夢の始まり

脳卒中になってから見えてくることもある。

『存在と無』

2009-11-21 02:54:55 | Weblog
空に目を向けなければ、空はあってもないと同じです。



「人間は考える葦である」とパスカルは言いました。
それ以前に「われ思うゆえにわれあり」という言葉があったかもしれません。
もっと前に「はじめに言葉あり」でした。
親鸞は、「我?」が分からなくて悩みました。
宮沢賢治は「わたくしという存在は交流電気」だといいました。

人間とは「野次馬」だと僕は思います。

宇宙の向こうに何があっても関係ないのに、先が知りたい。
素数がいくつあつったて、どういう風に並んでいてもどうでも良いのに、考え気が狂う数学者もいたとか。

いろいろな知識も技も体力も明日のためにはなるかも知れませんが、食後の僕に今必要なことは空気と適温くらいなものです。

しし座流星群が凄いと聞き5時前に戸をあけて空を見てみました。
暗い空には一粒の星も見えなくて、[ああ曇っているのだ]と首をすっこめました。

8時外は青空、でも少しかすんでいて鳥の羽のような雲が少し。

雲の様は本当に刻々と変わるものなのですね。バスに乗ると畝に残った雪のような雲が広がります。

どう変わるかわかりませんから、バスの中で「パチリ」(逆光で木や建物は暗い)、15分後に駐車場から撮りなおすからね。

でも、駐車場に着いた時には一面の雲でもう縞はありません。





コメント (0) | トラックバック (0) | この記事についてブログを書く |   | goo

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿

 ※ 
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL