介護されし者

四肢麻痺 中途障害者の発信

自己紹介 

3000-06-11 09:59:22 | 自己紹介
介護リフトのある暮らし

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コンダクター

2016-09-22 12:55:34 | 介護・リハビリを受けて感じた事
吹奏楽、オーケストラ、、、等には指揮者は欠かせない
どんなに名プレイヤーぞろいでも、テンポを合わせたり、音のバランスなどなどを

総合的に聴き、指示指導のできる指揮者が必ず必要だ
そんな役割がケアーマネージャーなのだとも僕は思う

各楽器、トランペット、ティンパニー、、、などの演奏は出来なくとも
各楽器の音色やバランス、テンポ、強弱などを聴き、指示する

そして楽団が心地よい、素敵な素晴らしい曲を奏でられるようにする


その利用者に適切なケア、介護サービス、そしてその利用者の反応、、、
そんなケアと言うホールを、楽団、利用者(観客)共に歓喜の渦に巻き込める


そんなコンダクターが、ケアーマネージャーなのだと、僕は思う。






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最初のボタン

2016-09-13 15:58:12 | 介護・リハビリを受けて感じた事
「あなたは介護されたいですか?」
「あなたはリハビリしてみたいですか?」
「おなたはケガとか病気で入院したいですか?」
「あなたは他人のお世話になりたいですか?」


100%の人がNOと答えるだろう
医療従事者、介護従事者、福祉従事者、、、支援する立場の人たち


その志の中に「他人から感謝される仕事をしたい」
「ありがとう、を言ってもらえるお仕事がしたい」「他人助け、、、」


その志にあやをつけるつもりない
が、しかし感謝されたい、他人の役に立ちたい、他人助けをしたいなどの思いは
支援する側の思いであって、支援される側は

支援を受けることは自分の本意ではなかったはず


あなたの目の前にいる患者、利用者、被支援者、、、の人たちは
今の自分は、自分が望んではいなかった姿、自分にとっては惨めな姿なのだ


だから何?って話だけれど
そこらを認識して支援する方と、認識していないで支援する方とでは
ケアとか関わりの中で大きな差として表れてゆくと、僕は思う


  最初のボタンをかけちがえると、全てのボタンをかけちがうように。  



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かわいそう、、、

2016-09-06 15:26:14 | 子どもたち
「かわいそう」には思いやりのかわいそうと、さげすむかわいそうとがあるのだろう


最近のニュースに出てくる集団いじめの果ての殺人
親たちがわが子を虐待死させる
身勝手な言い分の通り魔的殺人などなど、、、

他人を、相手を思いやれる気持ちの欠落、身勝手な自己中心

著名な学者や古くからのことわざに
人は3歳までに感性などが形成されるみたいな話がある
幼児期、他人などを思いやる「かわいそう」という感情の発芽があるか?ないか?では

大人への成長段階で、他人を思いやれる感性などに大きな差が出る気が僕はする


紙芝居ボランティアや福祉学習などで僕と関わった園児や学童などが
「たけちゃん かわいそう」と言ったときなど、僕は(やったぁ)と嬉しくなる


子どもたちにとって「かわいそう」と思える事はとても大切な事
否、老若男女、他人を思いやれる「かわいそう」という感情は
こんな現代だから、とても大切な気持ち、感情なのだと僕は思う


僕と関わった人が、僕を「かわいそう」と思ってくれたなら
それだけても、僕の社会的存在価値があった気が、僕はする。




(写真 介護フォトライター 野田明宏)

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先頭にあるべきもの

2016-08-30 10:24:07 | 介護・リハビリを受けて感じた事
どんな人であれ「生きがい」を感じれない生活では
生きている意味が分からなくなります



治療にせよ、機能回復にせよ、その人らしい生活のケア、仕事、、、なんにせよ
患者、利用者、医師、看護師、介護士、、、誰にせよ、人はみな生きがいを求めます


目先の業務、目的、専門スキル、人間関係、生活に追われるのは常ですが
一番先頭にあるべきものは「生きがい」


自分自身の生きがい、関わる人たちの生きがい
ケアとか、支援とか言い回しはどうであれ


生きがい探しのお手伝い
生きててよかった、長生きしててよかった、のお手伝い



ケアされる側も、ケアする側も生きがいを感じられる
介護業界の未来だったらいいと、僕は思います




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中途障害者

2016-08-20 11:16:52 | 介護・リハビリを受けて感じた事
僕は中途障害者として障害を受容しているらしい、、、
らしい、、、と言うのは、僕と関わった専門職の人の見解であって、僕自身は障害を受け入れた気はない


のり越えた気もしてない、別にのり越える意識がなくとも生活はしていかなければならないから
ただこの不自由、退屈、世間とかけはなれた生活に、いかに生きがいを感じられるか
と、試行錯誤の日々だった気がする、否、この先も逝くまでそうなのだとも思う


そんな僕の心もちは置いておいても、、、


中途障害者を支援している専門職の人たちは
武久さんに会ってもらいたい中途障害者の方がいるとか、同じ中途障害と言う境遇だから話が合うかも、とか


相手の意思も確かめず自分の思い込みを話しする


中途障害者だって人それぞれ、僕自身、人見知りするタイプだし
相手の方だって他人と比較されるようで嫌な場合もあるし(僕は他人と比べられるのは大嫌い)


なんか同じ中途障害だからとか、同じ寝たきりだからとか、、、話しが、気が合うのでは?

支援する人たちは、同じ職業だから、同じ会社だからと言いうだけで
誰とでも気が合い、話が合うのだろうか?そんな事はないだろう 


「支援している」言う考えは、そんな一般社会では極普通な事すらを見えなくしてしまっている、と僕は思う。





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軌道修正

2016-08-05 17:05:41 | 想い
このブログは当所、40代で16特定疾患と言うことで、介護保険第二被保険者とされ
介護保険サービスの利用者となり、そこで感じた違和感、葛藤などを主に書いてたブログだった

それはそれで当事者、介護職、専門職の方などに
共感してもらえる方もいて良かった、と思っている
しかし、ここに来て思うのことは発信の軌道修正!

どこにも居る普通の働き盛りの僕ら夫婦だった
そんな僕らの遠くにあるだろう、と思ってた病気や介護生活
まして、想像、考えた事すらもなかった、僕が重度障害者になるなんて、、、

今、普通に生活している方でも

事故や病気で、いつ障害者になってもおかしくないこと(ポックリ逝けるとは限らない)
いつ親や舅、姑さんのなどの介護しなくちゃいけなくなるかわからないこと
(ポックリ逝ってくれるとは限らない)



体験者として、、、

病気やケガ、介護生活などなどは、本当に普通の暮しの身近にあったこと
「俺は大丈夫!」と言う過信は通用しなかったこと
なんかを伝えられて

僕らの夫婦の介護生活を見て聴いて読んで、何かしらを(大変、可愛そうなんかでもいい)
何かを感じてもらえたなら
僕らの励みに、僕らの社会的存在意味に、僕らの生きがいになります


そんな発信に僕らはなりたい。



(写真撮影 介護ライター 野田明宏)


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小規模多機能自治

2016-07-15 12:00:01 | 子どもたち


地域の大人が育てる 地域の子どもたち
そんな発想に始まった僕らの福祉学習などの活動

活動を企画サポートしてくれている地域社協さん
学校からの依頼に対しての福祉学習なのだが、学区社協さんからの依頼もちらほら


子どもたちの危険や、認知症の徘徊など、防災なんかに対しても
地域、特に近所、町内、学区などの小さな範囲での声かけ、助けあいなどが重要になる



この情報社会、全てのものが外へ外へと求められるけれど
本当に大切なものは、大切にすべきものは身近なもの、自分の中にあるもの、ではなかろうか


小規模多機能自冶、、、耳新しい言葉ではあるが、本来、日本人が大切にしてきたもの、なのだろうと僕は思う。



(写真撮影 妻 武久利江子)



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支援が見えなくするもの

2016-07-05 12:12:23 | 人権

FBのコメントやメッセージのやり取りに、こんなことを思う


介護職の方:高齢者も、皆さんが同じわけではなくて、
年齢を問わず、個人の想いを聞く、そしてそれを叶えるための支援である必要があると思います。



僕:「個人の想いを聞く」人間関係の鉄則に思いますが 
支援と言う言葉が、そんな当たり前の事も見えなくしているんだと思います  
対話して人間関係は成立する 極々、当たり前の事なのだと思います。



ケアマネの方;記事『こびへつらう』、同じ介護業界で働いている者として、申し訳ない気持ちになりました。
ありえないです、こんなこと。
記事「僕」、1号被保険者と2被保険者の利用者さんへの対応は、違うと思います。

武久さんのブログ読んでると、専門職としてプロ意識ない人が専門職でいることが多すぎるし
利用者さんには迷惑なことだと思いました



僕:お年寄りの「いつも ありがとうね」に陶酔する介護従事者
支援している、と言う気もちの中で、、、

中年と高齢者の生活も価値観も考え方も違う、と言うあたり前のことを見失う支援者
プロ意識とか 専門的とかの問題じゃなく、利用者、支援される人も
支援者のあなたたちと同じ気持ち 感情をもつ人間、

と言う人としての根本的な事を見失っている

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


カフェとか研修会や勉強会で専門性を高めるのもいいが
利用者も患者も、あなたや一般社会の人と同じ気持ち、感情を持つ人間
と言う極々、あたり前から出発して欲しい、と僕は思う。    




(写真 介護ライター野田明宏)

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こびへつらう

2016-06-25 15:24:36 | 介護・リハビリを受けて感じた事
健常者でも他人に頼みごとをする時などは、相手に気をつかったり、機嫌をうかがったりする
だから動ける人は、たいがい他人に頼むより、無理してでも自分一人でやってしまう

あたり前のことだけど、他人に頼む、お願いするということは、気をつかうということだ


介護を必要とする利用者は、施設職員やサービススタッフに頼んだり、お願いすることだらけだ
必然的に職員やスタッフに気にいられる人を装うようになる


なぜなら、嫌われたら頼みづらくもなるし、頼みごとも後回しにされたりする
実際、僕は嫌われて、僕に挨拶もしない職員も多くいた


デイなどで介護されるということは、こびへつらうことや、フレンドリーさを持たないと孤立する


中途障害者の僕にはデイとは、そんな所だった
アウェイ感覚と、無視、厄介者感を抱えながらも、ただ機能回復をめざし4年間ほぼ毎日、利用を断られるまで通った


こんな田舎には慢性期の四肢麻痺がやれるリハビリは、介護予防のバワーリハビリぐらいしかなかった
こびへつらわない僕は、パワリハビリデイで孤立していた。




(写真 介護ライター 野田明宏)



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2016-06-16 12:44:24 | 想い
僕は44で脳幹出血に倒れ、介護保険の利用者にされたけど
お年寄りが好きなわけでもないし、高齢者医療、介護に興味があるわけでもない


僕は中途障害者になったけど、障害者を主張する気はない
むしろ、44までは普通に生きれたのだから、それはそれで幸わせだった、と思っている


僕は、僕の病気体験や、介護される気持ち、ベッド在宅生活などから感じた心的なものを発信してゆきたい
批判的な内容もあるのだろうが、それはそれとして僕が抱いた気持ちだ

以前は、専門職さんたちのお役に立てるなら嬉しい、、、とか思っていたけれど
専門職の方々は、それぞれに専門職同士の連携とか、勉強に余念がない


そこに何かを求めても、当然、介護保険専門職の方たちは、高齢者の事だけ
介護保険第二被保険者の市民権などなどは見えても来ない


あくまでも高齢者介護の参考としてまでの僕の発信である
最近はそれでもいたし方ないと思っている


高齢者介護の中で、介護保険の第二被保険者の存在や市民権などを
考えようともしない、考える余地もない、介護保険専門職なのだと、僕は発信を通じて思い知らされた。




(写真撮影 妻 武久利江子)


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雑感

2016-06-03 11:34:30 | 想い
僕は44才で重度障害者となり、介護保険の第二被保険者になった
僕が体験して感じたことをブログ、FBで発信している


十数年経ち、、、今、痛切に感じる事
人としてあたり前の事が、当たり前ではなくなった


患者、利用者など、介護されている、リハビリしている人など、本人は望まなかった姿の状態だという事

お世話している、機能回復訓練をしてる=相手に喜ばれる、相手に感謝されるの法則に、なんら疑問を持たない専門職


人は生きがいがあるから生きてゆける
そんな人として当たり前の事も、、、QOLがなんちゃら、、、


「何でも言ってくださいね」
他人に何でも言える、頼める人は健常者の中にもいる筈もない


「障害者の仲まづくり」
障害者だから仲まになれるだろう、という支援側の押しつけ


障害者スポーツ、障害者アスリート、、、それすら眩しい人種がいることすらわからない専門職
笑顔とか、ポジィティブさとかをふりまわす障害者、障害者の権利をふり回す障害者


専門用語、決まりなどでねじ伏せる専門職
何していようが、どんな立場であれ人は




(写真撮影 妻 武久利江子)




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2016-05-23 11:54:54 | 想い
人は必ず死ぬ、だからどう生きるかが大切だ、死は絶対なるノーマライゼーション、とか思ってた
このまま老いて死ねるなら自分の家で死にたい、かみさんの手を握り死ねたら、とかとか思ってた


いや、みんなそんな風に穏やかな死に方を望んでる筈
意に反して病死、事故死、死の瞬間も分からぬまま迎えた死、、、様々な死はあるが


死は色んなむかえ方があるのだろうけれど、、、今回の 沖縄の事件 に思わされた


男の欲の処理のため乱暴され、欲が満たされたら命を奪われ、、、
その間の絶望、恐怖、なぜ私が、えっ殺される?、、、推し量る事は出来ない、、、


婦女暴行殺人事件、知らなかったわけではない
理不尽な殺人事件、知らなかったわけではない


今、僕は思う


死は、平等なんかじゃない!
人生を老いれる、と言う事は ただそれだけで幸せなこと 



専門職でもない僕が、必用以上に高齢者や、老いることへの頭を使うのは止めようと思った
どんな状態でも、老いて死ぬぬるは、幸せなこと、と僕は思う。  合掌




(写真撮影 妻 武久利江子)

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クレーマー

2016-05-08 09:37:27 | 想い
団塊の世代の高齢化とか、何だかんだと言われてはいるが
良し悪しは別としても、すでに子の親、お年寄りの子などとしての、モンスター○○なるものが話題になる


すぐにキレる中高年とか、クレーマー○○とかとか、、、そんな時代になりつつある
つまりは患者、利用者とて同じ事


従来の大人しい、してもらってありがたい、文句など言わない、、、そんな患者、利用者は少なくなる
お客意識が強い、プライドが高い、してもらってあたり前、とかくクレームをつける
、、、そんな患者、利用者は増えるだろう


そんな時代の流れに、技術、知識はともかくとしても


言葉づかい、あいさつなどの接遇すらきちんと出来てない施設、職員は、クレイマーたちのいい獲物になるだろう
制度がどうのこうの、業務の質がどうのこうのと言っている前に



職員育成などの経営努力をしない施設などは時代に淘汰される、と僕は思う。
 


(写真 介護ライター 野田明宏)



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あずける

2016-04-27 11:29:13 | 人権
親が子を園にあずける
子が親をデイにあずける



「あずける」、、、NHKでもその言葉で表していたので一般的なのだろう
 あずけるから安心して仕事が出来る、あずけるから家事などの時間が取れる 


「あずける」と言う事は、生活してゆく上でとても大切なこと
しかし、たまにニュースの話題にも取り上げられるほどに、保育業界、介護業界、どちらも人手不足の低賃金


少し前、ネットやニュースで騒がれた「保育園落ちた、日本死ね」、、、
子を、にせよ、親を、にせよ、あずけられないのは死活問題なのに、人手不足の低賃金


一般の業種と保育士、介護職とのステイタスの差は、もはや人権問題なのかとも思う
この問題には、色んな要因があるのだろうけれど、、、



この問題の根底には、人を「あずける」「あずかる」という
人の意識的なところに、重大な問題があるのだと、僕は思う。




(写真撮影 妻 武久利江子)

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