武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

月之抄 七 柳生十兵衛 

2016年10月16日 | Weblog
 『月之抄』  柳生十兵衛三厳

  水月附其影之事、位を盗む心持之事
 古語ニ曰く、心は水中の月に似、形は鏡の上の影の如し。
 父云。敵の身のたけ、我身のたけを、三尺の習のごとく積るなり。


【抄訳】
  水月の事についてその影の事、位を盗む心持ちの事
 古語に曰く、心は水の中の月に似たり、形は鏡の上の影の如し。
 父宗矩は言う。敵の身長、自分の身長を三尺(約91cm)の教えのように間合いを取ること。

 これは敵の攻撃が当たらない目安である。この位置を体と足で取り、敵に知れぬように、間合い「水月」の中に取り込むのを盗むというのである。間合いの中「水の内」においては、攻撃態勢で斬ること。それにより、間合いの中に入ることを映り、写すという心持ちに専心するのである。これは一円に敵の攻撃が当たらない位置である。敵よりも身長が高い場合や低い場合もある。その身長に相当分を場へ写し取る心持ちを、その影という。映り、写すというのは、水に影を映し、写す心を映って見るところが大事なのである。
 これは水の月という。映り写す心持ちである。敵の神妙剣を鏡に例えて、わが心を月に例えて、わが形を敵の鏡に映し、心の月を水月の水に映す事によって、勝つことがこちらの思いのままになる心持ちである。映り写す心持ち、心の月、わが形を一か所に映すのである。心にあるもの、心を水に映し、形を鏡に映すのである。一塵の曇りがあれば、月は出ないのである。極意である。

  左足積り運び様之事
 父云、詰べきト思ふ心アラバ、水月ヲ近ク積リ取ルべし。はづさんと思ふニハ水遠ク取たるよし。足ノはこびハ何時モ後の足ノ早くよせかくる事専也。当流ニハ、カラスザソクト云心ナリ。亡父ノ録ニハなにともなし。亦云、左足ハウキタツテカロキヨシ。はこびはいかにもしづかに、こあしなるよし。大形一尺バカリほどづヽ、ヒロヒアルク心也。下心はつミて上しづかなるにしくハなし。  

【抄訳】
  左足で間を積もり足の運び方の事
 父宗矩は言う。場が詰まるなと思ったならば、間合い「水月」を近く積って取ること。はずさないようにと思うならば間合い「水」を遠く取るとよい。足の運びは、後ろの足を早く寄せ掛ける事に専心すること。当流には、からす左足という心持ちがある。祖父石舟斎の目録には何とも書いていない。また言う。左足は浮き立って軽いのがよい。足の運びは、いかにも静かに小足がよい。大体一尺(約30cm)程づつ拾い歩く心持ちである。心の底「下心」では詰まっても、表面上「上」は静かであるのに越したことはない。 
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