僕はどうやら、ストレートと言えるロック・ミュージックに心打たれないようになってしまったようだ。今、キラーズというロック・バンドの音楽を聴いているのだけれど、ガツンと来ない。すっと染み込むこともない。ただ、鳴っているようにしか聴こえない。これ、困る。できることならば、どんな音楽を聴いても感動できたら、それはそれで素晴らしいよねと思うのだけど、歳を重ねるにつれ、僕の音楽的嗜好は固まり、狭められ、特定の音楽にしか感動しないようになってしまったことは、少なからずあると思う。
他にもいわゆるメロコアと呼ばれる音楽を聴いても僕は感動しないのである。いや、十年前くらいはハイスタンダードを聴いたりもしていたんだが、いま聴きたいかというと、聴きたいと思わないし、聴いたとしても何も感じないような気がする。それは音楽構造的に、メロコアとは、文字通りメロディとギターサウンドによって聴くものを圧倒させることを目的としているように思えるが、そのメロディが面白いと思えるバンドは僕には思いつかないのである。
いつか、ハイスタンダードが「はじめてのチュウ」というアニメころ助の主題歌をカヴァーしていた記憶があるが、「はじめてのチュウ」というものすごく単純なメロディであっても、ノイジーなギターサウンドをそこに被せれば、メロコアとして聴けてしまうのである。そこに音楽的深みがないと僕は感じてしまう。
僕にとっての世界最高のメロディメイカーはキンクスのレイ・デイヴィスなのだが、彼の作るメロディはひねている。美しいことに変わりはないのだが、やはり、ひねくれている。変化球を多用したようなメロディであっても、僕のストライクゾーンにばしばし入ってくる。そして飽きが来ない。ビーチボーイズもしかりだ。
優れたメロディとは、なんなのか。それはギターノイズに頼らなければ良く聴こえないといったものではなく、純粋に、メロディだけで心に響くものだと僕は思う。
他にもいわゆるメロコアと呼ばれる音楽を聴いても僕は感動しないのである。いや、十年前くらいはハイスタンダードを聴いたりもしていたんだが、いま聴きたいかというと、聴きたいと思わないし、聴いたとしても何も感じないような気がする。それは音楽構造的に、メロコアとは、文字通りメロディとギターサウンドによって聴くものを圧倒させることを目的としているように思えるが、そのメロディが面白いと思えるバンドは僕には思いつかないのである。
いつか、ハイスタンダードが「はじめてのチュウ」というアニメころ助の主題歌をカヴァーしていた記憶があるが、「はじめてのチュウ」というものすごく単純なメロディであっても、ノイジーなギターサウンドをそこに被せれば、メロコアとして聴けてしまうのである。そこに音楽的深みがないと僕は感じてしまう。
僕にとっての世界最高のメロディメイカーはキンクスのレイ・デイヴィスなのだが、彼の作るメロディはひねている。美しいことに変わりはないのだが、やはり、ひねくれている。変化球を多用したようなメロディであっても、僕のストライクゾーンにばしばし入ってくる。そして飽きが来ない。ビーチボーイズもしかりだ。
優れたメロディとは、なんなのか。それはギターノイズに頼らなければ良く聴こえないといったものではなく、純粋に、メロディだけで心に響くものだと僕は思う。
カヴァーに関してでの話ですが、どんなノイジーなギターサウンドをのせても、元がしっかり出来ている曲であればなんとか聴けてしまうことはあるかと思いますが、それってあまり心には響かないと感じます・・。
カヴァーでもトリビュートでもなんでもそうですが、いかに各自の「耳の信仰心」(・・なんて言ったらよいのでしょう、先入観?)を捨て、原曲を壊せるか、が問題なのだと思います。いくら楽器やジャンル、演奏方法を変えても、メロディをぶっ壊してないな、と感じるものは面白くないな、と私は思います。メロディって演奏技術以上に大事ですよね。
核ですからね。
カヴァーに関してですが、例えばパティ・スミスがフーの曲を演奏すれば、パティ・スミス色の曲になるし、ヨラテンゴがビーチボーイズの曲を演奏すれば、ヨラテンゴ色の曲になると思うんですよ。例えメロディを壊していなくても。
ただ、僕がハイスタンダードの「はじめてのチュウ」のカヴァーを聴いたとき感じたのが、ハイスタンダード色になったというより、メロコア色にしただけのような気がして、ひっかかるんです。ヨラテンゴのビーチボーイズのカヴァーもギターノイズを被せただけにもかかわらず、ヨラテンゴ色になっているのに。