武産通信

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京都合気道史

2013年08月16日 | Weblog
 京都合気道史

昭和13年  植芝盛平先生は鞍馬山の山麓にあった林羅山ゆかりの家を一時所有しており、皇武館道場の内弟子の塩田剛三(のち合気道養神館)、和久田三郎(元関脇・天竜)をお供に、鞍馬山で21日間の修行をする。

昭和22年  植芝盛平先生上京し、京都御所済寧館道場(皇宮警察)にて合気道を演武、講習会が催される。京都西会会員(西式健康法)。

昭和23年  西陣の松田操宅(大本青年部)に12畳の道場が創設され、植芝盛平先生を迎えて合気道の稽古が始まる。昭和25年、合気会京都出張所となる。

昭和24年  壬生の小沢恒憲宅(武徳会合気道教士)に『皇武會合氣道』の看板を掲げて稽古が行われる。植芝盛平先生、井上方軒先生(のち親和体道)が度々訪れる。昭和25年、二条城西の坂本善造宅に移る。

同年11月  植芝盛平先生上京し、御所南の樋口哲雄宅(京都西会。現在の合気道武産道場)に滞在。京都御所済寧館道場にて合気道の講演及び実演を行い指導する。京都西会会員。お供は斉藤守弘(のち茨城道場長・合気神社社守)、瀬古静市(合気会理事)である。京都西会では鴨川の対岸に頼山陽の『山紫水明處』を望む川端丸太町の会館で合気道の稽古が行われる。

昭和25年1月  植芝盛平先生上京し、合気道の講習会を催す。京都警察学校職員及び京都西会会員。

同年4月  植芝盛平先生上京し、合気道の実演会及び講習会を催す。京都西会、近畿柔道連盟等。

同年8月  植芝盛平先生上京し、合気道の指導を行う。京都警察柔道職員、近畿柔道連盟、合気会京都出張所等。

昭和26年1月  植芝盛平先生上京し、京都警察警邏本部(於、旧武徳殿)及び京都市各署に於いて合気道の実演会及び講習会をし、近畿柔道連盟に於いて指導を行う。

昭和34年12月  田中万川師範が、御所西の中立売警察署で一般の市民に合気道を指導、稽古が始まる。昭和36年、紫野の中心体育館に移る。

昭和36年  京都大学に合気道同好会が発足する。11月、部昇格。田中万川師範。初代主将、堀井修身。

同年11月  同志社大学合気道同好会が発足する。昭和41年、部昇格。田中万川師範。初代主将、松田○○。

昭和37年3月  頂妙寺(左京区川端仁王門)に合気道京都道場(田中万川師範)が開設される。

同年4月  立命館大学合気道同好会が発足する。9月、部昇格。田中万川師範。初代主将、勢嶋正信。

昭和39年6月  第1回京都合気道演武大会(於、円山音楽堂)を開催する。合気会京都道場主催。

同年6月  龍谷大学合気道同好会が発足する。昭和42年、部昇格。田中万川師範。初代主将、佐藤和夫。

昭和40年4月  京都女子大学に合気道同好会が発足する。昭和46年、部昇格。田中万川師範。初代主将、武田正子。

同年  京都産業大学合気道部発足する。須藤百治師範。

昭和41年11月  第6回全国学生合気道演武大会(於、京都府立勤労会館)開催。当時83歳の植芝盛平先生は学生合気道のため演武、遺憾なく合気の神髄を披露される。京都における合気道開祖植芝盛平の最後の英姿であった。そして、3年後の昭和44年4月26日昇神。享年86歳。

昭和45年9月  下鴨の日本正武館に合気道部開設される。田中万川師範。広瀬二郎、小山照雄指導。

昭和47年  山科の竹内スポーツ塾に合気道場開設される。田中万川師範。富田誠治指導。

昭和48年3月  頂妙寺の合気道京都道場が閉鎖される。京都における合気道の一時代を築いた合気道京都道場は12年余りの歴史に幕を下ろし、お堂は取り壊された。

同年4月  国鉄京都駅に合気道京都公安道場が開設される。田中万川師範。樋口隆成、河原幸男のち野村和夫指導。

昭和63年12月21日  田中万川師範昇神。京都の合気道の礎を築かれた田中師範は合気道一途に76年の生涯を全うされた。
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