草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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記憶の極意

2007年05月13日 16時51分18秒 | 
日々勉強する生徒諸君にとっては,「覚える」ということが一つの苦しみであると思われる。覚えることがなぜ苦しいのかというば,そう簡単には覚えられないように人間の頭ができているからだ。しかし,人間の頭はよくしたもので苦しみというペインを与え続けることによって環境に実によく適合していくようだ。どうしてもおぼえられなかった事柄がいつしか頭の中で整理記憶されているということがよくある。古代ローマの雄弁家キケロに始まり古今東西の様々な記憶術家が歴史上といえば大袈裟だが登場してきた。本屋を覗けばそれは多種多様な記憶術の本が溢れてかえっている。が,ひとつとして満足のいく本にめぐりあったことはない。さて,この記憶ということに関しては別にブログを一つ設けて詳説していきたいと考えている。私の拙い経験から記憶の極意みたいなものを看取していただければ幸いである。こういうのは私が別に記憶の達人ということではないので予めお断りしておきます。ただ私がさまざまな知識を頭の中に内面化した過程通じてこれがすばらしいと感じた記憶法を紹介していきたいと思います。
 かつて竹の会の秀才といわれた人たちの理科・社会の勉強法はどんなものであったのか。簡単です。教科書をノートにまとめて覚えるだけです。これでほぼ満点がとれます。そしてこのやり方は私が中学時代にとっていた方法です。これが勉強の基本的な方法なのです。理解して覚える。それだけです。
 記憶のコツは反復繰り返しにあります。これは真実です。社会の好きな人はいつも社会のテキストを開いています。つまり好きだから繰り返しみている。頻度が多いのです。できない人に限ってほとんど教科書を開かない。
 声を出して覚える。経文を唱えるように繰り返し読む。これも効果的です。主として意味の脈絡のないものを覚えるときはこれしかない。
 以上は,記憶する際の前提となる約束みたいなものです。
 私がよく用いるのは「拾い読み」です。大切なポイントを拾い読みするのです。一番よくないのが,最初からベタ~と隈なく読むやり方。これは集中力をそぎ効率も悪い。拾い読みするときは,いちいち意味づけをする。脳は無意味な言葉は拒絶する。意味あるものこそ脳の栄養となる。それから我々の脳はどうも複雑な知識が大嫌いのようだ。シンプルな知識こそが脳に友好的に働きかける。資格試験などでは,学者の本は読むなといわれるが,これはあまりに複雑化しすぎていて脳には全く使えないからだ。記憶にいいのはシンプルな意味づけでこれは一つのまとまりのあるストーリみたなものだ。ストーリは決してねじれていてはだめで,真っ直ぐにシンプルでなければならない。逆接の接続詞は「しかし」ひとつだけで脳に精一杯だ。ストーリは演繹的なものより,帰納的なものが絶対にいい。演繹とは体系から具体的なもの降りていく方法だ。対して帰納的とは具体的なものから体系に迫る方法だ。私は竹の会の指導では必ず帰納的手法で指導する。いかなる知識も意味づけしたものはなかなか忘れない。これが記憶の極意だ。さてストーリとして意味づけする際に,ストーリはシンプルでなければならないという脳の掟は忘れてはいけない。ある事柄を覚えるのに,すべてに共通することにまず目をつける。そして,意味づけは,共通でないものにだけ施す。なぜそれだけ共通ではないのか意味づけをする。これがストーリ化するということの意味だ。何かを覚えるときは,いつもシンプル化することが前提の作業となる。比較表にするのは,整理して複雑なものを単純化する限りでシンプル化に奉仕することができる。共通項を発見するのに有益である。しかし,他人の作った表は,頭を混乱させることが多いので要注意だ。共通なもの調べて,「~なのは~だけだ」とわかれば,それは有力な記憶となる。記憶するという作業は,脳がシンプルなストーリしか受け付けないので,その前に知識群をシンプル化するということだ。先に述べた「教科書をまとめて覚える」というのは,実はこのシンプル化ストーリ化にかなったものであることがわかる。複雑な知識を単純化すること,その単純化を突き詰めたストーリとして意味づけすること,これが脳に知識を定着させる方法だ。ところでストーリ化するのにはそれなりの思考力がいる。思考して記憶経済を図る必要がある。このことからも思考力をつける,推理力をつけるという指導が是非とも必要なのである。
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