武井武雄をあいする会

童画家武井武雄が妖精ミトと遊んだ創作活動の原点である生家。取り壊し方針の撤回と保育園との併存・活用を岡谷市に求めています

武井武雄芸術を訪ねる安曇野紀行

2013年07月21日 13時00分40秒 | あいする会
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


 武井武雄を愛する会では7月19日(金)に安曇野に見る武井武雄芸術を訪ねる会を開催し、武井武雄が童画家として活躍した背景を知るため、会員21名で安曇野探訪に出かけました。

【安曇野ちひろ美術館】
 北安曇郡松川村にある安曇野ちひろ美術館では、武井武雄の交遊関係と文化芸術に残した足跡を間近に見聞きした人々を訪ね、その様子を知ることができました。

 安曇野ちひろ美術館の元館長で日本絵本学会会長の松本猛氏からは、お母様であるちひろさんが武井武雄の絵本「コドモノクニ」から計り知れない影響を受けたことについて、講談社文庫刊「ちひろのことば」から引用して話していただきました。



本がぽんと投げ出されてあった。
「コドモノクニ」というそのほんであった。
胸がきゅっとなって、どきどきして、
その本が自然に私のもとにくるように願っていた。
(略)
いつの間にか私はたくさんのコドモノクニを見るようになっていた。
(略)
岡本帰一が好きになり、武井武雄、初山滋の絵にあこがれた。
絵本の好きだった子は毎日絵を描いて遊んでいた。
(略)
戦いが終わった日、こころのどこかがぬくぬく燃え、
生きていく喜びがあふれだした。
忘れていた幼い日の絵本の絵を思いだし、
こどものころのように好きな絵を描きだした。
いつの間にか童画家といわれ、日本童画会にはいった。
武井武雄先生、初山滋先生方とはじめてお目にかかった日、
あふれる感動で胸がいっぱいになった。
ああこの先生方の絵で私は大きくなったのだ。
私の心のなかには、幼い日見た絵本の絵がまだ生きつづけている。


松本猛氏からお話をお伺いするあいする会の会員
 この「ちひろのことば」を読むと、幼いころの絵本の大切さや、童画家の偉大さを知ることができます。
 また、武井武雄のお嬢さんである三春さんと黒柳徹子さんは、良い理解者であり、また、遊び相手で、徹子さんが三春さんをしばしば訪れるような間柄だったということです。この交遊の中で、懸案であった黒柳徹子さんの絵本「木にとまりたかった木のはなし」の出版計画が具体化し、松本猛氏と3人で絵本の構成などを決めるために楽しい時間を費やしたと懐かしそうに話してくれました。

 生家の保存運動の話に入り、当会からは、この運動は、岡谷市の政策に逆らうのではなく、生家保存を図りながら、知恵を出して新保育園を生み出してゆくとの前提で進めている、と状況を説明しました。生家を取り壊すという岡谷市の方針をお話ししたところ、松本猛氏を通じて、現館長の黒柳徹子さんに保存運動への協力の依頼をすることになり、また、大勢の絵本学会の作家さんにもお話を広げていただけることになりました。松本猛氏には、本当に親身になってお話を聞いていただきました。

【堀金村大庄屋山口家】
 山口家は江戸時代、周辺地域である長尾組を指揮する大庄屋を歴任した家柄で、松本藩主も度々逗留に利用したと伝えられています。主屋は元禄時代初期に建てられた本棟造りの書院建築で、特に天和~貞享(1681~1688)に作庭された庭園は安曇野市指定文化財に指定されています。
 この家の構えは、武井武雄生家との類似性が非常に高いものです。山口邸は現在もつかわれているものですが、正面の本棟造りの後ろ側に直交する切妻の母屋があり、このスタイルは武井武雄生家の間取りと非常に似ています。このような木組み構成は、他ではあまり見られないもので、本棟造りの芽生えと見てよいのかもしれません。細部をみると、屋根の勾配、軒の高さ、柱の細さ、天井の低さ、式台と書院、違い棚を持つなど同時代の造り方の特徴を残しています。

【仁科神明宮(国宝)】
 民家ではない古い建物の保存状況を見るため、大町市の仁科神明宮を訪れました。
 ボランティアの方の解説によると、このお宮は、江戸初期の寛永年間から20年ごとの式年造営を行うことが無かったため、古い社建造物として国宝になったということです。古い建物の維持管理は、お宮でも住宅でも大変な熱意、労力、経済的負担が必要です。しかし、古い建物は、安らぎや癒し、来し方を思う知的想像、歴史を知る知識などを人に与えてくれる大きな存在であり、残していく必要があることを感じました。
 本殿は、切妻造平入り、桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余の日本最古の神明造りです。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、棟木の上には巴紋をつけた勝男木(かつおぎ)6本が置かれています。破風板(はふいた)は、そのまま延びて千木(ちぎ)となり、破風板にはそれぞれ4本の鞍掛があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構です。細部は、概ね室町時代の様式を伝えています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武井武雄インタビュー(7)

2013年07月20日 14時31分23秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
「武井武雄・メルヘンの世界」(昭和59年)諏訪文化社から抜粋
(昭和56年2月に収録、オール諏訪1、2号に連載されたもの)



版画「鳥の連作No.17」
(1979年)

童画「ほかけぶね」
(1952年)
- 先生の作品、とりわけ童画・版画等は、一貫してメルヘンの世界が描かれていますが、これらの作品をとおしての先生のメルヘンについてのお考えを
武井 それはね、ものを教えるための童画というものもありますしね、童画といっても範囲が広くていろんな用途があるわけですね。しつけのための童画だとか物を理解させるための童画だとかいろいろありますよ。そういうものは僕は「図」だというんですね。絵じゃない。じゃ、絵とは何かというと、やっぱり芸術的感動をもつものが絵だと。芸術感動をもつということは、読者にアピールするのが知的に、知識で覚えるんじゃなくて、感情で、つまり感動する。そこからが芸術であって、その前は図であり単なる技術なんです。技術と芸術の違いはそこにあるというのが僕の考えですね。
 メルヘン的なものっていうのは、実在しない、現実にないものですからね、それは欲求ですね。ひところ、非常に心理学者なんかがよく問題にしたのが、「空想」と「現実」との問題ですね。空想ってのは、夢を見ていて、何の足しにもならん、けしからんというような意見があるかと思うと、一方には空想ってのが物を生み出すんだと、現実を支配するんだと。空を飛びたいっていうような空想と人間の欲求がだんだんに積もり積もって空なんか平気で飛ぶようになった。そういう風に現実にヒントを与えて、現実を進歩させるのが空想だと。メルヘンも空想に入りますけど、僕は、健康な空想はなくなっちゃならないんだと思う。それがなくちゃ人類の進歩がないんでね。空想が元で現実を支配して科学も進歩する。科学だって空想から出て現実化したものがたくさんありますね。だから、すべての根元になるものが空想だという考えに立つと、空想は夢でばからしいものだ、病的なものだという議論は成り立たない。
 メルヘンはだいたい空想の世界ですね。これも健康なメルヘンと不健康でただアヘンを吸っているような娯楽だけのものといろいろあります。だから物によっては、その判断をしなくちゃならない。現実をやがて支配するような空想が望ましいものである。これが僕の持論ですね。


版画「鬼」
(1952年)
- 近年、特に出版ブームであり、これに伴う美術関係も多様化していると思いますが、先生の目でご覧になるこれらの風潮、とりわけ動画の分野での感想はいかがですか

武井 非常に細かい末梢的、芸術的な問題になります。けれども一頃、いわゆるグラフィックデザインをやっている人がかなり出版界に入ってきて、編集者はね、フレッシュで新鮮でいいと考え、これを非常に取り入れたんですね。ところが、これらはちょっと見た目には新鮮なんですが、エスプリがあるかどうかってことになると問題がある。
 これは、ヨーロッパでもちょうど同じような傾向があるんです。むこうの「こどものせかい」という本を編集している人が言っていることなんですが、いわゆるシュールリアリズムみたいなものがヨーロッパの出版界に非常に入ってきたんです。ところがこれは2、3年たったら飽きられちゃってもう顧みられなくなってしまった。それで、やっぱりもう少しクラシックなものがまた台頭してほしいと報告しているんですね。日本でもどうも同じ傾向があって、ひところ大変流行ってきたけれども、これは長持ちしないっていう結果が出たんですね。
 なぜかというと、これらの作品は新鮮な感覚があるけれど感動を与えないってことですね。だから、僕は、「人的感応」って言葉でそれを言っていいるんです。人的感応のない作品は芸術じゃない。だから、これを持つ作家、絵画というのは長持ちする。いつまでたっても、生きていて飽きられない。流行によって波がありますが、その波を越えて死なないってんですね。ですから、僕は、若い人たちにもっぱらそれを主張しているんです。人的感応をもった絵を描かなきゃだめだってね。

- 製作活動を中心とした、先生の近況についてお話を
武井 現時点では、刊本作品をもっぱら作っているんです。いま、刊本作品131番の本を印刷中で、この6月頃には本になっているはずです。
 僕は、目のあいている間中はこせこせと何かやってなくちゃいられない性分で、夜なんかも頭のところに下書きする帳面があってね、何か浮かんだら忘れないように書いておくんです。下図なんかだいたい寝床の中で描いてますね。枕元にその帳面がないと眠れないんです。憑きものに憑かれているみたいなもんですね。
 そして、新しいものに取り組もうって時には、何か少年らしい一つのあこがれとファイトがわいてくるんです。
 今の若い人たちに対して思うことは、本当に自分にやりたいことがあって、それにまっしぐらに入っていける青少年は幸福ですね。そういうものがない人は、ちょっと不幸じゃないかと思うんです。だから進学ばかりじゃなくて、職業につくにしても、何でも。自分が情熱をもってやれる仕事がある人は幸福だと思うんですね。そうでなくて、やむを得ず食う方便で何かになろうとかいうのは、あまり幸福じゃないように思うんですね。
 自分の欲求をもって、いつかそういうものを探すってこと、しじゅう心掛けていることがいいと思うんです。そうすると、やる仕事が生まれたり、たまってくるんですよ。やりたい事がない人生ってのは、やっぱり不幸ですね。

- 先生のお元気さと、限りない旺盛な製作欲は、まさに永遠の不死鳥のよう。先生の長い芸術家としての一筋の道は、そのまま日本の童画史であり、児童文化の発展を象徴しているものといっても過言ではないと思います。


(完)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武井武雄インタビュー(6)

2013年07月19日 05時51分03秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金
「武井武雄・メルヘンの世界」(昭和59年)諏訪文化社から抜粋
(昭和56年2月に収録、オール諏訪1、2号に連載されたもの)


- 武井先生の作品は大きく分けて童画、版画、刊本作品に分類されますが、特に昭和10年の第1号から現在の130号(頒本済み)まで続いている刊本作品の数々は「芸術の極限」と言われているほど。そこで刊本を最初に造られたいきさつなどを


イルフトイズ第4回展の招待券(1932年)

書窓・宇宙説 昭和17年(アオイ書房)
武井 その発端は、今考えている刊本作品の考え方とは違った形なんですね。童画もアルバイトから入って本筋になってきたわけですが、刊本作品の場合も、そんな美術的な本をいつまでも造るなんてことは考えてもいなかったんです。
 僕の仕事の中で大変懐かしみをもって記憶している方が多いんですけれど、ある時、イルフトイズといって僕のデザインした玩具の一つの運動をやったんです。イルフという言葉はフルイのさかさまの造語で、つまり新しいという意味であり、いつも新しいものへの追求を旗印とした児童文化の運動です。これは昭和5、6年ころから10年くらいやりましたかね。僕がデザインをおろして専門の工人じゃなくて、素人でいろいろな技能を持った人を集めてですね。例をあげてみると木製の玩具、はりこの玩具、それから縫いぐるみだとか、あるいは土焼きのものだとか、あらゆる材料を集めてね、僕のデザインでみな作らせたんです。その作品の展示予約を日本橋の三越でやったんですが、会館10時前にライオンのある入り口に並んでて、開くと一緒に走りこんで買うというほど愛好者が出たんです。
 ところが考えてみると、こんなものは大人がナツメロみたいな意味で懐かしがって買うものであって、何も子供を助けることにならないんです。子供の玩具を作るんだったら製造工場で量産しなけりゃならないんだけど、僕らデザインするだけの作家的な立場で、その方は商売の方になって僕らの手には及ばない。
 それと、もう一つは自分が年に500位デザインしなくちゃならないんで、やりきれないこと。それに費用は全部僕の方でもって何ももうからない。もちろん、もうかることなんか初めから考えていなかったんですが。

刊本作品第1号
「十二支絵本」(1935年)
 そこで僕の負担を軽く賛助作品1点だけにして、あとは家に来ている若い人たちが余技作品をいろいろだして、それでやろうじゃないかということになったんですね。今度はイルフという名前はつかわないで武井武雄主宰と頭にサブタイトルをつけて、いろんな展覧会をしたんです。その時に賛助作品を何にしようかと考えた末、思いついたのが小型の本であり、「十二支絵本」という今の刊本作品の第一番になるわけですね。それは1冊35銭かかったんです。その本を造る実費がね。だから原価が35銭で、なおかつお客さんにも、「俺、こんな本を造ったんだ」なんて手ぬぐいがわりにバラバラあげちゃったんです。それが先年の古書展で73万円なんです。35銭の本がです。そんな値段になるんだったらバラバラふりまかないで取っておきゃよかったと思うが、取っておいても戦災で焼けちゃったんですね。
 そんなことで始めたのが刊本作品のきっかけであり、4回いわゆる4番の本までは、新宿三越店の景物の賛助作品なんです。


刊本作品第108号
「ナイルの葦」
初めて日本で栽培したパピルスによる造本
 そのうち「書窓」という雑誌がね、これは恩地孝四郎がやってたもんでアオイ書房というのが道楽に出していた愛書家のための雑誌なんですけどね、これに紹介したんですよね。それまでに出ているものを5、6冊。そうしたらそれを欲しいという人が、つまり愛書家の層で欲しいという人が出てきた。
 それから僕の刊本作品のことを豆本とよく言われますが、豆本とは別なんです。豆本というのはおよそ縦6センチ以内の本をいい、現在全国に30種程ありますね。刊本作品の初めのころ豆本という言葉を使ったことがあるものですからどうもその印象が残っていて困る。
 これには、面白い話があります。
 長野市に米粒に時を書く達人がいてね、僕が小さい本を造っているってことをどこから聞いたのか、ある時わざわざ岡谷まで来て僕と小さい字を書くことの他流試合をしないかっていう申し入れがあったんですよ。ところが僕はもともと小さい本を造る目的で刊本作品を造っているんじゃないからね、それはおかど違いだと言って、結局、世話人がことわったんですよ。


- 刊本作品は毎号変わった造本の技法とアイデアが駆使されており、造本美術の極限といわれる程ですが、武井先生の刊本づくりのねらい等についてお話を


刊本作品「ストロ王」「木魂の伝記」

ユーモアと風刺に富んだ刊本の世界「平和白書」84号
武井 刊本作品の二大特色をあげると、毎回違った表現様式を採用しているということ。最初は、印刷、製版。印刷は種類も非常に多いんですが、世界中で考えられた技法を全部やりましたね。その次には版画、今まであった版画は日本と西洋とではみんな違うんです。西洋は杏木版で、日本は板目木版ですけど、こういうものも全部やり、次には自分の考えた技法の版画をやったんです。今度は工芸ですが、工芸は立体性が強くて本になりにくい。ところが工芸の中でも織物とか、染め物は結構本になるんですね。また金属でも薄いプレートだったら本になる。そんな具合で工芸で13種類を本にしました。
 そこで、なぜそういう表現様式を変えて本を造るのか疑問が起こってくるらしいんですが、これは僕が本の限界を広げるってこと、つまり本の美術を追求するのには、ただ本を読めば足りるっていうような在来の本だけを考えていたんじゃ発展がない、巾が広くない。だから本になり得るあらゆるものを取り入れて、本にしてみることが一つの開拓になるという考えで表現様式を変える事をずっとやってきているんですね。
 もう一つの特色ですが、僕はこの本づくりで一文も報酬をもらわないってことです。ただで46年間つくってきている。その工作費だとか、紙代、製本代とかいう、つまり金銭で支払ったものだけを割りつけてその実費で配っている。本屋で普通実費というと人件費まで入っているんです。ところがその人件費がただ。なぜそういう事をやっているか、以前アメリカの新聞記者がやってきて、そのわけがわからないと言うんですね。芸術作品だったら芸術作品のコストってものがなきゃならんのになぜ報酬を取らんかと言うんです。そんな説明することは面倒くさいし、英語じゃ言えないもんだから、僕は児童出版に原稿かいてそれで生活しているんだからそんなものでまたもうける必要ないんだって言ったら、OK、OKちゅってわかってくれたんです。ところがそんな事じゃないんです。
 本当はですね。絵描きの仕事でも売るための絵と製作のための作品とがある。これは展覧会に出品したり個展をやったりして発表するだけで売る気はない。自分の好きなものを製作している。一方、売る絵がなけりゃ、絵描きなんて首つっちゃあなけりゃならねえんだけど、売る絵があるからそれで何とか生活が成り立っていく。この二本立てなんですよ。絵画ってものの使い方はね。
 僕の製作はテストであってね。いろいろなものが本になり得るかどうかっていうテストをやってるんだから売る気は全然ない。つまりどういうものを造ってくれって言われて造っているんじゃなくって、自分のやりたい三昧ワンマン的なものを造ってるだけ。だからこれに対して報酬を取るっていうのは筋違い。そういう考えから出てるんです。

刊本作品専用本箱(武雄デザイン)
 テストだったら自分に一冊だけ造ればいいんですが、一冊っていうのは本というものの機構からいってたいへん贅沢で金がかかっちゃってとてもできない。ですから、一定の部数は造らざるを得ないですね。それと表現を変えるってことも、お客さんの方から見るとね、何だこれ去年のと同じじゃねえかということになるんです。ところが表現様式を変えていろいろ材料を変えてくると作者の個性は変わらないんですが、ちょっと見た目のバラエティが違ってくるんです。違った感じになる。これはお客さんの見た目の方で、僕の方にはもっといいことがある。それは何かというと、さんざっぱらやって慣れたことなら目をつむってでもできる。これは感激がないんですよ。ファイトがわかない。ところが初めてこれを取り入れて、これをどうしたら本にこなせるか考えた時は非常に新鮮でね。処女地にクワを入れると同じ事で、少年らしいファイトが湧いてくる。少年の夢なんですね。だからこれは僕の若返り法になっているんです。
 いろいろ表現様式を変えるってことは、作者にとってもプラスになっている訳です。僕は、将来のことは全然考えてないんでわからないんだけれども、生きている間はこの刊本作品だけは造るつもりです。

- この刊本作品の愛書家を中心に刊本作品友の会ができ、この人たちは「親類」と称し独特の親睦を深めながら結びついているわけですね。

武井 戦前の程度では、要するに300造れば足りないのが10人以内で、その人があふれるだけですんだんですね。で、今度は戦争中疎開で散り散りバラバラ、皆が方々へ散逸しちゃったんですね。生きているか死んでいるかもわからない。
 そういう状態の中でも本造りはやめず、西堀(郷里)で造っていたんです。この頃は不明の人もいたので260部限定でした。終戦直後から3、4年こんな状態が続いたでしょうね。そのうちにまた、会員がだんだん増えてきて350人になってきたんです。現在は我慢会と称して待っている(正会員になるのを)人が330人位いるんですね。これを僕ら、いろんな言葉をつくるんですけど「親類」と呼んでいるんです。本屋で出しているものなら会員で十分ですけど、もう少し血がつながって近親感がある会ですね。
 普通、ファンなんてものはね、その人の作品が好きだとか、あるいは芸が好きだとか、その人と直接のつながりは割合ないわけなんです。ところがこの刊本作品に関しては、本人と読者としじゅうつながりがあるんです。1年おきにビエンナーレで全国の会合があったり、接触しているんですね。作者と読者が密接なつながりを持っていること、こういうのはちょっと類例がないわけなんですよ、世界中にね。

第3回刊本作品信濃友の会でのスナップ
(昭和32年夏)
 それで会員じゃ感じがでないから親類と呼ぶようになった。この言葉は非常に成功して、北海道の人が九州に行って見ず知らずだけど、名簿を見てその人の家へ行って親類だって言って泊まってるんです。ほんとうの親類意識があり、これはまあ親類っていう言葉を使い出して成功した造語の例なんですけどね。
 通常の刊本作品は本会員の300人にだけ配本。それで今も我慢会の一番先頭の人が17年くらい並んでいるんです。(本会員になるのを待っている。)だから、こういう人たちが親類だって呼ばれても本一冊もらえないんじゃなにが親類だってことになるんで、5冊に一遍ずつ我慢会へ特頒するんです。ただし、みんなにはやれないんで200番まで。だから500部限定になるんですね。
 それから2年に一遍の全国友の会の時には、いくら最後の昨日入った人でもですね。これはスーパー我慢会って言っているんですが、こういう人たちでも出席すれば本がもらえることになっています。今のところそれよりしょうがない。じゃ、良いものだったら数が多くてもいいじゃないか、なぜ300しか刷らないのかという問題が出てくるけれども、それは普通の本屋で本をつくっているのと全然違うんですよ。刷り本(製本前のバラの状態を刷り本という。)でもみな調べてですね。本当に手作りの本で、僕の手数が大変にかかってるんです。300以上は個人の力じゃとてもできないんです。出版屋だったら校正係がいたり、頒本、発送係がいたり、セクションで分けて手分けでやるから、いくらでもできるんですけどね。

- 先生の刊本作品は、風刺的なものからはじまって、ユーモラスあるいはエロチックなものまで、非常にバラエティに富んだ素材でつくられていますが。

武井 だいたい風刺的なものが多いには多いんですよね。中身に味付けしたいのはユーモアとペーソスという人生の悲しみのようなもの。これは余談ですけど、初めは既製ののものだって僕の文章として使ってったんですよ。例えば、イソップとかインドの伝説とか中国の聊斉志異の中にある伝説とか、そういう既製のものを使ってたんです。ところがこういうものは虎の威を借りるキツネでね。原作のウェイトにおんぶしているのは卑怯だと、これで作品と呼ぶのはおこがましいっていうんで24番の本からは絶対に人のものは使わない。つまり既製の伝説とか文学は使わず、全部自分で良く言えば創作、悪く言えば出鱈目を書くということにして、それをずっと墨守してきているんです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武井武雄の生家を保存・活用するための募金のお願い

2013年07月13日 06時02分15秒 | 生家の保存・活用のための募金
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


募 金 趣 意 書


武井武雄をあいする会


 武井武雄をあいする会は、童画家 武井武雄先生の生家を保存し、建て替えられる西堀保育園と併存させて活用することにより、地元の子どもたちがふるさとの偉人を記憶・理解し、ふるさとを愛する気持ちを育む拠り所とし、未来を担う人材育成につなげていくとともに、先生の功績を広く世界に紹介することを目的として発足しました。
 上記の目的を達成するため、本会は、武井武雄先生の生家の所有者である岡谷市に対し、生家の取壊しをやめ、生家と保育園を併存させ、保存・活用するよう求める活動を行っています。
 その一環として、武井武雄先生の生家を保存・活用する経費の一部として岡谷市に寄付するため、 1,000万円を目標に寄付を募ることといたしました。
 つきましては、広く全国の皆様方に趣旨をご理解いただきまして、武井武雄先生の生家を保存・維持し、これからの社会を担う子どもたちの教育のために活用されるようご支援・ご協力をいただきたく、ご寄付を賜りますようお願い申し上げます。

【振込先】
八十二銀行岡谷支店 普通 833192 武井武雄をあいする会(タケイタケオヲアイスルカイ)
三井住友銀行諏訪支店 普通 4713651 武井武雄をあいする会(タケイタケオヲアイスルカイ)
郵便局 ご連絡いただければ、振替料金当会負担の払込取扱票を郵送します。

募金申込み画面へ
※ 募金申込み画面へ入力後、1週間以内にお振り込みをお願いします。
入金が確認でき次第、入力いただいたご住所に領収証を郵送いたします。
郵便局の場合は、入力いただいたご住所に払込取扱票を郵送しますので、
最寄りの郵便局で払込みの手続きをお願いします。


SSL標準装備の無料メールフォーム作成・管理ツール | フォームメーラー
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

安曇野に見る武井武雄芸術を訪ねる会のご案内

2013年07月03日 06時57分55秒 | お知らせ
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金

安曇野に見る武井武雄芸術を訪ねる会のご案内


武井武雄をあいする会会長 小口基實


 おかげさまで、武井武雄の芸術と生家保存の活動が動き出しました。
 また、会員の皆様には、署名運動と会員の勧誘にご協力いただき厚く感謝申し上げます。
 さて、当会初の事業として、安曇野に足をのばし、武井武雄芸術と歴史的建物を訪ねる会を計画しました。
 安曇野ちひろ美術館前館長松本猛様のご厚意で、母堂岩崎ちひろがどのように武井武雄の影響を受けたか、館内を案内し説明をいただけることになりました。
 武井武雄、黒柳徹子、岩崎ちひろの3人の交流、芸術を通して生まれた絆など貴重な裏話が聞かれると思います。
 ちひろ美術館のほか、生家と同じ江戸時代の大庄屋山口家と信濃最古の国宝仁科神明宮を訪ね、歴史の重みと芸術を感じる視察旅行です。
 大勢の皆様のご参加をお願いします。





日 時  平成25年7月19日(金)
出 発  諏訪各地8:00~8:50
      帰着16:30~17:20
訪問地  安曇野ちひろ美術館
      堀金村大庄屋山口家
      国宝仁科神明宮
昼食場所 すずむし荘
参加費  7,000円
申込み締切 7月9日(火)
申込み先 全日本旅行
      電話0266-22-1322

※全日本旅行へ直接お申し込みください。申込者には全日本旅行から乗り場など詳細をお知らせします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武井武雄の芸術作品と生家の関わり(武井武雄インタビューより)

2013年07月03日 06時56分29秒 | 武井武雄インタビュー
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


増沢荘一郎氏によるインタビューから、武井武雄の芸術作品と生家に関わる部分を抜粋しました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武井武雄展(2011年清須市はるひ美術館)

2013年07月03日 06時14分01秒 | 資料
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


武井武雄展
清須市はるひ美術館で開催された武井武雄展の様子。2011年9月4日(日)まで­開催されました。
(2011年7月撮影)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

イルフ童画館~武井武雄の世界 第2弾~

2013年07月02日 21時33分51秒 | 武井武雄の世界
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


イルフ童画館~武井武雄の世界 第2弾~
(この動画は、平成20年(2008年)にYouTubeにアップロードされたものです。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

イルフ童画館~武井武雄の世界 第1弾~

2013年07月02日 21時32分38秒 | 武井武雄の世界
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


イルフ童画館~武井武雄の世界 第1弾~
(この動画は、平成20年(2008年)にYouTubeにアップロードされたものです。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡谷市紹介2009

2013年07月02日 21時28分06秒 | 資料
武井武雄をあいする会の設立趣旨入会申込み生家の保存・活用を求める署名生家保存・活用のための募金


岡谷市紹介2009

武井武雄とイルフ童画館について(4分12秒~)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加