たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

大阪市長選で思うこと。

2014年03月02日 | 私の議員活動

 時事通信社の配信に「質問に使えるメール」というのがあります。
 毎回、時事通信社が取材した記事の中から、これは質問に使って頂けるのではないかと思われる話題を一つ配信してくれるものですが、紹介記事の前段に担当者の時々の話題へのコメントが書かれています。
 その中に、下記のコメントがありました。

 「橋下徹大阪市長の辞職に伴う出直し市長選が3月23日に行われることが決まりました。議会側の反対で「大阪都構想」が橋下氏の思うように前進しないため、再び民意を問うというものですが、橋下氏が再選されても、議会構成に変化はありません。
 約6億円と試算される莫大な選挙費用を掛ける意味が果たしてあるのか、やはり疑問が残ります。」

 私も同感です。
 地方自治体は首長と議会構成が直接有権者の選挙で選ばれる二元代表制ですが、議会が議案に対する態度や物事を判断するのは「合議制」と言って、「話し合い」や多数決で決められることになっています。
 一方、首長は「独任制」と言われ、一人で判断できる「権限」(権力)が強い制度となっています。
 首長の権限が強い故に、各種課題で議会側と首長が対立するのは今では全国各地で当たり前のようにあることは、民主主義の発展と自治の塾度を高めるため歓迎しています。
 しかし、今回の橋本大阪元市長の行動は、府長から市長に転身した経緯も含め、二元代表制のもとで、「大阪都構想」が議会に受け入れられず思うように進まないので市長を辞任し再選を果たすというやりかたは、権力の暴走を防ぐ二元代表制を否定するものであり、再選されたとしても、議会側と話し合いを続けることに変わりはなく、むしろ今回のパフォーマンスにより維新の会の政治姿勢も含め墓穴を掘ることになると思います。
 
 同じようなことは、現国政にも言えると思います。
 国政は、選挙された議員で組織された国会が指名する内閣総理大臣が内閣を組織する議員内閣制ですが、衆参両院で自民党が多数を占めた安部首相は、数の力と首相の権力で、憲法外の解釈で集団的自衛権を行使できるようにすると公然と主張するなど、多数をとれば国民が反対しても好きなことができると勘違いし暴走しています。

 とかく、人は権力の座に付くと自分を見失い、また、人の意見を聴かなくなり暴走することが多くなります。
 例えば、首長の場合では、自分にこびたり文句を言わない職員の意見は聴いても、真に住民のことや首長のことをを考え反論する意見を言う職員は、煙たがられる様になり、自分の言うことを聴き反論しない「お友達人事」を行う様になります。
 しかし、そのことが結局は多くの職員のやる気を失わせ、行政内に閉塞感が漂い活力を失うことになります。
 そして、それでも自分の思う様にならなかった時は、人の責任にして「お友達人事」で起用した職員も遠ざけ、こんどは外部から人を起用したり1階級2階級職員を特進させれば自分の思に忠誠を誓うと錯覚し、幹部に起用する様になります。
 しかし、もうこの時点では、議会や住民との距離が遠くなり、墓穴を掘り首長の末期症状を招くことになります。
 かって長野県政でも、同じことがありました。
  首長のトップダウンに反論できる職員がいなくなればなるほど、提案される議案の塾度が薄くなり、提案理由の根拠が曖昧となり、しかも職員自身が理解していないことから、議会の委員会質疑等で答弁出来なくなり、否決された議案や削減された予算案が幾つかありました。
 首長が住民や議会に信頼を得えるには、自分のやりたい政策について、まずは職員との合議を尽くすとともに、公正・公平な人事を行うことです。
 そして、議会との合議に誠心誠意取り組むべきです。
 権力の座につき、このことに気付いた首長は、自ら掲げた公約を着実に推進し、有権者から信頼され再選されるケースが多いと思います。
 しかし、「上から目線」の姿勢では、離れて行く職員、議員が増え不信感が漂う様になり、そのことが行政の停滞を招き、次第に有権者からも見放されることになると思います。

 大阪の橋本市長の今回の言動は、自分の言いなりにならないからと言って、議会とも職員とも合議を尽くすことを放棄した身勝手なものであり、首長としては末期症状を迎えていると思います。

にほんブログ村 政治ブログ 政治家(都道府県)へ
ブログランキングに参加しています。クリックしてご支援をお願いします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿