ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ケガレの起源と銅鐸の意味44 正月行事にみるケガレ祓いの様相2 供物を投げる、屋根に上げる

2016年10月21日 09時44分10秒 | 日本の歴史と民俗
   2 供物を投げる、屋根に上げる

供物を投げる、まく
 神への供え物をなぜ投げるのか。投げるといえば赤飯投げ、片品の猿追い祭りについては第1章で述べた。投げる、まくということでは『正月行事』全4冊のなかでは5例あり、屋根に上げる例は6例ある。以下に事例1~10として供物を投げる、まく、あるいは屋根に投げ上げるなどの例を紹介して、供物その他はなぜ投げられるのかについて考えてみよう。
 事例1~4はまく、投げつけるといった5例であり、5~10は屋根に上げる例である。
 事例1 鹿児島県肝属郡佐多町1-17
フカウチ、チンカラカーメ
 正月6日を六日年という。この日、全体の小中学生の男の子が集まり、の家々を1戸ずつチンカラカーメをしてまわる。意味不明になっているとなえごとを、声をそろえてとなえる。「チンカラカーメ」の意味も不明という。
このとなえ言葉を終ると同時に、子供達は家から用意してきた白米の粒を一にぎりとって、床の方や家の間のまわりに向かってパラパラとまく。家の主婦は祝ってもらったお礼に、子供たち1人1人に小餅を2つずつ配る。子供たちはそれをもらって、また次の家へいく。全部終えるとクラブに帰って、その餅を焼いて食べたり、家に持ち帰って食べる。この行事全体をチンカラカーメと称している。

 上は佐多町外之浦の例だが、島泊では、となえ言葉をとなえたあと、首につるした袋から籾と粟を少しとり出して、思い思いに家の中に向かって投げつけるようにまきちらすという。
 事例2 鹿児島県大島郡三島村1-113
二十日正月 この日カラスノクチアキ(烏の口開き)という行事がある。唐芋コッパを粉にして、ぼた餅のような団子をつくり、それをくだいて庭にまいて烏(からす)に食べさせる。ちょうどそのころ唐芋の苗床つくりをするので、烏にほじくってくれるなと祈念するもので、の当番役の家の庭で行なうことになっている。

 かなりくずれているが、団子をカラスに与えてケガレを運び去ってもらうとする烏勧請の意義はとどめている。唐芋の苗をほじくらないようにというのは、後の付会である。
 事例3 三重県志摩郡大王町波切3-148
元旦の名ノリ 各戸では名ノリが来るのを待ちうけて、お祝儀を出す。お祝儀はおみき1本、とっくりに酒を入れて出す。それに小さなお鏡餅一重ねというのが普通である。そのほか家によって、キャラメル・みかんなどをばらばらと子供らに投げてやる商家なども見受けられた。

 事例4 岩手県雫石町
農ハダテ 朝食が済むと、男たちは山かせぎのいでたちで、おのやのこぎりやなたを携え、コビルの餅を背負い、荷縄を持って、ノサに白紙1枚と麻糸1結びを添えて持ち、1升ますに白米少々を入れて山へ出かける。山に着くとおのやのこぎりをおろして雪に立て、なたを持って手ごろの所から木の枝を切り落とし、これにノサを掛けて1升ますの米をまき、皆で次々に、ノサに向かって拝む。(略)(帰ったら)山から戻ってきた餅を焼いて食べる。

屋根に上げる
 事例5 岡山県真庭郡新庄村2-60
餅搗き (餅搗きが)終わると臼を明き方に向けて倒し、下に敷いていた藁は明き方に捨てる。臼をふく藁製のミズマワシは屋根に投げあげておく。

 ミズマワシはミズタワシの誤記かもしれない。
 事例6 岡山県笠岡市茂平2-126
(2月1日を)ヒトイ正月といい餅をつく。セカチンイッコといって、お餅と御飯を一度に供える。神様が出雲に旅立たれる日で、特別に早くお供えする。また、わらじを片足分だけ、屋根に投げあげる。

 事例7 三重県鳥羽市神島3-99
すす払い これらの神棚のすす払いは松葉ほうきではく定めである。松葉ほうきは松の小枝で大ズスと小ズスと大小2本つくる。大ズスは松の小枝を5本からげてつくり、竹の柄をつける。小ズスは竹の柄はなく2本からげである。神棚は小ズスではく。(略)すす払いが終わると大ズス・小ズスは屋根にあげておく。

 事例8 岩手県雫石町橋場4-14
餅つき 初めの臼で、お供え・オボコ・神棚に飾る長銭・マルキ銭を作る。そしてミズノ鏡(1升5合餅ぐらいの丸い鏡餅)3枚をとる。ミズノ鏡は、6月1日まで食わない。6月1日にミズノ鏡を食えば病気にならないと言っている。ミズノ鏡を包んだ藁つとは屋根に上げる。不幸(死者)があった場合はその日にミズノ鏡を食べた。

 事例9 岩手県大船渡市立根(たっこん)町4-41
屋根ふき 笹・コブノ木・栗の小枝3種を合わせて束ね、台所・オカミ・小座敷の3か所の入口に当たる屋根の軒端にさす。このほか、他の棟(御堂・浄屋・うまや・便所・水車の各間口)に径10か所さし、屋根年越しをする。屋根ふきが終わるとグシ餅をまく。白餅12(閏年には13個)を母屋の裏から屋根を越して表のニワに投げる。グシ餅マキは、主人、または年男が行ない、家内じゅうの者が投げられた餅を拾う。

 事例10 埼玉全地区4-106
正月棚 正月棚は20日のえびす講ののちにとりはずす所が多いが、多くはこれは燃してしまうか、屋敷神、あるいは坪の間(庭すみの植えこみ)のすみに納めておく。道陸神焼キをする秩父や児玉郡の一部ではこのとき燃やしてしまう。所沢市北野では翌年の節分のオタキアゲに燃やすことになっている。また、所沢市南永井のように、屋根にほうりあげておくような変わったところもある。


 以上の事例の内訳をみると、投げる例では
① 白米をパラパラまく(鹿児島県)。
② 籾と粟を家に向かって投げつける(鹿児島県)。
③ ぼた餅のような団子を庭にまいて、烏に食べさせる(鹿児島県)。
④ キャラメル・みかんなどをばらばらと子どもたちに(三重県)。
⑤ 木の枝を切り落とし、これにノサを掛けて1升ますの米をまき(岩手県)。
 屋根に上げる例では、
① 臼をふく藁製のミズマワシを屋根に投げあげておく(岡山県)。
② わらじを片足分だけ屋根に投げあげる(岡山県)。
③ すす払いに用いた松葉ほうきを屋根にあげておく(神島)。
④ 鏡餅を包んだ藁のつとを屋根に上げる(岩手県)。
⑤ 白餅12個を母屋の裏から屋根を越えて表のニワに投げる(岩手県)。
⑥ 年神様をまつった正月棚を屋根にほうりあげておく(埼玉県)。

供物はカラスに投げ与える
 以上の事例の内訳のうち、供物を投げる事例では白米、籾、粟、団子など、米由来の食物を庭に撒いたり、家に向かって投げつけたりするという。これらの行為は結果としてカラスやほかの鳥が食べることになる。つまりケガレを運び去る役割を担ったカラスにケガレ祓いをさせるのが本来の目的であり、そこからの変遷と考えられる。だから供物は投げられるのである。
 そして屋根に上げるほうの事例では、臼をふいた藁、歳神様がはいたとされるわらじ、すすを払った松葉ほうき、鏡餅を包んだ藁、餅そのもの、歳神様をまつった正月棚、といずれもケガレの象徴、あるいはケガレを運び去ることに関係した物である。直接に餅や米由来の食物でないということは、これらがのちの変化型であり、烏勧請のくずれた型であると考えられる。つまりもともとはカラスにケガレ祓いをさせる意味だったと思われる。それを示す例が福井県小浜市にみられる。21ページ「赤飯にみるケガレ」の事例7である。
 そこでは神社の屋根に赤飯を供えてカラスにほどこす。この献饌のことを「カラス」と呼ぶのである。投げるのはそれらが祓うべきケガレの象徴だからであり、それをカラスに与えるからである。しかし、投げるという乱暴かつ無礼なやり方は、ケガレをつけられたから汚いとの思いから投げ捨てるのではない。まして、新谷が『なぜ日本人は賽銭を投げるのか(「35」)』でいうような、投げ捨てれば祓われることになるという単純なものでもない。これが汚いものではないことは、白米、籾、粟、団子、キャラメル、みかんの例で明らかである。
 ではなぜこれらの供物を投げるのか。それはケガレを運び去るのがカラスだからである。投げられる供物はケガレの象徴である。賽銭もケガレの象徴だから投げられるのである。ケガレとは余った危険な太陽である。つまり、銭という金属の供物もまたケガレの太陽だったのである。供物はケガレの太陽であるから、太陽の昇降をつかさどるとされるカラスに投げ与えるのである。受け取ったカラスは山へ向かい、ケガレの太陽は山に鎮まることになる。金属としての銭については稿を改めて論ずる必要がある。