森とまちをつなぐ「半農半X」日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「加藤周一」という生き方

2016-09-18 21:03:19 | 読書
 「知の巨人」とはこういう人を言うのだろう。
 前々から注目していた加藤周一の半生記『羊の歌』(岩波新書、1968.8.)を読む。
 病弱だった少年時代は家にあった図書を次々読破。
 西洋通だった祖父から西洋文化の窓が開かれ、開業医だった父から実証的・懐疑的な思考を受ける。

                    
 戦時下の青春は、『侏儒の言葉』等の芥川龍之介や日本文学を読み込むなどして、日本人の大勢順応主義に疑問を持つ。
 また、フランス文学にも没入して詩作を続けるが、仲間の親友が戦死してしまう。
 さらには、医学を学びながら歌舞伎・文楽・能・築地小劇場などの公演にも精力的に顔を出す。

                           
 『羊の歌』は、終戦の8月15日で終わる。
 焦土戦術を唱えた指導者、桜花のように散るのが大和魂と唱えた学者・文士・詩人たちは、どこへ行ったのだろうか、と問う。
 その後については『羊の歌その後』で戦後の自伝が展開され、フランス留学後カナダ・ベルリン・アメリカの大学で教鞭を執っていた。2008年死去している。
 
      
 編集者だった鷲巣力『<加藤周一>という生き方』(筑摩書房、2012.11.)では、加藤の遺稿ノートを紹介しながら彼が西洋合理主義・科学的思考を身に付けつつも、フランスの詩や劇にも精通し、同時に『日本文学史序説』をも書き上げ、戦後の平和運動にも参加するなど、「理」の人にして「情」の人であることを強調する。

                            
 戦前戦後を冷静に生き抜いた「知の巨人」の足跡の深さは、現代日本の進むべき羅針盤でもある。
 しかしそれを取り上げるメディアはETVくらいで、受け狙いの視聴率競争に狂奔しているメディアの責任は大きい。
 加藤周一の「価値相対主義」は少年時代から一貫しているのが読み取れる。
 自分史を通して日本人のものの考え方の功罪を問うたのが『羊の歌』なのかもしれない。

                                
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