Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

先日亡くなった先輩のこと

2013-07-07 01:14:13 | 山とクライミングの話

月稜会の先輩が、長い闘病生活の末、先日亡くなった。今日はその葬儀(通夜)に行って来た。

多分、私の仲間の中には、私とこの先輩は犬猿の仲だと思っている方が多いのではないかと思う。私はよくこの先輩にたたかれた。相当私のことが気に食わなかったのだと思う。

まず私の月稜会デビューの会山行。私は一の倉中央カンテを登っていた。先輩は変形チムニー。この山行で先輩は私に「どうしてアブミを持ってこないのだ」といった。私は「アブミを持ってくるくらいならチョークバックを持ってきます」といった。

山行の帰りの車の中で先輩は「ダイレクトカンテや雲稜を登れ」といった。でも私は「フリーで登れるルートにしか興味がありません」といった。

あるとき先輩は「もっとアブミの練習をしてから行け」といった。私は「他人の残したプロテクションにテンションをかけたら、その時点で敗退ですから、アメリカンエイドは最後の手段として練習しますが、アブミノ練習をするく時間があればフリークライミングをします」といった。

先輩はその当時正当な「ほんちゃんクライマー」。しかし私はそういう登り方に満足できないクライマーだったのだ。

決定的だったのは、私が後輩を3人連れて一の倉の南稜を登った後。会で大ブーイングが起きた。先輩達には思い入れの大きな一の倉に、その当時はまだ若手だった私が、新人を3人も連れて一の倉に入ったのだ。それを批難されたとき私は「今のクライミング技術は進んでいるのです。彼らにとっては南稜は決して難しいルートではありません」と応酬したのだった。もちろん条件によってはそうならないことは十分承知だが、一の倉という場所が特別な場所である先輩方にとっては「カチン!」と来たのだろう。

こんなやり取りがあって、私はそれまで月稜会のクライミングを引っ張ってきた先輩を敵に回してしまった。でも、本気でクライミングの技術について注文をつけて来てくれるのはこの先輩だけだった。私も「違う」と思うことについては、徹底的に逆らった。先輩は私を認めたくなかったかもしれないが、私も先輩のクライミングを覆したかった。本気で対立していたのかもしれない。でも私はこのやり取りが嫌いではなかった。むしろ楽しかったのだ。クライミングの技術に限らない。山に登るということのとらえ方。リーダーとしての在り方。後輩に対しての指導の仕方。いろいろなことで対立したが、どちらかというと私はこの先輩が好きだった。

今日、通夜で先輩の遺影をみた。私の記憶に一番残っている屈託のない笑顔で、全く先輩らしい遺影だった。よく笑う人だったから、本当に良い遺影だった。それを見たら寂しくなった。

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