ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

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ケガレの起源と銅鐸の意味26 烏勧請の起源 第1部 烏勧請から天岩屋戸神話へ

2016年10月01日 10時25分24秒 | 日本の歴史と民俗
  第4章 オコナイも射日・招日神話を再現する
真夜中に餅を搗く
 オコナイについての従来の解釈は、先に引用したが、もう一度ここに引く。
新年または春の初めに行われる村内安全と豊作祈願の祭り。滋賀県をはじめとする近畿地方を中心に、北陸・山陰の一部にも分布している。他地方で春祈祷、オコト、オビシャなどと称するものとほぼ同じである。(略)供え物として大きな餅花や鏡餅は欠かせないとする所が多い。(略)真夜中に餅を搗いたり、神の膳を供える所も少なくない。(略)
といったものである。ここにはなぜ餅が欠かせないのか、なぜ真夜中に餅を搗いたり、神の膳を供えたりするのかといったことには答えていない。
 オコナイとは行事というほどの意味で、正月行事をさし、頭屋というその年の祭り当番が行事を主宰する。萩原によるとオコナイの中心となるのは鏡餅づくりで、新旧の祭り担当者の交替がこの餅に象徴される。そして「この年頭の行事を通して村の“時間”と“秩序”が入れ替わる。更新されることを意味する」。それがオコナイである((34))。このような鏡餅は日月の餅であり、太陽を象徴する。たとえば鏡餅の核に「日輪さん」と呼ぶ突起を設ける事例を『京都民俗』第6号では紹介している((35))。
 このように餅を搗いたり、神の膳を供えたりするというのは太陽に働きかけているのである。真夜中に餅を搗くとは太陽を形作ることであり、所によってはそれを「日輪さん」とまでいっている。これは何としても我らにとって好ましい太陽あるいはせめて苛烈でない穏やかな太陽を昇らせてくださいという祈りであろう。萩原は「時間」と「秩序」の入れ替わりとしているが、それはオコナイが正月行事として当たり前の年中行事と化したためについた説明であろう。もともとは射日・招日神話の意味する、もっと太陽に対する切実な思いがあっての神事であったろうと想像できる。というのはこの神話の存在理由は冬至の太陽の復活とか年の改まりの説明ではなかったはずだからだ。
 射日・招日神話の意義は我らのこの世界が我らの好ましい環境であるのはこの神話が伝えるごとく、いくつもの太陽がはげしく地上を焦がし、一人の英雄が現われて余分な太陽を射ることによっておさまったという経過があったればこそ、今の穏やかな秩序をもった世界があるのだということを再認識することにある。だから、時間や秩序の更新という単なる1年に1回巡ってくる新年の意味というのは従属的なものであろう。

餅を割る
 神戸市長田区の長田神社の節分行事では、7匹の鬼が神としてかかわり、「餅割り鬼」といって日月の餅を木の大斧をもって割るという。これも太陽の象徴としての餅を割るということで射日神話に基づいている((36))。
 萩原によるとさらに、餅ではないが太陽の象徴をたたき落とすという例もみられる。鳥羽市神島のゲーター祭と近江八幡市馬淵の宮座である。ゲーター祭ではグミの木でつくった直径2mほどの輪に篠竹を突き入れて元旦の早暁の空に高々とさしあげる。「天に二日(じつ)なく、偽の太陽をたたき落す」行事であると地元では伝えているという。
 近江八幡市馬淵の宮座では「5月1日の早暁、馬淵神社の境内で、ご幣をつけた“日鉾”とよばれる円形の鉾を、棒状のご幣でいっせいにたたきこわす」といい、これも太陽を射る行事であるとしている。「偽の太陽をたたき落す」とか「棒状のご幣でいっせいにたたきこわす」などという民俗行事のなかにそうした、いつも穏やかなばかりではない太陽への切実な思いが反映しているように思える。
 もう一つ『無形の民俗資料記録第6集 正月行事2 島根県・岡山県((37))』から紹介すると、島根半島の塩津の例として、オコナイ行事が終り最後に新しい頭屋は大餅を家へ持ち帰ると、旧頭屋と引き継ぎ式を行い、「次いで鎌どりといって、鎌をとって餅を二つに切りそめる。それを後、さらに小さく切って、各戸へ配る」という。これは「餅割り」に相当するものであろうし、したがって射日神話の射日の残存といえるだろう。というのは、このオコナイ行事には餅割りの前に大事な行為が先行するのである。
 その行為とは、新頭が大餅を背負って下がる時、この新頭の顔に大根で墨をつける。墨は周囲にいる者にもつけるから大騒ぎになるという。これは暗闇、混乱を意味し、弓神楽における「棚壊し・土団子」状態と同じもので、土公祭文における五郎王子と兄4人との戦に相当するものである。つまりこれはスサノヲの暴虐によってひきおこされる高天原の混乱、ありとあらゆる禍の現出した状態とも同じであり、その結果もたらされたアマテラスの岩屋戸ごもりによる暗闇までに相当している。だから、そのあと餅が割られているのである。長田神社の「餅割り鬼」も同じである。餅が割られるということは、余分な太陽が射落とされ、混乱は解消へむかうことを意味している。
 さらにこのオコナイ行事をもう一段さかのぼると「鯖々の行事」というのがある。オコナイで集まった寺の本堂には大餅が持ち込まれている。本堂の畳は中央の一部が事前に取り除いてあり、そこの床を、各自が持ち寄った2本ずつの空木の枝を、手に手に持って、強く打つのである。なぜそんなことをするのか。なぜ「鯖々の行事」というのか。『日本民俗大辞典』の下巻「らんじょう 乱声」の項の中で、地元では「大漁のサバを捕獲して飛び跳ねる様子を示しているといい、サバサバと呼んでいる」という。これは「サバサバ」が意味不明になってのちについた理由であろう。

鯖々の行事とは
 鯖々とは「サバエなす」「蠅声なす」から来ているのではないか。
 『古事記 上代歌謡』(小学館日本古典文学全集((38)))によって見ていくと、スサノヲの暴虐のため、アマテラスが岩屋戸ごもりをした結果、高天原も葦原中国も暗闇となってしまった。そして「万(よろず)の神の声は狭蠅(さばへ)なす満ち、万の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」つまり「そのため大ぜいの神々の騒ぐ声は、五月ごろ湧きさわぐ蠅のように世界に満ち、あらゆる悪い出来事が至るところで起こった」という場面に「サバエなす」はでてくる。
 それと少し前の三貴士分治の神話で、イザナキがスサノヲに、おまえは海原を治めよ、と委任したのに対して、それにさからってスサノヲが激しく泣きさわいだ場面である。その結果「是(ここ)を以(も)ちて悪(あ)しき神の音(おとなひ)、狭蠅(さばへ)如す皆(みな)満ち、万(よろづ)の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」つまり「その結果、禍をもたらす悪神のたてる物音は、五月ごろ湧きさわぐ蠅のようにあたり一面に満ち、さまざまの悪霊による禍が至るところに起こった」となる。つまり狭蠅なす騒々しい喧騒の中で、あらゆる悪い出来事が至るところで起こっている、あるいはさまざまな悪霊による禍が至るところで起こっている。スサノヲの暴虐の場面である。その状態を表現しているのが「鯖々の行事」ではないか。さらに、この空木で床を強く打つという行為は弓神楽における、揺輪に弓を結びつけ、打ち竹で弦を叩く行為に似ている。とすればアメノウズメがウケフネの上でする足踏みの行為でもあるわけだ。
 もう一度順序どおりに言えば「鯖々の行事」はあらゆる禍が充満している状態である。この時世界は暗闇と混乱、さまざまの悪霊による禍に満ちているのである。それを象徴するのが墨つけの行為で、墨は周囲にいる者たちにもつけられて大騒ぎ、大混乱状態である。それでオコナイ行事が終り、新頭屋は大餅を持ち帰り、太陽の象徴である大餅を小さく切り分ける餅割りをする。混乱は終息にむかう。
 これら一連の内容をみても、このオコナイ行事でも天岩屋戸神話を再現しているのであり、複数の太陽に秩序を与えようとしているのである。
 日待ちも太陽信仰であることは各辞典の記述にもみられる。柳田国男は『神道と民俗学』に「この小さな村々のコトや日待ちに於て、弘く国内同胞の御祭り申して居る神様は、果して日本の神道の外か内かといふことであります((39))」との疑問を提示していた。これについての答えが、日待ちについては太陽信仰と出ているほかはどうなのか。答えは神道以前の太陽信仰ということになるだろう。
 墨塗りも『民間信仰辞典((40))』によると、小正月の行事で、墨・鍋墨や炭灰などを互いの顔に塗りつけ会う。災厄をまぬがれ、無病息災のまじないだと考えられている、というがこれも、これまで検討してきた内容にてらして、やはり射日神話の断片を反映している。
 このように烏勧請とオビシャなどの弓神事、オコナイ、そして日待ち、墨塗りも、いずれもお互いに太陽信仰として関係し合っている。そしてこれらの行事は、射日・招日神話にもとづく古代の祭祀から分離していったと考えられる。それを元々束ねていたのが、これまで見てきたように天岩屋戸神話であり、その源としての射日・招日神話である。
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