秀子通信

山歩きが好きなお婆の
気まぐれ日記

べーごまを回せたよ

2011-09-30 05:06:44 | Weblog

今日は地域の女性の集まり「よりましょ会」で、小学校から頼まれていた「昔の遊び」第2回めの日だった。3役の他に2人の参加で5人でいった。時間は2時間半、お手玉を作って遊ぶ事と、べーごま遊びの予定だった。ところが4年生は裁縫は未だ習ってなく、針は持った事がなかった。そして、2人も左ききの子がいた。縫えという事自体が無理であった。6センチほどの直線が縫えなかった。大きな誤算だった。大人たちで作って間にあわせた。とりあえず2個を両手でやる一番初歩的なものを10回までやれるようにしようと練習をした。
 そして今度はべーごま、直径が3センチほどの鉄のこまに紐をまいて回すのだ。この独楽には心棒がないから、回す紐でこぶを作り、心棒代わりにして紐を巻くのだが、指先に力が無ければ出来ない。教える人ができなくてはお話にならないと思い、指がつってしまうくらいいくばんも練習した。参加した大人たちは皆べーごまは初めてだった。それでも、大人も子どもたちも時間内に、何とか回せるようになった。大人も子どもも難しい事に必死になって取り組み、みんなが出来るようになったことを喜び合った。先ずは大きな成果だったと思う。
 今度は1年生に「昔の遊び」をやって欲しいと頼まれた。

木曽の田中町長のブログは楽しみ

2011-09-27 05:14:32 | Weblog
 「女は度胸」の田中美智子さんのブログと共に楽しみにしている木曽町田中町長のブログ「木曽川スケッチ別館」は5月に更新されたままだ。きっと手が回りかねているのだろうと思う。だから、久しぶりに最後のページをあらためて、しっかり読まさせてもらった。「裁かれた命」の読後感想であったが、「人間としての生存権」、「ひとりひとりをどうとらえるか」を考えさせられる内容っだったと云うものであった。町政執行の根底にはこうした豊かな思いが溢れているだろう事を感じさせられるブログだ。古い物読み返しながら、更新を楽しみにしています。

アトピーに効く「セイタカアワダチソウ」摘むのに適期

2011-09-23 21:18:56 | Weblog
 背高アワダチソウは薬毒や公害を出すほどの力がある事。アトピーのかゆみをとる事を自然療法の本で読んだ。蕾の時期に採集して浴剤にするのだそうだ。
 
 私は口の中が今最悪の状態。元は血圧の薬の副作用で味覚異常とビリビリ感からはじまり、今は少しの痛みと糠を口に含んだ感じ。観た眼には判らないから治療の薬も無い。うがい薬でぶくぶくするだけ。
 そして、我が家の番犬ブッチが餌のアレルギーで体中が湿疹だらけ、餌を変えて居るがなかなか思わしくない。これもなんとか手当しなければ可愛そう。何かいい方法が無いか探していた。

 花の時期は9月とあった。この草なら川の堤防にあるだろうと思って、鎖川の堤防道路を松本に向かって下った。案の上あった。それも明日には開くだろうという状態だった。二抱え程採ってきた。雨の後だから洗わ無くてもいいだろう。昔タバコを編んだ縄に編みこんで二連出来、軒下につるした。早速今夜は鍋で沸騰させないように温めて風呂に入れて入った。ブッチには飲み水として与えた。

 開花前の花穂の蜜の中に酵素が多くあって、その酵素がいいらしい。 

  

耕運機(管理機)を購入

2011-09-04 22:58:48 | Weblog
 中古の管理機が欲しいと考えて、農機具売り場を時々覘いていたがなかなか気に入った物が見つからなかった。友人にも話しておいた所、良いのがあると連絡が入った。3回程使用しただけの物のようだ。11万5千円。桟橋は友人から木製の物を戴いた。早速使いたいところだが、雨ばかり降っていて使えない。 

安曇野はおひさま日和

2011-09-02 00:25:15 | Weblog
 安曇野は今日はウイークデイなのに、岩原の山口家も隣接のロケ地も堀金物産センターも大王農場も、何処もにぎやかだった。雨が心配であったが、車の移動の間だけの降りで大したことなかった。
                 
                         
 大庄屋山口家の奥さんが云うには、「山口家」開けてはいてもそう見学者は無かったが、おひさま効果が5月連休ころから現れたといっていた。安曇野市はロケ地に交通整理、案内する人を置いていた。
 昼食は堀金物産センターで「おひさまご膳」にした。黒豆入り雑穀ご飯、10割蕎麦にとろろをかけたもの。どちらも美味しかった。地の特産物を使っているのがいい。食堂は満員だった。混んでいた。

 大王わさび農場で一番良かったのは万井川の美しい豊かな流れだ。水車が回り、オハグロトンボが飛び交っていた。いつまでも眺めていたかったが北アルプスが見えないのはざんねんだった。
  
 山口家は私の母親の実家の親戚先になり、子どもの頃から「山口の総本家」で、と話は聞いていたが、見学は初めてだった。説明案内をしてくれた奥さんは、私の叔母や従兄弟たちの事を知っていた。想像していたより気さくな人だった。苔むした京都風庭園や本棟造りの家屋、大正生まれの若くして亡くなった当主の日本画、大庄屋の歴史など説明して戴いた。