今日も朝から除雪。雪運び。バス、コミニテイばす運休。明日は生協も、村のごみ収集車も休みだとのお知らせがあった。新聞は明日で3日分一緒に配達してほしいという連絡あり。つかれました。もう寝る。
今日も朝から除雪。雪運び。バス、コミニテイばす運休。明日は生協も、村のごみ収集車も休みだとのお知らせがあった。新聞は明日で3日分一緒に配達してほしいという連絡あり。つかれました。もう寝る。
私の記憶では、凍み餅とは言っても、ごぼっぱのお餅は、普通の氷餅作りの時のように、水に浸した記憶は無かった。水に浸さず凍みさせて作るという事だったのだ。ただ普通の氷餅つくりで感じてきたのは、食べるとき「フワッと」なるように仕上げる事の難しさがある。このところ「がちがちの」の硬いものになってしまっている事だ。今年はガチガチに凍ったものを、一旦取り込んで凍みを溶かして、凍みる晩に、又外に出す。事を試してみた。美味しく出来てほしいものだ。
それにしても、ごぼっぱのお餅はこの地域で、我が家だけの物っだたのか?
母の言葉で、覚えているのは「べいせんしたで作ったものだ」ということ。母は安曇の米どころ、西穂高の大百姓の生まれ。「べいせんした」とはシイナ米の事だろうと思ってきた。今度いとこたちに逢ったら聞いてみよう。
ごぼっぱは毎年、わらび採りの時一緒に採ってきたものだ。それを蒸して乾燥させ保存しておいた。冬の凍みる時期にそれを餅に搗きこんで作っていた。
農繁期の「おこひる」用に乾燥させた「ごぼっぱのお餅」は、水に浸して戻し、両面を焼いて自家用に作ってあったサトウキビの飴をたっぷりつけて食べた。あの味は忘れられない。
ずっと作りたいと思っていた。 ごぼっぱを見ればすこしでも採りためておいた。
昨夜は-5~-6度位はあったようだ。うまく凍みたと思う。試しに少しだけにして置いた。出来具合が楽しみ。
それにしても、ごぼっぱのお餅はこの地域で、我が家だけの物っだたのか?
母の言葉で、覚えているのは「べいせんしたで作ったものだ」ということ。母は安曇の米どころ、西穂高の大百姓の生まれ。「べいせんした」とはシイナ米の事だろうと思ってきた。今度いとこたちに逢ったら聞いてみよう。
ごぼっぱは毎年、わらび採りの時一緒に採ってきたものだ。それを蒸して乾燥させ保存しておいた。冬の凍みる時期にそれを餅に搗きこんで作っていた。
農繁期の「おこひる」用に乾燥させた「ごぼっぱのお餅」は、水に浸して戻し、両面を焼いて自家用に作ってあったサトウキビの飴をたっぷりつけて食べた。あの味は忘れられない。
ずっと作りたいと思っていた。 ごぼっぱを見ればすこしでも採りためておいた。
昨夜は-5~-6度位はあったようだ。うまく凍みたと思う。試しに少しだけにして置いた。出来具合が楽しみ。
子供時代に食べたごぼっぱのお餅、念願かなって、今、つき上がったもの。
私の懐かしいごぼっぱのお餅とは、ごぼっぱをつき込んで乾燥させたお餅を、水で戻して焼いた餅の事。どのように作るか?村の物知りと思える何人かの人に聞いたが判らなかった。長野県の郷土料理を特集した本で探しても見つからなかった。最近、福島県の飯館村から、長野県に避難してきていた方たちが、ふるさとを偲んで作られている事を、テレビの何かの番組でしった。
早速「ごぼっぱのおもち」でネットの知恵袋で検索した。要約すると、『米の粉に、干したごぼっぱの戻した物を練りこんで蒸して搗いて整形し、-7度以下の外に一晩さらして、寒風にさらしてつるして乾燥させる。』
幼い私の記憶には普通のお餅に、湯で戻したごぼっぱをしっかり絞って搗きこんでいたこと。だから、粉に練りこむ事はしないで直接、蒸したもち米にごぼっぱを刻んで入れて搗いた。1升のもち米に、下ごしらえしたごぼっぱ、ソフトボール大の量をつきこんだ。ごぼっぱの混ざり具合はもっと草が多かった様に思う。ごぼっぱ自体は6月ころ山で採集して蒸して干して保存しておいた物。
餅は平らにのしておいたからこれから適当な大きさに切って編んでつるすようにしよう。
8日の夜から9日の朝にかけてふった雪の量は近年に無く大雪。昨日計ったら50センチあった。今夜もこんなに雪があればしみるだろうことに期待して