介護されし者

四肢麻痺 中途障害者の発信

自己紹介

2050-06-29 10:57:24 | 自己紹介
介護リフトのある暮らし

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2016-05-23 11:54:54 | 想い
人は必ず死ぬ、だからどう生きるかが大切だ、死は絶対なるノーマライゼーション、とか思ってた
このまま老いて死ねるなら自分の家で死にたい、かみさんの手を握り死ねたら、とかとか思ってた


いや、みんなそんな風に穏やかな死に方を望んでる筈
意に反して病死、事故死、死の瞬間も分からぬまま迎えた死、、、様々な死はあるが


死は色んなむかえ方があるのだろうけれど、、、今回の 沖縄の事件 に思わされた


男の欲の処理のため乱暴され、欲が満たされたら命を奪われ、、、
その間の絶望、恐怖、なぜ私が、えっ殺される?、、、推し量る事は出来ない、、、


婦女暴行殺人事件、知らなかったわけではない
理不尽な殺人事件、知らなかったわけではない


今、僕は思う


死は、平等なんかじゃない!
人生を老いれる、と言う事は ただそれだけで幸せなこと 



専門職でもない僕が、必用以上に高齢者や、老いることへの頭を使うのは止めようと思った
どんな状態でも、老いて死ぬぬるは、幸せなこと、と僕は思う。  合掌




(写真撮影 妻 武久利江子)

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クレーマー

2016-05-08 09:37:27 | 想い
団塊の世代の高齢化とか、何だかんだと言われてはいるが
良し悪しは別としても、すでに子の親、お年寄りの子などとしての、モンスター○○なるものが話題になる


すぐにキレる中高年とか、クレーマー○○とかとか、、、そんな時代になりつつある
つまりは患者、利用者とて同じ事


従来の大人しい、してもらってありがたい、文句など言わない、、、そんな患者、利用者は少なくなる
お客意識が強い、プライドが高い、してもらってあたり前、とかくクレームをつける
、、、そんな患者、利用者は増えるだろう


そんな時代の流れに、技術、知識はともかくとしても


言葉づかい、あいさつなどの接遇すらきちんと出来てない施設、職員は、クレイマーたちのいい獲物になるだろう
制度がどうのこうの、業務の質がどうのこうのと言っている前に



職員育成などの経営努力をしない施設などは時代に淘汰される、と僕は思う。
 


(写真 介護ライター 野田明宏)



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あずける

2016-04-27 11:29:13 | 人権
親が子を園にあずける
子が親をデイにあずける



「あずける」、、、NHKでもその言葉で表していたので一般的なのだろう
 あずけるから安心して仕事が出来る、あずけるから家事などの時間が取れる 


「あずける」と言う事は、生活してゆく上でとても大切なこと
しかし、たまにニュースの話題にも取り上げられるほどに、保育業界、介護業界、どちらも人手不足の低賃金


少し前、ネットやニュースで騒がれた「保育園落ちた、日本死ね」、、、
子を、にせよ、親を、にせよ、あずけられないのは死活問題なのに、人手不足の低賃金


一般の業種と保育士、介護職とのステイタスの差は、もはや人権問題なのかとも思う
この問題には、色んな要因があるのだろうけれど、、、



この問題の根底には、人を「あずける」「あずかる」という
人の意識的なところに、重大な問題があるのだと、僕は思う。




(写真撮影 妻 武久利江子)

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尊厳、、、

2016-04-13 11:40:45 | 人権
最近、目にすることが多い「尊厳」、、、大切な事なのだろうと思う


この身になって思うが、お年寄りにしろ、不治の病の方にせよ「尊厳」おごそかなものになりたいのだろうか?
人は必ず死ぬ「死」とはおごそかなもの? 僕には自然なものに見える

死因は何であれ命あるものは、いつかは必ず死ぬ
おごそかでもなくていい、ただ見送ってもらえればいい


戦火の中に消えて行った命、災害や事故の中で一瞬のうちに失われた命
尊厳なんて言う言葉も、死ぬと言う自覚さえも、見送りも何もなく一人失せてしまった命たち、、、



高齢者、不治の病、、、その方々に尊厳を感じるのは支援者の自由なのだろうけれど
尊厳が欲しい高齢者も、尊厳が欲しい患者もいないと思う


ただただ最後の時まで、人らしく生きていたい それだけのような気がする
あえて尊厳とまで使わねばならぬのは、支援者側の心の荒廃ぶりなのだろう、と僕には映る。



(写真 介護ライター野田明宏)

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内・外発信

2016-04-06 15:58:37 | 想い
どんな職種、どんな立場でもあるのだろうけれど、、、
代表的な例に例えれば、サラリーマンが上司の悪口を言いながら飲んでいる


決してこの行為がどうの、こうのの話しではない
他人が何を話そうが、愚痴を言おうが批判していようが自由なのだ


ただそれが発信されるブログやSNSなんかでは如何なものかと
僕らの立場の障害者、そんな障害者同士でも否定批判も起こるし、僕も経験した


同じ障害者なのに、同じカテゴリの中の人間なのに、そんなにイガミ合わなくてもと、僕は思う
これと同じように専門職同士の中にも否定や批判、多数決的思考、他人や何かのせい、、、的なものが見え隠れする


はたして今、論ずるのは内側への発信なのだろうか?
日本の高度成長期をささえて来た、良し悪しは別にしても


プライド高き団塊の世代が後期高齢者になる時代が来る

4,50代に高齢者介護予防のパワリハデイに通ってた経験から感じてた
このままのお世話的支援、上から目線的支援では通用しない


支援と言う思考から、共に生きる 共生思考を持たなければ時代に淘汰されてしまう


今、内輪もめに労力を費やすより、批判否定しているより
もっと個人個人が、この時代に何をやらなければならないのかを考えるべきに、僕は思う。




(写真 介護ライター 野田明宏)


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開口一番!

2016-04-01 11:35:54 | 介護・リハビリを受けて感じた事
僕は数年前の3.4年間、今は廃校となったあるリハビリ専門学校で年に1回、当事者として話す機会があった
療法士を目指す学生、若者たちの前で、何も専門知識などあろうもない僕の開口一番は


「あなたは何故?療法士になろうと思ったのですか?」 だった


「自分がケガで入院してた時、、、」「家のおばぁちゃんが寝たきりになり、、、」と
指名された学生さんが話してくれた、彼ら彼女らの目は輝いてた


学びでも仕事でも、専門性が高くなればなるほど、原点の初心を忘れがちになる
専門性ばかり追い続けると、時として壁や迷路に悩まされる、そんな時、自分を救ってくれるのは初心


  「初心に勝る知識なし」  と僕は伝えた


その後、あなたは現場で障害者の患者に「お前に俺の気持ちがわかるかよぉー」と怒鳴られたらどう対処、、、
介護、リハビリする人が力がいる負担は、患者、利用者にはその力が痛みとなって伝わります、、、とかとか


終いには、結婚はこの人と幸せになりたい、ではなく この人となら苦労してもいい
と思えたなら結婚しましょう、だって苦労なしの幸せなんてないのだからね


みたいな療法士としては全然関係のない話までしていました。



(写真 介護ライター 野田明宏)



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武久塾

2016-03-27 11:02:11 | 想い
勉強会や研修会などで、どん欲にスキルや知識を身につけようと頑張る専門職
その一方で、置き去りにされてしまいがちなのが、精神的な事、人の気持ちや心みたいなもの

専門職の方が身につけたスキルや知識は、患者さんや利用者さんなどに使われる
その関係には、信頼感やコミュニケーションがなければ成り立たない

心が通じ合わなくては一方的なものになってしまう
書き手と読み手の感性が合わさって、一つの詩が完成するように


心なきものは、仕事ではなく、作業となってしまう
心が宿らぬ詩は、単なる文章になってしまう


いい食材と調理法だけでは、美味しい料理が出来ない様に 
どんなスキルや知識を身につけても、いい専門職は育だたない

そこに人間性、人間味、心などの
調味料が入らないと、いい専門職は育たない



そんな事を考えながら、専門職の方たちと共に歩いていたい気久塾です。









(写真 介護ライター 野田明宏)



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同じ人間

2016-03-15 10:36:31 | 人権
あなたの目の前に居いる「介護されし者」
高齢者だろうが障害者だろうが、認知症だろうが難病だろうが、、、あなたと同じ人間


怒られれば恐いだろうし、笑顔で話しかけられた嬉しいだろうし
小突かれたら痛いだろうし、声もかけられず無視されたら淋しいだろうし、、、


尊厳とか利用者様本位、その人らしさとかとか、歯の浮くような特別な言葉は要らない


ただ介護される者も、あなたと同じ気持ちをもっている、と言うこと


大勢の前で裸になるのは恥ずかしいだろうし、乱暴に扱かわれたら痛いだろうし
いつまでも綺麗でいたいおばぁちゃんも、スケベな男もいるだろうし、、、普通な人なんだ


何人もの手術をしたお医者さんでも
手術の仕方は分るけれど、手術の痛みは知らない


何人、介護しようが、介護される人の気持ちはわからない
でも簡単なんだよ


あなたがされて嫌なことは、される利用者も嫌
あなたが、してもらって嬉しかったことは、利用者にしあげたら喜ぶ


介護を受ける人は、特別な感情を持つ人ではない
あなたと同じ感情を持つ、あなたと同じ人間、普通の人なのさ。




(写真撮影 妻 武久利江子)

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「今」

2016-03-08 15:07:52 | 想い
「今」を楽しむ、ために生きてた僕だった、楽しみのために働いていた


しかし、44歳で脳幹出血に倒れ、生死をさ迷った
長い長い夢を見ていた記憶が残る、あのまま目が覚めなかったら、死んでいたのだろう


死ぬのが恐いという感情は無い、死ぬのは、僕にとって夢から目覚めぬことに思った
生まれて来るのも一人なら、死んでゆくのも一人なんだなぁ、とも思った


死は、絶対なるノーマライゼーション

そんなことはどうでもいいのだけど
僕は、楽しむために生きた受傷前の生き方から


「今」やれること、「今」やらなければならないこと、を意識して生きるようになった
機能的にも欲が、殆どそぎ落とされたこともあるのだろうが、、、


僕がやらねばならないこと
 四肢麻痺になった僕を発信する事、見てもらう事、感じてもらう事 



倒れるのは一瞬だった、今は薬をたくさん飲んでいる、でも、、、そん時はそん時、、、
今の僕にできること、今の僕だからできること、今の僕だからやらねばならないこと


今が、これからの過去になり、今が、これからの未来になる


必ず明日が来るとは思っていない、未来に夢や希望があるとも思っていない
大切なのは、今を生きているということ、今、何をやって生きてゆくかということ、だと僕は思う。


(写真 介護ライター 野田明宏)



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三方よし

2016-02-29 14:15:30 | 人権
僕の住む地域ももれなく、全国的に多職種が連携の気運や活動が活発である

僕にははなっから疑問を感じてた
誰に対してのケアなのか? 専門職がスキルを使う相手は誰なのか?


学校は、子どもたちのためにある、先生たちのためにあるのじゃない
じゃあ、介護保険などのケアどう?介護を受ける人たちのためにあるのだと僕は思う


しかし、地域包括なんちゃらとか、地域ケア、地域多職種連携、、、大体は専門職のみにて完結
介護される者や、介護家族は蚊帳の外


誰のためのケア?地域ってなに?多職種が連携?、、、専門職のためだけのもの?
何回、いや何十回のうち一回でもいい、介護のお世話になる当事者、家族の声を聞いて欲しい


そういう場を設けて欲しい、肩書もない、いち介護ユーザーにも市民権を与えて欲しい



地域でも、全国的にも、そんな専門職の意識にもやもやしていた
フェイスブックを始めて一月ぐらい、フェイスブックを駆けめぐり


やっとこさ、ここを見つけた時、僕の居場所を見つけた気分だった

三方よし研究会  代表 小串先生



三方よしの理念は世界平和へとつながる
現代、人間社会の万能薬となりうる、三方よしの理念に、僕は思う。



(写真撮影 妻 武久利江子)

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低ステイタス

2016-02-24 11:04:44 | 介護・リハビリを受けて感じた事
雇用関係や、内情、詳しいことは当事者しか分かるはずもないのだが、、、
僕がこの身体となって関わるようになった、介護保険従事者


世間では保育士さんにせよ、介護士さんにせよ、一生のうちほとんどの人がお世話になる業種
なのに人手不足や、低賃金など、、、社会的ステイタスの低さに僕は憤りをおぼえる


介護保険従事者と関わって、僕が感じたことは「人の人生の最終章と関わる貴重な職業」だと言うこと


今、現役でバリバリ働いている人でも、定年後、シニア世代を満喫している人でも
研究者も教授も、議員さんもお医者さんも、人は誰でも必ず老いる、必ずや介護を受ける


介護する人も、介護制度を創る人も、少なくとも介護保険と関わっている人ぐらいは


「介護は他人のためにあらず」いづれ巡り巡って、自分が介護を受ける時が必ずやって来る


働いていた頃の僕は、「他人の世話になってまで長生きしたかねぇや」「今を楽しむのが人生さ」
介護保険は給料天引きのこずかい減らし、福祉とか介護とかにまったく無興味、無関心な人種、そんな僕だったから言いたい!



(写真 介護ライター 野田明宏)

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思い込みアセスメント

2016-02-17 10:56:07 | 介護・リハビリを受けて感じた事
介護保険の介護サービスを十数年利用していると
支援者側の理想像と言うか、思い込みや決めつけみたいなことを多々経験する、思い出せる例を書いてみたい


訪問リハビリを始めた頃、OTさんから
「食事場面訓練してゆきます、外出した時や日常場面でも一人で食べれるようになりましょう」

それに対して僕は
「僕、意思伝達装置より、普通のPCを使えるようになりたいんです、マウスが使える訓練がしたいてす」


デイサービスに通い始めた頃、相談員さんから
「武久さんも早くみなさんと街に買い物に出られるようになりましょう」

それに対して僕は
「いやいや僕は、四肢麻痺の僕でもパワーリハビリが出来ると言うのでここに来たので、買い物目的では、、、」


数年、関わりのあるケアマネさんに最近
「武久さんも電動車いすで自由に動けたらいいと思うので、そういうプランも、、、」

それに対しては妻が
「この人は電動車いすに乗ると、衝動的に防波堤から身を投げたり、、、自死行為をするかもしれないと自分では、、、」
帰りしな玄関ですすり泣くケアマネさんに妻が「どうしたの?」
ケアマネさん「あんな前向きで、普段は明るい武久さんが、そんなこと思っていたなんて、、、」


いつ、どこでは覚えていないけれど
「武久さんも障害者の仲まが欲しいですよね」

それに対して僕は
「友だちや仲まは健常者、障害者にかかわらず、誰でも自分とうまが合う人となるんじゃないのかな?」




ケアプランニング時の思い込み、こうしたらその人は幸せなはず、楽しいはず、嬉しいはず
業者からのまた聞きなど、本人が会話能力があるにも関わらず、本人不在のアセスメント


介護が必要な高齢者のため介護保険なのは分っているが
意思疎通の出来る高齢者、第二被保険者などの利用者くらいとは話し合ってプランを組み立てていって欲しい、と僕は思う。



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穏やか

2016-02-10 12:39:46 | 介護・リハビリを受けて感じた事
僕が介護保険の介護サービス(デイサービスや訪問入浴など)に感じた共通点は 明るく元気よく みたいな風潮だ
デイサービスでの体操、レクレーションなどなど、訪問入浴スタッフのテンション、、、悪気があるのではないことは分っている

幼稚園などの施設なら明るく 楽しく 元気に みんないっしょに、、、みたいな雰囲気なのは納得する
しかし、介護保険を利用しているのは高齢者、明るく元気にと言われても気持ちも体もついてゆかない

50代の僕から見てもハイテェンションに映っているのに、高齢者の方の目にはどの様に映ってるのだろう?

デイサービスでのレクレーションで はやしたてられる高齢者
その家の雰囲気とは関係なしに明るく元気にやって来る訪問入浴、、、


明るく元気にを否定してるのではない


 介護サービスはイベントではない、利用者の生活の一場面なのだ 


僕は、介護サービスを受ける時間 明るく楽しく元気にじゃなくていい
穏やかな時間を過ごせたら、それでいい、穏やかな時間、それがいい。。。





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ユーザー

2016-02-04 11:35:25 | 介護・リハビリを受けて感じた事
医療サービス、介護サービスなどと言われて久しい
医療も介護も、世間の一般のサービス業とは逸するものとなるのかも知れない


患者様、利用者様、様をつけるのはおかしいなどの賛否、、、表す言葉そんな事はどうでもいいのだと思う
大切なのは中身、これらの業界ほどユーザーの声がモニタリングされぬサービスはないと思う


せいぜいあっても待合室や、施設に「意見箱」的なものが設置してあるだけ


専門職だけの学会、勉強会、研修会などはひっきりなし開かれているのに、
患者、利用者、家族などのサービスユーザーの意見などをモニタリング、リスニングする会などは皆無に等しい


確かに、スキルアップとか、知識とか、技法とかなどは大切なもの
しかし、そのスキルを、技法を受けるのはユーザーなのである


ユーザーの声も聞かぬサービスなら、サービス提供側の自己満足的なものになるのではなかろうか?

日本の高度成長期築き上げた団塊の世代が、これらのサービスのユーザーとなる時代が訪れたなら

支援する、弱い立場の人を支援する、そんな上から目線のサービスはこれからの時代、通用しない
共生、共に歩く、共に感じ共に生きる、そんな共生思考のサービスしか生き残れないと   
 僕は思う。




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