タケチャンのPaperback Writing

コンサルの仕事をしながら、工学博士目指して大学院に通っています。仕事の事や都市・社会・文化など、楽しいお話をつづりたい。

心の壁

2012-02-12 15:53:45 | Monologues
2008年カンヌ音楽祭でパルム・ドールを受賞した「パリ20区、僕たちのクラス」。パリの多民族が暮らしている地域にある中学校のお話で、審査委員長だったショーン・ペンが、審査委員全員一致だった、とにかくすごい映画だと絶賛したように、確かにいい映画だった。
しかし、私には、鑑賞後、どうもしっくりこない感覚が残っている…。多民族共生や教育の問題に関わっている、見る価値ある映画だけど。
どこにしっくりこなかったかは、若干のネタバレになるので、下の方に書いておきます。

こういうシーンは、多民族共生とか関係なく、どこにでも起こり得ること。
プライバシーや私有財産のための物理的な壁はあるけど、社会の壁って目に見えないものだと思う。刑務所とか、かつてのベルリンの壁とか、朝鮮半島の38度線みたいな、壁を乗り越える人がいないように厳重に管理された壁は特殊例ね。
共生のコツの1つはお互いに干渉しないことなのかもしれない。だけど、壁のない社会で大地や水や空気を共有しているもの同士が全く干渉しあわないこともあり得ない。
壁は人が、自分の都合のいいように、心の中につくるもので、生きる上で必要な脳の働きとも言える。私自身も壁をつくるから。傷つきやすい人ほど壁に閉じこもるってあるし。時に壁に扉をつけることもある。
だけど様々なルーツを持つ人々が暮らす地域の教師が、あんな壁をつくるのかな。
野本三吉さんならどうしたか。いや、私ならどうしたかな。
少なくとも、自分の生徒の目を見て話せないようなことはしないよ。
もしかすると、フランスって、教師が生徒に「私が間違えてた」と謝ることができないお国柄なのかな。これはよく分からない。だれかに教えてほしいところです。でももしそうなら、壁をつくるしかないな。


<以下、若干のネタバレ>
この映画の原題はEtre les murs。フランス語でmurは壁。これが複数形になると、教室とかの意味で使われる。
生徒を退学処分にするって、壁の外に追い出すってことなんだな。生徒の母親が見捨てないでといっても、この壁の中にいてもらうと他の生徒が困ることになると教師が判断すると、出ていってもらうということになる。くさったみかんの論理なんだけど、この映画で描かれていたケースでは、教師の方に問題があって、教師が生徒をくさらせてしまった。あんな目にあってくさらない人間っているのかな。その責任を、どの教師も自問しないって、教育者としてどうなんだよと言いたくなった。
その不条理感っていうか、理解しあえない、理解しあっても一緒にいることができない悲しさっていうのが、フランス映画でよく描かれる世界なんだけどね。「不条理の美学」とでもいうのかな。なんでもかんでも理解しあってよかったよかったっていう予定調和的世界は気持ち悪いという感性もおかしくはない。
それでも、1人の少年の心をあれだけねじまげて、ふみにじって、教師やクラスメートがすっきりした顔しているのは、それは表面で見える部分だけで内心は違うのかも知れないけど、ちょっと待てよと言いたくなる。
あの子が最後の方で教師たちと目を合わそうとして無かったこと、どういう意味か、どの教師も考えなかったのかな。いや、主人公の教師も目を合わそうとしなかったな。やっぱり後ろめたいところあったな。そして目の前からその子がいなくなった後、ほっとしてたのかな。



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ベルリンの壁 ショーン・ペン パリ20区、僕たちのクラス
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