OLD FASHION

いろいろなことを…

展覧会ノート

2016-10-14 02:07:13 | 日記
最近、写真展に行くのが面白い。

竹橋の東京国立近代美術館『トーマス・ルフ展』。
フライヤーは証明写真みたいなの女性の顔写真がドンとあるというもの。
何じゃこれは…と気になって、ほんとそれだけで何の前知識もなく足を運んだ。
フライヤーにあった「証明写真みたいなの」は、まさに『ポートレート』なるシリーズの一枚だった。
まあ、そうゆうことを考える俺がイヤラシイのかもしれないけれども、ある種の「作品」に昇華すると思われる写真に撮られているという意識がさっぱり伺えない。
それ以前に、もう何かを考えているのかワカラナイ、顔。もう意思を排除したんじゃないかっていうような、顔。
撮る/撮られる、といった関係性云々、それ以前に、思考が止まる。顔でしかないんだもん。存在、それだけの圧倒感。
それで、キャンパスにうっすらと映ったテメエの顔や、脇で観ていた誰かさんの顔が不意に目に飛び込んできて、何だろうな、思わずノゾキを窘められたような感覚に襲われる。やったことないけどノゾキなんて。

ネットで拾ったものとか、既存の画像を加工して「作品化」していくものや、あえてカタログ的な佇まいに徹したもの。
ネットで拾った画像はいわゆるポルノ系なのだけど、ウィルス対策とか大変そうだなとか思ってしまった。

会場は写真撮影基本OKで、みんな、スマホでパシャパシャやっている。
ただの「状況」がひとつの「作品」に意味づけされていって、そのひとつの「作品」が個人の「記録」として無数の意味づけをされていって。
時間、空間、第六感。じっとできない。させてくれない。

特に目が釘付けになったのがー
「Night (nacht)」。
湾岸戦争時の米軍爆撃映像を思わせる、緑がかった夜の映像。
真夜中のドイツの街を、その画像で映していく。
これが、アヤシイ。
道程は、まあ普通にお散歩的なものなのだろうけど。
何でここまで触れちゃいけないものを見てしまったような、気持ちのざらつきを覚えるのだろう。
日常的な反復も、ときどき取り返しのつかないものにスライドしてしまうことがあるっていう、あやうさが、どうにもこうにも美しい。



小さいころ、乗り物とか動物とか宇宙とか建物とか自然とか、図鑑系の本を読むと、何だかムズムズするような感覚に襲われた。
あれって何だったんだろう。
そういったことを思い出させてくれたのが、恵比寿の東京都写真美術館で観た『ロスト・ヒューマン』。

―「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。」
―「そしてそこに残されたのは文明の廃墟だった。」
ある種の俯瞰的な視線でもって「人間の歴史」のさまざまな事象が、抽象化された物体、詩的な文章でもってこれでもかと提示される。

図鑑を読むと、いま普通に目にすることができるもの、もう失われてしまったもの、そして肉眼では見ることのできないもの、それらを体系的に見ることができる。
そして、あれもこれもと広がる好奇心の中で、ふっと迷子になってしまったような感覚に陥って、泣き叫びたくなる一歩手前のような疼きが溢れてくる。「あるもの」と「なくなったもの」と「そこにないけど、どっかにあるもの」の区別っていったい何なの? 自分はいまどこにいるの?…それが、ムズムズするような感覚だったんだな、とようやく気づいた。この展示が、気づかせてくれた。

そんな展示ブツたちー
ロストされたのは、かしこまった、形骸化したスタイルだけで、世界にはまだ夢幻の、じゃなくて、無限の可能性があるんだという、ギンギンに研ぎ澄まされた楽観性のようなものを、かつて図鑑を読んでイロイロ夢想していたガキは中年になったいま、感じたのであった。

あ、あと同時期に開催されていた『世界報道写真展2016』を先に観ていたのだけど。その、リアルの痛みを全身に浴びた後だったからというのも、あったのかもしれない。
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