利用せんとばかりに躍起になってる雰囲気もあって
違和感というかもう嫌悪感までいってしまいそうな勢いの
勘違いっぷりではないか、酷いじゃないかと思ってしまいます。


B級グルメの基本は「ローコストローリターン」。
あんなに頑張ってお金かけてまで味を追求してはいけません。

B級グルメの基本は「知る人ぞ知る」。
のぼりやポスターをいっぱい作って人を集めるための宣伝をするのは間違っています。


安くて美味ければ、それでB級グルメだと思っている輩も多いようですが、
グランプリに出て優勝を狙うなんていう『強欲』を持った時点で、既にB級グルメと呼ばれる資格など無いはずなのです。


なみえ焼きそばとか富士宮焼きそばとか横手焼きそばとかは(焼きそばばっかりになってしもた)、あくまで「町興しを目的としたご当地グルメ」であり、その点はちゃんと分けて考えるべきではないでしょうか。



今やB級グルメブームは、B級グルメというものの位置づけまでひん曲げてしまうほどの、迷走を含んだ加熱ぶりに見えます。



グランプリなんてものを作ったことで、

もはや『地方自治体の商売道具』と化してしまったのが
罪作りの最たるものだと私は思いますが・・・



コンテストをやるということは、必死に美味しいものを考えて作らなければならない。

それはもはやA級のグルメにおいてやるべき仕事ですよ。




・・・そういえば埼玉県も、

毎年「B級ご当地グルメ王決定戦」という、無理にB級つけんでもええやんと言いたくなるタイトルで、各自治体が毎回新しいメニューを考えて出品するという状況が生まれていますが、

こうしたB級グルメに対する「完全な意味の履き違え」を間近に目にした私には、もう返す言葉もありません。

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