忍ぶ恋  

恋の至極は忍ぶ恋と見立て候。逢いてからは恋のたけが低し、一生忍んで思い死にする事こそ恋の本意なれ。(葉隠より抜粋)

森山良子 今日の日はさようなら

2010-03-05 13:43:03 | Weblog
森山良子 今日の日はさようなら


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百人一首にも忍ぶ恋

2010-01-03 12:44:16 | Weblog
忍ぶ恋という題で、式子内親王のよんだ歌、 が、あるという。

玉の緒よ 絶えなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする

うろおぼえだからまちがっているかもしれない。
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男はつらいよ、ふーてんのとらさん。

2009-12-11 22:48:11 | Weblog
あつみきよし、が演じるふーてんのとらさんの恋も、周りの人には、見え見えだけれど、本人は誰にも打ち明けず、心のそこで、深く悩んでいる。

これも、忍ぶ恋といえるだろう。
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シラノ・ド・ベルジュラック、 大鼻の持ち主が美しい従妹に捧げる、 忍ぶ恋

2009-05-03 16:13:01 | Weblog
シラノ・ド・ベルジュラックを知っている人だけに、捧げます。実在の人が
モデルで彼を忍ぶ恋の殉教者に推薦します。時間がないので、また書き直します。
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無法まつ 男の中の男が一生をささげた恋

2009-01-15 18:55:36 | Weblog
無法松の一生と言う映画を何度か観たがいつも涙なしには観られない。三船敏郎主演の映画が一番好きだ。忍ぶ恋は誰にももらさぬ恋だから、過去における、忍ぶ恋は文献でも、他の方法でも、記録もされていないので、全然わからない。だから必然的に、忍ぶ恋は小説、ドラマ、映画などでしか知ることができない。明治時代、無学な一介の人力車夫と将校の未亡人との恋愛など、とてもじゃないけどなりたたないのは明白である。若くして夫にさきだたれ、再婚もせずにその忘れ形見を一人で育てる貞節で健気な美しい未亡人。これは古き良き時代の婦人の美徳を体現したものであり、呪縛でもある。そして無法松は人力車夫の分(身の程)を誰よりもわきまえている、と言うことで、必然的に忍ぶ恋が成立してしまう。詳しいことを知らない人は(無法松の一生)を観てもらうことにして、まず第一に無法松を忍ぶ恋の殉教者と祭り上げることにする。無法松の恋こそ男の美しい究極の恋である。
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忍ぶ恋の考察

2009-01-08 23:44:33 | Weblog
 恋の極限は、[忍ぶ恋]である
(三島由紀夫訳)(前略) このまえ集まってこられた人たちに話したのは、恋の究極の姿は、忍ぶ恋ではないかということである。出会ってからでは、恋の内容は程度の低いものになってしまう。一生忍耐して思い死にすることが恋の本質であろう。歌に  恋死なん 後の煙にそれと知れ ついにもらさぬ中の思ひは  というのがある。この歌の境地こそ、もっとも風情のある恋というものであろう、といったところ、感心した人が四、五人いて、この歌の[後の煙にそれと知れ]をとって、煙仲間といわれたそうである。  
 この[葉隠]の 忍ぶ恋を拡大解釈して現在の自分の心情に合う様に大雑把に其の上いい加減に考えていこうと思います。
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