介護されし者

四肢麻痺 中途障害者の発信

介護リフトのある暮らし

3017-06-23 08:56:13 | 自己紹介
介護リフトのある暮らし

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老いに関しての観念

2017-06-22 17:29:21 | 医療、介護に対して
人間、老いて死するは自然の理
老いれることは幸せなこと
 



小児病棟で逝ってしまった命
不本意ながら、人生の半ばで事故や病に持ってゆかれた命



障害や難病で健常者としては老いれなかった者たち
何らかの理由に  自らの命を絶つ者たちの多さ   



人の人生も、人の命も他人と比べるものじゃない
しかし、老いて死を迎えることが当事者にとっても
取り巻く者にとっても盲目的なものになってはいけない、哀れむものであってはけない



人生、無事に老いれたという事は幸せなこと
こんな観点から出発すべき医療、介護、福祉などなのだろう、と僕は思う。


追記:僕の終わり方は妻の納得する終わり方でいい
延命治療しようが、自宅だろうが病院だろうが
長年連れ添った「夫婦の物語り」の終演、、、妻が納得する終わり方でいい




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制度

2017-06-19 15:24:06 | 医療、介護に対して
 僕は四肢麻痺の介護保険第二被保険者     

今更なのだろうが、僕がこの発信を始めたきっかけは
自分が介護保険適応の介護予防のパワーリハビリデイサービスに通い
困難事例として利用停止となるまでに


僕が感じた介護保険での第二被保険者の生きにくさ、居場所のなさを
同じ立場の人、介護保険従事者や、障害者自立支援法の中で暮している人たち
はたまた介護保険に興味のある人などの参考になれれば、と思い発信して来た


僕も今や58歳、先の事は誰にもわからぬが血圧も薬で安定しているので
おそらく65歳となり、障害者ゆえ後期高齢者扱いで老いてゆくのだろう
そんなことは別にして、今回の題名は「制度」いや制度にもの申す気などない


なぜ制度?、、、僕の担当のケアマネもしかりだが
二被保険者の居場所のなさや、生きにくさなどを言ったところで
「制度的におかしいのよね」、、、


だいたいの介護保険従事者の人は「制度」のせいにする
介護保険自体まだまだ未熟なものだろうが
現行、第二被保険者として受け入れているのは事実


介護保険、ハード的ソフト的にも高齢者主導の仕組みの中で
第二被保険者とどう向き合い、接してゆくのか?などを考えて欲しい、と僕は思う


いつまでも制度や行政のせいにしていても何も進歩はしない
高齢者オンリーの介護保険を横目に、妻と共に老いてゆく僕なのだ。





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支援を学ぶ若者たちへ

2017-06-14 07:53:50 | 医療、介護に対して
医療、介護、福祉系支援
医師、看護師、療法士、介護士、社会福祉士、、、
職種によってさまざまな支援があるのだろう


僕に出来る事!  
介護を受けている者として、これから支援を学ぶ若者に伝えたい
  



自分は、あんなことをしてあげたい
私は「ありがとう」と感謝される人になりたい
自分は社会に、人に貢献したい

この様な、支援する側の視点だけじゃなく



相手の気もちを想像できる支援
もし支援されるのが自分だったなら、、、相手視点


自分だったらこんな時、こんなことしてもらえたら嬉しい
私だったらこんな声かけしてもらえたら恥ずかしさも和らぐ
自分だったらこんな風にしてもらいたいなぁ


支援する相手の気もちを「もし自分だったなら、、、」  
と置き変え考えられる想像力を身につけてもらいたい、と僕は思う




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心のレベル

2017-06-07 13:12:07 | 
人は自分のいる位置、置かれた立場、職種、環境、、、
多種多様の中で悩んだり、考えたり、気がついたりしているのだろう


悩みごと心配ごと、考えごと人間関係、、、


事はなんであれ、否定や批判の多い人、愚痴やぼやきが多い人、、、
かたや、建設的な人、前向きな考えの人、素直な人、、、


自分のライフスタイル、価値観、考え方などは、自分の人生なのだから
他人に迷惑をかけていない限り、その人の自由なのだと思う
 他人から批判されることもなければ、他人を批判することもない 


ただ、相手に価値観の違いとか、心のレベルとかが
かけ離れていることを感じる場合がある


かけ離れている方とのコミュニケーションは
誰しも、疲れるしストレスになるのだろうとも思う


撲は愚痴や悪口は言っても、聞いても気が滅入るし、不愉快になってくる、、、




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人としての基本

2017-05-30 16:27:27 | 
どんな必殺技を覚えたとて
受け身が身についていなければ早かれ遅かれ大けがをする



中学生当時、柔道の授業で教えられたような気がする
なぜ?今頃できもせぬ柔道?


これは、どんな仕事の方にも言えるのだろうが
たとえ仕事の専門的なスキルや知識が身についても


人間性に欠けていたり
人としての基本部分(生死観や人生観など)が未熟だったりすると
いづれは失敗したり、壁にぶち当たったり、仲間がいなくなったり、、、


逆に、人間性や人の基本部分などがしっかりしていれば
おのずと自分の仕事に関して、学ぶことはもちろん
ちゃんとした意識を持って働けるはず


専門性やスキル、知識を高めることは大切なことなのだろうけれど
それと同等に、人間性や、人としての基本なども高めることが必要なのだ
                                         と僕は思う。





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情熱的と感情的

2017-05-24 10:28:51 | 医療、介護に対して
指導的な立場らしい情熱的な看護師さんから、僕への返しのコメントの中で
「あなたも他人のお世話になっている立場なら、、、」


おじぃちゃん、おばぁちゃん大好きの情熱的な介護士さんのコメント
「あなたも、もっと他人に感謝する気もちを持ちなさい、、、」


地区部会の講師もするらしい、情熱的なケアマネさんのコメント
「あなたから人の道を説かれるつもりはありません、、、」


この業界の情熱的な方が、感情的に急変する場面は
現実でもネットの世界でも多々経験している


僕の話しが利用者として我儘だとか、お世話になっているくせにして、、、
とか、確かに生意気なのかも知れないが


とかく人は痛いところを突かれるとムキになる


そこの部分を置いておいても
この業界、情熱的な人は、そのまま感情的な人となることが多い
と思ているのは撲だけだろうか?


確かに大変な仕事なのかも知れない
確かに割に合わない仕事なのかも知れない


でも、その仕事を選んだのも
その仕事に何かを求めているのも、あなた自身なのである。



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死は誰のもの?

2017-05-13 10:48:19 | 
自分らしく死にたい、自分らしい終わり方、自分らしく逝く、、、大切なことなのだろう
しかし「自分」、一人で生きて来たのだろうか?大体の人には共に暮らす家族がいる


あたり前のことながら
その人は死に向かう時、死んでから、自分では何も出来ない


僕は、私は「あーして欲しい」「こうして欲しい」「こうありたい」、、、自己主張
夫に妻に、父に母に「こうしてあげたい」「あーしてあげたい」、、共に暮らす家族の思い


老をむかえた頃からの家族内での話し合いが大切になって来るのだろう
そう「縁起でもない話し」をあえて話し合っておかなければ
自分らしい死に方、なんてことは絶対出来ぬのだ


あなたは死に向かう時、死んでからは何も出来ぬのだから


自分らしい死に方をしたい、逝き方をしたいと思っている人は
老いを意識した時点で、共に暮らす家族と「縁起でもない話し」を
あえて話し合っておくべきなのだと思う


その時になっては何も出来ない、口をはさむことすら出来ぬ、あなたなのだから、、、




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対話と感性

2017-05-02 11:47:33 | 
この業界、否、なんの業界もそういう傾向なのだろうが
この業界に特に思わされる


何を、どんな事を言ったのか?書いたのか?発したのか?よりも
誰が言った、あの先生が言った、あの教授が言った、あの、、、


名僧の法話を有難がるが様に、鵜呑みにする
そして、それを自分の患者や、利用者に当てはめようとする


しかし、患者も利用者も、人それぞれに送って来た人生の物語は
人それぞれにみな違う、培われて来た価値観や性分、人間性などは個々に違う


一番、聴く耳を傾けなければいけないのは、対話しなければならないのは
目の前の患者、利用者、共に働く仲間たちなど、、、


そして、その会話の中から相手を感じとること


潤滑剤としての世間話に終始せず
相手の心を、相手のいいたい事を対話の中から読み取る感性


対話と感性そんなものがこれからの医療、介護
否、ストレス社会現代に不可欠になってくる!と、僕は思う。




(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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対話という名の人権

2017-04-22 09:13:50 | 人権
僕が16特定疾患により、介護保険の第二被保険者とされ痛感したことは
「対話のなさ」
である


主に高齢者が対象な介護保険がゆえ
お世話感覚の高い介護保険がゆえに
支援側の固定観念や、理想などで進んでゆくケアを体験して来た


そこをほじくり返す気はさらさらない

今、在宅医療や終末医療、終活、、、、専門職の間で確立されてゆく理想形
素晴らしいものなのだろう、完璧なものなのだろう



でも、それらのスキルなどの先頭にあるものは
利用者、患者との対話であるべきに思う


医療的、自立的、介護的などなどに理想的なものであっても
必ずしも、その人の考えに、生き方に、性分にあったものとは限らない


その人の人生、逝くはその人
生い立ちや、生きて来た歴史の中で育まれて来たもの
価値観や生死観などは、人の数、人生の数だけあるのだから、、、


形、知識、スキルなどの理想像ではなく
その人と「対話」するという行為を、対話して来た時間を


対話するという人権を先頭に置き、一番大切にするべきだと僕は思う。



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時にはバリア「肩書」

2017-04-14 11:11:59 | 医療、介護に対して
 これからの地域包括システムの中で、大きな役割を担うだろう一般市民


その集まりなどで専門職の方はIDカードやプレートに肩書を示す
市民団体やNPO団体の方も、代表、理事とか肩書を示す


そんな場に一般市民の、おばちゃんや若者などなどの
どこにも属さず、なんの資格もない人たち
でも地域包括システムや、助け合う街づくりなどに興味がある
そんな人たちが気軽に参加できるだろうか?


IDカードも、○○代表、□□大学教授も、、、
それら肩書もある意味バリアになるのではなかろうか?
安全性の為と言うならば氏名、生年月日、学区名などの表示だけでもいいのでは?


共生の街、助け合い、おたがいさま、、、などを創り上げる場に
極力、肩書などの表示は不要なのだろうと思う


「私は一般の市民じゃない」的な雰囲気の肩書を見せられると
素人の一般市民は気軽に話し掛けれない
簡単、単純な質問したら笑われちゃう?失礼?みたいに感じてしまう人も、、、


告知しても集まってくれない
既成事実づくりの集まりなどにならぬよう


名実ともに、の地域包括システムにしてゆきたいのなら
手を広げ待っている、「私たちはやっているのに集まってくれない」ではなく
集まらない色んな要因をリサーチ、考えていくべきに、僕は思う。




(写真撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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「仁の視線」

2017-04-06 08:16:47 | 
現代の風潮

物質主義、利己主義の競争社会、年代に関係なく貧富の差の二極化


自己主張と、自己中心を取り違えたよう
自分がよければ、自分たちさえよければ
みたいな風潮が大人たちから、子どもたちまでも、、、


そんな現代の風潮の中で置き去りにされてきた心
思いやる心とか、助け合い、お互いさまの心など


福祉大学の教授が、この現代の風潮を変えてゆくには
学校教育が大切と「福祉教育」の導入を唱えている


今、地域包括の流れとして専門職だけではなく
助け合い、共生的な街づくりとして、地域住民との関わりが増えて来るはず


その時に、制度や方法などのハード面だけではなく
医療、介護にある「仁の視線」心的なもの
ソフト面も地域社会に、一般市民に伝えられたなら

現代の風潮に、風穴を開けられるのではないか!と僕は思う。




(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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単純な疑問?

2017-03-26 10:49:39 | 人権
困らないと必要を感じないのが、普通の人
満腹の人に料理の話ししても、、、的なものがあります 


各地域で行われている地域包括や、それに伴う連携など
専門職だけの形から、市民なども巻き込み共生地域などを目指す動きも出はじめた


しかし、一般の市民が福祉とか在宅医療、介護などに進んで興味を持つとは
44歳まで一般市民だった僕には思えない




常々、僕が疑問に思うのは、一般市民も参加するのなら
なぜケアを受ける当人や、介護家族が同じテーブルに着けないのだろう


市の広報や、何らかの告知はしてあても
月に1回は訪れるケアマネからも、毎週来る訪問サービススタッフからも
そんな話題は一度も聞いたことはない


当事者や介護家族は、被害者意識が強く 
対話に時間がかかるかもしれない 
訳の分からないこと言うかもしれない 
苦情にしか聞こえないかも知れない、、、


ケア、支援側には色んな思いがあるのかも知れませんが 
ここをクリアしていかないと 


老いても、病気になっても、介護される身になっても
自分らしく、人権のある人らしく暮していける地域にはならないだろう  
                      と僕は思う。



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主点

2017-03-15 11:19:33 | 人権
在宅医療や介護保険などの専門職の中で、制度や方法、連携や役わり、、、
さまざまな角度からケアが議論されている

さまざまな職種や立場で、色々な意見やコミュニケーションなどで連携を深めてゆく
ケア対象の患者、利用者、当事者にとっては、あがたいことなのだろう


しかしながら、そこにはブレてはならない主点があると思う
その主点とは
 「その人が、その人らしい老病死を選択してゆけること」 なんだと、僕は思っている


ケアの中で語られる「その人らしさ」はケア側で創り上げたものが多い 


本当の意味の「その人らしさ」を知るためにも
本人、その家族とのコミュニケーションをとらない限り
本物の「その人らしさ」は見える筈もない


立場の意見の言い合いより
互いを認め合える、おりあいをつけられる対話を
                  優しい未来がおとずれるために、、、



(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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誰のもの?

2017-02-28 14:15:10 | 医療、介護に対して
誰のもの?とは立場で違って来るのかも知れないが、、、
ベッドの上にて考えることは、あれ?誰のためのものだったのだろう?と言う事!

国民のための政治が、国会議員さんのための政治になってたり
子どもたちのための学校が、教育者のための学校になってたり

介護を必要とする人のための介護、自立支援などが
介護従事者のためのものになっていたり

患者のための医療が、医師のための医療になってたり


いったい誰のために創られたのだろう?
と思い考えさせられることが多い、、、




でもそこに噛みつくほど野暮ではない、、、が
「誰のもの?」の主になるべき「誰」が

それらの議論、研究、政策、、、などから
蚊帳の外に置かれる場合が殆んどとなると異議を唱えたくなる僕である

多職種連携や地域包括、地域連携などの中に
市民、住民、異業種、、、などとの関わり合いはあっても



 患者や当事者、その家族などとコミュニケーションをとる場面はあるのだろうか? 。




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