霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「イサク献祭」

2012年09月07日 | 心霊現象
キリスト教を学ぶ者にとって、一度は耳にし、また「それ」を自分にあてはめてしばしの思いを
めぐらせたものである。
「旧約聖書」の一コマの物語であるとなれば、なおさら自分とは遠い「過去の出来事」でしかない。
しかしその教団は、この「イサク献祭」がその道をゆく「登竜門」となっていた。


では「イサク献際」とは何か、をまずお話いたしましょう。
「アブラハム」という一人の信仰者がいた。
一人息子「イサク」は、高齢になってからやっと恵まれた何にも代えがたい「子供」だった。
そのイサクが成長し、ものの判断が出来ようかというまでの年齢になった。
ある日、アブラハムに神からの声が聞こえた。
『イサクを燔祭として捧げよ』と。
「燔祭」とは、神の前に捧げる信仰の証であり、火であぶり、その燃える煙と匂いで神は納得される
というものだった。
場所は小高い山。半日もあれば着くという近い丘だ。
跡取りの、自分の命より大切な「我が息子」をあぶって殺すなど、尋常な事ではない。
しかし、アブラハムは悩みの極みから、ようやく決意をする。
燔祭の儀式は、やろう。しかしその後は自分も死ぬ。これがアブラハムの信仰の、この世における
最後の見せ場だった。
半日で行ける距離を、彼は息子を連れて三日かかって行く。(どれだけの迷いと葛藤があったか、
このことで分かる)
息子・イサクは聞く。「薪(たきぎ)は用意しましたが、燔祭にする物がありません」と。
まさか「おまえだ」とは言えない父・アブラハムは「神が与えてくださるであろう」と謎めいた
言葉を返して黙々と歩き続ける。
山の頂上へ着き、薪で祭壇をつくった。あとは「燔祭」の動物、鳥、獣があればいい。
やおら父に縛られて、その祭壇に乗せられる「息子」。しかし、彼は何も言わず、何の抵抗もせずに
父のなすがままだった。
アブラハムは、普段燔祭の獣を裂くのに使う刀を振り上げると、イサクの胸をめがけて振り下ろした。
と、その時また神の声がする。『息子に手をかけてはいけない!』。
そして、『わたしはあなたの信仰を今知った。燔祭はそこにある』と。
周りを見ると、木に角をひっかけてもがいている「鹿」を見つける。
父と息子は、その鹿を燔祭として神に捧げた。
こうしてアブラハムは信仰を全うし、その一族は星のごとくにその数を増していく。

めでたし、めでたし~。
と、まあこうなる。
これが、昔話で終わればの話である。
この中で伏せてある「不信仰の清算」という「イサク献祭」の意味は、くわしく知りたい方は
聖書を読んでいただきたい。
これから続いてお話するのは、この「イサク献祭」が、今の世に、それも自分のものとして、目の前
に提示されたら、あなたはどうしますか?という事につながってくるのだ。

以前に書いた「萱野三平」の事。
「孝ならんとすれば、忠ならず。忠ならんとすれば、孝ならず」と、信条、あるいは心情の狭間で
自害するしかなかった「若者」の思いが、この一コマに蘇るということです。
「命にかえても守らなければならないもの」とは、いったい何でしょうか?
現在の日常生活においては? そう、妻子や親や、兄弟でしょうか・・・?
それとも、「国」と答える人もいるでしょう。
では、「神」であり、「信仰」だと答えるとしたら・・・。
「気違いか、あなた、そこまで・・・」ときっと常識人は言うでしょうね。
それを言わせないどころか、その「イサク」を献祭せよと、迫る教団が一つありました。
そう、「統一教会」でした。
今現在は、私は知りません。私が「来い!」と神に一括されて、すっ飛んで行った時が、そうだった
ということです。
信仰の証(あかし)というか、「踏み絵」というか、理詰めで詰め寄られたら「ぐうの音」も出ませんでした。
だから、その時の若者はじめ、学んだ者全て(老若男女)は、自分にとっての「イサク」を献祭したのです。

それは「親」であり「学業」であり「全貯金」であり「仕事」でした。
親一人子一人の生活。その年老いた病弱な「母」を残して出ていくんです。
あと二か月で医師免許が取れるという「学業半ば」で、すべてを捨てて、親に勘当されて家を出て
いきました。
「一千二百万円」。金額が多いか少ないかは、私には分からない。がその全部を献金して仕事を止めて、教会にいったのです。
何も無い者、たとえば私のような者でも、親も兄弟も、友人もいました。
そう、なぜか急に決まった「婚約者」もいた。
その全部を「イサク」として捧げる(捨てる)儀式(踏み絵)が、目の前にきました。
私がかろうじて「それ」をパス?出来たのは、「来い!」というあの「声」だけがたよりでした。
結果、私には「裏切り者」という悪名がつき、しばらく家にも田舎にも帰れない身となってしまいました。
「なぜ、そこまで」・・・誰もが言うことでしたが、「神」の目はごまかせない。
自分の心も、ごまかせない・・・。その葛藤の中で、現実がせまってきました。
結果、ほとんどの人がやめましたねぇ。そこまでの「もの」は、必要としない・・・と。
そこそこの信仰で救われるのであれば、それでいい。
しかし私は思った。「そこそこの信仰」では「そこそこの救い」でしかないと。
もし神に聞かれたら、「あなたの提示したものには従った」とだけは言えると・・・。


話せば長いことになりますから、この件はこのくらいにしましょう。
ただなぜ「あの教団」が、「親泣かせ」とか「拉致」とかの汚名を着せられているかと言えば・・・
やはり「本人」の姿勢と、説明し難い内容・事情にあります。
最後の台詞は「あの世にいってみなければ、分からない」とまで言いたくなるような事態もあり
ました。
でも、ただ一つ。他への責任転嫁だけは決してやってはいけない事でした。
途中でやめる人が、「あいつに騙された」とか「おれの人生を返してくれ!」など言うことは自分の
高潔なる精神に自らドロをぬる事になりますから。
「間違った」と思ったら、何も言わずにとっとと出てくればいいだけの事でしょう。
私は「死神」と「神」の間に挟まれて、ここまで来ましたから、この世の風当たりは吹くだけふいて
次第におさまりました。怨みで私の命を脅かそうとした人もいなく、命あってここに存在を許されて
います。

「み旨(むね)」(神のお手伝い)で、夜道を一人で歩いていた時です。
お客のない占い師がね、私を手招きしました。中年の婦人でした。
「手相をみてあげる」と。わたしはお金を持っていないから、いい。と言うと。
「わたしの勉強になるの。あなたの手相を是非みせて。お願いだから」と、お願いされた。
タダならいいか・・・、と見てもらいました。
「あなたはね、故郷に帰れない運命を持っています。他国、つまり遠いところに出てこそ運が開け
自分も人も幸せにしてあげられる。そういう宿命を背負っていますねぇ・・」だって。
長生きできますか、金持ちになれますか、などという下世話な質問には「ふふふ」と笑ってごまかし
ながら、「ふーん、めずらしい手相をしていますよ・・」と首をかしげていました。
タダほど高いものはないと言うが、でも私の心には今も「その言葉」が残っています。



神の事情は、人の目や「ものさし」で分かるものでは決してない。
その神の事情や「神の歴史」を知らずして、人間の歴史も事情も見えてこない、というスタンス、理論づけは、その通りだと思います。人類の親なる神の真実にこそ、人間のそして「わたし」の真実が
あると思えば、自分がどうすればいいのかが自ずと分かるというものです。
なぜ彼ら、いえ私が「後で」と言わずに、その時だったかはいずれお話する時もあるでしょう。
が、「時」がある、ということ。時は待ってはくれない、という事でした。
とりわけ「日本の運命」が、すぐ遮断機が降りる寸前だとまで言われると・・・。
その神の時間にたいして私は「待った!」をかけたかった、出来ることならば・・・、という事でした。
取る物もとりあえず、という言葉の通りに行動した「その訳」は、時間の問題があったからでした。
神はいつまでも待つわけではない・・・。
日本の残りわずかな時間との勝負を賭けて、若者たちが勇んだ事実があったことを、私はこの目で
確かめながら、彼らの幸を心から祈る日々でもあるのです。
あの時代、あの人達が集められたのは、日本における一つの「奇跡」だったのでしょう。


いずれ神の歴史と事情があきらかにされる時、すべての意味が明らかにされる日がくることでしょうね。
「聖書」のように、何かしらの「記録」をもって知ることになるその日が近からんことを願いながら、今日はこのへんで・・・。
(あなたにとっての「イサク」とは何でしょうか?
 そして、それを捨てられますか?・・・またまたの問題提起と思し召せ)


1 コメント

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Unknown (林)
2017-10-03 17:33:37
私も話が聞きたいです。飛行機で行きましょうか。
ブログでも 話の内容を教えてほしいです。

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