介護されし者

四肢麻痺 中途障害者の発信

自己紹介

3000-03-16 09:37:37 | 自己紹介


(2005年当時)

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主点

2017-03-15 11:19:33 | 人権
在宅医療や介護保険などの専門職の中で、制度や方法、連携や役わり、、、
さまざまな角度からケアが議論されている

さまざまな職種や立場で、色々な意見やコミュニケーションなどで連携を深めてゆく
ケア対象の患者、利用者、当事者にとっては、あがたいことなのだろう


しかしながら、そこにはブレてはならない主点があると思う
その主点とは
 「その人が、その人らしい老病死を選択してゆけること」 なんだと、僕は思っている


ケアの中で語られる「その人らしさ」はケア側で創り上げたものが多い 


本当の意味の「その人らしさ」を知るためにも
本人、その家族とのコミュニケーションをとらない限り
本物の「その人らしさ」は見える筈もない


立場の意見の言い合いより
互いを認め合える、おりあいをつけられる対話を
                  優しい未来がおとずれるために、、、



(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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誰のもの?

2017-02-28 14:15:10 | 想い
誰のもの?とは立場で違って来るのかも知れないが、、、
ベッドの上にて考えることは、あれ?誰のためのものだったのだろう?と言う事!

国民のための政治が、国会議員さんのための政治になってたり
子どもたちのための学校が、教育者のための学校になってたり

介護を必要とする人のための介護、自立支援などが
介護従事者のためのものになっていたり

患者のための医療が、医師のための医療になってたり


いったい誰のために創られたのだろう?
と思い考えさせられることが多い、、、




でもそこに噛みつくほど野暮ではない、、、が
「誰のもの?」の主になるべき「誰」が

それらの議論、研究、政策、、、などから
蚊帳の外に置かれる場合が殆んどとなると異議を唱えたくなる僕である

多職種連携や地域包括、地域連携などの中に
市民、住民、異業種、、、などとの関わり合いはあっても



 患者や当事者、その家族などとコミュニケーションをとる場面はあるのだろうか? 。




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メッセージ発信

2017-02-14 11:32:36 | 想い
新たな発信の形としてのメッセージ発信
ここ2つ続いたメッセージでのイベント参加

このメッセージは、イベント会場のスクリーンに
僕の写真と共に、映し出されたみたいだった

イベント名「自立支援は誰のため?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

普通、人は大事、些細な事にせよ選択しながら生きている
どんな仕事を選ぶのか? お昼なにを食べようか?

介護される身になると選択肢は極、限られてくる
しかし、その少ない選択肢の中からも

「自分らしく」生きていたいと思いを募らせる
しかしながら、介護保険、介護サービスの中で

選択する主役、主観は、支援する側である場合が断然多い
人は老いても、介護される身になっても

自分の人生、自分らしく生きていたい
自立支援も介護保険も、その人が自分らしく、自分の人生を送るためのもの


その人の人生、人権を守るためにあるもの!、であって欲しいと僕は思います




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僕が思う「65歳の壁」

2017-02-07 15:57:21 | 介護サービスを利用して思ったこと
介護保険第二被保険者を体験しているの僕が、懸念する65歳の壁は
サービスの時間、回数、料金とかのハード面より
介護サービスを受ける方の精神面、つまりソフト面だ


障害者総合自立支援法、障害者の自立した生活などへの支援色が強いのだろう

一方、僕が体験している介護保険は
介護を受ける利用者を「お世話する」想いが主流のもの

片や障害者の自立支援、片や高齢者のお世話的支援
介護への意識の差や、接し方の差があってあたり前にも思う


しかし制度上、65を堺に障害者総合自立支援法から介護保険へ
介護を受ける側、介護を提供する側、両者にとって大変な事だと思います



65歳の壁にせよ、団塊の世代の後期高齢化にせよ
これからの利用者は 羞恥心やプライドなどを主張すると予測します

今までのような、遠慮がちな気質の利用者は少なくなる
良くも悪くも自己を主張する利用者が増えて来る

人前での露出、他人からのシモの世話などを恥ずかしいとか
こんなことはしたくない、とか、あの人はキライとか

そうした気持ちを言葉にする人が増える
これをひとえに「わがまま」と押さえつけることは出来なくなる

一番、大切になってくるのは「対話」
その人と話して歩み寄ったり 折り合いをつけ、緩和してゆく

要介護者でも、利用者は あなた(支援する側)と同じ気持ちを持つ普通の人 
利用者本位とか 様とか尊厳とかが欲ししい訳ではない


ただ「普通の一人の人として 関わって欲しい」のだと思います。

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死について考える

2017-01-25 15:57:40 | 想い
最近、ブームかのように語られる「死」終活、デスカフェなど、、、
確かに、この現代にタブー視な「死」について考え、語り合うことは大切なのだろう 


人は、誰しも必ず死ぬ
しかしながら順調にゆけば、誰にでも死の前には「老い」がある 



僕は生死をさ迷った、が、それは寝ているのと同じ感覚だった
ただ、それなりの夢を見た、三途の川らしきものとか、、、
その後、目が覚めれば「生」、目が覚めなれば「死」なのだろうとも思った 


僕は死ななかったので、死はどういうものなのか分からないが
死にかけた僕は、死ねば本人には何も分らないものなのだと思う


 要は、死んでみなきゃ分からないし
死んだ後のことは、自分の意思では何も出来ない 



死を考え語り合う前に、死の前に確実にある
「老」老いる、と言うことを、介護されると言うことを
直視し考え、語り合った方がいいと思う


オムツをあてがうこと、他人に下の世話をしてもらうこと 
認知症になって、自分が誰なのかも分らなくなってゆくことなどなど、、、


それらを真剣に考えたあと
誰も経験したことのない「死」について考え語り合えばいい、僕は思う。




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本当の意味の、、、

2017-01-18 15:19:02 | 地域
認知症や精神障害、知的障害者や身体障害者、、、
色んな社会的弱者とって住みやすい街は、みんなにとっても
子育てや、子どもたちにとっても暮らしやすい街なのだろう


医療や福祉で地域包括ケアが進められている、今
医療や福祉の専門職だけではなく
市役所○○課みたいな、縦割りの福祉ではなく


立場やカテゴリの垣根を越えて
地域住民、地方行政、ボランティア、地元企業、各種市民団体などが
「一生を暮す地域」の意識を共有して手をつなぐこと


助け合い支え合う街、共に生きる地域づくり
それが本当の意味での、多職種連携になるのだ

                                        と僕は思う。



(写真撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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街づくりは、人づくりから

2017-01-11 10:51:54 | 地域
地域包括ケアシステム の考え方として
地域まるごとや、街づくりなどの意識は徐々に高まりつつある


街を創るのは人、行政、市民にせよ人
人の感性が大きく関わるのが街づくり、地域づくりだと思う


助けあう、支えあうとかの意識が低い人たちばかりだったら
自分たちの立場、権利などの主張ばかりに終始するだろう
結果、いい街づくり、いい地域づくりができるはずもない


現状、今何をやるのか? 今何をやらねばならないか?一番大切な事に思う


しかし街づくり、地域づくりは人づくり
未来を創ってゆくのも人、人を育てる=教育


地域で助けあい、地域で支えあいとかの共生意識を教育場面から
地域の大人が守り育てる、地域の子どもたち、の意識
そんな地域社会になったらいいな、と僕は思う


大人が笑えば、子どもも笑う  by山形県




(撮影 介護フォトライター 野田明宏)


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自立支援の歪み

2016-12-25 11:13:44 | 人権
僕は、自分の体験した事を元にしか書けない

最近よく見かける記事に
介護度を下げると加算が付く、成果主義的な自立支援の取り組みを見る
僕の通ってたデイの経営者はその加算を心待ちにしていた

大学教授が唱える何とか理論は正しいのかも知れない
でもその理論を実行する介護現場はどうなのだろう?

横になり身体を休めたい高齢者
利用者の要望など耳も貸さず、畳の設置など否定する施設側

椅子に腰かけているのがやっと、みたいな人をマシーンに乗せ
スタッフの力でマシーンを動かす

夜間のトイレを気にし、午後水分を取りたがらない人にも
水分補給を半強制的に薦める

理論的、高圧的上司を崇めているスタッフ、、、
取り上げたらキリがない施設側主導の成果主義型自立支援


僕には 介護と言うより、管理に見えた 



その方たちの心の声はケアマネさん達には届かなかったのだろうか?
ケアマネの仕事の一番先頭にあるべきものは


 利用者の人権を守る ケアプランなり、サービスなどの導入なのだと、
                                            僕は思う。




(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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未来貢献

2016-12-14 15:15:17 | 想い
ひとえに未来貢献とは言うものの、人それぞれに未来にはせる想いは違う
僕の場合、未来貢献で目指すものは、、、「優しい未来がおとずれる為に」


●僕の病気や障害体験から気づかされた

「ものは考えよう」「幸せは自分の中にある」
「人生、あきらめなければ何とかなる」みたいなことを
これからの人生で挫折したり、絶望にぶちあたるだろう子どもたちに
逆境に負けない逞しい人になって欲しいと「心の授業」で伝える


●働き盛りから一瞬一変、介護される者と変わり、僕の感じたものを発信する

介護されて思った事や感じたものを、僕の当事者視線を
誰かの何かのお役に立てればとブログなどのネットで発信する

これらが僕の「未来貢献」の中身


今年から始めたFBの発信力に驚かされ、仲間探しにグループ廻りもした、が
医療、介護などのグループは、新情報記事のリンクや
商品などのリンク、イベント告知などが主で
自分たちの活動や、想いを伝えるグループは少なかった


ましてや「未来貢献」的思考のグループとなるとなかなか見つからない
そんなら自分で創ってしまえ、と


優しい未来がおとずれる為にと想い活動している人たちの集う
  「未来貢献」塾   なるものを立ち上げた僕でした。




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命と人権、そして平和

2016-11-21 11:29:03 | 人権
人の命と、人権に優劣はない、命と人権とは同等に僕は思う



僕の経験の中に、在宅の担当医から
「武久さんは色んなとこに出歩かないで、家で安静にして居てもらうと私は安心します」
そのような内容の話しをされたことがある

通ってたパワリハデイの看護師には、ほぼ毎日のように血圧は測定してもらっていた
でも、最終的に担当医は「私には責任は負えませんから、、、」と
代わりの医師を紹介をれた、そんな経験が僕にはあった


それ以来、医療従事者や介護従事者に必用以上に
「私たちは命を預かってます」「利用者の安全を守ってます」
などの言葉をふり回されると、僕は反発したくなる


人は、、、
食事して排泄をして安静、安全を強いられて長生きしても(長生きしてよかった)
命の維持のために色んな治療などをほどこされ寝たきりでも(生きてて良かった)
そんな場面でも、そう思えるのだろうか?



医者と看護師と患者
大学教授と、道路工事のおじさん
施設職員と認知症の入居者


障害者と健常者
介護する人と、介護される人
支援する人と、支援を受ける人


命と人権に優劣はない、命と人権、これらは同等に重いものと思う
そして、それが世界平和への礎になるのだと、当事者の僕は思う。




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中心

2016-11-15 12:10:50 | 人権
患者中心、利用者中心、、、ケアの業界で最近よく耳にする言葉である
そんな言葉を目に、耳にする度に、当事者武久は思う「別に中心じゃなくてもいい、、、」


当事者にせよ、介護家族にせよ参加したいだけなのだと思う
同じテーブルに着く機会が欲しいのだと思う


多職種連携、カフェ活動など
専門職のみにて語られる地域在宅医療、訪問看護、介護、訪問リハビリなど、、、


ユーザーである当事者や介護家族
はたまた医療や介護などに関心のある地域住民なども
同じテーブルに着くことすら出来ぬ地域がほとんど


国政、制度の流れにはいくらデモをやっても、署名運動をやっても押し切られる
そんな光景、体験は十分知ってる筈だ、となれば


住民が、住民の手で創り上げる社会ネット「助けあい」とか「お互いさま」などの
共生意識などが重要になってくる


地域住民総活躍時代でなければ、この超高齢化社会、超格差社会
都市集中、過疎などの問題を抱える時代は乗り切れないのだろう



当事者 介護家族=クレーム と決めつける専門職の方も未だ多い
クレームを苦情ととるか、問題提起などにとるかなのだとも思う



支援される人も、人権をもつ人間
支援する人も、人権をもつ人間

優越などない、同じ人権をもつ、、、同じ人間なのだと僕は思う




(倒れる二年前)

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多職種連携

2016-11-07 17:01:40 | 介護サービスを利用して思ったこと
多職種連携とはよく耳にするが、FBを見てて僕は疑問に思った
○○カフェとかコワーキングスペースとか連携とは言うけれど

FBに上がってるのは 飲み会風景がほとんど
誰のための連携? 専門職の仲よしこよし会?

カフェの中には「地域まるごとケア」などを
掲げ取り組んでいるところもあるようだけど 全国的には、、、


そろそろみんなが気がつかないと、、、


国からの報酬が主であれ 何割かを負担する、サービスを選ぶ
ユーザーあっての 医療サービス、介護サービスだと言うこと



団塊の世代の後期高齢化 羞恥心などプライド高き世代 
高齢者にも貧富の格差 オプショナル的な介護サービスによる
介護格差 務める施設によっての介護従事者の賃金格差、、、

制度や政策の対策だけに、仲間づくりなどにかまけている連携なら
これらの時代の流れに立ち向ってはいけないと思う


当事者 介護家族 地域住民、、、
ユーザーの声を聞く耳を持った多職種連携であって欲しいものだと
介護保険第二被保険者の僕は思う。




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僕のCADL

2016-10-29 18:02:09 | 人権
ケアタウン総合研究所 高室成幸氏が提唱するCADL(動画 高室氏)


僕のCADLは、妻と活動する地域の子どもたちとの関わり
僕のCADLはブログやFBのネット発信


僕のCADLへの追求は、僕の体験から来ている

病院時体験、、、病院スタッフなどに「助かってよかったね」と声をかけられても
声も出ない、どこも動かない僕は(助かってよかった)とは思えなかった
逆に死にたいとすら思った


リハビリ体験、、、理学療法士さん、作業療法士さん、パワーリハビリのスタッフ、、、
「わー動いた動いた!」支えられながら「すごい立てた立てた!」(僕は赤ん坊じゃない)
動いたから、立てるようになったら~~出来る、とか、次の場面を示唆して欲しい


生き、生活して、、、人ってそれだけでいいのだろうか?


人は老若男女、生きがいや、楽しい事あったり、ほどよく欲を満たしたりして生きている
「生きててよかった」「長生きしててよかった」と思えなければ、生きている意味を見失う


生きてて良かったと思えることが、人権じゃないだろうか? 


支援する人も、支援される人も、あたり前のことながら同じ感情をもつ同じ人間なんだ。




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リハビリの先にあるもの

2016-10-23 12:20:42 | 介護サービスを利用して思ったこと
どこも動かない、声も出ない、飲み込みが出来ない、まぶただけパチパチ、、、
ひと月の意識混濁はあったものの、経緯とか現状は理解していた
そこからのリハビリだった

小さな声と口からきざみ食が食べれる、左手だけが麻痺しながら多少動く
無念ながら、三肢はまったく動かず、、、

そんな状態で固定と判断され、転院を含めて9ヶ月の入院生活
僕の院内リハビリは終わった

家に帰り、妻による介護で在宅生活に、、、身障度1、介護度5

リハビリに関しては、週/2回訪問リハビリを利用
立ち上がり車いすでの立位訓練、手足の曲げ伸ばし、、、など1回1時間ぐらい

始めた頃のOTさんはADLの向上のため、食事の場面の訓練をした
しかし僕とすれば、麻痺しながら動く左手でパソコン操作がしてみたかった
その意向を担当のOTさんに伝え食事場面から、パソコン操作訓練にしてもらった

ネットでの発信は、今や僕の生きがいでもある
動かすための機能訓練、ADL向上のためのリハビリ、、、、色々な目標はあろうけれど


僕は提唱したい    その人の「生きがいづくりの為のリハビリ」 


人は体と心で出来ている
たとえ体は立ち上がれても、心が立ち上がれなければ、リハビリの意味はない



最近は僕の生きがいでもある福祉学習「心の授業」で車いすに乗っていると
広背筋を痛めることが多々あるので、ひねりの運動を取り入れたり、広背筋に
柔軟性を持たせる運動を重点的にしてもらってる、僕である。



(写真撮影 介護フォトライター 野田明宏)



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