笠間クラインガルテンの日々

笠間クラインガルテンでの有機野菜作り、地元の方々とのふれあい、そして豊かな自然と

サツマイモの収穫

2016-10-25 08:17:11 | Weblog
10月21日(金)、笠間へ
早速、遅れているニンニクの植付け作業
 
130個ほど植付け

午後はいよいよサツマイモの本格的な収穫

紅はるかは、2ヶ月近く前から食べていますが、いよいよ干し芋用の収穫です
左のカゴが紅はるか、右の段ボールが玉豊

こちらは干し芋専用の「玉豊」

今年の出来はまずまずのようです

こちらが今年のチャンピオン?

サツマイモは2kgを超えるものも珍しくありませんが、あまり大きくても処理に困ります

収穫したサツマイモは・・・

日影干しをして、この後、段ボール箱で1ヶ月以上保存します

続いて、枯れ草の処理

これまでは秋の長雨で乾燥せず、処理できませんでしたが・・・晴れの天気が続き

そて、サツマイモ以外も・・・

コンニャク芋
小さな小芋が沢山できていました

こちらは、大きくなりすぎてコンニャクにはできないかも


そしてショウガ
こちらも、中ショウガ(三州)を1ヶ月以上前から食べてきましたが、いよいよ大生姜(近江)を収穫

甘酢漬けや梅酢付けにします
それにしても、大きな株です

ところで、ハロウィンも近づき・・・
クラインガルテンでは、ご近所の子供たちがハロウィンパーティー?

ジャック・オ・ランタンを子供たちと一緒に作りました

それがこちら・・・

子供たちにあげるつもりだったのですが、
子供の数が多く、「喧嘩になっても」と思い、ラウベに持ち帰りました

いよいよハロウィンの季節です


「こんにゃく」について・・・青木恵一郎著「さくもつ紳士録」より
 『今日、こんにゃくの栽培と産業の中心は群馬県下仁田地方とされているが、実は昔の全国中心は常陸国(茨城県)であり、
  久慈郡諸沢村の中島藤右衛門という人が栽培と開発にあたった事績をあげねばならない。
  諸沢村は水田が少なく、急傾斜の山腹にこんにゃく芋を栽培してわずかに売り出し、生計の足しにする貧乏村であった。
  こんにゃく芋は腐敗しやすく、貯蔵もできないために、収穫したときすぐに出荷しなければならない。
  そのため価格は低落して、百姓の副業栽培も、骨折り損のくたびれもうけという有様であった。
  この村の二十歳の青年、藤右衛門は何とか改良しなければ村人の生活はよくならないと苦心していた。
  ある日、畑に入ったとき、芋の白い粉を吹いているものを発見した。
  それは鍬で掘り起こすとき、切られた一塊であった。
  これにヒントを得た藤右衛門はこんにゃく芋を薄く小さく切って乾燥し、粉末にすることを考えついた。
  数年の研究を重ね、ついに宝暦九年(一七五九)芋を洗い、日光によって乾燥し、包丁で切り、粉末にする方法に成功した。
  これによって腐敗の恐れがなくなり、売り急ぐ必要もなく、運搬にも便利となった。
  諸沢村は貧しさから解放され裕福となり、こんにゃくの本場となった。
  水戸藩は藤右衛門に名字帯刀を許し、中村姓を名乗るようにした。
  さらに水戸藩はこんにゃく会所を設けて全国に売り出し、幕末期には尊王攘夷運動の資金がこの中から支出された。』
  因みに、群馬県下仁田での栽培は明治九年に始まったそうです


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