自己と他者 

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浅田次郎『蒼穹の昴』全4巻読了。

2005-11-09 02:22:44 | 小説

浅田次郎『蒼穹の昴』講談社文庫 全4巻を読み終えた。

文庫にしては字が比較的大きいとはいえ、かなり
長かった。しかし、とても面白かった。最終巻(4巻)
の参考文献を見ても、かなり調べて書いたことが
伺われる。主人公春児と妹、進士中の進士状元
(科挙試験のトップ合格者)の文秀、
ライバルだった王逸、皇帝と皇后
、楊、李などなどぞれぞれよく書かれているとおもった。

強く印象に残ったところが一つあった。最後のほうで、
日本に亡命することができた文秀(春児の妹りんりんとともに)
が皇帝(この場面では既に元をつけていいかもしれない)
宛てにしたためている手紙のなかに一国を司る政治の本質
について文秀が気付く文章がある。これこそ政治の本質
だと確かに読んでいておもった。この部分、決して小説だからと
いって流すことのできない文章だ。

→ 皇帝の後ろ盾のもとで民をおもい、西欧列強のように近代化を
すすめようと謀殺により皇后を消すことを試みるも失敗し、亡命。
手紙を書いている場所は船中。

 長く一緒に時間を過ごした春児の妹を酔って、
うっぷんを晴らすか(自分もどうしてそんなこ
とをするのかわかっていない)のごとく殴りまくった後で、
手紙を書きながら気付く。考えてみるとすごい場面だ。

実は春児の妹であるりんりんの婚約者譚嗣同(タンストン)
を文秀、婚約者りんりんも読んでいる自分も
涙ばかり流し度胸のない弱虫だと思う部分がある。
しかし、後から少し彼に対する印象が変わる部分がある。
→タンストンは変法派(改革派、皇帝、文秀たち)で
謀殺を企てたとして公衆の場で首をはねられる。

聞いてくれ、載湉(ツァイテン)。
「略~みな民衆に施しをしようとしていた。その施し
が大きければ大きいほど善政なのだと。
民衆は無力である。日照りの夏は涙すらも涸らし、
凍える冬には飢寒こもごも迫って溝壑に転々とするしか
為すすべをしらない。抵抗する力も、怨嗟の声を上げる
声すらも、彼らにはない。

僕らのなすべきことは決して施しであってはならなかった。
日照りの夏はともに涙を涸らし、凍えた大地の上を
ともに転げ回ることこそ、彼らの中から選ばれた政治家の
使命なのだということに僕はついぞ気付かなかった。

略~施すのではなく、尽くすのだ。~略~

「同士タンストンは生死を分かつ別れに際してこういった。
「文秀、君は難きにつけ、僕は易きにつく」と。

復生(タンストン)だけは4億の民衆の痛みを知っていた。
あの男こそ日照りの夏は、ともに涙を涸らし、
凍えた大地を民とともに転げ周る英雄だった。


民の気持ちすなわち民意から離れた理、政治、は、単なる
暴力であり、百害あっても一利もなし。松下幸之助は
「世間大衆と言うものは神のごとく正しい判断を下す」と考えていたらしい。
もっとも大衆が間違いを犯すこともあり、それを断固としてただすことも
政治家の役割だともおっしゃっていたが。
確か映画『ゲバラの日記』を観た時にもこれを読んだときと
同じように感じだことがあった。


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