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ロールプレイイングだけの人生(2017/7/12)

2017-07-12 14:33:23 | Weblog
http://www.gebata.com/030216.htm より

┃●ロールプレーイングだけの人生●┃
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 平然と人を殺す加害者にとって生命(いのち)は軽い。同様に被害者にとっても、生命が軽すぎる。この構図はいまや、若者たちに限らず、全世代に広がろうとしているようだ。
 私見では、生命が軽すぎるのは、誰も人生そのものを生きていないからである。制度の下での、あるいは組織に所属しての、ロールプレーイングしかしていない。「教育ママ」に典型的なのだが、そのロールプレーイングこそが人生だという錯覚に陥っている。
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┃●鴎外が指摘した「生活不在」●┃
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 明治の文豪、森鴎外は1910(明治43)年の作品「青年」で、主人公の小泉純一に次のように言わせている(正確に言えば、「青年」の中に純一の日記を登場させている。その日記の一節だから「書かせている」というべきであろうか)。
 《以下引用》
 一体日本人は生きるといふことを知ってゐるだろうか。小學校の門を潜つてからといふものは、一しよう懸命に此(この)學校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思ふのである。學校といふものを離れて職業にあり附(つ)くと、その職業を為(な)し遂(と)げてしまはうとする。その先には生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃した一線である。此線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
 《引用終わり》
 ここで鴎外が言っている「生きるといふこと」「生活」こそが、人生そのものであろう。学校を駆け抜けようとし、職業を成し遂げようとするだけの人生こそ、ロールプレーイングとしての似非(えせ)人生である。

(「現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」予期せぬ中国からの帰国を命ぜられ、帰国すると、一年後お前は、リストラと申し渡され、半日、どこがしくじったのかと過去を悔み、これから先、我が家の経済は成り立つのかと、将来をくよくよ。一日後、今日だけの勝負でいこうと決心。そのころ、この鴎外の一文を読み、ヨッシャ、これでいこうと、勇気が百倍しました。勇気の出る文章です。それから14年、今は、一日一日が宝物です。)

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