長塚昌宏の「コロと歩けば」

人と人との関係を様々な切り口で書いていきます。茨城の良いところも柴犬のコロと共にアピールしていきいきたいと思います。

秋の街歩き

2016年12月28日 | 日記
◆「『地理ジョ』道にときめく」(日本経済新聞11/26付)。今やテレビなどの街歩き番組の影響か、「地理好きな女子」が増えていると言います。私も街歩きは好きで、相変わらず、気候の良い春や秋には盛んに出歩いています。今年の秋(10~12月)、出歩いた所を概観してみます。
◆10月初めに、牛久宿「正源寺」に出掛けた話は既にこのブログで書きました(11/9)。その後も、10/12、六本木「国立新美術館」の“ダリ展”を見た帰り、檜町公園から「氷川神社」、「四合(しあわせ)稲荷神社」と坂の多い赤坂の町を歩きました。都会の真ん中にある檜町公園の池と樹々の森の静かさに心が安らぎます。
◆またある日(10/13)、本駒込の「南谷寺(目赤不動尊)」から「諏訪山吉祥寺」、「天祖神社」、「富士神社」と「六義園」まで歩きました。吉祥寺は本郷、のちに本駒込の現在地に移転。広い境内の片隅に冬櫻らしい花が咲いていました。川上眉山や二宮尊徳の墓、“お七吉三郎の比翼塚”などがあります。富士神社はよく縁起の良いもののたとえで「一富士、二鷹、三なすび」と言いますが、この駒込の富士神社、鷹匠屋敷、駒込茄子のことを言うらしい。「六義園」は会社に入った当時(昭和47年)、運動会を開催したところ。それ以来の訪問。入口すぐ近くにある“枝垂れ櫻”はぜひ満開の時期に来てみたいと思います。
◆「牛久シャトー」には水彩画教室で写生(10/20)に行きました。10/23、千葉の「成田山新勝寺」の長い参道の途中にある近江屋で鰻重を食べました。取手近辺の人々は成田山にお参りしない話は以前書いた気がします。1000年以上前の平将門の怨念でしょうか。藤原秀郷、平貞盛らが将門討伐の戦勝祈願を成田山にしたというので、長く将門の支配下にあった地域の人々は今でも成田山にお参りしないと言います。そして「成田山」から「香取神宮」へ。鹿島神宮と並び称される古く格式のある神社です。静かな境内に青紅葉がきれいでした。帰りに「佐原風致地区」にも寄りました。
◆10/28、雨の降る中、目黒に行きました。目黒駅を降りて急な行人坂を下ると、途中に「松林山大円寺」があります。境内には“大黒天”の幟。ここには“山手七福神”の大黒天像があります。庚申塔、三猿の石塔などがあります。明和9(1772)年、この寺より出火した火事は、江戸の三大火事に数えられる“行人坂火事”で、境内の五百羅漢石仏群はこの時の犠牲者の供養に造られたものとか。目黒川を越えると「海福寺」。この境内には“文化四(1807)年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑”があります。そしていよいよ、この日の目的地「泰叡山護国院瀧泉寺」(通称:「目黒不動尊」)に着きました。参道左手の池の畔に行列ができています。独鈷の滝、池中の“水かけ不動明王”に水を掛け願をかけます。石段を上がり本堂前に出ると、雨が激しく降ってきました。雨に滲む大香炉の線香の煙。参拝。慈覚大師圓仁が開いた関東最古の不動霊場です。境内は広く阿弥陀堂や観音堂、地蔵堂、鐘楼などが並んでいます。この日は不動尊大縁日で屋台店が多く出ており、青木昆陽の遺徳法要が行われ、“甘藷まつり”が開かれていました。仁王門前の“平井権八・小紫の比翼塚”など見て、門前通りを行くと、「成就院(蛸薬師)」があります。
◆事前に少し調べて出掛けますが、やはり実際に行ってみると新しい発見が必ずあります。石碑や説明版などの写真を撮ったり、パンフレットなどもできるだけ収集してきます。そこに街歩きの楽しみがある気がします。この後、11月から12月にかけての話は次の機会に書きます。

※ 参考資料:日本経済新聞(11/26付)の記事「『地理ジョ』道にときめく」。
※ 写真は、鬱蒼とした樹木に囲まれた「香取神宮」の御本殿・拝殿。
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