定年時代

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
定年退職した暇つぶしのブログです。

退屈な毎日に変わりはない

2014-06-29 20:08:38 | 日記・エッセイ・コラム

unimoにノアという映画を観にいってきました。3時間も座っていると、体調をくずしてしまう。それと冷房も効いていて、ますます体調を崩す原因となってしまった。

毎日毎日、どこに向かっていくのだか?

不整脈も出ている、特に、映画を見た翌日は、それまで出なかった不整脈がまた出てきた。かかりつけの医師は、特に異常はみられないけれど様子観察ということで保留されているような状況である。若いときにも、不整脈はあった。そんな中でも、ゆったりとではあるが、3Kmを泳いできた。

最近では、午前中でもビールを飲んで退屈しのぎである。どこかボランティアでもやれば?と言われている。男は、しょせん家には存在場所がないようだ。運動しても、飲んでしまうから、体重は減らないばかりか、最近では腹が出てきた(やばい!!)

明日の予定がない、何とか暇を潰したい。


梅雨の合間の散歩

2014-06-25 20:59:26 | 日記・エッセイ・コラム

毎日が日曜日、さらに雨降りだと、もう退屈そのものです。

合間をぬって散歩というか、ウォーキングしてきました。空模様を気にしながら歩くのも楽しいかも?刻々と変わっていく空の変化に、足取りも速くなったり、遅くなったり、緩急つけてのウォーキングとなりました。

P1010221P1010222P1010224P1010225P1010226

結局、雨にぬれることなく、ウォーキングできました。1時間の間に、大きく空模様は変化していきました。夏の気配が感じられる空模様となりました。

マクベスの一節に、「どんなに荒らしのなかでも、刻々と時間は過ぎていく」を思い起こさせます。若いときに、失業した時に、私と家族3人を支えてくれた言葉です。

 


生活にも慣れてきた

2014-06-21 21:59:02 | 日記・エッセイ・コラム

退職してから3か月が経とうとしています。

ようやく生活にも慣れてきた想いです。

午前中はゴミだし、部屋の掃除と庭先の掃除、一息ついてコースウォーキング。

教室があれば、参加して、午前中は終わる。

昼食後、田んぼ道を散歩(1時間程度)、庭先の花、植物を描く、それから6時にはジムに行って、2~3Km泳いでくる

。晩酌とテレビで1日が終わる。

単調と言えば、単調な日常ですが、リズムができてきました。

ジムも辞めていく人が多くなり、顔なじみの人がいなくなると淋しいものです。


残念です!!

2014-06-20 18:44:06 | 日記・エッセイ・コラム

日本のサッカーは守りのサッカーだった?攻撃的になるのは良いけれど、その先が日本人には欠けている、不利な態勢からでも強烈なシュートが打てるパワーがない。これを鍛えないと、世界では通用しないことがわかった。技術よりも、最終的には個人の持つ身体能力だ。元岡田監督の下でやってきた日本のサッカーは守りであった、それが日本人にあったサッカーだったのかもしれない。吉田の気持ちがいちばんわかるような気がしてならない。DFの誇りを捨てて、攻撃参加なんて、DFにとっては得点よりも失点のほうが、プライドを失う。想えば、ギリシャも守りのチームである。自信って何だ!!これまでやってきた自分たちのサッカーを貫けなくて、何があると言うのだ!!日本のサッカーは守りのサッカーを基盤として、展開していくのかもしれない。


身近な所で

2014-06-19 14:43:20 | 日記・エッセイ・コラム

サッカー観戦で退屈しない毎日が続いています。

ところが、昨日、東国吉という所で、女子中学生拉致未遂事件が起きました。たまたま通りがかった対向車が発見したから、良かったものの。以前、通勤でこのあたり(東国吉)を通っていましたが、事件の発生した場所はさらに、引っ込んだ森というか林の中です。とかく田舎は、こうしたところが多いのが普通になっていて、日常は、あまり気にかけていませんが、危険がいっぱい潜んでいます。部活などで遅く自転車に乗って帰る女子学生の姿をみると、心配してしまいます。スクールバスも必要かもしれない。家族の人が送迎することも必要になるような時代なんでしょうか?

今日も渋谷~豊田方面を、約1時間歩いてきましたが、

P1010203P1010206P1010204 P1010205

夕方には、ほとんど真っ暗状態で、仮にこんなところを通学する人がいたら、危険だと感じてしまう。要は危険だらけ、自分で防衛策を講じないといけない。通学、通勤時間帯にバスが運行していないところは、自転車とか、自力で移動手段を考えなければならないのですが、安全な環境をつくるには、地域に住む人たちの協力が不可欠な時代なのかもしれない。